スティーヴン・スピルバーグが監督し、アリアナ・デボーズが第79回ゴールデングローブ賞、第94回アカデミー賞にて助演女優賞をそれぞれ受賞した『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)を最近やっと観ることができたので、今日はその感想を書いておきたいと思います。

 

僕が『ウエスト・サイド物語』という映画のことを知ったのは、ある曲がきっかけでした。

 

中学生の頃、父がよく聴いていたアルバムがあったんです。アメリカの歌手であり、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督でもある『バーブラ・ストライサンド』が1985年に発表した『Broadway Album 追憶のブロードウェイ』というアルバムです。

 

バーブラ・ストライサンドは、アカデミー賞では、『ファニー・ガール』で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞を受賞。また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している、女優として、歌手としてアメリカ・ショウ・ビジネス界に偉大な足跡を刻む女性です。

 

『Broadway Album 追憶のブロードウェイ』というアルバムはタイトルが示すようにブロードウェイ・ミュージカルの名曲13曲を、ドラマティックな表現力で歌うバーブラの円熟のヴォーカルにただ聴き惚れる名盤なんですけど、その中の一曲に『Somewhere』という曲があり、僕はこの曲がお気に入りでよく聴いていたんです。

 

『Somewhere』

 

Someday, somewhere

We’ll find a new way of living

Will find a way of forgiving

Somewhere…

 

There’s a place for us

Somewhere a place for us

Peace and quiet and open air

Wait for us

Somewhere

 

There’s a time for us

Someday there’ll be a time for us

Time together and time to spare

Time to learn, time to care

 

Someday, somewhere

We’ll find a new way of living

Will find there’s a way of forgiving

Somewhere…

 

There’s a place for us

A time and place for us

Hold my hand and we’re half way there

Hold my hand and I’ll take you there

Somehow…

Someday, somewhere…

 

いつかどこかで

別の生き方が見つかって

きっとお互いを許しあえるようになる

そこでなら

そんな場所がどこかにある

どこかにきっと見つかるはず

争いのない静かで広々とした場所が

どこかできっとある

この世界のどこかに

 

いつか素晴らしい時代が来る

その時は

ともに手を繋ぎ、分かち合い

大人になって、労りあえるようになる

 

いつかどこかで

別の生き方が見つかって

きっと許しあえるようになる

そこでなら

 

そんな場所が世界のどこかにある

いつか見つかるはず

手をつなごう すぐにはたどり着けないけど

でも手を繋げば必ず連れて行ってあげる

なんとしてでも

いつかそこへ

 

良い歌詞でしょ?

 

子供の頃は、詞の内容なんて詳しくは知りませんでしたけど、父に「この曲は何に使われた曲?」と尋ねたら『ウエスト・サイド物語』のラスト近くで歌われる曲だよと教えてもらいました。

 

その時、『ウエスト・サイド物語』というブロードウェイミュージカルがあり、映画化されているということを知ったのです。

 

『Somewhere』という曲は、今でも僕のスマホの中に入っていて、誰もいない暗い夜道をトボトボ歩いている時に聴くと、泣きそうになる時があるんです。

 

いつかどこかで

別の生き方が見つかって

きっと許しあえるようになる

そこでなら

 

そんな場所が世界のどこかにある

いつか見つかるはず

 

同性愛者の僕は、こんな詩に弱いんですよ。

 

1957年9月26日、ブロードウェイのウィンター・ガーデン劇場でミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』が初上演されました。しかし、その原案の構想が持ち上がったのは遡ること8年前、第二次大戦後まもなくの1949年のことだったそうです。

 

自身もダンサーであり振付家でもあったジェローム・ロビンスが、『ロミオとジュリエット』を現代に置きかえた物語を思いつき、舞台をイタリアのヴェローナから現代に移し、戦後という時代の空気を痛いほど敏感に感じ取っていたロビンスは、対立するモンタギュー家とキャプレット家を、ニューヨークに住むユダヤ系とカトリックのイタリア系移民へ変更しようと考えます。

 

ロビンスは、若手作曲家として注目されはじめていたレナード・バーンスタイン(作曲)と、劇作家アーサー・ローレンツ(脚本)に声をかけ、舞台化についての話し合いを始めたのが1949年なんです。

 

