今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室癌」を公表し闘病されていた歌手のKANさんがお亡くなりになりました。享年61歳。あまりにも早すぎる旅立ちですね。とてもショックです。

 

KANさんは昨年秋に数週間腹痛が続いたことから検査をしたところ癌が判明し、予定していたツアーを中止されていました。

 

今年4月に再入院されて、5月には退院を報告されていました。今月3日には一部楽曲のストリーミング配信を開始することを公式ホームページで発表されていましたね。

 

KANさんが、今年3月に罹患を公表したメッケル憩室癌は、憩室と呼ばれる内臓の外側に飛び出た袋状の突起物が、小腸の壁の一部にできたもので、出産の際に胎児と母体を結んでいる卵黄管が出産後に残ってでき、そこにがんが発生するんだそうです。メッケルは発見した19世紀ドイツの解剖学者の名から取られています。

 

ご自身のSNSは、7日まで更新されてて、1996年の「リアル・ラヴ」以来27年ぶりの新曲、かつ「ビートルズ最後の新曲」として今月2日にシングル盤で発売されたビートルズの「NOW AND THEN」のミュージックビデオの感想が最後の投稿となりました。

 

「いろんなことが素晴らしすぎて書き尽くせない。エンディングも美しいですね」と感想を書き残されています。

 

KANさんは、小学生でクラシックピアノを習い始め、毎日3時間の練習を日課とされ、友人がきっかけで毎週日曜には教会で賛美歌を歌っていたそうです。中学に入ると友人と4人編成のバンドを結成し、ビートルズの楽曲をコピーされていたとか。部活は当初軟式テニス部だったそうですが、退部した後、ブラスバンド部に入部し、アルトサックスを吹かれていたんだそうです。

 

僕も小学生の頃、ヤマハ音楽教室でエレクトーンを4年間ほど習っていました。教会内にあるカトリック系の幼稚園に通っていたので、賛美歌はよく歌っていましたし、中学生の時は軟式テニス部でしたし、武田真治さんに憧れて、アルトサックス教室に通っていたこともあります。

 

どれも物にはなりませんでしたけど、そういった経験が今の自分に何かしらの影響を与えているんだなぁと感じます。KANさんの子供時代と自分を比べて、なんとなく親近感を覚えているわたしです。

 

僕が初めてKANさんの楽曲に触れたのは、1989年に発売されたKANさん4作目のアルバム『HAPPY TITLE -幸福選手権-』の最後の曲「東京ライフ」という曲を聴いた時です。

 

中学生の頃かなぁ〜。同じクラスの友人に勧められたんだと思います。「いい曲だから」って。

 

東京という都会で暮らしていることの孤独感、単調に繰り返されるだけの生活への焦燥と希望の見えない毎日。そんな日々の中でも、愛する君がいるから何とか自分は生きていられる、社会と繋がっていられるんだという切実な男の子の心の叫びが静かに伝わってくるような曲なんです。

 

僕はその頃、神戸の六甲台というところに住んでましたし、まだ子供でしたし、のんびりとした山育ちでしたから、正直初めて聴いたときは、良い曲だけど、曲のメッセージは深く僕の心には届かなかったと思います。

 

これは、内山田洋とクール・ファイブが歌う『東京砂漠』と同じことを歌っているんだなんて思ってしまった変わった子供でしたから僕は。両親の影響で昭和歌謡が好きだった僕は、いしだあゆみさんが歌う『砂漠のような東京で』とかも聴いていましたから、東京っていうのは殺伐とした人を孤独にさせる街なんだなって本気で思ってましたからね。

 

大人になり、東京に住むようになって、これらの曲の本当の意味が深く身に染むようになりました。多分、東京で生まれて、東京以外で生活したことのない人には分からない感覚じゃないかなぁ。KANさんは福岡県出身ですし、僕もそうですけど、東京という街の良いところも、そうでないところも客観視できるんですよ。嫌いじゃないけど、大好きにはなれないという感じがあるんです。

 

僕も25年くらい東京に住んでいますけど、どこかまだ馴染めていない、孤独をよく感じます。だから、今ではKANさんが歌う『東京ライフ』はたまに聴くと、今だに心がキュッとなりますね。愛する人がいれば尚更ですけど。

 

『東京ライフ』がきっかけで、1990年に発売された『野球選手が夢だった』というアルバムを買ったんです。

 

その中に『愛は勝つ』が収録されていて、大阪のラジオ局FM802で集中的にオンエアされて注目を集めて、通算6枚目のシングルとして発売されたんですね。

 

僕も初めて聴いた時、いい曲だなぁと思いましたけど、あれほどの大ヒットになるとはその時は思いもしなかったです。

 

当初の生産枚数はわずか1万枚だったそうですが、当時、フジテレビの人気番組だった「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌として放送されたことがきっかけで大ヒットしたんですよね。

 

オリコン週間ランキングで、8週連続で1位を獲得し、200万枚超えのダブルミリオンとなったんです〜。凄いです〜。

 

1991年の大みそかには、日本レコード大賞「ポップス・ロック部門」の大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場!モーツァルト生誕200年を記念して、モーツァルト風衣装で「愛は勝つ」を嬉しそうに、楽しそうに熱唱したKANさんの姿は忘れることができません。

 

2011年3月に東日本大震災が起きると、KANさんが所属するアップフロントグループは、すぐに『がんばろうニッポン 愛は勝つ』プロジェクトを立ち上げました。

 

堀内孝雄さんが音頭を取り、つんく♂さん、森高千里さん、モーニング娘。ら131人の所属アーティストが、KANさんのピアノ演奏で『愛は勝つ』を合唱し、配信などの売り上げを寄付したことは覚えています。

 

新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めた2020年には、同グループ所属121人が医療従事者らを勇気づけようと『愛は勝つ』をリモートで合唱していました。KANさんはこの時は天使の姿でピアノを演奏していましたね。愛嬌のある可愛い方だなと思っていました。

 

「心配ないからね」と語り掛けるシンプルな歌詞は、ポジティブで純粋な愛を貫くメッセージとして、苦境の折に繰り返し歌われる「応援歌」として定着しましたね。

 

KANさんは、アメリカ出身の歌手ビリー・ジョエルの「アップタウン・ガール」(1983年)に着想を得て『愛は勝つ』を書いたと言っていました。「全部サビみたい。ぐんぐん転調する。すごい」と刺激を受け、譜面に起こしたんだそうですよ。

 

自分を信じたい、誰かを信じたいと思って努力をし、気を遣っていても、誰かに傷つけられたり、逆に傷つけたり、思う様な成果が出ないと、何もかも嫌になり、「信じること」なんて無駄なこと、馬鹿らしいと思う時があります。

 

それでも夢を持つ人は、諦めたくないという気持ちもあり、悩み苦しむんですよね。

 

そんな時、『愛は勝つ』を聴くと、「心配ないからね」「信じる事を止めないで」と、KANさんは優しく、力強く、包み込んでくれたような気がしています。

 

『人を愛する喜びは、何物にも代えがたいんだ』と決して深刻ぶらずに、素敵なメロディに乗せて明るく歌い、僕たちを励ましてくれたKANさんはもういない…淋しいです。

 

ご冥福をお祈りいたします。