今年、2024年は日本映画史に数々の名作・傑作を残された名女優・高峰秀子さんの生誕100年にあたります。

 

5歳で子役として映画デビュー、その後デコちゃんという愛称で親しまれ、55歳で俳優業を引退されるまでの半世紀もの間、常にトップスターとして俳優の王道を歩いてこられました。

 

300本以上の出演作を残した俳優としての功績、そして文筆家としての活躍に限らず、人として、女性としての生き方、美学、何を大事にし、何を失ったのかなどを、現代の若い世代にも知ってもらいたいとの想いから、「高峰秀子生誕100年プロジェクト」実行委員会が発足しました。

 

高峰さん出演作の上映のほか、関連書籍の刊行、高峰さんの足跡をたどる様々なイベントが、続々と開催されるようです。

 

プロジェクト実行委員で、松山善三・高峰秀子夫妻の養女である松山明美氏は「皆さんありがとうございますと言いながら、ちゃぶ台返しのようなことを申し上げますが、高峰は私を怒っていると思います。(プロジェクト発足を)喜んでいないと思います。なぜなら高峰は自分のために人様の手を煩わせたりすることが嫌いでした」と謙虚な高峰さんの人柄を伝え、「でも、客観的に見て、あの人は(生誕100年プロジェクトを開催する)値打ちのある人」と力を込めて語ってらっしゃいました。

 

「今の方に、これからの世代の方にも高峰という人間を知ってもらいたい」というプロジェクト開催の意義を僕も大変共感しています。

 

僕も、それだけの価値のある方だと思っているからです。

 

本プロジェクトのサポーターである二階堂ふみさんは、「高峰秀子さんの出演された映画は、どの作品も私の心に残っています。フィルムに収められたその生き様は、美しさと力強さに溢れていて、時代を超えてメッセージを頂くような感じです。チャーミングで人間味溢れる高峰さんの一面を、これからも追いかけたい。そして多くの方と共有したいと願っております」とコメントしています。

 

こういう若い女優さんたちが、高峰秀子さんの作品を観てくれているというだけで、本当に嬉しくなります。黒木華さんも高峰さんの「女が階段を上がる時」が好きだと言ってましたよね。若い女優さんたちの、一つの女優としての目標、頂点と言える方かもしれないですね。

 

今日は、高峰さんの主演作で何か感想を書きたいなぁと思い、いい作品がたくさんあるのでどれにしようか迷ったのですが、最近、4Kデジタルリマスターされたものを観て、何回目かの鑑賞でしたが、あらためて深く胸を打たれたので、日本映画の傑作の一つと言われる『浮雲』を取り上げたいと思います。

 

僕が『浮雲』を初めて観たのは、家の炬燵に潜り込んで高校受験の勉強をしている時でした。その時、TVで日本映画の名作と言われる、小津安二郎監督『麦秋』、溝口健二監督『西鶴一代女』、豊田四郎監督『夫婦善哉』、黒澤明監督『羅生門』、成瀬巳喜男監督『浮雲』を連続で放送していて、僕は勉強そっちのけで毎週釘付けで観ていました。

 

その中でも『浮雲』は正直、子供ながらにすっごい衝撃を受けました。幸田ゆき子というヒロインの儚さ、哀しみを全身全霊で演じ切っている高峰秀子という女優の凄みに圧倒されたのです。

 

『浮雲』1955年公開

《スタッフ》

◎監督:成瀬巳喜男

◎製作:藤本真澄

◎原作:林芙美子

◎脚本:水木洋子

◎音楽:斎藤一郎

◎撮影:玉井正夫

◎美術:中古智

◎録音:下永尚

◎照明:石井長四郎

◎編集:大井英史

◎チーフ助監督:岡本喜八

◎製作担当者:板谷良一

◎特殊技術:東宝技術部

 