ロビンスとバーンスタインは1918年生まれで、ローレンツは2人より一歳年上ですが同世代で、みなユダヤ系アメリカ人、また、ロビンスとバーンスタインは移民二世という共通点がありました。

 

驚くのはこの3人は、当時30歳を迎えたばかりの若者に過ぎませんでしたが、彼らはこの時すでに、一流の仕事を成し遂げた真のプロフェッショナル達だったことです。

 

ジェローム・ロビンスは、クラシックバレエの名門「アメリカン・バレエ・シアター」でソリストとして活躍した後、ニューヨーク・シティ・バレエ団の副バレエ・マスターに就任。1951年には『王様と私』で、新進気鋭の振付家としてブロードウェイの寵児となっていました。

 

レナード・バーンスタインは、クラシック音楽の名門ニューヨーク・フィル・ハーモニー交響楽団の音楽監督をアメリカ生まれの指揮者として史上初めて任されるほどの天才音楽家。しかし、クラシックの世界に飽き足らず、彼もまたブロードウェイに新天地を求めていました。

 

そして、この2人の天才が『ロミオとジュリエット』を下敷きとして、まったく新しいミュージカルを作り上げたいと思った時、信頼を置いたのが同世代の劇作家アーサー・ロレンツだったというわけです。

 

この3人の天才は、大恐慌の1930年代に青春時代を送り、第二次世界大戦を経験し、大恐慌による経済不況を肌身に感じた世代なんですね。

 

あと一人、1930年生まれで、この3人より年下ですが、歌詞を担当したのはスティーヴン・ソンドハイムです。『リトル・ナイト・ミュージック』や『太平洋序曲』、『スウィーニー・トッド』が有名ですね。

 

若者の働き口が減少したことから、高校の進学率が上がり、ティーンエイジャーという存在が注目され、若者文化の形成が進んだ時期でもあります。「若者」がひとつの集団として認識されるようになった時代だったんですね。

 

当時、毎日のように新聞では、若いギャングたちの闘争が新聞で報道されていて、 言語や,社会的価値観,信仰,宗教,食習慣,慣習などの文化的特性の違いによる対立が、ニューヨークという都市の中で繰り広げられるギャングの縄張り争いの果てに起こる悲劇という物語のテーマが出来上がったんんです。

 

この頃は「ティーンエイジャー」や、「少年犯罪」という言葉も、新聞や雑誌に頻出するようになっていたそうです。同時代には、マーロン・ブランド主演の『乱暴者』(1953年)、ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』(1955年)、グレン・フォード主演の『暴力教室』(1955年)といった少年犯罪を描いた映画が相次いで公開されていたということも時代を表していますね。映画は時代を写す鏡ですからね。

 

こういった社会の状況を身近に感じていた3人が作り上げるた作品だからこそ、ブロードウェイの老練な観客をビックリ仰天させ、同じ時代を経験した若者の大いなる共感を呼び起こし、ミュージカル界に新たな夜明けを告げる革命を起こすことができたのですね〜。

 

舞台での成功を受けて、『ウエスト・サイド物語』は1961年に映画化されます。批評家、観衆からの絶大な支持を得て、その年のアメリカ国内第2位の興行成績となりました。アカデミー賞では作品賞をはじめ、ノミネートされた11部門中10部門を受賞し、ミュージカル映画の代表作の一つとして今なお語り継がれる名画です。

 

スピルバーグ版を観た後、久しぶりにに観たくなって1961年を観たんですけど、良かったですね〜。なん度観ても素晴らしいと感じる、大好きな映画の一つです。

 

『ウエスト・サイド・ストーリー』に批判がないわけではありません。プエルトリコの人々を、ブロードウェイ上演当初から、白人が顔を黒く塗って演じているのは不自然であるとか、歴史や文化の背景を軽んじている、この作品のせいで、今なおプエルトリコ人のイメージは損なわれていると言う人もいます。

 

1961年の映画版を批判する人の多くも、シャークスのリーダーでありアニータの恋人役を演じ、同じくアカデミー賞を受賞したジョージ・チャキリスが、人種的にはギリシャ系だったように、プエルトリコ系を演じた出演者の多くが人種的な当事者ではなかったということ。さらには、わざわざ肌を暗い色にメイクして人種の違いを強調して表現していたということに拒否反応があるみたいです。

 

