聖書の教えに聞き従うこととは | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

今日、ニュースの見出しで「世界中が悲鳴」「この世の終わり」とあるので、驚きました。
実は9月23日携挙と大地震や隕石、この世の終わり預言が9月28日に伸びたという話を聞いていたからです。しかし「福山雅治さん結婚」という良いニュースで安心しました。

携挙指定日預言騒動で、聖書の教えに聞き従うことの重要性を再確認しました。
しかし、強制的に聖書の教えに聞き従えと言うことではありません。

教会には信徒リーダー、信仰歴が浅い人、求道中の人などがいて、当然に信仰がそれぞれ違います。

私の教会に何年か前、学生が何人も来ていました。しかしクラブや遊び、バイトなどで忙しくなり、教会に来なくなりましたが、また時々来るようになったのです。

彼らは日曜が休みの職場を探しても無かったので、家賃やスマホの支払いなどもあり、日曜出勤があるコンビニなどのサービス業や飲食業で働いていました。

教会の信仰者はこの機会を逃がさないとばかりに、聖書の御言葉に聞き従うことを熱心に勧めます。「神の国と義を求めなさい。そうすれば必要なものは全て与えられる」「この世と妥協してはいけません」などなどです。

しかし、若者からすれば、神の国と義を求めれば必要なものは全て与えられると言う信仰者なら、日曜が休みの職場を提供できるはずです。「それは出来ないので、自分で妥協してはいけない世の中で探しなさい」というのは矛盾しています。

教会に来れば、まるで水戸黄門が「この印籠が目に入らぬか!」と裁きにかかるように、信仰者たちが「この御言葉が目に入らぬか!」という感じで裁きにかかっていると思えば、もう教会に来るのはキツイです。それで、ついに来なくなりました。

聖書には「私の兄弟たち。誰かが自分には信仰があると言っても、その人に行ないが無いなら、何の役に立ちましょう。もし兄弟、姉妹の誰かが着る物がなく、また毎日の食べ物にもこと欠いているような時に、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、

もし体に必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行ないが無かったなら、死んだものです」ヤコブ2章14~17節とあります。

有名なクリスチャンは「御言葉を行なう信仰者」でした。マザーテレサは金貨3枚で孤児院を建てますと信仰告白しました。周りはバカにしてあざ笑いましたが、今では世界中にマザーテレサの愛の宣教会によって孤児院がいくつも建設され運営しています。

山崎製パンや森永製菓、ケンタッキー・フライド・チキンなどクリスチャンの創設者が信仰によって、会社を設立して、たくさんの雇用を生み出しました。

クリスチャンになれば6000万円、1億2千万、1億8千万になるタラントも与えられています。

クリスチャンは良い働きをするために造られた神様の作品だと言われています。

ただ聖書に聞き従うように勧めるだけの信仰者がたくさんいて、勧められる方は裁かれていると感じて、つまづいて教会から離れることも、よく聞きます。

御言葉を聞いて行なう者となるように、神様の愛にとどまります。

「あなたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなた方にとどまるなら、何でもあなた方の欲しいものを求めなさい。そうすれば、あなた方のためにそれが叶えられます」ヨハネ15章7節