自分自身が虫けら以下のような扱いを受けた時に「憎しみ・怒り・敵意」を上回る「キリストの十字架の愛・御名と血潮の力」によって乗り越えられる体験をしました。
音楽・本・絵本・映画制作などによって福音を伝える働きに仕えてから、日雇い労働を体験していますが、ここでの燃え盛る火の試練の苦しみによって、信仰が整えられたのです。
日雇い労働は建築関係の仕事です。建築関係の会社に勤めていて、人間関係やリストラなどによって日雇い労働をするようになった人たちも多いです。このような人たちは現場に行っても即戦力です。大体の現場で仕事内容が把握できて、道具も扱えます。
しかし建築関係の仕事を知らない人たちは、現場に行っても何をするのかさっぱりわからない。道具の名称も知らないし使ったこともないので「使えないヤツ」です。
日雇いの会社は「人夫出し」が多ければ儲けになるので、使えないヤツでも現場に送り込むのです。そこで「使えないヤツ」と罵られ、殴る蹴るがあって喧嘩になって辞める人も少なくありません。
保証もないし、4月前後には2ヶ月くらい仕事がありません。そこで給料は0円なので辞めていく人たちもたくさんいます。
よく即戦力の人たちがく「人間扱いではない!」という怒りの声を聞きます。
だから自分を含め使えない人たちは「虫けら以下」になるのです。
会社の方針で即戦力の人と使えない人を組ませます。
しかし同じ日当で、安い日当です。即戦力の人たちは使えないヤツにいちいち教えて手直しもします。それはバカバカしいです。即戦力同士で楽をしたいです。
だから一生懸命に頑張っても、事務所に戻ると「店長、こいつはボーと見ているだけでアカン!無理や!」と偽証までされます。
今までなら御言葉に「汝の敵を愛せよ」「右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい」とあるのを教えられたから従って行なう信仰でした。
それなら後日に思い出した時に憎しみと怒りが心に湧いていたのです。
しかしキリストの十字架の愛・御名と血潮の力によって乗り越えることを体験した時に、後日に思い出しても「非道いことをした人に対する憎しみ・怒り・敵意」が遠ざかっているような感じです。
非道いことをする人たちに対する思いは「憎しみ・怒り・敵意」よりも「和解の御言葉」が上回る感じになりました。
日雇いで使えない人になり、苦しみにあうことは「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。私はそれであなたの掟を学びました」詩篇119編71節の信仰へ導かれたのです。
これからも「和解の御言葉」を土台にして歩みたいと思います。