大正から昭和期にかけ、推理小説家としてだけではなく、評論や研究、編集者としても活躍し、日本のミステリー小説の父といわれ、後世にも大きな影響を与え続けている江戸川乱歩さんが、1923年4月に雑誌『新青年』に日本で初の本格探偵小説『二銭銅貨』を発表してから今年で100年を迎えました。

 

デビュー後は『D坂の殺人事件』や『孤島の鬼』、『パノラマ島綺談』などのミステリー史に残る斬新で独創的な探偵小説や怪奇小説を意欲的に発表され、「少年探偵団シリーズ」では、幅広い年代の読者を獲得し、探偵小説界を代表する存在になります。

 

1947年には探偵作家クラブ(現在の日本推理作家協会)を創設し、初代会長に就任されました。その後も、新人推理作家の登竜門となる、現在も続く江戸川乱歩賞を自身の寄付で創設し、雑誌『宝石』の編集に携わり、1961年に小説家として初めて紫綬褒章を受章されました。

 

1965年に亡くなるまで、推理小説界だけではなく、日本文学界のために貢献し続けた大文豪です。今年は、江戸川乱歩作家デビュー100周年を記念して様々なやイベントが各地で開催されまし

 

1月には、江戸川乱歩さんの誕生秘話を描いたドラマ『探偵ロマンス』が濱田岳さん主演でNHK総合で放送されましたし、乱歩さんの自宅があった豊島区は、池袋を『ミステリーの聖地』にと銘打ち、池袋の街を舞台にした体験型のミステリーアトラクションを複数展開するプラットフォーム『池袋ミステリータウン』を主催しています。

 

江戸川乱歩さんや横溝正史さんに多大な影響を与えた高知県出身の3人の文学者、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村を取り上げた企画展「めざめる探偵たち~文豪ストレイドッグス×高知県立文学館~」が高知県立文学館で開催されています。

 

江戸川乱歩さんは、ペンネームのもとになったエドガー・アラン・ポーの作品からの影響が濃いと言われていますね。他にもたくさんの海外作家の探偵小説を愛読していたことが作品のルーツにもなっているようです。

 

ポーの作品に影響を受けた人は日本にもたくさんいますよね。谷崎潤一郎も、詩人・萩原朔太郎も、佐藤春夫も、芥川龍之介もそうじゃないかなぁ。

 

僕も好きですね〜。ポーの作品は。ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」、「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など当時、読んだ人達には衝撃的だったんじゃないですかね。

 

江戸川乱歩作品は、人間の欲望や狂気を、時にはグロテスクに、時にはエロティックな描写を交えて、巧みに読者を幻想の世界へ導くものが多いですが、明智小五郎や怪人二十面相、少年探偵団といった、現代にも名を残すキャラクターを生み出していますし、エンターテインメント性にあふれた、時代を超えた魅力的な作品達だなと思います。

 

僕を生まれて初めて本屋さんという場所へ連れて行ってくれたのは父親でした。

 

小学生の低学年の頃です。本を読むとすれば学校の図書館で借りたりはしていましたが、「好きなもの買ってあげる」と言われて僕が選んだのは、江戸川乱歩さんの『妖怪博士』でした。ポプラ社の「少年探偵団」シリーズの一冊です。装丁が良かったんですよね。今はあの頃と同じ装丁、挿絵で文庫本として復活しています。ハマりました。僕が本を好きになった原点かもしれません。『幽霊塔』、『青銅の魔人』、『暗黒星』、『赤い幼虫』、『奇面城の秘密』、『三角館の恐怖』、『蜘蛛男』、『死の十字路』、『黒い魔女』、『地獄の道化師』、『一寸法師』なとなど。熱中して読みましたね〜。一冊、読み終わったらまた買ってもらうという感じでした。

 

そんな人気の江戸川乱歩作品は数多く映像化されています。僕が印象に残っているのは…

 

TVドラマでは、1977年から1994年までテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で17年間放送された『江戸川乱歩の美女シリーズ』が有名ですよね。天知茂さんが明智小五郎を演じていました。

 

僕はCS放送やDVDで観た世代ですが、第1作目の『氷柱の美女(1977年)』が印象に残っています。原作は『吸血鬼』で、僕の大好きな俳優、松橋登さんが主演だからです。若き日の大和田獏さんが少年探偵団の小林少年なんですよ!

