昨年の初め頃から、福音派の大和カルバリーチャペルの大川従道が「セカンドチャンス論」を大々的に語り始めたことで、福音派の教会の牧師たちが批判非難しています。中にはエホバの証人やモルモン教とセカンドチャンス論を同じ異端と見なす教会も少なくありません。
どうして、セカンドチャンス論の教えが危険かという大きな理由が、この御言葉です。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。
偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなた方のところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなた方は、その実で彼らを見分ける。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。マタイ7章13~17節」
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つまり、福音派の教える福音は「イエス・キリストを信じた者は救われて天国。信じない者は滅びて地獄」という狭い門です。
ですが、セカンドチャンス論は、生前にイエス・キリストを信じることなく死んでも、死後にイエスさまの宣教を聞いて救われるチャンスがあるという教えです。
これは、聖書の第一ペテロ3章18~19節「そして霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」
「彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばく方に申し開きをしなくてはなりません。第一ペテロ4:5」などからの解釈です。
このセカンドチャンス論が、広い門となり、そこから入る者が多くなるので、偽預言者たちの教えになるというのです。
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このセカンドチャンス論については、福音派の穏健派の中では否定も肯定もしないという声もあります。
さらに、福音派では、内村鑑三牧師たちのように、神はすべての人を救われるという希望を持っている人たちや、カール・バルト牧師のように万人は神と和解しているとする万人和解派については、危険(異端)と判断されています。
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私自身、用水路工事を成し遂げて、約65万人のアフガニスタン人の命を救った「中村哲」先生の影響を受けて、内村鑑三牧師やカール・バルト牧師の信仰に賛同する者となりました。
その信仰から、狭い門と滅びに通じる広い門の聖書箇所を調べてみますと、福音派の見解と解釈とはまるで違う見解と解釈になりました。
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狭い門から入りなさい(マタイ7章13)から23節を続けて読めば、解釈がまるで変わってくるのです。
前回記事で紹介したマタイ7章21~23が重要ポイントになります。
かの日には、大勢の者が、わたしに「主よ、主よ、私たちは御名いよって預言をし、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行なったではありませんか」
新改訳聖書でも新共同訳聖書でも、この関連の御言葉がルカ13章23~27になっていますので、そこを確認しますと、
「主よ、救われる人は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた「狭い戸口から入るように努めなさい。入ろうとしても入れない人が多いのだ。
家のご主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなた方が外に立って、「ご主人様、開けてください」と言っても「お前たちがどこの者か知らない」という答えが返ってくるだけである。
その時、あなた方は「ご一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、私たちの広場でお教えを受けたのです」と言い出すであろう。
しかし主人は「お前たちがどこの者か知らない。不義を行なう者ども、皆わたしから立ち去れ」と言うだろう。
あなた方は、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。」
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つまり、かの日には、イエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡をたくさん行なう者たちと、一緒に食べたり飲んだりしたり、教えを受けている大勢の者たちは、不義を行なっているために、イエス様は「お前たちは知らない。不義を行なっている者ども、皆わたしから立ち去れ」と追い出されるのです。
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セカンドチャンス論や万人救済の希望派の教えは、確かに現在の福音派の教えよりも救いの広い門と言えます。
しかし、偽預言者たちの「広い門」はこうです。イエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡をたくさん行なうことです。
福音派では定期的に、預言し悪霊を追い出し、奇跡を行なう牧師や預言者をVIP待遇で招き聖会を開いています。
ベニー・ヒンのミラクル・クルセード、アナコンディアの癒しの聖会、ボンケ牧師の悪霊を追い出す炎の聖会、400人の死人を生き返らせたガジマ牧師の奇蹟を起こす聖会は特に盛り上がりました。
東京福音リバイバル聖会2000では、チャブダ牧師による金歯が生える、金粉をふらせる奇跡の聖会が行われました。
20人のクリスチャンや牧師に金歯が生えたり、金歯に変わったり、聖書や手に金粉が降り注いだので、そのイエスの奇蹟の体験を喜んで証しています。
それらの聖会には、多くの福音派の教会が集結して、イエスの御名によって行われる預言と奇跡にほとんどの人たちが大興奮して感動しました。「イエス様すばらしい!聖霊様すごい!」などと狂喜乱舞する人たちも少なくありませんでした。
もし私がその聖会に出席していて、金歯にされると「悪霊ども、私の白い歯を返せえぇぇぇぇ!!!」と絶叫していたことでしょう。
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これからの時代、ベニーヒン、ボンケ、ガジマ、チャブダ牧師たちを超える預言をし、悪霊を追い出し、奇跡をたくさん行なう偽預言者たちが出現するとどうなるか。
特に、福音派の教会は大歓迎するでしょう。奇跡をたくさん見た人たちはイエスを信じるようになり、たちまち、信徒数も増えるでしょう。まさに広い門です。
「イエスの御名によって」奇跡を行なうので、偽預言者とはまったくわかりません。
あのイスカリオテのユダも悪魔だとはわかりませんでした。
むしろ財布を預けていましたから、12弟子の中でも最も信頼されていたのです。
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では不法(不義)を行なうとはどういう事でしょう。
陰で悪魔の手下のごとく、悪魔崇拝していれば、発覚すれば大変なことになります。除名されるでしょう。
姦淫や盗み、淫行などの罪は、現在の教会でもよくある事です。
神の子たちと悪魔の子たちについて明確に教えられている御言葉が第一ヨハネ7~15に書かれています。ピックアップして伝えます。
「子たちよ。誰にも惑わされないようにしなさい。罪を犯す者は悪魔に属します。
神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。
なぜなら互いに愛し合うこと、これがあなた方が初めから聞いている教えだからです。カインのようになってはいけません。
兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなた方の知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。」
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イエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行なうことは素晴らしいことです。しかし一方で、悪魔の子たちは兄弟を憎むように教えるのです。
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現在の日本のキリスト教の状況は、カトリック教会では、すべての人は救われていると教える万人救済派の「晴佐久」司祭が大きく用いられて来ています。
東京の伝統ある上野教会と浅草教会の兼任主任司祭に抜擢されています。
アフガンの人々を救って殉教された「中村哲」先生の影響で、万人救済の希望を教える「内村鑑三」牧師がクローズアップされています。
1970年代に内村研究がブームになり、近代日本思想史の研究素材として脚光を浴びていたそうですので、再び脚光が浴びて来たとしても不思議ではありません。
もしも、すべての人の救いを希望する信仰やセカンドチャンス論の信仰によって、クリスチャンになる人たちが急増するような現象が起きれば、同時にそのクリスチャンたちを憎む人たちも急増するでしょう。
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そして、今度はイエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行なう預言者たちが出現すれば、その預言者たちがいる教会は大いに繁栄します。
そして、自分たちの信仰とは違うキリスト教会の兄弟たちを憎むことが正当化されるでしょう。
その兄弟を憎むことは正しいと思いますし、罪とは思わないことが特徴です。
間違った福音を宣べ伝えているキリスト教会の兄弟たちは、惑わす偽クリスチャンどもになるからです。
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ですので、今から、イエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡をたくさん行なうことではなく、兄弟を愛しているか、憎んでいるかによって、実を見分けることが大切になって来ると思います。
ですので、同性愛者クリスチャンも、聖母マリア様にとりなしを祈るカトリック教会も、聖書のみではない正教会も日本基督教団も聖公会も、万人の救済を希望する教会も、セカンドチャンス論の教会も互いに愛し合うことで一致しているのです。
聖書を読めば、かの日には、互いに愛し合うことが狭い門になり、イエスの御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡をたくさん行なっていることが広い門になっているという見解と解釈をしています。