それに、ナタリー・ウッドやリチャード・ベイマーは、吹き替えで実際には歌っていないということにもあれこれ言う人がいますが…でも当時のハリウッドでは当たり前のことだったのでは?全世界がマーケットのハリウッド大作の主役に、踊れるから、歌えるからと言う理由だけで無名の俳優をキャスティングするなんてあるはずがありません。

 

『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘプバーンも、『王様と私』のデボラ・カーも吹替ですけど、それが何か問題があるの?と言いたいですね。

 

ロマンティックで、切なくなるほどの流麗なメロディで、楽曲として一分の隙きもないくらいの完成度の「トゥナイト」。「トゥナイト」の甘美さは、ナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーの二人だからこその楽曲だと思うし、あのビジュアルだからこそ、繊細で傷つきやすい若い二人の危うさや情熱、愛するということの素晴らしさが観ている僕たちに深く伝わるんじゃないかと思っています。

 

では、スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』の感想を…。

 

僕は、スピルバーグが『ウエスト・サイド物語』を再映画化すると聞いた時、えっ『ウエスト・サイド物語』⁈〜と驚かされましたが、ミュージカルを初めて手がけるということが嬉しかったんですよね。

 

スピルバーグ監督の『1941』(1979年)の米国慰問協会が開催したダンス会場のシーンの楽しさ、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年)のオープニングの華やかな上海のナイトクラブのシーンを観ていて、いつかミュージカルを撮って欲しいなぁとずっと思っていたんです。

 

そうしたら『ウエストサイド物語』の再映画化とは!スピルバーグ監督も子供の頃に観て、感動した一作だったそうですね。

 

『ウエスト・サイド・ストーリー』

 

◎製作:監督:スティーヴン・スピルバーグ

◎脚本:トニー・クシュナー

◎作曲:レナード・バーンスタイン

◎作詞:スティーヴン・ソンドハイム

◎振付:ジャスティン・ペック

◎指揮:グスターボ・ドゥダメル

◎出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、マイク・ファイスト、デヴィッド・アルヴァレス、リタ・モレノ

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

 

❖ストーリー

ニューヨーク、ウェストサイド・マンハッタンでは、ポーランド系アメリカ人少年で構成されている非行グループ・ジェットは、最近になって力をつけてきたプエルトリコ系アメリカ人の非行グループ・シャークスと地元の唯一の広場である運動場の占有権を巡って敵対関係にありました。

 

一触即発の状況が続く中、我慢の限界を迎えたジェット団リーダーのリフは、シャーク団と決着を付けるため決闘を申し込むことに決め、元リーダーで親友のトニーを連れてホールで開かれるダンスパーティーに出席します。

 

そこでトニーは、初めてのダンスパーティーに期待で胸を弾ませていたマリアと出会い、2人は恋に落ちてしまいます。しかし、マリアはシャークス・リーダーのベルナルドの妹だったため、トニーはベルナルドの怒りを買ってしまうのです。

 

リフとベルナルドは決闘の詳細を決めるために、ドクの営むドラッグストアに向かいます。一方、トニーは自宅に連れ戻されていたマリアと会い、彼女が働く洋品店で再会する約束を交わすのです。トニーはすぐさまドクの店に向かい、決闘の方法を巡って対立するリフとベルナルドに対して、一対一の素手による決闘を提案し2人に承諾させます。

 

しかし、双方とも決闘用にナイフを用意し、万が一の時にはグループ全員で戦うことを仲間と示し合わせていました。

 

翌日、洋品店で再会したトニーとマリアは将来結婚することを誓い合います。その後、マリアは決闘を止めさせるようトニーに頼み、彼は決闘が行われている高架下に向かいます。しかし、既に決闘は始まっており、トニーは必死に止めようとしますが、ベルナルドは聞き入れず、ナイフを取り出して襲いかかるのです。

 

それに対抗してリフもナイフを手に戦いますが、トニーをかばってベルナルドに刺されてしまいます。激怒したトニーもベルナルドを刺し殺してしまい、それをきっかけにグループ全員が戦い始めます。

 

やがて騒ぎを聞きつけた警察が到着したため、少年たちは散り散りに逃げるのです。シャークスのチノはベルナルドの復讐をするため、銃を手にトニーの行方を追うのでした。

 

建前上は復讐でしたが、チノはマリアのことを愛しており、将来結婚する予定だったことからトニーを妬んでいたのです。

 