《キャスト》

◎幸田ゆき子:高峰秀子

◎富岡兼吾:森雅之

◎おせい:岡田茉莉子

◎伊庭杉夫:山形勲

◎富岡の妻・邦子:中北千枝子

◎向井清吉:加東大介

◎屋久島のおばさん:千石規子

◎仏印の所員・加納:金子信雄

◎米兵・ジョー:ロイ・ジェームス 

 

《受賞歴》

◎1955年度キネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞 受賞

◎1955年度ブルーリボン賞作品賞

第10回毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、録音賞、女優主演賞 受賞

 

❖こんな物語です。

戦時中の1943年、農林省のタイピストとして仏印(フランス領インドシナ)へ渡ったゆき子(高峰秀子さん)は、同地で農林省技師の富岡(森雅之さん)に出会います。当初は富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子でしたが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ2人は関係を結んでしまいます。終戦を迎え、妻・邦子とは離婚をすると言い残し、富岡は先に帰国します。

 

後を追って東京の富岡の家を訪れるゆき子でしたが、富岡は妻とは別れていませんでした。失意のゆき子は富岡と別れ、米兵の情婦になるのです。そんなゆき子と再会した富岡はゆき子を詰り、ゆき子も富岡を責めますが結局2人はよりを戻してしまいます。

 

終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、米兵と別れたゆき子を連れて気晴らしに伊香保温泉へ旅行に行きます。当地の「ボルネオ」という飲み屋の主人、清吉(加東大介さん)と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらうのです。清吉には年下の女房おせい(岡田茉莉子さん)がおり、彼女に魅せられた富岡はおせいとも関係を結んでしまいす。ゆき子はその関係に気づき、2人は伊香保を去ります。

 

妊娠が判明したゆき子は再び富岡を訪ねますが、彼はおせいと同棲していました。ゆき子はかつて力づくで身体を奪われたた義兄の伊庭杉夫(山形勲さん)に借金をして中絶をするのです。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知ります。

 

ゆき子は新興宗教の教祖になって金回りが良くなった伊庭を訪れ、養われることになります。そんなゆき子の元へ落魄の富岡が現れ、妻、邦子が病死したことを告げます。

 

富岡は新任地の屋久島へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行することにします。船内で医者からは屋久島行きを止められますが、ゆき子は意思を変えません。しかしゆき子の病状は急激に悪化し、現地へ着いた頃には身動きもままならない事態に陥っていました。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変の知らせが届きますが、駆けつけた時には既にゆき子の命は絶えていました。

 

他人を退け、富岡はゆき子の亡骸を見て、慟哭するのでした…。

 

高峰秀子さんが演じている『浮雲』のヒロイン「ゆき子」は、落ち着くべき家庭も、夫と呼ぶべき男性も持とうとはせず、だからといって異性や世間にへつらうこともない一本気で真正直な女として描かれています。

 

彼女は、他人の家庭を崩壊させかねない自分の振る舞いに深く悩んだりすることもなく、妻のある男と二人だけの時間をすごしたいというただそれだけのことをひたすらに求め続けます。

 

戦時中の仏印のジャングルから戦後の焼け野原、伊香保のうらぶれた旅籠から伊豆の温泉宿、そして雨季の屋久島の殺風景な宿舎へと流れ流れても、彼女は一時もこの意志を変えません。その果てに病に冒され、最後まで愛しぬいた男を気にかけながら、みすぼらしい古屋の片隅で、一人静かに息をひきとるのです…。

 

「ゆき子」という人間が持つ、人としての暗い部分、複雑な感情の含みや趣を見事に高峰秀子さんは表現されています。

 

「ゆき子」という女性は、感情が抑えきれなくなるとよく泣きます。いつもメソメソしていて「もう、泣かないでよ〜」と思わされるのですが、その涙は異性にこびているわけじゃないんです。涙を武器にしているわけでもない。本当に悲しみや辛さを吐き出したいから、絶えられないから出る涙なんですよ。

 

