2023年、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司さんが日本人俳優としては「誰も知らない」の柳楽優弥さん以来19年ぶり2人目となる主演男優賞を受賞した『PERFECT DAYS』を昨年末、観ていたので、今日はその感想を書いておきます。

 

本作は同映画祭で、キリスト教関連の団体から贈られる「エキュメニカル審査員賞」も受賞しています。1974年にカンヌ国際映画祭の独立部門として創設され、「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られる賞なんですよね。今年の米アカデミー賞の国際長編映画部門の日本代表にも選ばれました。

 

公共トイレにまつわるネガティブなイメージを払拭し、多様性を受け入れる社会の実現を目指して、渋谷区と連携して区内17カ所の公共トイレを新しく生まれかわらせようと「日本財団」が立ち上げたのが『THE TOKYO TOILET』というプロジェクトで、その一環として映画『PERFECT DAYS』は製作されました。

 

このプロジェクトを主導した、柳井康治さん(ファーストリテイリング取締役)と、これに協力した、電通グループ・グロースオフィサーでありクリエイティブディレクターの高崎卓馬さんが、活動のPRを目的とした短編オムニバス映画を計画し、その監督としてヴィム・ヴェンダースに白羽の矢を立てたんですね。

 

昔から、日本の公共トイレの多くが「汚い、臭い、暗い、怖い」というイメージがありますよね。深夜の公共トイレなんて僕は絶対近づいたことはありませんし、夜の公園も近道だからと言って、入ったこともありません。トイレにはいい思い出がないし、怖がりなもので。使うにしても、商業施設、駅のトイレくらいですね。

 

僕の職場は今、渋谷なので、『PERFECT DAYS』に登場したトイレの何ヶ所かは見たことがあるので、今度使ってみようかなとは思います。

 

『THE TOKYO TOILET』で、トイレデザインに参加したのは、世界的に活動するクリエイター16人です。

 

安藤忠雄さん、伊東豊雄さん、後智仁さん、片山正通さん、隈研吾さん、小林純子さん、坂倉竹之助さん、佐藤可士和さん、佐藤カズーさん、田村奈穂さん、NIGO®さん、坂 茂さん、藤本壮介さん、マーク・ニューソンさん、マイルス・ペニントンさん、槇文彦さん

 

僕が一番好きなトイレは西原一丁目公園にある、坂倉竹之助さんがデザインしたトイレです。「ANDON TOILET」というネーミングで、 日中、内部に入ると、曇りガラス越しに自然光が入り込み、公園の木々が浮かび上がるのを見ることができるんです。夜間はやさしい光を放つ「行燈」に見えて、公園を明るく照らし出しています。

 

監督のヴィム・ヴェンダースは、フォルカー・シュレンドルフやヴェルナー・ヘルツォーク、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらとともにニュー・ジャーマン・シネマの旗手の一人と言われている人で、カンヌ映画祭ではパルム・ドール、国際映画批評家連盟賞、監督賞、審査員グランプリなどを受賞している巨匠の一人です。

 

カンヌではひときわ人気が高い監督で、会場に姿を見せると観客がさっそく総立ちの大拍手で、『PERFECT DAYS』上映後には再び総立ちとなって喝采が送られたそうです。

 

日本の小津安二郎監督のファンということは有名で、小津監督の事跡をたどる『東京画』(1985年)を監督するなど日本とのつながりの深さで知られています。

 

ヴィム・ヴェンダースは、依頼をされた当初、短いアート作品の製作を考えていたそうですが、日本滞在時に接した折り目正しいサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、長篇作品として再構想し、ヴェンダースが日本の街の特徴と考えた「職人意識」「プロ意識」を体現する存在として主人公を位置づけ、高崎卓馬さんの協力を得て東京を舞台とするオリジナルな物語を書き下ろしたのが「PERFECT DAYS」なのです。

 

主人公の男に与えられた「平山」という名前は、『東京物語』や『秋刀魚の味』で笠智衆さんが演じた登場人物をはじめ、小津安二郎監督の作品に繰り返し使われる名前なんです。

 

役所広司さん演じる主人公・平山は、渋谷区のトイレ清掃員で、東京スカイツリーの見える下町の質素なアパートに一人で暮らしています。

 

