クリスチャンが教会を離れた理由 ② 牧師の問題 | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

自分自身がクリスチャンになってから、ゴスペル教室のコーディネーターや、聖書の教えを歌にした音楽制作などで、いくつもの教会へ行きました。

 

行かせて頂いた教会は何の問題もないようでしたが、その活動などを通して知り合ったクリスチャンの中では、約60%は教会から離れていると実感しています。

 

これは、日本ではクリスチャン人口は約100万人と言われていますが、その中でも教会に所属して主日礼拝を守っているクリスチャンは約38万人というデーター通りです。

 

 

教会を離れる理由として、教会につまずいた(結局は牧師につまずいた)ことを、よく見聞きしました。

 

つまずく大きな要因に「聖書の御言葉を厳守するような教え」と、「あなた方の指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」へブル13:17を強く感じさせることが挙げられます。

 

「教会が教えることが絶対」ということを植え付けられるような、「これも罪、あれも罪」と、牧師の指導のもとで信徒リーダーなどが「罪」と判断することを指摘して、悔い改めさせ、聖なる者とさせようとするような。

 

まずは「罪」と「悔い改め」に着目するような牧師。

 

それで、教会につまずき、離れて、イエス・キリストからも離れてしまう人々が多いのです。

 

しかし、聖書を読めば、イエス・キリストの教えがわかるのです。

 

 

イエス様の地上での宣教期間において、律法学者やパリサイ人は、12弟子の「罪」をいつも指摘して悔い改めようとしていましたが、イエス様は違いました。

 

十戒の一つ安息日を守れ。出エジプト35:2,3「七日目は、主を礼拝する安息日だから、この日に仕事をする者は誰でも殺される。食事の用意も許されない」という神の律法がありましたが、

 

イエス様は「安息日は人のための安息日です」と言って、治療を行ないましたし、弟子たちが麦畑の穂を食べた時も擁護しました。

 

十戒の一つ「姦淫してはいけない」「他の男と姦淫した場合は二人とも石打ちの刑にしなさい」申命記22:24という神の律法がありましたが、イエス様は、姦淫の現場で捕らえられた女性に対する場面で、「この中で罪のない者が最初に石を投げなさい」と言われ、「誰か、あなたを罪に定めた人はいましたか?」「わたしもあなたを罪に定めない」と言われた後で「行きなさい。これからは罪を犯してはいけませんよ」と教えられたのです。

 

 

つまり、パリサイ人や律法学者のように、まず罪を指摘して悔い改めさせるのではなく、イエス様は、まず大いなる寛容を示されて、神の慈愛によって悔い改めに導かれています。

 

牧師が、イエス様のように、まず大いなる寛容を示し、神の慈愛が悔い改めに導かれることを信じて、教会に来る人々に関わっていれば、教会から離れなかったかもしれません

 

教会から離れた人々と会って話をする時には、イエス様につまずいたのではなく、牧師の教えにつまずいていることを伝えています。