「新時代への信仰」⑦ 神の国と神の義を求めなさい。そうすれば必要なものはすべて増して与えられます | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

今回の新型コロナウイルス禍は、人間にとって脅威であり、災いです。

今度は第二波に苦しめられています。

 

しかし、地球にとっては、感染防止のためにロックダウンや外出自粛などによって、大気汚染が大幅に改善されていることが、世界各地で報告されています。

 

 

思いがけずに澄んだ世界を取り戻した地球の世界各地の報告に、「これを機に人類は、汚染物質の排出を削減していき、地球温暖化を阻止すべきだ」という声が上がってきているそうです。

 

フランシスコ法王は「今日のパンデミックは、人類が地球を粗末に扱ったことに自然が反応した一例だ」と述べられた。

 

自分自身は昨年7月頃に、留岡幸助牧師の「元来人間は、自然と一緒にいるべきなのに、自然を離れた状態の最も甚だしきものが今日の都市生活というものだ。不良少年の発生は、すなわち都市生活から来る一つの弊害たる現象に過ぎないのであるから、これを改良するには、その児童を自然の懐に入れて育ててあげることで、これが家庭学校の主張であり、恵の谷の開かれたゆえんである。」という信仰に大きな感銘を受けて、自然の懐の中での自立援助ホーム・児童養護施設・障害者就労支援事業所の創設へ導かれています。

 

その時は、都落ちのような、どうしてこんな過疎地に行かなくてはならないのか?という思いでしたが、段々と自然の懐の中で癒されていきました。今では行くのが楽しみです。

 

聖書を読んでも、イエス様はよく山へ行かれています。魚5匹とわずかなパンで5000人以上を満腹させた御業、山上の垂訓、山上の変貌、復活されてから指示された山など、とても大切な教えの時は、自然の懐の山の中で行われていますし、旧約聖書でもシナイ山や、モリヤ山での「主の山に備えあり」など、山は重要な場所ですので、神さまから導かれた山に上っている時に、聖書の世界が展開されるように思います。

 

町では外出する時はマスクする事がマナーです。マスクなしの人を見ると「非常識」だと思ってしまいますし、くしゃみなんかされると、にらみつけてしまいます。

 

ところが、自然の懐の中では、マスクをつけなくてすみます。町とは別世界にいるようです。

 

 

今回の新型コロナウイルス禍では、4月位に、日本もニューヨークのようにロックダウンが必要になるとも推測されていましたが、大丈夫でした。

 

しかし、コロナウイルスは突然変異して、致死率が30%にまで上がったという研究発表もありましたし、これから、どうなるかわかりません。

 

もし、最悪の事態になってくれば、第二次世界大戦時に、母子を田舎に疎開させたように、町から田舎へ「コロナ疎開」させる備えも必要だと思う人たちは増えていますし、政府もその備えが必要と認識しています。

 

緊急事態宣言前に「コロナ疎開」が広がったことがありました。山の麓にある農園が、自粛疲れの子供たちのために開放してくださり、親子連れで訪れて、子供たちが喜んでいる報道番組を見ました。

 

神さまの知恵として、これから自然の懐にある過疎地が開拓される事業が与えられています。

 

その先駆者というべき、留岡幸助牧師の家庭学校は、行き場のない不良少年たちと、北海道の過疎地(原始林)を開拓しました。

 

その少年たちの功績が認められ、北海道開拓功労賞を受賞したのです。

 

その広大な土地で、神さまは、農業、酪農、林業、漁業、土木、園芸など、様々な仕事を用意されていました。

その自然の中で勉強して学び、陶芸、絵画、料理、演劇、音楽など、様々な学びも選べました。

 

音楽の村井先生が「この家庭学校は、キリスト教を柱として建っているのだから、美しいメロディとリズムとが、全校の隅々にしみわたるようになったら、なおいいと思う」と語られ、オリジナル曲を作詞作曲されました。

 

少年たちは胸を張って、心を躍らせて歌い続けました。

歌い終わると、聞き手の少年たちも、歌い手の少年たちも、床を踏み鳴らして、歓声を上げました。こんな事は、これまで一度も見ることが出来なかった風景だったそうです。

 

神さまから与えられるオリジナルの作詞作曲の歌は、奇跡と感動を生みます。

 

行き場のない子供たちの心に響くのです。

 

これから、自然の懐の中での山で、自立援助ホーム・児童養護施設・障害者就労支援事業所を立ち上げることが、神さまの御計画だと示されています。

 

大阪では大東市・東大阪市、茨木市・高槻市の近くの山を示されています。車で30分もかかりません。

 

今、週に2回、山の麓で仕事をするようになりました。

 

これから、信仰が一致したクリスチャンとクリスチャンの歌い手が与えられるように祈っています。