そう感じるのは、高峰秀子という女優が持つ演技者としての力なんだと思います。

 

妻のある男を奪う形になっても、人の道に外れている行為だとしても、不道徳には感じられない、男に執着しているように見えて、執拗ではないんですよ。「ゆき子」って。

 

男の家に乗り込んで、妻に危害を加えるとか、相手の男に付き纏うとか一切そんなことはしないんです。「他の生き方があるんじゃない?」なんて簡単に他人は言うかもしれないけれど、「そんなことは言われなくてもわかっている」「けれど、私はこうとしか生きられない」というどこか突き抜けた清々しさを僕は感じます。

 

どうしようもない、ぬかるみに自ら嵌って、どんどん沈んでゆくにつれ、美しくなって行くんですよ〜「ゆき子」って。

 

それは高峰秀子という稀有な女優が演じているからこそだと思います。

 

高峰さんは、4歳の時に実母が結核で亡くなり、かねてから高峰さんを養女にと望み、名付け親にもなった実父の妹・志げの養女とり、自分の意思とは関係なく、偶然、子役として芸能界に入られた方です。ご本人に天分がおありになったのでしょう。天才子役と呼ばれて大人気となられます。

 

子供ながら、大金を稼ぐようになると周りは高峰さんに「おんぶに抱っこ」状態になります。学校に行きたいのに、行かせてくれない。養女という境遇で家族、親戚を養わなければならなかったので辞めたくても辞めれなかったんです。養母・志げさんが今で言う「毒親」みたいな人で、高峰さんとは壮絶な関係だったみたいですね。

 

それでも高峰さんは本分を守り続けた人だったので、目の前の与えられた仕事に毎回心して取り組んだんだそうです。辞められないのならば「自分に恥ずかしくない仕事をしよう」と務められたんですね。

 

若い時に知った人生への諦めと、生真面目さと、自分を客観視できる冷静さが『名女優』を生んだと言うところがとても興味深いです。

 

高峰さんは、1951年、27歳の時、長年の養母との関係が悪化し、自宅を売ってお金を作り、フランスへ逃避行されます。色んなしがらみから開放されて、パリで約半年間の留学生活を満喫されます。

 

高峰さんは12、3歳ぐらいから「30歳でいい人にめぐり会えたら結婚して女優を辞めよう」と考えていたそうなのですが、あと半年で30歳というときに生涯の伴侶となる松山善三さんが現れるんです。

 

少し前に『浮雲』の出演依頼があり、森雅之さんと2人で、伊香保温泉の共同浴場に入る有名なシーンがあるのですが、それまで高峰さんはあんなにも肌をさらすことがなかったので、「できません」と成瀬監督に何度も断っていたんです。

 

題材的にも今まで演じたことのない難しい役ですし、台本のセリフをすべてオープンリールデッキでテープに吹き込み、「自分はこんなにも下手である」と成瀬監督に送ったそうですが、それを聞いた監督からどうしてもやってほしいとますます強く依頼され、結婚も決まったし、この作品を最後に女優を引退しようと誓ったので「やる気でやりましたよ」と高峰さんは語ってらっしゃいます。そんな気迫を感じられる作品なんですよ『浮雲』は。

 

❖高峰さんと成瀬監督の対談の一部です。

 

◎高峰:まさかあたしに、ゆき子の役がまわってくるとは 思わなかったし、とてもむずかしくて演れそうもなかったので再三ご辞退したんですけど…でも女優だったら誰でも一度は演りたい役でしょうね。

 

◎成瀬:主人公のゆき子は、秀ちゃんより他にはいないよ。

 

◎高峰:あたし、いままで、情痴というと大ゲサだけど、べったりした恋愛ものに出たことがないの。富岡謙吾になる森さんと、仏印から東京、伊香保、また東京、伊豆長岡から鹿児島へ行き、屋久島で病死するまで、二人がついたり離れたりする、大恋愛劇なんですもの。それに、森さんと一緒におふろに入ったり、接ぷんシーンをやったり、酔っぱらって、くだまいて口説いたり、生れて初めてのことばかりなんですもの…

