法外な治療費と引き換えに、どんな手術も成功させる無免許の天才外科医ブラック・ジャックの活躍を描きながら、《医療の在り方》や《人の生き方》に深いメスを入れてきた手塚治虫さんの名作漫画『ブラック・ジャック』が連載開始50周年を迎えました。

 

それを記念して、高橋一生さんを主演に迎え、24年ぶりにテレビドラマ化されるようです。コロナ禍を経て、医療の在り方がふたたび問われているる今だからこその企画だと思います。

 

原作から厳選した有名エピソードを凝縮し、その真髄をぐっと掘り下げた内容になっているそうです。

 

監督は、ピンク映画からVシネマ、劇場用映画まで100タイトルを超える作品でメガホンをとり、2016年から2019年まで4年連続でピンク映画大賞を受賞し、第42回ヨコハマ映画祭監督賞、第30回日本映画プロフェッショナル大賞監督賞を受賞するなど高い評価を得ている城定秀夫さん。

 

脚本は、TBSドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』でザ・テレビジョンドラマアカデミー賞/脚本賞、NHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』で第32回向田邦子賞を受賞し、高橋一生さんが出演した、NHK大河ドラマ第56作『おんな城主 直虎』の脚本も担当した森下佳子さん。NHKでドラマ化された、よしながふみさん原作の『大奥』の脚本も森下さんでしたね。来年の大河ドラマ、横浜流星さんが蔦屋重三郎を演じる『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』も森下さんなんですね〜。楽しみです。

 

ビジュアルコンセプト/人物デザイン監修/衣裳デザインは、柘植伊佐夫さん。僕なんかは、ヴィダルサスーンで修行をされ、モッズヘアでヘアメイクアーティストとして活動されていた印象が強いんです。1990年代頃かなぁ。2000年代に入ると、映画やTVドラマでの活躍が増えられて、高橋一生さんとは、NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』、2023年に映画化された『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』で組まれてましたよね。僕が最初に映画のお仕事で柘植さんのお名前が印象に残ったのは、本木雅弘さん主演の『双生児ーGEMINIー 』(1999年)とオダギリ・ジョーさん主演の『オペレッタ狸御殿』(2005年)でした。

 

『ブラック・ジャック』は手塚治虫さんの代表作ですし、日本の漫画史に残る名作で、ファンも世界中にいる人気作です。僕も小学生の頃、初めて読んで感動して今でも大好きな漫画の一つです。

 

過去にもいろんな方が『ブラック・ジャック』を演じて、映像化をされてきました。それなりに良さもあり、味もあったと思いますが、そろそろ決定打が観たいかなぁなんて思います。

 

最近、あるTV局と原作者と出版社の間での映像化に関するトラブルで、原作者が自らの命を絶つという痛ましい出来事がありました。これを機に、我々、観る側の視線は製作者側に対して厳しくなっていると思います。特に漫画が原作の物には。

 

演じる高橋さんはとてもプレッシャーを感じてらっしゃると思いますが、こんなことをおっしゃっています。

 

「『ブラック・ジャック』の世界や、手塚治虫さんの漫画がとても好きな方々に「うん、アリだわ」と言っていただかないと、失敗だと思っています。僕も自分自身が納得し許せる瞬間を求め、常に厳しい視線でお芝居を模索しているので、視聴者の皆さんにも厳しく観ていただきたいです。」

 

高橋さんがそうおっしゃるなら、良い作品になるでしょう。期待して待ちます。

 

『ブラック・ジャック』は「週刊少年チャンピオン」にて1973年11月19日号から1978年9月18日号にかけて連載したのち、1979年1月15日号から1983年10月14日号にかけて不定期連載されました。

 

Wikipediaによると2015年9月時点で単行本(新書版・文庫版・ハードカバー等を含む)の国内累計発行部数は4564万部、全世界累計発行部数は1億7600万部をそれぞれ記録しているといいます。数字的には歴史的な記録を残しているんですね。

