昨日、ブログでも活躍されている伝道師から、最後の改革・使徒の働きが、昨年から大阪でも始まっていると教えられました。
その教えに疑問を持っておられました。
イエス様は、奇跡としるしをまだ見ないで、イエス様は癒してくださると信じ、御元に来る人々を癒されました。病いの癒し、悪霊の追い出し、死人を生き返らせる、それらを行なわれた後で、「誰にも言わないように」と命じられたのです。
ところが、病いを癒すところをビデオで撮影して、大勢に言い広めているので、ビックリしたそうです。
大阪で行なわれていると教えてくださった伝道師は、批判したり、さばくことを絶対にしない方でした。しかし今年、そのことについて、実を結ばない暗闇の行ないの仲間に入らないで、それを明るみに出しなさい。」エペソ5:11を強く示されて、聞き従われたのです。
「外部の人たちをさばくことは、私のすべき事でしょうか。あなた方がさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。」第一コリント5:12
クリスチャンは神を求めることが最優先。まず道である外庭を通り、真理である聖所を通り、命である至聖所に入る。そこに主の臨在がある。
主が私たちを喜ぶのは、私たちが何をしたかに基づいてではなく、イエスが私たちすべての人に対して、命の代価を支払ったということに基づいています。
それを理解することが、改革の始まりで、新しいアイデンティティです。
無条件の愛、イエス様と愛の関係を築くなら、御父は同じことをしてくださるのです。
愛を信仰によって受け取る。御言葉を黙想する。
御言葉を学んで、黙想せずに、行動すれば、すぐに御言葉は地に落ちてしまう。
イエスにならおうとする事は、とても高潔で霊的に聞こえますが、自分の努力によって、イエス様の成されたことをしようとする危険があります。
イエスにならおうと奮闘すると、自分を見失ったという人は少なくありません。
まず、神により頼み、従順して、イエス様と愛の関係を持っていなければならないのではないでしょうか。
御言葉にとどまります。
☆ Drあいこ先生の動画「奇跡としるし」の鍵は、神様との「愛」の関係によって整えられて、自分がしようとするのではなく、内住してくださる聖霊が行なってくださることが理解しているクリスチャンが、神様から権威を与えられた病いの癒し、悪霊の追い出しなどの「奇跡としるし」を行なえると思いました。
イエス様も12弟子と、後で、多くのクリスチャンの中から72人を選ばれました。
ですから、病いの癒し、悪霊の追い出しについては、クリスチャンになったばかりでも、誰でもしなさいというのは非常に危険だと思われます。
まず、奇跡としるしを行なうように教えれば、見えることに捕らわれたり、自分が奮闘してしまったり、自分のしている奇跡としるしをビデオに録って言い広めて、誇ったりしてしまいます。
自分自身も経験があります。西の空に「JESUS」という文字が現れてから、興奮してしまい、しばらく、もっとすごい天からのしるしを求めるようになって、信仰がどんどん外れて行きました。
奇跡としるしの五感の受け取る、自然界に見えるものではなく、目に見えない神様との霊の領域の方がリアルなのです。
リアルとは、神は霊ですから、その神様との愛の関係を持つ時に、本当のリアルを受け取れます。見えるものが本当のリアルではないのです。
そのことを教わって感謝でした。
本当の改革の始まりは、神との愛の関係をもって、御言葉にとどまることだと思わされました。