はるか昔のこと・・はるか昔といったけれど、すべてがまるで昨日のことのよう。

こういった方がよりふさわしい。

人間が共同で創造しなくなり、神の創造物たちを解き明かす道を目指す時代が訪れたとき。

既に槍が飛び交い、献身的な獣たちの毛皮を身体にまとうことが品位あることだと考え始めたころ。

みんなの意識が変わり、今へ繋がる道を突き進み始めた頃。

人々の意識が創造ではなく、知識を目指していた頃。

人々が突然、男性と女性がひとつになり、より大きな満足感を味わうには、何をどのようにしたらいいかを解き明かし始めた頃。

そのとき初めて、創造のためではなく双方の快楽のために、男たちが女たちを選ぶようになり、女たちは男たちに自らを明け渡すようになった。

今生きている人々が考えるのと同じように、彼らもまた、目にみえる男と女の肉体の要素が合わされば、満足感はいつも起こると考えていた。

実際、肉体だけの結合で得られるものは、不完全な束の間の満足感。

人間というのは、すべての次元を持った「私」のこと。

でも、快楽にしかすぎない行為には、肉体の次元しか関わらない。

人間は交わる肉体を替えたり、結合の方法を変えたり、完全に満ち足りた感覚を得るために試行錯誤するけど、未だに完全なものを感じられないでいる。

肉体の快楽が生んだ悲しい結末が、彼らの子供たち。

彼らの子供たちは神の夢を実現するという目的への希求の意識が欠落している。

そして女性たちは苦しみの中で子供を産むようになった。

苦悩の中で生きることを余儀なくされた青年期の子供たちは、三つの次元をもっていないので、自らを幸せにすることができない。

そうして私達は今日まで生きてきた。

アナスタシア 共同の創造より抜粋