チノから兄が殺されたことを聞かされたマリアはショックを受けますが、謝りに来たトニーに「別れることは耐えられない」と応じ、トニーは「2人で街を出よう」と告げます。

 

トニーはシャークスから逃れるためドクの店に向かい、マリアも後を追おうとしますが、ベルナルドの恋人アニタに彼と別れるように迫られます。マリアはアニタを説得してドクの店に行こうとしますが、そこに警察が事情聴取に来たため、アニタに「到着が遅れることをトニーに伝えて欲しい」と伝言を頼むのです。

 

アニタはドクの店に向かいますが、そこにはジェットが集まっており、トニーとの面会を断られたうえ、彼らに襲われそうになるのです。トニーの逃走資金を持って来たドクに助けられますが、彼らの行動に激怒したアニタは「マリアは、トニーとの関係を知って激怒したチノに殺された」と嘘を言い放ち、店を出て行くのです。

 

ドクからマリアが死んだことを聞かされたトニーは絶望し、「早く殺しに来い」と叫びながらチノを探し歩きます。トニーは運動場でマリアと再会して駆け寄りますが、チノによって射殺されるのです。

 

この時チノは、トニーを殺すか殺さないかを迷っていましたが、マリアに駆け寄るトニーの姿を見て、衝動的に射殺してしまったのでした。

 

マリアはジェットとシャークスの双方に、愛する人を2人も失った怒りをぶつけ、双方がこれまで起こしてきた愚かさや間違いを指摘し争うことの無意味さを語るのです。

 

警察が駆け付ける中、ジェットとシャークスの少年たちがトニーの遺体を担ぎ運動場を出て行き、マリアも一人で運動場を後にするのでした…。

 

 

オープニングは、物語の舞台となる1950年代当時のマンハッタン、ウエスト・サイドの一角に広がる廃墟を上空からカメラが流れるように映し出します。かつてアフリカ系住民が多く住み、やがて多数のラテン系移民が越してきたという、この周辺の土地は、当時大規模な再開発が進んでいて、芸術施設リンカーンセンターなどが新しく築かれようとしていた場所です。

 

メトロポリタン歌劇場やジュリアード音楽院がある場所ですよね。この土地にそんな歴史があったとは知りませんでした。

 

本作の登場人物たちは、取り壊され、新しく変貌してゆく街のなかで、時代に置いていかれる貧困者たちなんです。そんなニューヨークの歴史的背景が、オリジナル版よりもさらに印象的に描写されていました。

 

歴史的に、アメリカは様々な分断と対立を抱え込んできた国です。連邦制に起因する連邦政府と州・地方政府間の対立。人種、性差、宗教、政治的イデオロギーなどに端を発する対立や地域間対立など近年は深刻化が増しています。

 

『ウエスト・サイド・ストーリー 』が発表された当時とあまり変わっていないような…もっと酷くなっているような気がしないでもありません。

 

この物語の根底にあるテーマは、いままた重要なものとなっていると思いますし、不変的な問題だと気づかされます。

 

スピルバーグ監督は、そんな時代を危惧されているのではないでしょうか。その意味で、本作『ウエスト・サイド・ストーリー』は、分断や争いの要素をより強調したアプローチをとっていますね。

 

脚本のトニー・クシュナーは、舞台『エンジェルス・イン・アメリカ 』の劇作でトニー賞を受賞した方です。スピルバーグ監督作では、とくに『リンカーン』(2012年)で数々の脚本賞を獲得していましたね。トニー・クシュナーの脚本家としての個性というか特徴だと思いますが、物語の社会的な背景をリアルに掘り下げて、登場人物の悲劇を浮かび上がらせるのが上手いという感じがしますよね。より現代の観客に合わせて、オリジナルを解釈し直していると思いました。

 

ウェス・アンダーソン監督との仕事でも知られる、アダム・ストックハウゼンの美術セットも見事でした。彼は、ニュージャージー州パターソンの街の一角にセットを構築し、あの時代のニューヨークの姿を再現していました。マリア達が清掃員として働いているデパートのシーンはアダム・ストックハウゼンらしいセットでしたね。

 

スピルバーグ作品の多くの撮影を手がけている、ヤヌス・カミンスキーは、色調の抑制されたシャープでクールな画面構成を得意とした方ですよね。銀残しなどのポストプロダクション(撮影後の技術的仕上げ作業)などにも精通している名撮影監督です。今回もリアリティがありながら人工的な技術が光る、絶妙といえる映像世界を作りあげていました。

