西城秀樹さんが亡くなられて今年は七回忌を迎えます。

 

もう、そんなに経ちますか…月日が過ぎるのは本当に早いですね。秀樹さんの訃報が流れた時、僕は友人とカラオケ店にいて、「ブルー・スカイ・ブルー」を歌っていた時だったんです。衝撃でした。幼い頃から大好きな歌手のお一人でしたから。とても悲しかったです。

 

7回忌を迎えた今年は、7thメモリーとして色んなイベントが開催されていますね。

 

1975年に行われた全国縦断コンサートのリハーサルを密着取材し、大阪球場でのライブの模様とともに、1975年9月25日に日本テレビで放送された「木曜スペシャル『西城秀樹・日本縦断~20才の絶唱~』と1978年10月1日に日本テレビで放送された「日曜スペシャル特別企画『音楽バラエティショウ これが音声多重放送だ!』」内で一部放送されたライヴ映像が、未発表曲を含むほぼ完全な形で倉庫に保管されていたそうで、この2つの映像をリマスタリングしたフィルムコンサートが4月と5月に開催されました。

 

TV局の倉庫って、探せばまだまだ貴重な映像が残っているんじゃないかなぁ〜

 

『西城秀樹・日本縦断~20才の絶唱~』として放送されたツアーの模様は松竹映画『ブローアップ・ヒデキ』としても公開されたものだそうですが、当時カットされた楽曲も今回復活しているそうです。

 

『ブローアップ・ヒデキ』は僕も観ています。亡くなられた時に追悼で劇場公開されていました。1975年7月20日から8月24日まで全国15ヶ所31回の公演を行った「西城秀樹・全国縦断サマー・フェスティバル」の模様を収録したものなんです。

 

4月に20歳を迎えたばかりの西城秀樹さんの初全国縦断ツアーのステージを、富士山麓の特設野外ステージを皮切りに、最終日の大阪球場のマンモス・スタンドのエンディング・フェスティバルまで、3ヶ月余りにわたって追い続けた記録作品です。

 

毎日映画社が所有する西城秀樹さん関連の60本以上の芸能ニュース映像の中から厳選した「西城秀樹 秘蔵映像!」と、1975年4月4日から1986年3月28日まで日本テレビ系列で毎週金曜日に放送されていたバラエティ番組「カックラキン大放送!!【西城秀樹出演回】」全15回が5月にCSの衛星劇場で放送されました。

 

1986年に刊行された写真集「BODY」(ワニブックス)の未公開カット89点を112ページにわたり構成した「BODY2」(青志社)が今月19日に発売されました。

 

当時31歳だった秀樹さんを、カメラマンの武藤義さんがハワイ・オアフ島で1週間にわたり撮影されました。宿泊したホテルをはじめ、ダウンタウンにあった学校や古い自動車工場などでロケをし、なかでもホノルル近郊の深い森の中で秀樹さんがオールヌードに体当たりしたショットは話題になりましたね。カッコイイんですよ〜。鍛え抜かれた美BODYに惚れ惚れしちゃいます。

 

2021年より、廃盤になっていたり、デジタル化されていなかったアルバムの復刻も始まっています。今年の4月には復刻企画第7弾として1980年4月に日生劇場で収録された「限りない明日を見つめて」、1982年11月に日本武道館において開催されたコンサート「HIDEKI RECITAL-秋ドラマチック」が収録された「HIDEKI RECITAL-秋ドラマチック」、1984年8月の日本武道館、大阪城ホールでのコンサート収録した「JUST RUN’84 HIDEKI」、そして1981年3月に発売された「眠れぬ夜」「酒と泪と男と女」等、当時のヒット曲をカバーしたカバーアルバム「HIDEKI SONG BOOK」の4枚が同時発売ました。オリジナルマスターテープを最新デジタルマスタリングし、秀樹さんの力強いボーカルがよりクリアに鮮明になっています。

 

「HIDEKI RECITAL-秋ドラマチック」は僕が復刻を待ち望んだアルバムです。中島みゆきさんの『時代』を歌われているんです。それと五輪真弓さん作詞、作曲の『潮騒』も良いんですよ〜。

 

