前回の診察では見えていた
心臓の動き=いのちの芽吹きが
見えなくなる稽留流産。





それは予告なしにやってくるから、
心がかき乱されます。




かき乱されるどころじゃないかもしれない。





考えれば考えるほど悲しくなる、
そんな時間をわたしがどうやって過ごしたか?





やったことは3つ。




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(1)落ち込むことにOKを出す

(2)思いは頭ではなく紙に書き出す

(3)感情を感じきる
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今日はひとつめをお話します。




(1)落ち込むことにOKを出す



稽留流産が分かった日、
「これは誰しも起こることだから
 事実を受け止めよう」
と思いました。



でも、できませんでした。




だってショックだったんだもの。




だから、絶対に我慢しないと決めて、
家族に宣言しました。





「わたしはしばらく落ち込むから」と。





ここで無理に我慢をしたら、
見ないフリしているのと同じ。




お風呂をわかしていて、
「大丈夫大丈夫」
と湯舟を見に行かなかったら、
お湯はいつかあふれます。





見ないフリをしたら、
いつかこの落ち込みがあふれ出て爆発する。




そうなったら、
わたしは対処できなくなる。




そう思ったので、
「今」落ち込むことを選びました。





稽留流産だと告げた時に
実家の母は、
「いつまでも落ち込んでちゃいけないよ」
と言いました。



それでも、わたしは

「今落ち込むことは、
 これからのわたしにとって必要なプロセスだから、
 とことん落ち込むよ」

と言って、
落ち込む時間をとることに
協力してもらいました。





わたしの選択を尊重してくれた
実家の両親、夫には本当に感謝しています。







大きな声を出して泣きながら、
手足をバタバタしたり、
布団をバンバン叩いたり、

体が動くのに任せて泣きました。




年甲斐もなく、とか
大人げないとか関係ない。



だって悲しいんだから。




ひたすら声をあげて
泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて、



そしたら、
ふと涙が止まりました。



理由は分かりません。



ただ体に任せて泣いたこと。
それにOKを出したこと。



これが、わたしには良かったようです。



落ち込んだっていい。
泣いたっていい。



だってわたしに「今」必要なのだから。




これからの自分のために、
「今」どうするかを選択できたことは、
わたしにとって大きな体験でした。




次回は、(2)思いは頭ではなく紙に書き出す
について書きます。