 

映画では…

◎黒蜥蜴(1962年)監督:井上梅次/主演:京マチ子

◎黒蜥蜴(1968年)監督:深作欣二/主演:美輪明宏

◎盲獣(1969年)監督:増村保造/主演:船越英二

◎江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969年)監督:石井輝男/主演:吉田輝雄

◎江戸川乱歩の陰獣(1977年)監督:加藤泰/主演:香山美子

◎RAMPO(1994年)監督:奥山和由/主演:本木雅弘

◎双生児 -GEMINI-(1999年)監督:塚本晋也/主演:本木雅弘

 

これくらかなぁ。

 

今日はこの中から、『江戸川乱歩の陰獣(1977年)加藤泰監督』のことを書いておこうと思います。最近、観直したので。

 

江戸川乱歩さんの『陰獣』は、『新青年』1928年夏期増刊号、9月号、10月増大号の3回にわたって連載されました。

 

乱歩さんが2年ほど筆を絶っていた後で書いたもので、読者が待ち望んでいた新作ということもあり、当時の『新青年』編集長・横溝正史さんが大いに評価してくれたので、初回が掲載された夏期増刊号が3版まで増刷したほどの反響を呼んだ作品です。

 

乱歩さん自身も、『陰獣』について「従来の作品の総決算というような気持ちで書いた 」と述べていて、『陰獣』は乱歩さんの作品歴の中でも重要な一作だと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 

乱歩さん自身も、「『陰獣』 は変態心理の部分が目立つので、純探偵小説といえないという見方もあるが、私自身はあれを本格ものと考えている」 と述べていて (『探偵小説四十年』)。また、昭和10年に柳香書院から出版された作品集 『石榴』 には、『石榴』、『陰獣』、『心理試験』 の3篇が収められていますが、これは乱歩がこの3作を自分の純探偵小説の代表的なものと考えたからと言われています。

 

日本の探偵小説評論家・翻訳家で、「本格ミステリの黄金時代」と言われる 1930年代のの海外作品を、日本に多数紹介した、戦前における最もすぐれた探偵小説評論家といわれる井上良夫さんが「元来乱歩氏の作品には、厳正な意味での探偵小説は少ないが、「陰獣」 は立派な本格探偵小説である」 とし、自分は一般にもてはやされている濃厚な色彩においての乱歩の作は好きでないが、「陰獣」はそうした乱歩趣味が濃厚である反面、 本格ものの真髄を把持しているところからくる独特のうまさがはっきり出ている点で愛読する作品であると述べていて、これを読んだ乱歩さんは大層喜んだそうです。

 

乱歩さんの小説は、文章も良いんですけど、全編を覆う独特の酔いしれるような「ムード」が魅力的なんですよ。結末を読むまで、不安や緊張を強いられるというか…不安定な心理が続くところ…。物語が完結しても心が「宙ぶらりん」になる感じがあって、そのモヤモヤがクセになるんです。

 

僕は乱歩の作品で一番好きなのは『孤島の鬼』ですけど『陰獣』はその次くらいに好きな作品です。

 

『陰獣』はこんな物語です。

事件のきっかけは、探偵小説家・寒川が、上野の博物館で実業家の小山田六郎氏の夫人小山田静子と出会うことから始まります。

 

寒川は、静子の容姿の美しさに目を奪われます。静子のうなじに赤痣の様なみみず腫れがあることに気づくといっそう強く興味を惹かれるようになるのです。

 

静子は探偵小説が好きで、寒川の作品も全て読んでいると言い、二人は文通する仲になります。 数ヶ月文通でのやりとりを重ねていたある日、静子から相談したいことがあると悩みを打ち明けられます。 

 

静子は行方不明になった大江春泥という探偵作家の男から奇妙な手紙をおくられていました。大江春泥というのは、極度の人間嫌いで、謎に満ちた、暗く病的でネチネチとした作風の探偵小説家で、本名は平田一郎という静子の元恋人だというのです。 

