its just so so -4ページ目

いろいろ感じた事柄をメモしておいて良かった。

たくさんあり過ぎてまとめられるか不安もあり、時間が かかってしまった。

先ずは、芸術に触れた日のこと。
なんかよく解らない。良い意味で。
造形物につけられたタイトル
なぜそのタイトルをつけられたのか

テーマ、イメージ等々含まれているのはわかるが、作者の意図はさっぱり解らない事がある。が、むしろ解らなくて良いんだと思う。
珍しく気になる対象を見つけたもので、足が向かったのだけど、色んな意味で釘付けになった。

物販も、充実していて財布の紐が緩む。

堪らない場所にして、時間。
自分が興味を持った物を体感してみて心地よく刺激を受けたり、刻まれたりすると、自分が無理せず喜ぶ事をやっとしてあげられるようになった事にも気付く。

アンテナや、周波数は無理しないでもちゃんと拾えるんだね、大事な事には。
アレもコレもと出来る人が羨ましく思った事もあったけれど、自分が心地よくなければ疲弊や浪費を重ねるだけ。

どうせなら自分が選び、動く時には何かしらの刻みがあるような時間にしたいのさ。

そうなってきたのが、嬉しかったり、感謝だったり。

たまに開きたくなる本や、虫の目メガネを買った。


そんな日の事を、学びの時間にてお話しさせて貰った。
その日は面白い事が起きた。

言葉について掘り下げるという、何とも抽象的というか、哲学的な場面のときに、
何十種類もの言葉(気が利かない 頭が悪い 心配性 失恋した etc)
これらが書かれた沢山のカードが配布され、順番に引いていき掘り下げるというパターンだ。
言葉や、文章はトーンや仕草により如何ようにも変化するし、別な言い回しに変えてみる事も出来る。

面白いと思って人の話を聴いていたまでは良かったが、
自分の番になり、1枚引き当てたカードは




『変わっている』

………………………………



思わずうわぁ、と言ってしまう。

引くよね〜。
何十種類もあるのによくソレを。
その言葉を自分が人様の前で掘り下げる場面が来ようとは。

とりあえず、個性的、独創的、などと言ってみた。
周りの人が私の言わんとする言葉を当てる形式なのだが、誰もまだピンと来ない様子。

んん〜、他のひとには良くない意味で言ったり使うイメージもある、ただ、私にすると最高の誉め言葉です。
そういったら、たんだ1人、ピンと来た方がいた。

わかったよ!変!変わっている!

うわぁ〜当たりです。

ここ二人だけ一瞬にしてアセンション。
他のひと置いてけぼり。
あまりにもわかる、との事で、ついでに『頭おかしいですね』と言ってあげたら喜んでいた。
普通はそんな事を人様に向けて言わないし言わないけれど、私にはわかったのだきっと喜んでくれる人だと。
案の定、鳥肌もたててくれた。

私も、見るからに変だとか変を装う気をまとっている人には鼻から何も感じないしむしろいやだ。

ふだんは普通の仮面被って社会生活をきちんと送っていることが大前提だ。

その人はそういう人だ、俄然興味を引かれた。
今日は私と話そうという意気込みでもって臨んでくれた事ものちに知る。
うわぁ。なんだろう、なかなかないよそんなのは。
その方は、共通項はあるが、もはや、面倒な人と人の間に入ることや引っ張られることはないし、損得勘定で生きている人は私の所へは来ないんだと言っていた。
私に何か言われて困る事がある人は、と。
何ですかそれは。なんか解らないけどすごい。興味を引かれる。地下まで掘り下げたい。今度また詳しく話を聴いてみたい。

周りの人は、自分には変だとかを言われて喜ぶ感覚はないから解らないけれど、目の前で二人が急にエナジー放出した空気が変わったのかわかったし、その場面が見れたから嬉しいと言って下さった。

別な方からは、今日は先週より元気そうですね、きっと出掛けたのが良かったんですね、先週顔色悪かったですよ、と言われる。

え?先週そんなでしたか?

人って見てないようで見てたりするものだね。

何かが先週とその時とで変わったのか、その間に何をしたかなど知らない人たちから上記のようなお言葉を頂くと、ふしぎなもので、意識の変化などは表面にも出るものなのねと改めて知る。

そんな高揚の1日を過ごして、芸術に触れた日の事を振り返ってみたり。

もりそばとざるそばの根本的な違いって何?!

なんて考えたり、小鉢の煮物を真似て作ってみたり。

あとは、いろいろ話をする事で自分の頭の中を整理。話すこと=確認でもある。

かいつまみますと、何年もかけて積み重ねてきた経験と事実がありそれに裏打ちされたものが、無意識のうちに根拠のない自信になる。実はそこにはしっかりと根拠があるのだ。

これにより高い位置で熱を保とうとしなくてもトロ火、というよりは炭火のように効果的で絶妙な熱の伝わり方をする。
高けりゃいいというものじゃあない。

焦りや義務感でもって熱を保とうとしなくても大丈夫になる。
不定期に調和してきたのだ。


それから少々びっくりしたのは、数年前に自分が話していたことか、今も同じだという。前に言っていたのを覚えていてくれる事に驚く。
そうなのか自分。振り子はゆっくりと振れているわけか。
はぁ〜こういう話できるのすきだわ。即ち、discusionista。