秀樹さんの長男・木本慎之介さんが歌手デビューに向けて本格始動したとのニュースも入ってきました。秀樹さんの葬儀の時、位牌を抱いて泣いていたあの少年が20歳になったんですね。感慨深いです。

 

大スターだったお父様のことであれこれ言われることもあるでしょうけど、肩肘はらず、一つのことに拘らず、いろんな芸事に挑戦して、息の長い芸能生活を送ってもらいたいと心から願っています。

 

1974年に秀樹さんが映画初主演した『愛と誠』のデジタル配信が、4月26日よりAmazonプライムビデオ「プラス松竹」チャンネルでスタートしました。

 

僕は何回も観ていましたが、秀樹さん七回忌ということもあり、秀樹さんを偲んで久しぶりに鑑賞しました。今日は映画『愛と誠』について呟きたいと思います。

 

『愛と誠』は、1973年から1976年まで「週刊少年マガジン」で連載された、原作・梶原一騎さん、漫画・ながやす巧さんの大ヒット学園青春漫画です。

 

1975年には講談社出版文化賞児童まんが部門を受賞しています。ヒロイン・早乙女愛と不良少年・太賀誠との壮絶な【純愛】を描いた、日本の漫画誌に燦然と輝く不朽の名作です。

 

原作者の梶原一騎(本名・高森朝樹)さんは、小説家でもあり、映画プロデューサーもされていました。1966年『週刊少年マガジン』で原作を担当した『巨人の星』で一躍有名になられます。

 

その後も、『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』『赤き血のイレブン』『キックの鬼』『空手バカ一代』『侍ジャイアンツ』など多くのスポーツを題材とした作品を発表され、1973年から《純愛をテーマ》連載を開始した『愛と誠』は、ドラマや映画化され、一大ブームを巻き起こしました。

 

作画のながやす巧さんは、1949年1月4日、長崎県のご出身です。ちばてつやさんの漫画『ちかいの魔球』を読み漫画家を志されたそうです。

 

貸本劇画作家として活動後、1966年に『男になれ』で商業誌デビュー。デビュー以来アシスタントをまったく使わない主義で、すべて自らでペンを入れて描かれているそうです。『愛と誠』のほか、執筆期間20年かけて完結させた、浅田次郎さん原作の『壬生義士伝』、『Dr.クマひげ』(原作・史村翔さん)『沙流羅』(原作・大友克洋さん)など多数の名作を発表されています。

 

内藤洋子さんが主演した映画『その人は昔』の漫画化も良かったです。

 

アシスタントを一切使わず、みずからのペンのみで描き続けたという、ながやす巧さん。一コマ一コマに魂が込められていると言いますか…『愛と誠』がここまで名作と呼ばれるのはながやす巧さんの荒々しく見えるけれど実は緻密で絵画的な構図の素晴らしさ、登場人物一人ひとりの細やかな人物描写にあると僕は思っています。カラーで描かれた扉絵が油絵の絵画のように美しくて素敵なんです。

 

 

◉ストーリーです。

クラブの合宿で、信州の蓼科高原を訪れていた高校生の愛は不良少年の誠と偶然再会します。愛は8年前、蓼科高原でスキー滑走中に危険な斜面を滑り出してしまい、その時に体を張って助けてもらったことがきっかけで、誠に思慕の念を抱いていました。

 

一方、愛を助けた誠は、その代償として額に深い傷を負い、その傷が原因で粗暴な性格となり、やがては家庭不和となったことで、愛への復讐心を募らせていたのです。

 

再会した時、少年刑務所に送られようとしていた誠を、愛は父親に頼んで助け、自分と同じ学校に転校させた上、月謝とアパート代も負担することで昔の償いをしようとします。しかし、誠は愛の好意を利用して自由奔放に振る舞い、暴力で学園を支配しようと目論むのでしたが…。

 

『愛と誠』(1974年)

《スタッフ》

◎監督 :山根成之

◎脚本 :石森史郎、山根成之

◎原作:梶原一騎、ながやす巧

◎企画: 瀬島光雄、沢根幸男

◎製作: 樋口清、秦野貞雄

◎撮影: 竹村博

◎美術:横山豊

◎音楽:馬飼野康二

◎録音: 平松時夫

◎照明: 飯島博

◎編集 : 富宅理一

◎助監督:佐光曠

◎製作: 松竹映画、芸映プロ

◎配給 :松竹

 

