ドイツの映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲を、ファスビンダー自ら映画化した1972年の映画『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』を、フランソワ・オゾン監督が再構築した『苦い涙』を観ました。今日はその感想を書いておきます。

 

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972年)』は今ではフランソワ・オゾン監督が再映画化したため注目を浴び、劇場公開もされましたし、配信もされていますが、僕が初めて観た時は劇場未公開で、DVDでのみしか鑑賞できませんでした。

 

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972年)』の感想はこのblogで以前、書かせてもらったので、興味のある方は探して読んでみてください。

 

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督のことは、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972年)』の感想に詳しく書かせてもらいましたが、若い頃、『マリア・ブラウンの結婚  (1979年)』を観た時に凄い感銘を受けて、大好きになった監督なんです。

 

『マリア・ブラウンの結婚  (1979年)』は、第二次大戦末期からドイツがめざましい復興を遂げる1950年代半ばまでの約10年間にわたるヒロインの波乱万丈な運命と生き様が、ドラマチックに描かれ、ファスビンダー監督の名を世界に轟かせた名作なんです。

 

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1979年)』は、監督自身の経験を元に書き上げた戯曲を映画化したもので、女性同士の濃密な愛のドラマが展開し、新境地を開いたとされる作品です。

 

有名ファッションデザイナーとして女王のように君臨するペトラの前に、モデル志望の若く美しい女性カーリンが現れます。ペトラはカーリンの美しさに夢中になり、他を顧みなくなり、身体に溺れ、やがて利用された挙句、捨てられるのです…。というストーリーなのですが、シーンは終始、主人公ペトラのアパルトマンの一室で展開され、その演劇的空間と映画的構図、ファッションデザイナーが主役ですから衣装も多彩ですし、部屋一面に飾られた絵画による色彩効果、時代を表す印象的な音楽の挿入など、実験的な演出が取り入れられ、多作なファスビンダー監督の中でも最も完成度の高い作品と言われています。

 

ファスビンダー監督は同性愛者で、彼が初めて同性愛をテーマに描いたと作品としても有名です。僕も好きな作品の一つです。

 

その『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1979年)』をあのフランソワ・オゾン監督が再映画化すると聞いた時から観るのを楽しみにしていました。

 

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1979年)』は制作当時、女性同士の愛をあそこまであからさまに描いた作品も、作った人もいなかったでしょうし、ファスビンダー監督の経験や愛に対する心情が込められた作品ですし、狭い逃げ場のない空間と時間の中で、支配されるものと支配するものとの間にある、愛というものの残酷さと儚さを、観る者の心に突き刺すようなとてもシリアスな作品でしたが、今回のオゾン版『苦い涙』は現代風にアレンジされて誰にでも受けいれやすいようにライトに変換されていました。

 

物語の舞台は、1970年代ドイツ。主人公はピーター・フォン・カント。ファスビンダー監督版のペトラはファッションデザイナーでしたが、ピーターは海外の映画祭でも受賞している著名な映画監督です。恋人と別れたばかりで、激しく落ち込んでいます。助手のカールを下僕のように扱いながら、事務所も兼ねたアパルトマンで暮らしていました。

 

ある日、3年ぶりに親友で大女優のシドニーが青年アミールを連れてやって来ます。艶やかで野生的な美しさのアミールに一目でピーターは恋に落ちてしまいます。彼はアミールに才能を見出し、自分のアパルトマンに住まわせ、映画の世界で活躍できるように手助けするのですが…。

 

キャストが良かったですね〜。主人公の映画監督ピーターを演じたのはドゥニ・メノーシェ。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で審査員を務め、「PERFECT DAYS」で最優秀男優賞を受賞した役所広司さんの名前を発表したフランスを代表する名優です。

 

ピーターの親友で大女優のシドニー演じたのが名女優イザベル・アジャーニ。情熱の余り狂気に陥ってゆく主人公を演じると輝く方ですよね。これまでセザール賞の主演女優賞を5度受賞し、フランス映画史上最多記録保持者です。アカデミー賞には『アデルの恋の物語(1975年)』と『カミーユ・クローデル(1988年)』で2度ノミネートされていて、2010年にレジオンドヌール勲章、2014年に芸術文化勲章を受勲されています。

 

他にも『ノスフェラトゥ (1979年)』『ブロンテ姉妹(1979年)』『ポゼッション(1981年)』、『王妃マルゴ(1994年)』など彼女だからこそ演じられた作品ばかりです。

 

今回の『苦い涙』は、年齢を感じさせない美しさで驚きました。ハリウッド進出に失敗し、コカイン中毒で、仕事を貰う為ならどんな嘘でも平気でつく、腹黒い大女優役を少し自分自身を投影しながら、楽しげに余裕で演じてらして、見事な女優っぷりでした。

 

オゾン監督作品には初出演で、監督は『8人の女たち』に出演依頼をされたそうですが、「たくさんのスター女優たちの中の一人はイヤ」と断られたそうです。カトリーヌ・ドヌーブと共演するのは嫌だったのですかね〜。アジャーニらしいですね。なんか女優の友達少なさそうだし(笑)。

 

ピーターを翻弄するアミールを演じたのは、長編映画初出演の新鋭ハリル・ガルビア。

 

ピーターの助手・カールを演じたのは、2023年セザール賞の有望若手新人賞にノミネートされたステファン・クレポン。ファーストシーンから登場するんですけど、最後までセリフがないんです。でもとっても印象的で存在感があるんですよ。僕はずっと目が釘付けでした。多分…タイプなんでしょうね〜(笑)

 