 

こんなことを言いながら、これだけの半端ない演技されたんじゃたまりませんよ〜高峰さん。でも実は…やる気満々だっんじゃないかなぁ〜(笑)私以外やれないって思っていたりして。

 

結婚した松山さんは松竹の助監督で、給料も安かったので、まだまだ生活は苦しいし、高峰さんも『浮雲』の演技が絶賛され、引退を惜しむ声があり、女優を続けることになったのです。

 

ゆき子にあなたなしの幸せは考えらないとまで言わせる、富岡兼吾を演じた森雅之さんも素晴らしいですね〜

 

森雅之さんが演じる、元農林省の官吏・富岡と、高峰秀子さん演じるタイピストゆき子が出会うのは日本軍が進駐した戦時中の仏印(フランス領インドシナ)。そこは戦時中でありながらフランス人によってリゾート地として開発され「永遠の春の都」と呼ばれた楽園でした。

 

悲惨な戦時下において、別次元で人生の楽園で愛を育んでいたゆき子と富岡が、敗戦で焼け野原になった日本に適応できなかったこともわかる気がします。虚脱感というか虚無感というか…。この時代、こういう人たちは結構いたんじゃないですかね。

 

二人とも、あの眩しかった思い出にいつまでも縛られていたんじゃないかと感じます。

 

敗戦後の混乱のなか「どうすればいいのか」と自問自答し、自滅していく主人公たちの「精神の荒廃」と「退廃」を物語の背景に置き、ある男女の離れ難い感情のもつれをテーマに淡々と美しく成瀬監督は描いています。

 

戦争というものが、強く生きたくても生きられない人の人生をどこまで惨めに滅ぼすのかを今回、久しぶりに観て感じてしまいました。

 

戦争という巨大な力に飲み込まれ、その後遺症にいつまでも取り憑かれ、ダラダラと女に頼り切って生きている富岡を演じいる森雅之さん。そこはかとない、性的魅力が溢れている人なんですよね〜僕はそう思うんですけど。

 

戦後の食糧難の時代なので、やつれている雰囲気を出すために体重制限をされていたでしょうし、役作りとはいえかえってそれが色気がだだ漏れしている要因のように感じます。

 

出会ったばかりの妖艶なおせい(岡田茉莉子さん)を目線を使ってたらしこんでモノにする演技。それが嫌らしいんじゃなく、どこか格好良くも見えてしまう大人の色気を兼ね備えた森雅之さんはやはり凄い名優だと思います。

 

脚本を書いたのは、日本映画の名作と呼ばれる作品を数々手掛けられている「水木洋子」さんです。水木さんと原作者の林芙美子さんとは、戦争中に従軍作家として南方へ派遣された体験を持ちで、以後、親しくされていたそうで、林さんが『浮雲』を執筆中も何度か水木さんは林さんの自宅へ訪れていたそうです。

 

『浮雲』のシナリオを巡って、成瀬監督と水木さんが、プロデューサーの藤本真澄さんを挟んで壮絶なバトルを繰り広げたと言われています。

 

水木さんは執筆中に藤本さんから、成瀬監督から、「映画は鹿児島へ発つ前に終わるように、せいぜい鹿児島までで結構」と伝えられて突っぱねたんだそうです。

 

「屋久島まではどんなことをしても成瀬さんに引っ張って行ってほしい」と水木さんは藤本さんに頼んだそうなんです。

 

そして映画は今の形になったのですが、ここで水木さんが折れていたら、ここまでの傑作にはならなかったでしょう。原作を尊重した脚本家の勝利ですよ。

 

