聖書が教える「人」の3つの運命 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

聖書には「人」の運命について、3つの事が教えられています。
①「人」は世界の基の置かれる前からキリストのうちに、良い行ないをするために造られました。生まれてからは、その理由がわからず、罪に悩み苦しみ、罪過の中に死んでいました。

しかし「光(キリストの福音)」が世に来て、キリストにあって造られたので、そのキリストの声(福音)を聞き分けます。そして光の方へ来て、信じて、すべての罪が聖められ、永遠の命が与えられます。それから神様が備えられている良い働きをする事が定められている人生を歩みます。

クリスチャンになるべき人は、クリスチャンや宣教師、牧師、神父、伝道師から話を聞いたり、またはクリスチャンの偉人の伝記、聖書を読んだり、教会に導かれたりして、キリスト教の教えを聞きます。

すぐに信じた人もいれば、初めに聞いた時はわからなくて、15年後に出会ったクリスチャンに出会った時に信じた人もいます。私自身は高校のクラスにクリスチャンがいて、教会に導かれてもわかりませんでした。

外国の宗教の神様が日本人に何の関係があるのだろう?と疑問でした。私たちの罪のために十字架にかかって死に、三日後によみがえる。私たちの全ての罪が聖められて、新しく生まれ変わる。永遠の命が与えられる。

頭で理解しようとしても、とうてい理解出来ませんでした。しかし10年位経ってから、理屈ではなく、不思議に信じれたのです。聖書には「聖霊」によらなければイエスを主と呼べないとありますので、聖なる力が働いて信じることが出来たのでしょう。

それからは神様から良い行いをするための、将来に希望と平安が与えられる御計画を教えられて幸せです。

② しかし光が世に来ているのに、光より闇を愛して、光を憎み、悪を行ない続ける人々がいます。

クリスチャンが福音を伝える時は、①の人々に対する伝道です。人々を②の人とは思いません。
なぜならキリストは、こう教えているからです。
「わたしは羊のために命を捨てます。わたしはまた、この囲いに属さない他の羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」ヨハネ10章15、16節

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない、これが私たちがキリストから聞いて、あなた方に伝える知らせです。神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちを聖めます。」第一ヨハネ1章5~8節

わたしは「光」として世に来ました。わたしを信じる者が、誰も「闇」の中にとどまる事のないためです。ヨハネ12章46節

ですから「光」について伝えます。「闇(地獄)」については伝える必要はありません。

そして②の人々については、「福音(光)の教えに耳を傾けないなら、たとい死人が生き返って、地獄についてよく言い聞かせても、彼らは聞き入れはしない」ルカ16章31節と教えられています。

また信じていないけど、地獄へ行かないために「洗礼」を受けておこうという考えがあります。
それについては、こう教えています。
「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がバプテスマのヨハネの所へ出て行き、自分の罪を告白して、洗礼を受けた。

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大勢、洗礼を受けに来るのを見た時、ヨハネは彼らに言った「まむしの末たち!誰が必ず来る御怒りを逃れるように教えたのか!」と激怒して、洗礼をうけさせませんでした。(マタイ3章5~7節)

ですから、福音は「光」を伝えます。闇(地獄)について伝える必要はありません。

キリストの救いは「地獄行きの悪魔とその使いに従うのろわれた者たち」の救いではないからです。「獣を拝み、獣からの刻印を押された者、光を憎む者、命の書に名の記されていない者は皆、火の池に投げ込まれた」黙示録20章15節、黙示録14章9,10節

地獄行きの者は救われません。

キリストの救いは①の人々の救いです。すべての人はキリストにあって造られ、神様の定めた時に、光を信じて、永遠の命が与えられ、将来に希望と平安が与えられます。

③ しかしクリスチャンになってから、「もしあなた方の義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなた方は決して天の御国に入れません」とあります。

パリサイ人の義は「自分を義人だと自任し、他の人々を見下げ、私は律法をすべて守っています。」と高ぶっています。

クリスチャンの義は「もし罪を犯していないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神の御言葉は私のうちにありません」第一ヨハネ1章10節を自覚し、「神様。罪人の私を憐れんでください」と祈るへりくだっています。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から聖めてくださいます」第一ヨハネ1章9節