罪から解放される「夢見る人」ドリーマー | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

義人はいない。一人もいない。もし私は罪人ではない!と言うならば神様に対して偽証していると聖書に書いてあります。

この全ての人に宿っている「罪性」は、この地上で生きている限り持ち続けるのです。

クリスチャンになっている人も同じです。何かあると嘘をついたり、人を憎んで陰口を言ったりしてしまいます。


日本人で宗教心のある人たちは、修業(滝に打たれたり、お経を毎日唱えたりの)努力により、罪性を清めることが出来る。罪を犯さない人間に成長出来ると思う人が多いようです。


キリスト教の教えはその真逆です。かつては罪の奴隷でしたが、その古い自分はキリストと共に十字架につけられたので罪から解放されて義の奴隷になったと教えます。

死に至る罪の奴隷になったままか、あるいは義に至る従順の奴隷になるかというのです。


と言ってもクリスチャンは聖書の教えをただ律法的に守るのではないのです。自由があります。

律法的に聖書の教えだから、その教えを死守するでは修業と同じになってしまいます。

自由意思があり、キリストの恵みと神様の愛、聖霊の交わりの中で、思いを尽くし、力を尽くし、知恵を尽くして、自分の歩むべき義の道に喜んで進めるのです。


その義に至る道が聖書の教えと一致しているわけです。

その大切な教えが「夢(幻)ビジョンのない民は滅びる」です。


どういう事かというと、例えば不良少年で高校生の時に、夢がないのでケンカ、タバコ、酒、ナンパ、シンナー、暴走行為に明け暮れていたが、ある時にチャンピオンになる夢を持った。そして、その夢の実現の扉を開いた時に、心から自由意思で努力するようになります。

練習はキツイけれど、夢が叶うと信じて、また親や友達、彼女らと一緒に喜べる日を楽しみにして一生懸命に努力をするのです。


当然にケンカや暴走行為をして負傷したり、相手をケガさせれば夢は絶たれるのでケンカや暴走行為をするのは損になる考えに変わります。

タバコや酒、シンナー、ナンパで女遊びは体調管理に支障をきたすし、練習時間が減少してしまうので、やめざるをえません。

このように夢を持つと、自由意思によって、罪から解放されて義の道へ従順になります。


チャンピオンになる人はわずかですが、チャンピオンを目指して努力していた月日は人生のプラスとなっています。


それから重要なことは「あなた方は良い行いをするために造られた神様の作品」だということです。

つまり、それぞれに何をする為に造られたかを神様は教えてくださる。それを聞いて従い行うことが喜びであり、ずっと願い求めていたことと一致するのです。


神様を知らない時はプロ野球の選手になるのが夢で、ケガをして断念した。しかし神様と出会い本当の夢がわかり、その夢が叶った。また野球の努力も益となっていたという証があります。


神様は一人一人の夢をご存知です。その夢を受け取ることが、神様に従順で、義の奴隷ということなのです。

そして夢の実現を信じて歩むと、罪から解放されて行きます。


また、音楽のバンドを結成したクリスチャンで、こういうことを聞きました。ある男性ギターリストとボーカリストは、AVポルノ鑑賞が楽しみでした。演奏の前に露出が多い女性を見た時に、裸体を想像してしまいます。するとそのスケベな心が観客に伝わるような恐れから、神様を見失い、演奏活動を休止しました。


またボーカリストは次々に女性と肉体関係を持っていて、その内の一人は妊娠させたが結婚はしたくない事態となり、それが発覚して逃亡しました。


音楽を通して神様に感謝するという夢を持っていましたが、ポルノという罪性の奴隷でもあったのです。

すると罪が勝ってしまい、結局は神様の敵となり、夢が絶たれるのです。


また、聖書ではダビデ王のこのような話があります。ダビデは王様になる前は神様から王になるべき選ばれた者でした。

外見はダビデの兄たちが王にふさわしく見えました。

しかし預言者サムエルは「人はうわべを見るが、神は心を見られる」と言ってダビデを任命しました。


ダビデは神様の義に最も従順でした。王になる夢の道を歩んでいました。心、力、知恵を尽くして神様を愛しているイスラエルの国でも最も選ばれたドリーマーでした。

神様はダビデの上に大いなる御業を起こします。

イスラエルを攻めてきた身長3Mの巨人ゴリアテを隊長とした敵国に敗戦寸前の時に、ダビデが登場して石ころ一つでゴリアテを倒して、イスラエルを救い出しました。それでダビデは王の道が開かれたのです。

まさに神様に喜ばれているダビデでした。


しかし王様になった後で、王宮を散歩していた時に、部下の兵士のウリヤの妻バテシェバが屋外で入浴しているのを目撃してしまった。その美しい美貌と裸体に魅了されたダビデ王は、好色の罪性の奴隷となって、王宮に呼び寄せて寝た。


バテシェバが妊娠したので、その時に戦地で戦っていた夫のウリヤを家に戻すようにしたが、ウリヤは責任ある立場なので拒んだ。仕方がないので、ダビデ王はウリヤを最前線で戦死させる命令を出したので、ウリヤは戦死した。

その人妻を寝取り、その夫を殺した大罪は、神様が大いに怒り、ダビデの家に災いの嵐が吹き荒れた。

ダビデは心の奥底から悔い改めた。


神様はそんなダビデ王を愛されました。

このダビデの物語は「夢」「罪」「悔い改め」「神様の愛」などについて教えられます。

私たちも夢を神様から教えられることから始めましょう。そしてその夢が実現されることを信じて、罪性はその夢の妨げになることを自覚して、神様の愛と恵みが受けられる喜びを思い、感謝して一日一日を大切にして過ごし、夢が実現すれば喜び踊る!

もしダビデのように誘惑に負けた時は悔い改める。そしてその罪の刈り取りの年月を耐え忍ぶ。

それが生きる姿勢だと思います。