ファスビンダー監督のミューズで、オリジナル版でペトラを翻弄するカーリン役を務め、『マリア・ブラウンの結婚』マリアを演じたハンナ・シグラがピーターの母親役で登場!こんな素敵なキャスティングはないですよ。

 

粋なことするなぁ〜。オゾン監督は。

 

オゾン監督は「ピーターを通じてファスビンダーを、そして、自分自身の姿を覗いてみようと思った」と言っているんです。オゾン監督はファスビンダーの内面に迫り、さらにアーティストとしての自分、そして、同性愛者としての自分と向き合おうと思ったんですね。

 

アーティストと呼ばれる、何かを作り出すことを生きがいとしている人たちの新しい作品を作りたいというときに湧き上がる衝動は、何か別の欲望から誘発されることがあるのではないでしょうか。例えば誰かを愛した時とか、大好きな人と素晴らしいSEXができた時とか、その感情的な高まりが創作意欲に繋がることもあるのでは?と思います。欲望や情熱を創作に昇華することができるのがアーティストと呼べるのではないかなぁと僕は思います。だって芸術は爆発でしょ(笑)

 

僕は、オゾン監督って、そういう感情や気持ちを創作の糧やエネルギーにして、作品を作っている人だと思うんです。最初は僕と同じ同性愛者なんだという興味から作品を観始めましたが、初期の作品から順を追って観続けてきて、映画を作ることを心底楽しんでいる、どんな社会的なテーマを選んでも、深刻になりすぎず、ユーモアを忘れない、しかしちゃんと言いたいことをあやふやにしない明快さがある…。それとキャスティングのセンスがいい。これ重要。そういうところが僕がオゾン作品を好きなところなんです。

 

ファスビンダー監督の『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』はとてもシリアスで知的で、愛というものの残酷さを深く抉り出した美しい作品でしたが、現代に同じように描いても受けないでしょうしね。今の若い方には、登場人物が親しみやすくて、物語もリアルでなければ共感されないということをオゾン監督は良く分かっているんです。

 

ピーターの描き方も、外見はファスビンダー監督に寄せてますよね。ファスビンダー監督を知っている人は似てるって言うはずです。ファスビンダー監督は、お世辞にも美男子とは言えなかった方ですが、そんな中年男が若い男の子に魅了され、翻弄され、焦らされて、涙目で所構わず当たり散らし、喚き散らす姿は見ていると滑稽に見えると思います。

 

でも、僕は「同性愛者だからよくわかるんだよ〜」なんて言うつもりはないですが、愛ってなりふり構わなくなるものなんじゃないの?って思います。僕が若い頃なんて、会いたくなったら夜中でもタクシー飛ばして会いに行ったもんですよ〜。逆に「会いたい」って言われてもです。人からみっともないとか、かっこと悪いとか言われても、自分がこうしたいんだって言う気持ちが大事なんじゃないの?って僕は思います。

 

だから『苦い涙』の、あんな有名になりたいからと近づいて来た、打算だけの若い男なんかにいいように扱われて、振られて、酒に溺れて自暴自棄になっているおっさんを見て「だっさー」と言う人は言うでしょう。でも僕はとても人間らしくて可愛いと思います。

 

しっかりしいやぁ〜と思うけど、愛しいなぁと思いました。そう思えたのはドゥニ・メノーシェが卓越した名優だからだと思います。こんなキャラクターを引き受けるって勇気がいることだと思うんですよ。

 

アミール役も監督は最初、30代の青年をイメージして、色んな俳優に声をかけたそうですが尽く出演を断られ、気持ちを切り替えて、経験の少ない若手にしようと決断されたそうなんです。そこそこキャリアのあるそこそこの俳優は冒険をしないものなんですね。

 

この作品は、劇中に流れる曲が良かったですね。オゾン監督の作品はいつもそうなのですが、今回はイザベル・アジャーニ演じる女優のシドニーが歌う「人は愛するものを殺す」と言う曲が流れます。この曲はファスビンダー監督の遺作『ファスビンダーのケレル』(1982年)でジャンヌ・モローがキャバレーで歌った曲のカヴァーなんです。

 

オスカー・ワイルドの書いた「The ballad of Reading Gao(レディング牢獄のバラード)」という詩に、メロディーをつけた美しい歌でした。ワイルドが書いた詩が、ファスビンダー監督が愛について考えていることと重なったんでしょうね。でもそれを歌にして自分の作品に使うとはすごいセンスですよね〜。ウォーカー・ブラザーズの「in my room」も流れます。最高です。

 

ピーターの母親を演じたファスビンダー監督のミューズ、ハンナ・シグラはこう言っています。

 

『ファスビンダーはいつも純粋な愛を求めていた。でも、彼が経験した恋愛関係は駆け引きや下心に満ちていて、彼は悩み苦しみました。そんなことの積み重ねが彼の命を奪ったのです。』『愛というものを信じられず、愛の苦悩によって早く亡くなった』とも言っています。

 

有名人の元には、何か下心を持って近づいてくる人がたくさんいるのでしょうね。だから好きだと言われても、心底信用できない。好きになってもいいように扱われていつか去られてしまう…。そんなことばかり続けば『愛』なんてものに期待なんて出来なくなるよなぁと思います。

 

そんな哀しみや苛立ちが『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』に反映されているような気がします。

 

フランソワ・オゾン監督は、そんなファスビンダー監督の辛さを良く理解されているのではないですか。同性愛者だからと言うことだけではなく、普通の愛を求めても与えてもらえなかったファスビンダー監督の痛みや苦しみを…。

 

 オゾン監督は恋愛だけにとどまらない、人間関係や芸術における支配と従属の度合を深く考えさせ、観る者に「人を愛するということとは何なのか」という根本を問いかけてくれました。

 

面白かったです。楽しみました。