 

その手紙は妙なことにまるですぐ近くで見ていたかのように小山田邸で過ごす静子の行動が細部まで書かれていました。 

 

平田一郎は昔、自分を捨てるように別れた静子を恨んでおり、復讐の計画を果たすつもりであることを手紙で伝えてきます。

 

その復讐から静子を守るために寒川は大江春泥を探しますが一向に見つからず、遂には静子の夫・小山田六郎氏が殺されてしまう事件が起きてしまいます。

 

その事件後、夫を亡くした静子と寒川は仲を深めていきますが、一方で小山田六郎氏の死について推理を続けていた寒川は、「本当の犯人は静子ではないか」という恐ろしい疑惑を抱きます。

 

寒川は、大江春泥からの脅迫文、小山田六郎氏の殺害まで全て自作自演していたのでは?と静子に詰め寄りますが、彼女は泣くばかりで真実は語らず、次の日に自殺してしまいます。

 

寒川は彼女の死こそが、自身の推理が正しかった証拠だと考えますが、一方で明確な証拠はなかったため、彼女の死は夫の死後、頼りにしていた私に犯人扱いされたショックで死んだのかもしれないと考えてしまうのです。

 

さらには、大江春泥は本当に実在していて、犯人はやはりその大江春泥だったのかも知れないという疑惑は、事件が終わり月日が経つにつれてもずっと寒川を苦しめ続けていくのでした…。

 

なんか僕の拙い文章でストーリーを紹介すると、なんてことない物語に思えてしまうかもしれませんが、これが乱歩さんの文章だとメッチャ面白くなるんですよ〜。

 

『陰獣』の面白いところは、一応、静子を犯人としつつも、全ての推理は誤りではなかろうかという「寒川」の疑念を最後の章で提示し、その疑念に解決をつけないまま結末を迎えるところです。

 

二度三度のどんでん返しの後、無解決で終わらせるとは…このモヤモヤ感がたまらんのです。

 

『陰獣』の発表当時もこの結末には賛否が湧いて、評価は別れたそうで、批判に応えて一時は乱歩さんは最終章を削除し改訂したものを新たに発表したのですが、のちに元に戻しているのです。

 

人の心の奥底は他人には窺い知れないものですし、「私が殺しました」と死刑になった人がいたとして、本当にその人が犯人だったのかは分からないところがありますから。もしかしたら寒川が犯人かもしれないしね〜。『陰獣』の語り手は寒川ですからね。静子が夫を殺害した動機も曖昧ですしね。

 

上野の帝室博物館で、寒川と静子が出会ったのも、偶然のような気がしないし、どちらかが意図的にしくんだんじゃないかなと思えるし。いろんな

可能性が考えられますよね。

 

そんなことを考えているひと時が楽しかったりするんですよ〜。

 

結末の意外性や謎を解決することよりも、人間というものの得体の知れなさ、掴みきれない危うさや、心の闇を乱歩さんは描きたかったんじゃないかと思っています。

 

探偵小説というよりは、人間の真理の綾を描いた完全な文学小説のように感じます。

 

『陰獣』は海外でもよく読まれていて、バーベット

・シュローダー監督により、『INJU, La bete dans 

l’ombre, 2008』というタイトルで、フランスでも映画化されています。

 

それと『陰獣』の大きなテーマの一つが、乱歩さんは小説の中で『虐待色情趣味の悪癖』と言っている『性的サディズム』です。

 

『性的サディズム』とは、性的興奮やオルガスムを刺激する目的で、相手に身体的または心理的な苦痛(屈辱・恐怖など)を与えるものです。

 

SMと呼ばれているものですね。Sはサディズム(加虐嗜好)Mはマゾヒズム(被虐嗜好)。

 

Sは性的興奮を得るために一方的に何かを虐待するという性格異常を発揮し、Mは辱めを受けたり自らの肉体を損傷する(自傷行為)ことで性的興奮を得るとされます。

 

精神医学の世界では、性的倒錯(パラフィリア)と呼ばれる精神障害なんだそうです。

 

