「暴力」と「愛のムチ」の教育 | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

柔道の園田監督が選手たちへの暴力を認めた。そのコメントを抜粋してみると

「私自身は暴力という観点で選手に手を上げたという認識は全くなかった。

あとひと踏ん張りしてほしい、一つ壁を乗り越えてもらいたいという精神的な部分で手を上げてしまった。

練習の中で越えられない壁を自分自身でつくっている選手に対し、そこを何とかしたいという状況で。

急いで強化しないといけないという焦りの中で、叩くという方向性になってしまった」


このコメントに日本のスポーツ界は「勝利至上主義」が土台にあるがゆえの「焦り」が暴力に繋がって行くと思える。全柔連は園田監督の16年オリンピックまでの続投を発表している。

もしメダルが減れば日本柔道界が衰退してしまう責任感が「強化の焦り」となり「暴力」となってしまったと言われていた。


桜宮高校の体罰事件から、日本全体が「体罰という暴力」を排除しようと懸命になっている。


しかし最近、不思議な記事を見つけた。産経新聞の安本編集委員が桜宮高校の入試問題で「爽快感が薄れた橋下政治」というタイトルで「、橋下市長は誰が相手であろうと攻撃する。大きな相手にもケンカを売っていき、それが一種の爽快感を伴っていた。

言葉が激しく、時に傍若無人でも、中高年の女性を中心に根強い人気があるのはその為だ。

変革期には欠かせない人材として期待している人も多いだろう」と書かれてあった。


橋下市長の攻撃の言葉は何度もマスコミで流されているので有名だ。教育委員会に対しては「クソ教育委員会」 大阪市役所に対しては「悪魔の大阪市役所」

他にも「バカ!バカ!バカ!」「世の中からなくなった方がいい」などなど。

この過激で攻撃の言葉の数々が爽快感を伴い、中高年の女性に根強い人気の理由となっている。

最近の合同世論調査でも「日本のリーダーとして最もふさわしい政治家として第3位が橋下市長だ」


これは大きな矛盾を感じざるを得ない。

一方では権力や影響力のある市長が「バカ」や「クソ」などの言葉の暴力を実行することによって多大な支持を受けていて、一方では「体罰という暴力」は許されない!排除しようとなっている。


聖書には「人に向かって「能なし」というような者は最高議会に引き渡されます。また「バカ者」というような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」「悪をもって悪に報いるな」

「怒り、憤り、悪意、そしりなど、あなた方の口から出る恥ずべき言葉を捨ててしまいなさい!」

「好色、姦淫、敵意、争いなどを行う者は神の国を受け継ぐことは出来ません!

愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が素晴らしい実になると教えています。



つまり、どのような相手に対しても「言葉の暴力」や「叩く暴力」はしてはいけません!復讐は神様がなさる領域です。神は侮られることはありません!人はそれぞれ自分が蒔いた種を必ず刈り取ります。

どんなに焦っても素晴らしい結果に導くためには「愛、寛容、自制を働かせ!」と教えているので、教えに一貫性があります。決してブレません。土台がしっかりしています。

それゆえに教えで一致しやすいのです。


日本に於いてはどうでしょう。教えが一貫性がなく、いつも川辺に植わった葦のようにフラフラしています。

これでは、いつまで経っても根本からの改革は不可能でしょう。


それでは聖書の教えのキリスト教には「改革の力」があるのか?また教えの違いで争わないのか?

この点に於いて指摘される方も多いでしょう。

それについては詳しく、次回からシリーズでお伝えします。