人生を、ひとつの物語として捉える見方があります。
そこには、始まりがあり、
流れがあり、
役割があり、
意味があります。
自分が何者で、
どんな使命を持ち、
どんな出来事を経て、
どこへ向かうのか。
そうした枠組みは、
不安なときの支えになることもあります。
迷いの中で、方向を見失わないための
ひとつの地図になることもあります。
けれど、その見方が
いつのまにか重くなることもあります。
起きた出来事すべてに意味を探してしまったり、
立ち止まる時間に、理由を求めてしまったり。
何も起きていない時間を、
「無駄だったのではないか」と
感じてしまうこともあります。
物語としての人生は、
ときに
「ちゃんと進んでいなければならない」
「役割を果たしていなければならない」
という感覚を生みます。
それが合っているうちは、問題はありません。
でも、苦しくなっているのに
その枠組みを手放せなくなると、
人生そのものよりも
物語を維持することの方が
大切になってしまうことがあります。
一方で、
人生には物語にならない時間も、確かに存在します。
何も起きていないように見える時間。
評価も、進展も、役割もない時間。
ただ日常が続いているだけの時間や、
理由もなく疲れている時間、
説明できない気分のまま過ごす時間。
そうした時間は、
物語としては扱いにくいかもしれません。
けれど、
それでもその人は、ちゃんと生きています。
意味を与えなくても、
役割を見つけなくても、
その時間が「間違っている」わけではありません。
人生を物語として見るかどうかは、
ひとつの選択です。
物語が必要な時期もあれば、
そうでない時期もあります。
物語に支えられることもあれば、
そこから少し距離を取りたくなることもあります。
どちらが正しいか、という話ではありません。
どの見方が、
今の自分にとって無理がないか。
それを決めるのは、
それぞれ自身です。
ここでは、
その判断を急かすこともしませんし、
どちらかを勧めることもしません。
ただ、
物語として見なくてもいい時間がある、
という視点を、
そっと置いておくだけです。