毎朝決まった時刻に目覚め、決まった順序で身支度を整え、ユニフォームを着込むと、清掃用具を積んだ軽自動車で渋谷区の仕事場へと向かいます。

 

仕事ぶりはバカが付くほど丁寧で、トイレの隅ずみまで徹底的に磨き上げます。若い同僚から「どうせ汚れるんだから、そこまでやる必要はないのに」と呆れられるが、口もきかずに仕事に打ち込見ます。

 

昼休みは公共トイレの1つがある代々木八幡宮の緑豊かな神社の境内で簡単に食事を済ませます。仕事を終えると銭湯で一日の汚れを洗い流し、浅草駅の地下街にある居酒屋で一杯やって夕食。アパートに帰って本を読みながら眠りにつくのです。

 

毎日この繰り返しですが、同じようでいて、少しずつ小さな変化があるのです。天気や気温もずっと同じではないし、同僚が必ず休まず来るとも限らない。過去に捨てたはずのものが突然目の前に現れることもある。時に思いがけぬ出会いもある…。平山にとっての「完璧な日々」とは…。

 

『PERFECT DAYS』

監督:ヴィム・ヴェンダース

脚本:ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬

製作:柳井康治

出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和

製作:MASTER MIND

配給:ビターズ・エンド

製作年:2023年

製作国:日本

上映時間:124分

 

僕は映画を観終わった時に、「あぁ、久しぶりに良い映画を観たなぁ」と素直に思いました。

 

役者、役所広司の魅力に尽きると感じました。少し前に観た『すばらしき世界』にも唸らされましたけど。本当に良い俳優さんだなぁと思います。最近、黒沢清監督の『CURE』(1997年)を観直しましたが、どの作品も役所広司さんの存在がなければ成り立たない作品ばかりです。

 

役所さん演じる平山は朝起きて、植木に水をやり、アバートの前の駐車場にある自動販売機で缶コーヒーを買って車で出勤。好きな曲を車内のカセットプレーヤーで流しながら、高速道路でスカイツリーを見上げて天気をチェックし、仕事へ向かうというルーティーンで日々生きています。

 

平山は、只々、淡々と黙々と清掃員という仕事をしています。それはやり過ぎだと思えるほど丁寧にです。どこか自分という人間の証を刻みつけようとしているように…。

 

ヴェンダース監督は、決して平山に安易な自分語りや回想をさせません。セリフは少ないです。でも少ないからといって物語が理解できないのかということはありません。

 

セリフではなく、役所さんの表情と、役所さんが自然と纏っているそこはかとない哀愁によって、徐々に平山という人物像が浮かび上がるように描かれているのです。

 

僕は、そんな平山を見ていたら、じんわりと、言いようのない切なさが胸に迫って来ました。ある一人の男の、人生の悲哀が滲み出るような名演技です。流石です。役所さんは。

 

他人から見れば、なんの変哲もない生活を繰り返しているような平山の生活ですが、物語が進んでいくうちに、実は過去に父親との間で、辛い出来事があり、決着をつけぬままたどり着いた果ての生き方であることが明らかになっていくのです。

 

きっかけは、家出してきた姪ニコ(中野有紗さん)と疎遠だった妹(麻生祐未さん)の登場です。妹は、運転手付きの高級車で娘を迎えに来ます。その時、妹が平山に言うんですよ。父はもう認知症が進んで、何も覚えていないと。

 

平山って裕福な家庭で育った男だったの?とか想像してしまいますが、映画の中ではハッキリとした説明はされません。僕らの想像に任されています。

 

平山は、父親との確執で家を飛び出したことがなんとなく分かるんですけどね。平々凡々に生きているように見えても、重い過去を引きずっているんだと、平山の過去が垣間見れる良いシーンでしたね。

 

平山がちょくちょく通う、小料理屋があります。女将(石川さゆりさん)にちょっと気があるようなのですが、ある日、お店を覗くと、女将が泣きながら男にしがみついていました。

 

その後ろ姿を見たら、「あっ、三浦友和さんだ」とすぐわかりました。僕はなんの予備知識もなくこの映画を観に行ったので、三浦友和さんや石川さゆりさんが出演されていることを知らなかったので、三浦さんが出演されていることに興奮してしまいました。ファンなもので(笑)。