 

手塚ファンなら知っていると思いますが、1960年代終わり頃、『週刊少年マガジン』で連載されていた『巨人の星』や『タイガーマスク』、『あしたのジョー』など、劇画ブームのテイストを取り入れた作品の大ヒットにより、漫画の読者層はこれまでの少年少女から“青年”や“大人”にまで広がっていました。

 

同時に若者の間で流行していたカウンターカルチャーの影響で、既存の価値観や従来の道徳・常識から外れた作品が多く発表され、漫画界全体が大きな変革期を迎えていました。

 

その頃の手塚さんは、劇画ブームや『週刊少年ジャンプ』の新人発掘路線の影響をまともに受け、ヒューマニズムを描く古い漫画家というレッテルが貼られ、時代から取り残され、少年漫画の分野でヒット作品を出せなくなり連載が激減していました。

 

手塚さんは、『週刊漫画サンデー』などの大人向け漫画雑誌で実験作を執筆したり、青年誌に進出したりするなどして方向性を模索されますが、1970年には青少年向けの性教育を意図して執筆した『やけっぱちのマリア』を掲載した『週刊少年チャンピオン』1970年8月23日号が福岡県の児童福祉審議会から有害図書の指定を受けたり、1973年には自身が運営する虫プロ商事と虫プロダクションが倒産し、負債額はそれぞれ1億2000万円と3億5000万円。これらの負債総額を個人的に引き取った手塚さんは、漫画家としても経営者としてもまさにどん底の真っただ中にいたんです。

 

そんな中、『週刊少年チャンピオン』編集部は、手塚さんに、漫画家生活30周年記念作品として「かつての手塚漫画のキャラクターが全部出る作品」の企画を依頼するんです。

 

編集長の壁村耐三さんが担当編集者の岡本三司さんに手塚さんの「死に水をとろうか」と相談をもちかけた話は有名ですよね。それくらい手塚さんは追い込まれていたということなんでしょうか。

 

手塚さんはこれを了承し、誕生したのが『ブラック・ジャック』なんです。出版社側からも何の期待もされず、いざ連載が始まっても、巻頭カラーもなく、地味な扱いが続き、連載開始の当初は人気が低く、ほぼ最下位だったそうです。その後徐々に順位を上げ、2位に浮上したんだそうです。当時の『週刊少年チャンピオン』には『ドカベン』『がきデカ』『マカロニほうれん荘』といった超ヒット作が掲載されていましたからね。

 

漫画の神様と呼ばれる手塚治虫さんにも、芸術家としての悩み、苦しみ、痛みがあったんだなぁと感じます。経営者として無能だったという現実に打ちのめされた自分への後悔、それでも漫画家として人々に夢を与えなければという使命と信念。自分が信じる道を諦めないという決意…。全ての経験を噛み締めて書かれたのが『ブラック・ジャック』なんじゃないかと思うんです。

 

人生って順風満帆じゃない、色んなことがあったからこそ、後世まで残る素晴らしい作品が生まれたんだと思います。

 

だから、漫画でも小説でも、映像化をしようとする人たちに言いたいんです。原作者がこの物語を通して、何を表現したいのか、何を伝えたいのか、物語の精神(基本的な意義・理念)を見誤らないで欲しいんです。

 

偉そうに聞こえるかも知れませんが、それを忘れて、自分勝手な解釈で原作を踏みにじる製作者が多いような気がします。

 

『ブラックジャック』の1エピソード「春一番」を原作とした、1977年公開の大林宣彦監督『瞳の中の訪問者』という作品があります。公開当時賛否両論が巻き起こった作品として有名ですが、僕はね〜好きなんですよ〜(笑)。ここまで虚構に徹してくれると、どこか突き抜けた愉しさを感じるのです。クライマックスの湖のシーンが、人工的でいかにも大林監督らしくお気に入りです。

 

『瞳の中の訪問者』を好きだという人は、なかなかいないと思いますけど(笑)。