《キャスト》

◎大賀誠:西城秀樹

◎早乙女愛:早乙女愛

◎岩清水弘:仲雅美

◎城山郷介: 高岡健二

◎火野将平:織田あきら

◎白川三平 : 坂上大樹

◎早乙女毅一郎: 鈴木瑞穂

◎早乙女寿美 : 有沢正子

◎小橋教頭: 穂積隆信

 

久しぶりに。大賀誠を演じる秀樹さんが登場するシーンを観たら、涙が溢れそうになっちゃいました。なんだか涙脆くなってしまいましたよ。この頃。年齢ですかね〜。

 

連載中の『愛と誠』を読んでいて、映画化されると聞き、原作者の梶原一騎さんへ「誠役を演じさせて欲しい」と直談判したと言われている秀樹さん。

 

僕はいつ観ても、誠役に対する秀樹さんの熱い想いをスクリーンでもTVの画面からでも感じています。

 

原作の漫画とビジュアルが全然違うと言われる方もいるでしょう。でも僕は当時、誠役を演じて大ヒットに導けた人は秀樹さんしかいなかったと思いますし、未だにこうして語られる作品にはならなかっただろうと思います。

 

2012年に公開された、三池崇史監督の『愛と誠』で大賀誠を演じた妻夫木聡さんもなんか違うじゃないですか。妻夫木さんが悪いわけじゃないですよ。もちろん。

 

半世紀以上前の作品ですし、ストーリーや演出などは男尊女卑の、古い価値観に感じる箇所もありますが、愛の誠に対する一途な愛情は今観ても心を揺さぶられるものがありますし、時代の寵児というのかなぁ、あの時代の風に乗り、人々に愛された秀樹さんの、スターとしての輝きと圧倒的なオーラと存在感、内から迸る生命力はどんなに時が経っても消えることはないと感じます。

 

誠は不良少年で、転校初日に教師を殴り倒したり、愛からお金をせびったり、ボクシングの試合でも反則をして勝利したりと、硬派な不良ではなく、粗野で性格の悪い不良で決して男としての芯があるようには見えません。

 

だけど秀樹さんが演じると、根っからの悪じゃない、何かそうしなければならない理由があるのでは?と感じさせる、憎みきれないキャラクターに見えるのです。

 

あのビジュアルですから、ついて行きたくなりますよ。僕も子分になりたいです(笑)

 

秀樹さんの、あの時代、年齢だからこその『スターの輝き』が封じ込められた映画だなと今回久しぶりに観て、あらためて感じました。

 

オーディションで4万人の中から選ばれ一躍スターになられた早乙女愛さん。若くして亡くなられましたが、純真な『愛』という少女の熱烈な『誠』に対する恋心を好演されています。

 

愛のクラスメイトで学園きっての秀才、「早乙女愛よ 君のためなら死ねる!」と愛を見守り、無償の奉仕をする、岩清水弘を演じた仲雅美さん。僕は仲さんが歌うロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」が好きなんです〜。由美かおるさんと共演した『同棲時代 -今日子と次郎-(1973年)』『しなの川 (1973年)』が印象的ですね。

 

ボクシング部のキャプテンを演じた、織田あきらさん、ラグビー部のキャプテンを演じた、高岡健二さん。当時人気のあった若手俳優さん2人が共演されているんです。そこも見どころかなと思います。

 

監督はコメディや青春もの、芸能事務所と共同製作したアイドルものを多数監督された山根成之さん。上村一夫さん原作の『同棲時代-今日子と次郎-(1973年)』秀樹さんと田中絹代さん共演の『おれの行く道(1975年)』郷ひろみさん主演の『さらば夏の光よ(1976年)』『突然、嵐のように(1977年)』松坂慶子さん主演の『五番町夕霧楼(1980年)』などが印象に残っています。

 

秀樹さん主演の『愛と誠』は大ヒットをし、続、完結編と三部作として制作されました。秀樹さんは第1作目だけの出演でしたが、『愛と誠』シリーズは漫画が原作のアイドル映画の歴史の中に名を残す作品の一つであると僕は思っています。

 

西城秀樹さん、僕たちファンにたくさんの素晴らしい思い出、作品を残してくれて本当にありがとうございます。