 

平山は慌てて、小料理屋から立ち去るのですが、隅田川の河川敷と思われる場所でその男と出会うのです。その男は女将の別れた亭主で、癌を患っており、余命いくばくもないと語るのです。

 

この男は、平山にいきなり影と影が重なったら濃くなるのか?と問いかけます。平山は、彼の問いかけに対して、実際に影を重ねて確かめようとします。

 

役所広司さんと三浦友和さんが戯れる僅かなシーンなんですけど非常に良いシーンでした。お二人が同じシーンにいるだけで感動してしまいましたし、良い俳優は本当に引き込まれる芝居を魅せてくれます。

 

深いテーマもないような、一見シンプルに見える作品ですけど、誰もが形は違えど、平山のように毎日、同じことを気づかないうちに繰り返しながら生きているんじゃないかななんて思ってしまいました。

 

華やかに、ドラマチックに生涯を全うする人なんて稀ですしね。小さな出来事の断片を一つづつ積み重ねて生きている人が大半なんじゃないでしょうか。僕もその一人だと思います。

 

この作品を作った人達は、平山のような生き方に共感を抱いているとは思うのですが、それを観客に押し付けたりはしていないと思います。

 

ラストシーンの朝日を受けて輝く平山の顔は、満ち足りたような笑みから、徐々に泣き顔へと変わっていくんです。役所広司さんのこの表情を観るだけでもこの作品を観る価値はあると思うのですが、このシーンを観ても決して平山自身も自分のこの生き方が正しいとは思っていないのではないかと僕は思ってしまうんですね。何かまだ心に大きな葛藤と後悔を抱えているような気がしてしまうんです。でもだからこそ、僕は平山という男を好きにならずにはいられないのかなぁと思います。

 

この映画のボスターのキャッチコピーは「こんなふうに生きていけたなら」です。これはーあんまり良いコビーじゃないですね〜。作品の良さを潰している気がします。

 

お金をたくさん稼いで、好きなものに囲まれて、経済的にゆとりのある暮らしがしたいと思う人が悪いわけじゃないですし、平山のような生き方が人間の理想かと言われれば違う気もしますしね。

 

僕も考えれば、平山みたいな生活なんですよ、ほんとに(笑)。孤独だなぁ、寂しいなぁって思ったり考えることはしょっちゅうですしね。でも誰からも気に留められない生活というのも気楽といえば気楽ですけど。

 

僕も、人生に過度の期待を持たず、後悔を受け入れ、酸いも甘いも噛み分けて東京の片隅で生きています。人間なんてね、皆、孤独を背負いながらあてどもなく彷徨い、かりそめの出会いと別れを繰り返して生きてゆくもんなんだよ!なんて開き直っています(笑)。

 

映画のタイトルは、劇中にも流れる1965年に結成されたロック・バンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのボーカリストにしてギタリストとして名を馳せたルー・リードの『Perfect Day』という曲から取られています。どこかで聞いた曲だなと思ったら、1996年の映画『トレインスポッティング』で使用されていましたね。

 

大切な人と過ごす週末の何でもない一日を「パーフェクト」だと歌う、美しいシンプルな愛の歌のように聞こえるのですが、ルー・リードらしい謎めいた言葉が鏤められていて、行間には人生の苦渋や悔恨、深い闇が見え隠れする曲なんです。曲の最後はこんなこんな言葉が繰り返されます。

 

You're going to reap just what you sow 

 

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない(今自分が直面していることは、過去に自分がしてきたこと)と4回繰りかえすんです。

 

聖書の一節をアレンジしているそうなのですが、それは「良いことをしていれば、いつか報われる」という意味もあり、「いま置かれた状況は、過去にしたことの報いだ」という残酷な意味にもとれるんです。

 

この曲を選んだヴェンダース監督には、深い理由があるんでしょうけど…。

 

「いま置かれた状況は、過去にしたことの報いだ」というのは、平山と父親との何かしらの確執を表しているのか…なんて考えるとまた作品に深みが増しますね。

 

人間の幸せってなんなんだろうなぁ〜と考えさせられる作品でした。