 

ニューヨーク・シティ・バレエ団の振付師ジャスティン・ペックが、より現代的に振り付けをしたダンスパートも見どころです。スピルバーグ監督作らしく、あくまで映画としての映像演出を駆使しながら、ドラマ部分とダンスを融合させているところが極力自然な形で表現されていました。映像作品として洗練されていたと感じます。

 

今作における、1961年版との大きな変更点は、トニーの働くドラッグストアの店主が、未亡人の女性バレンティーナに変更され、彼女の視点が強く反映されているという点です。

 

この役を演じているのは、ラテン系俳優として成功を遂げた先駆的俳優であり、1961年版においてアニタ役でアカデミー賞助演女優賞を受賞しているリタ・モレノです。

 

エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞と、アメリカの主要なエンターテインメント賞を制覇する「EGOT」を達成した彼女は生きた伝説と呼ぶにふさわしい方です。今作を製作するにあたって製作総指揮も務められました。

 

僕が大好きな「Somewhere」はバレンティーナが歌ってくれました。オリジナル版ではマリアとトニーが歌うんですけどね。

 

とにかく『ウエスト・サイド・ストーリー 』は、スピルバーグが今伝えたい主張が強く響いてくる作品でした。ガッチリと構築された脚本と、風格さえ感じさせる美しい画面作り、重厚さもありながら、スビルバーグらしいエンターテイメントさもある人間ドラマとして楽しめましたが…でもどこか物足りなさも感じてしまう作品でした。あまりにもメッセージ性が強すぎて、オリジナルと較べると物語が殺伐とし過ぎている感じがしたんです。

 

トニーのキャラクターもオリジナル版とは違い、陰が濃く、深い闇を抱えていて「マリア」や「トゥナイト」のようなラブソングを歌い出すように見えないし…ロマンチックさが足りない気がしましたね。

 

マリアが一眼で恋に落ちるような男に見えないところが、僕がスピルバーグ版にのめり込めなかったところだと思います。

 

ジェッツの取り巻きの中に、ショートカットで服装も少年そのものの女の子が1人います。メンバーのガールフレンドではなく、ジェッツの一員になりたいというキャラクターです。

 

エニバディーズという名前で、メンバーたちにからかわれても必死でついていき、一度ならずトニーの窮地を助ける役目も果たすんです。彼女の性的指向への言及は映画の中ではないのですが、血気盛んな不良少年グループの中に敢えてトランスジェンダーのキャラクターを置いたことは興味深いですね。

 

オリジナル版の脚本を書いたアーサー・ローレンツ、演出と振付を担当したジェローム・ロビンズ、作曲家レナード・バーンスタイン、そして歌詞を担当したスティーヴン・ソンドハイム。彼ら4人はユダヤ人であり同性愛者(バーンスタインはバイセクシャル)であり、製作当時には同性愛者であることを皆公表していませんでしたが、心の中には葛藤を抱えていただろうし、周りに知られて、偏見の目にさらされることを恐れてもいただろうと僕は思いますし、移民への差別だけでなく、貧しい若者たちの反動や、白人の中で偏見を受けている存在、女性や性的少数者が受ける苦痛など、製作者たちの様々な想いが『ウエスト・サイド物語』には込められているんだなぁと感じました。

 

スピルバーグ版は、映像が美し過ぎるだけに、人間が持つエネルギーやパワーみたいなものが感じられにくくなっているように思いました。衣装にしても綺麗だし、汗もかいてないし。オリジナル版にはそれがあったんですよね〜。ダンスシーンもパッションが感じられたし、魂を掴まれるような感覚を味わえたんですけどね。

 

少年・少女から大人になるまでの迸る青春のエネルギー、若いが故の衝動と過ち、誰の人生にも一度は訪れる、誰かを猛烈に好きになる季節の溢れ出る感情…スピルバーグ版には感じられなかったかなぁ。オリジナル版には感じたんですけどね。

 

憎しみの連鎖によって迎えてしまう残酷な結末も、僕はオリジナル版の方が好きかなぁ〜。

憎しみは人に哀しみしか与えない…『ウエスト・サイド・ストーリー』はそれを教えてくれます。

 

オリジナル版、スピルバーグ版、どちらもお勧めします。