今日もどこかで誰か死と向き合っている。
生から死へ。
僕らの人生には、終わりがある。
死という終わりがあるのだ。
僕らは日本に生まれて生きている。
僕の場合だけど、
偶然にも、豊かな時代に生まれた。
偶然にも、平和な時代に生まれた。
偶然にも、日本に生まれた。
偶然にも、埼玉県に生まれた。
偶然にも、今も生きている。
どこかで今日も誰かが交通事故で亡くなっている。
どこかで今日も誰かが戦争の被害になっている。
どこかで今日も誰かが殺人事件に巻き込まれている。
僕は、そういうことに運よく会わずに生きてきた。
どこかで何かが狂ったら、僕は交通事故で亡くなっているかもしれない。
どこかで何かが狂ったら、僕は戦争で亡くなっているかもしれない。
どこかで何かが狂ったら、僕は失明しているかもしれない。
どこかで何かが狂ったら、僕は殺されているかもしれない。
僕は、運がいい。
そして、同時に生かされているともいえる。
誰に生かされているのかは分からないけど、ここまで運よく生きているということは、
生かされているのだ。
偶然が積み重なって生きている僕は、生かされていると確信している。
僕が生きている今日は、昨日誰かが生きたかった明日なんだ。
誰かが生きたいと願った今日を無駄に過ごしたくはない。
僕が生きている今日は、昨日誰かが生きかたった明日。
今日を生きている僕らは、その願いを抱え、何かを受け継ぎ生きていくことが必要なんじゃないか。
平和な時代の豊かな国に生まれた僕ら、運よく生きている僕らは、
誰かにこう疑問に思われているかもしれない。
なぜ恵まれた環境にいるのにやりたいことをやらないのかと。
今日という日まで生きてこれていることに感謝をしなくちゃ。
僕は今日も死を意識して生きている。
明日も生きているかはわからない。