『陰獣』に登場する小山田夫妻はそんな性的倒錯者なんですよね。SMという言葉が一般的ではなかった頃は『加虐被虐性愛』と呼ばれていたそうですから、『愛』の一つだと思われていたのでしょうか。

 

「緊縛」と呼ばれる縄で縛り付ける行為や「鞭打ち」や「ロウソク責め」、性器ピアスを取り付けるなど色んな趣味嗜好がありますよね。

 

身体を痛めつけることが=快楽になってしまうと、行き着く先は相手を殺してしまうとか、自分も命を落としてしまう可能性があるわけで、人間の欲望は果てしがないという想いがします。

 

究極のSMを描いて見せたのは、乱歩さんの原作を増村保造さんが監督した『盲獣(1969年)』でしょうね〜。震えが来るような船越英二さん、緑魔子さんの熱演でした。

 

村上龍さんは、そんな世界でしか生きられない人間の物語をよく描かれていますよね。『コックサッカーブルース』、『トパーズ』は衝撃を受けました。

 

よく、軽々しく、人に向かって「あなたSだねとかM

だね」なんて言う人がいますが、そんな生優しい世界じゃないよと言いたいですね。なんか偉そうなこと言ってますけど(ハハ)。まぁ、こういう小説を読んでいるとそう思う訳ですよ。

 

『陰獣』のヒロイン静子も、鞭で打たれることに性的興奮を感じる女性ですが、乱歩さんはそんな謎めいた女性をとても妖しく、神秘的で魅力的に描いています。

 

『江戸川乱歩の陰獣』

1977年公開/松竹製作・配給

カラー / ビスタサイズ / 116分

《スタッフ》

◎製作:白木慶二

◎監督:加藤泰

◎監督補:三村晴彦

◎助監督: 増田彬

◎脚本:加藤泰、仲倉重郎

◎原作:江戸川乱歩

◎撮影 :丸山恵司

◎音楽 :鏑木創

◎美術:梅田千代夫

◎照明 :三浦札

◎編集 :大沢しづ

◎衣裳:松竹衣裳

◎製作主任:池田義徳

◎挿入画 :林静一

《前衛劇》

◎構成 :星野和彦

◎振付:横井茂

 

《キャスト》

◎寒川光一郎:あおい輝彦

◎小山田静子:香山美子

◎小山田六郎:大友柳太朗

◎本田達雄: 若山富三郎

◎市川荒丸:川津祐介

◎糸崎検事: 中山仁

◎植草河太郎 : 仲谷昇

◎植草京子: 野際陽子

◎ヘレン・クリスティ:田口久美

◎増田芙美子 : 加賀まりこ

◎青木民蔵 : 尾藤イサオ

◎佐々木初代 : 任田順好

◎支配人 : 汐路章

◎ピエロの小母さん:石井富子

◎一銭蒸気の係員: 藤岡琢也

◎一銭蒸気のお婆ちゃん: 菅井きん

◎写真記者 :桜町弘子

◎前衛劇スター:花柳幻舟

◎宮島すみ子:倍賞美津子

 

1976年に公開された横溝正史原作、角川春樹事務所製作、東宝配給による『犬神家の一族』の大ヒットで、出版界、映画界に興ったミステリ・ブームにより、松竹が東宝の横溝正史に対抗して江戸川乱歩に着目して製作した映画と言われています。

 

でも角川春樹さんは最初、松本清張さん原作の『砂の器(1974年)』をヒットさせた、野村芳太郎監督で『八つ墓村』を自身のプロデュースで映画化したいと松竹へ話を持ち込み、映画化に合わせて、角川書店では、横溝正史フェアを行おうとしていたのですが、出版界の人間なんかに映画のプロデュースなんて任せられないと言われた角川さんは激怒!松竹から手を引いたのです。映画化権は松竹の手に渡ったままでした。

 

松竹に対抗し、角川春樹事務所を立ち上げ、同じ横溝正史作品『犬神家の一族』を東宝配給、市川崑監督で映画化し、『八つ墓村』より先に公開し大ヒットさせ、松竹に一矢報いたのです。

 