同調や共感と同時に別ルートからのアプローチ=自身の開拓、ドローイング、習作期間を持たなければ一方からのシンクロにとどまる。
ドローイングを経た先に到達という通過点がある思う。小難しく言うとこんな感じ。

学芸員のように見守り、帯を書いて貰えるように進みたいと思いました。


環境や状況は変化していても戯言のようであっても一貫したものがあったことをはからずも教わった。


2ヶ月遅れのライナーノーツのように…。


それは最高のギフトとなりました。

そしてdiscusionistaが、翌朝割った卵の黄身は



ふたっつ(^_^)



西口東口

6月、いろんな事があったなぁ。まだ終わってないけど。

タイミングと、これだという文言と、イメージが降ってきた時にきちんと書こうと思っている事がありすぎて手付かず。
きちんとしたいから故だから仕方ない。

でももうじきできる感じわたししてきたわ。なにせそれも貴重な時間だったから。


と、その前になんだけど、

はじめての地に出掛け、のどか過ぎてゆったり心地よくも、ハイパーでもあり、一種特異ののパラレルに入った。

止まることなく話をしたり、歩いたり、感じたりしながら、朝から何気なく会話の中で出たワード、幾つものシンクロはこのたびもやはりという感覚でもって、やって来る。いつもはあまり感じない方からもやって来る。あっ!と思うのも慣れたものである。

もう、そうなって当然の流れともわからなくもないけれど、怖いくらいさ。ライトな意味でね。

今回はあちらサイドの周囲の方お二人に、始まる前からインスピレーションを感じて、何気なく会話の中で掘り下げていた。
まさかその人が今回のキーパーソンになるなんて。

そこに注目していたのは間違いない、自分達くらいだと思っている。

そしたら忘れた頃にポッと出てきた。

あー、もう、余計なことは必要ないね、キーパーソンに注目しちゃった自分がこわいよ。いい意味でね。

2日に渡ってこわいを何回か言っていた。

視覚、聴覚、身体感覚がいい感じにはたらいて止まらないよ。

6月は気持ちも身体もいい事あんまりな事もあり、揺さぶりが大きくて色んな事とも自分とも対峙する時間が多かったけれど、とりあえずこなして電車に乗り込んだ。

そんなひと月の集大成のような時間に結果、なったような感じもして、まるで6月は、西口東口いったりきたり、はじめての地なのにまちの位置関係、お店から殆どを把握出来るくらいにあっちにこっちに歩いた2日が強烈な印象として乗っかってきたのである。

歩きたい、と朝から足が向かう、外に出ていつもと違う夜や昼を体験するうちに、またなにかしら周波数整った気がします。

そんな感じてまたいつもの時間を始めるのです。

いつもの時間にもどる、ようであって何もないフラットな日常などないね、やるべき事はあって、それをしなければいけないのだから。

楽しかったともリフレッシュとも通常ならば言う感じなんでしょうが、

自分の場合は、リラックス&アセンションとなります。

飽きもせず同じ道をいったりきたり、相変わらずよく歩いた。
そんな時間があることに感謝。





沸点

今日は久々に、怒りの沸点越えをした、
というか、しそうだった、いーや、
言葉には出さなかったが顔や声色には出てしまったようなので、越えたが正しい。

沸々としていくのが自分でもわかったが、まず、相手の精神状態、環境などを鑑みて、思ったまま注意すべきか、それは今じゃないのかなどを、冷静に考えようとしている自分の中の葛藤もあった。

ソフトに注意する、冗談交じりに注意する、単刀直入に注意する、色んなパターンを考えながらも、注意する、とは
すくなくとも相手よりきちんとしている、言えるだけの事をしていなければ、聞いては貰えない、それについてはまぁ大丈夫かと思う所だけれど、

注意する、というのはとてつもなくエネルギーを使う。

その労力を考えると、いかに効率良く相手にわかってもらうよう伝えられるか、ここも大事になってくる。

タイミングと、伝え方について考えていたが、沸点はとうに超えていた。

まだまだ青二才です。

伝えるより先に顔に出てしまった。

怒りのコントロールがまだまだできないのだ。

こんな事で沸点越えを果たすなんて、自分が小さいのか、気になっているのは自分だけなのか…?!

などモヤモヤし始める。

誰も気にはならないのか?

どうにも腑に落ちないので、他の人にも聞いてみる。

やはり気にはなっているようだが、見ないことにしているとも言っていた。

まぁ確かに、見ないことにするのもありなのか、だかしかし、それではなにも変わらいじゃあないか。

さらに他の人にも聞いてみる。気にはなっているが、諦めの境地らしい。
やはりそれではなにも変わらいじゃあないか。仕事をしていると面倒にフタをすることは一日を平和にやり過ごすには必要な場合もあるが、フタが閉まらないくらいにいっぱいになってからではお互いのためにはならないとも思う。


あああ~どうしら良いのだか。

とりあえず、怒りの勢いに任せて言いたい事を言うだけになる可能性のある今日の今日は、直接のアプローチをせずに持ち帰った。

次に何か感じるときには多分、積み重なっているいろいろを直接伝えてしまうだろう。


もう少し噛み砕いて、一方的になり過ぎない伝え方を考えてみる。

んが、しかし。

帰りにスーパーにより、直行したのが酒コーナーだった。

沸騰しているのだ。

そんなことから言わなきゃわからないのかという失望感と、それをうまーく理解してもらうような伝え方が出来なかった自分にだ。


今日は飲んで、寝る。


以上。