水木さんの脚本は、原作のエピローグに当たる最後の章をカットした以外、原作を忠実に生かしています。原作の最後は、ゆき子の死から1ヶ月後、富岡はゆき子が残したお金を懐に、鹿児島へ酒を飲み、女を抱きに行くんですね〜。どうしょうもない男なんですよね。林芙美子の男に対する冷徹な視線を感じます。

 

しかし水木さんは、そこまで男を否定できなかったんです。もしリメイクするなら、そこまで描けばいいかなとは思いますけどね。

 

水木さんは、何故、富岡とゆき子は離れなかったのかと問われこうおっしゃたそうです。

「身体の相性が良かったからに決まってるじゃない。」

 

本当にそう言ったのかはわかりませんが、わからないでもないですね。体の相性は大事ですから。見た目がタイプでも、体が合うとは限らないし、ピッタリ添うと離れられなくなるのはわかりますよ。『浮雲』の富岡が女性にモテたのは、SEXが上手かったんでしょうね。きっと。

 

富岡って女性に優しい言葉をかけないんですよ。屋久島での富岡とゆき子の印象的なセリフがあります。

 

◎ゆき子「わたしがいなくなれば、ほっとなさるでしょう?」

◎富岡「ははは、ほっとするさ、女はどこにでもいるからね。」

 

クールですね〜富岡はこの時、笑顔なんですよ。とってもプライドが高い男なんだと思います。女にだらしないけれど、女に媚びない。女が側にいなければ生きていけない癖に、優しい言葉の一つもかけれない。計算している風でもない…。心に虚無を抱えているのだと思いますね。

 

ゆき子は富岡が少しだけ口許に笑みを浮かべながら言う皮肉交じりの言葉に、逆に富岡の優しさを感じていたのかもしれないと思います。

 

会えば喧嘩になったとしても、どんな時でも自分を受け入れてくれるのは富岡しかいなかったんじゃないですかね。お金じゃないんですよね。安定した暮らしでもない。ただ富岡の側にいたい…。言葉では説明のつかない腐れ縁というかある男と女の極北の愛を描いた傑作です。

 

1950年代の初め頃、成瀬監督の映画はよくできているが、それだけで良いのかと批判もされていたようです。名監督、名作と現在呼ばれていても、小津監督も溝口監督も当時は古い、マンネリだと言われていたんですよね。成瀬監督もそうだったんですね。

 

成瀬監督は『浮雲』を撮る前に、『めし』『稲妻』『妻』『晩菊』と林芙美子文学を映画化されていて、『浮雲』?また林芙美子か〜という批評家もいたようです。

 

漠然と成瀬監督も新しい感覚の作品を作るべきと期待もされていて、監督もそんな声に反発を覚えながらも、『浮雲』に監督は全力を注がれたんです。今までの集大成になるようにと。そんな想いが『浮雲』という作品には現れていると思います。

 

主演された、高峰秀子さんや森雅之さんも、監督のために傑作と呼ばれる作品にしたいと全身で取り組まれたのではないかと勝手に思っています。􏴐􏴑音楽の斎藤一郎さん􏱎、􏳴􏴒美術の中古智さん、撮影の玉井正夫さんといったスタッフたちの意気込みも大きかったと思います。

 

1984年にパリで『浮雲』が上映された時、この映画をみたフランス人監督レオス・カラックスは成瀬の熱烈なファンになり、「僕は成瀬が好きだ。そして僕の作品は彼の映画と親しげに語り合っている。」と言っていたそうです。カトリーヌ・ド・ヌーブ も大好きだと公言しています。

 

『浮雲』は、成瀬巳喜男監督の作品群のなかでも別格と言われる傑作であり、僕もそう思っている作品の一つです。木下恵介監督も、黒澤明監督も、小津安二郎監督も、〝成瀬でなければ撮れない〟と大絶賛したという作品です。

 

これは単なる男女のメロドラマではなく、戦争によって、生きる術を見失った男女の流転の人生を見事に描き切った重厚な人間ドラマです。

 

日本映画が好きなら、一度は観てください。圧倒されますよ。