松竹の『八つ墓村』も大ヒットしましたし、松竹としては横溝正史作品を何作か多分、映画化したかったはずなんです。けれど横溝さんの原作の権利を持っていた角川春樹さんはこの後一切、松竹へ横溝さんの原作を渡さなかったんです。

 

だから、横溝正史に対抗できるのは江戸川乱歩だと松竹は『陰獣』を映画化したんだと思います。『陰獣』がヒットすれば、何作か乱歩さんの原作の映画化が松竹で続いたかもしれませんが興行は失敗に終わったみたいです。

 

『陰獣』は一応ミステリーですけど、テーマがテーマなだけに一般受けは難しかったのでしょう。女性や若い人の関心を呼ばなかったのではないでしょうか。でも江戸川乱歩さんの原作を映画化したものの中ではトップクラスの出来栄えだと思いますし、加藤泰監督の異色作であり、力作だと思います。

 

試写を見た横溝正史さんは、「原作が広く読まれていることから、監督は結末の意外性より、そこへ至るまでの男と女の心理的葛藤に重点を置き替え、そこにひとつの恐怖を演出してみせたという意味で、この映画は十分成功している」と仰っていて、原作ファンの僕も「そうだなぁ」と感じています。

 

監督の加藤泰さんは、東映で、時代劇や任侠映画の名監督として活躍された方です。代表作に『沓掛時次郎 遊侠一匹』、『瞼の母』、『明治侠客伝 三代目襲名』、『真田風雲録』、『幕末残酷物語』、『緋牡丹博徒 お竜参上』などがあります。

 

松竹で撮った、『人生劇場 青春篇、愛欲篇、残侠篇』、『花と龍 青雲篇、愛憎篇、怒涛篇』、『宮本武蔵』もよかったですよ〜。時代色を出すのが上手い監督さんですね。

 

探偵小説家・寒川を演じたのは、『犬神家の一族』で、犬神佐清を演じたあおい輝彦さん。純粋で熱血ながらも、静子の持つ”毒”にあてられ、徐々に隠微な世界に堕ちていく主人公を好演しています。

 

寒川の捜査を手助けする、出版社の担当編集者を演じたのは『悪魔の手毬唄』で磯川警部を演じた若山富三郎さん。愛嬌があってさすがの存在感です。

 

ヒロイン、小山田静子を演じたのは、岩下志麻さん、倍賞千恵子さんに次ぐ女優として、1965年から1970年にかけて松竹の青春映画、メロドラマに多数出演した香山美子さん。

 

主人公の青成瓢吉を愛し少女から娼婦に流転するお袖に扮した『人生劇場』、主人公の玉井金五郎とともに沖仲仕をしながら必死に生きるマンに扮した『花と龍』、そして『陰獣』の3本は加藤泰監督作品で、香山さんの出演作品の中でも最も重要な作品達だと思います。

 

加藤泰監督の特徴は、陰影を強く押し出したライティングによる撮影、徹底したローアングル、引きと寄せの絶妙なカメラアングルなど、全編、こってりとした耽美的な映像中で主人公たちがのたうち回っている印象があって、それが一つの様式美なってる感じなんです。

 

『陰獣』の一番の見どころは、香山美子さんの謎めいた、妖しげな美しさが見事に表現された演出です。

 

香山さん演じる静子が、押さえ込んでいた自身の性的倒錯者としての本性を、寒川にさらけだすシーンは、デビッド・リンチ監督も驚くような美術です。赤と白で構成された画面構成の中に花束の緑だけが際立ち、たとえようのない美しさです。

 

着ている着物を脱ぎ、胸も露わにした香山美子さんの鬼気迫る女優魂に感服しました。

 

原作と映画の違いは、僕たち読者を悩ませる不条理で曖昧な結末ではないと言うことです。

 

基本的に男と女、人間同士の葛藤の“ドラマ”として、物語を作り上げなければならない映像の世界では、原作のような曖昧なままで物語を投げ出すことは難しいのでしょうね。

 

しかし、あのラストシーンの強烈なザワザワ感は見事な締めくくりだと思います。原作、映画とも忘れがたい名作ですね。