最近、福音派の中で、プーチン大統領の戦争行為を通して正教会を批判非難する声がにわかに広がっているようです。正教会は「聖書のみ、信仰のみ」ではないなどの理由から、信者がこのような暴挙を起こすと言いたいようです。
ちなみに、ナチスヒットラーの暴虐から約6000人のユダヤ人たちの命を救った「杉原千畝」氏は、正教会ですが、福音派では正教会ということを隠して、あたかも福音派のクリスチャンであるかのように思わせて教えていることが目立ちます。
福音派は、カトリックに対しても「聖母マリアにとりなしの祈りやロザリオなど、聖書に書かれていないことをしている」などと批判非難する人も少なくありません。
福音派では「聖書のみ、信仰のみ」である自分たちの教えが正しい、他は間違っていると主張する人が多いように思いました。
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福音派の聖書のみ信仰の根源の御言葉です。「聖書はすべて、神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、義に導くのに有益である。それによって神の人があらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全に整えられた者になる。第二テモテ3:16」
しかし、この御言葉が書かれた時は、AD67年頃と言われていて、新約聖書はまだ存在していません。ちなみにマタイの福音書はAD85年頃と言われています。新約聖書が現在のものに見合うような形で成立したのは紀元4世紀です。
ですから、聖書はすべて、神の霊感を受けてというのは旧約聖書のことになると説明する牧師は少なくありません。
イエス様と初代教会の弟子たちが読まれた聖書も旧約聖書でした。
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なので、「聖書のみの信仰」を掲げるのであれば、ユダヤ教の人たちのように旧約聖書のすべての御言葉にも聞き従わなければならないでしょう。
ですが、私は福音派の教会に長年いて、何十という福音派の教会の牧師やクリスチャンたちと交流がありましたが、そのような牧師やクリスチャンに出会ったことはありませんでした。
出エジプト記やレビ記などに書かれてある神の御言葉の多くを、誰も聞き従ったりしていません。
出エジプト記35章には、聖日礼拝の日に仕事をする者は誰であっても殺されなくてはなりませんし、エビやブタ、カニなどを食べるのも罪です。
しかし、福音派の教会では、日曜日に仕事をすることも許可をしますし、牧師自身も昼から結婚式場での仕事をしたりします。エビ、カニ、ブタを食べることも罪にはなりません。
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また、新約聖書の御言葉においても聞き従わない御言葉がいくつもあります。
女性は教会では静かにしなさいと教えていますが、女性牧師や女性伝道師がいるのは、御言葉に反発しているようで釈然としません。
それから、情欲を抱いて女を見る者は、ゲヘナに投げ込まれます。と教えられていますが、不倫をしたり姦淫をしてしまった牧師、伝道師、宣教師、クリスチャンは少なくありません。
報道される事件も福音派の牧師が目立ちます。
少女7人に性的暴行事件を犯した「聖神中央教会事件」も福音派ですし、広島の児童買春事件も福音派の牧師です。
発覚した後、謹慎処分期間を経て、牧師や伝道師に復帰していることもあります。(多いかもしれません)
他にもいくつもの御言葉はないがしろにされたり、守られていません。
ですから、福音派にいた時、「聖書のみ」という信仰は訳が分かりませんでした。
ですが、福音派は、カトリックや正教会、日本基督教団や聖公会が「聖書のみ」信仰ではないので、批判非難しています。
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次に福音派の一部の人たちが、プーチン大統領が正教会だから、悪い行動を起こすというように思わせていることですが、世の中の人たちはそういうように思っていません。
世の中の聖職者と言われる学校の教師や警察官などの中にも犯罪を犯す人たちはいます。
牧師や神父、宣教師、伝道師たちの不祥事も後を絶たないので、キリスト教会の中にも悪い人たちはいるという認識でしょう。
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聖書の御言葉の教えで、最も衝撃的なことはマタイ7章21節でしょう。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』という者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なう者が入るのです。
その日には、大勢の者がわたしに言うでしょう。
『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行なったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。
『わたしはあなた方を全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け!』
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この御言葉は、キリスト教会の中に、偽クリスチャンたちが大勢いることを教えています。大勢ということに衝撃を受けます。
思えば、イエス様が選ばれた12弟子の中に悪魔が一人いました。
「わたしがあなた方12人を選んだではありませんか。しかし、そのうちの一人は悪魔です。」ヨハネ6章70節
この悪魔はイスカリオテのユダでしたが、他の弟子たちと一緒に、イエスの御名によって病人を癒し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出していました。
悪魔にもその権威を授けられたのは驚きました。
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悪魔の策略は、にせ使徒となって、教会の内部で不法を行ない、より多くのクリスチャンや人々をイエス・キリストから引き離すことです。
「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
しかし驚くには及びません。サタンさえ、光の御使いに変装するのです。
ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はその仕業にふさわしいものになります。第二コリント11章13~15」
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に付けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。エペソ6章11~12」
以上のような御言葉の教えから、イエス・キリストを信じて、イエスの御名によって、悪霊を追い出したり、病人を癒したり、奇跡をたくさん行なっていても、その中には不法を行なう悪魔の手下もいるということです。
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正教会の教えは、イエス・キリストを信じて洗礼を受けるのは、救いの始まりということだそうです。
日本基督教団やカトリック、聖公会の教えも、イエス・キリストを信じたから救いは完成されたように教えていませんでした。
日本基督教団は、誰が天国で誰が地獄へ行くかなど安易に結論づけすることは出来ないと教えていました。
しかし、福音派だけは、イエス・キリストを信じた者は救いが完成して、永遠の命を持つ。その救いは決して消し去られることはないと教えています。
その教えは、前述した御言葉を無視しているように思えます。
また、義のしもべとなり教会の一員になっているサタンのしもべたちの温床となる可能性が高くなります。
イエス・キリストを信じた者は永遠の命を持つと断言されるため、義のしもべに変装しているサタンのしもべたちも永遠の命を持つクリスチャンと定められるので、安心して、暗躍できるからです。
最も気をつけないといけないのは、サタンの策略です。
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他にもいろいろありますが、調べてみれば、実は福音派よりも、正教会やカトリック、日本基督教団や聖公会のほうが、聖書の御言葉に聞き従っていると思うことがいくつもあるのです。
ですが、それらについて、福音派に対して批判非難することはありません。
ですから、サタンの策略を見抜いて、サタンの手下どもが入り込みづらい環境を整えて、すべての真実なこと、すべての誉あること、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することに、心を留めていきたいです。