最近、net newsで、来年2024年は、女優・高峰秀子さんの生誕100年だそうで、様々なプロジェクトが企画されていると知りました。

 

高峰秀子さんは、僕の大大大好きな女優さんのお一人で、代表作と呼ばれるものはだいたい観ていますし、いつかこのblogでも書いておきたいなと思っていた方でした。

 

スターという地位を特別なものとして捉えず、その地位に奢ることなく女優を一つの職業、仕事として冷静に見つめ、自分を常に客観視して演じる事に向き合い続けた方だったように思います。

 

今年2023年の第76回カンヌ国際映画祭では、高峰秀子さん、田中絹代さんが姉妹を演じた、小津安二郎監督の『宗方姉妹』(1950年)が4Kデジタル修復されてワールドプレミア上映されましたね。

 

フランスの映画監督レオス・カラックスや香港の俳優・故レスリー・チャンなどは、高峰秀子さんが大好きと公言していましたよね。

 

高峰秀子さんが主演された作品で、有吉佐和子さん原作のものが2本あります。

 

増村保造監督の『華岡青洲の妻』(1967年)と豊田四郎監督の『恍惚の人』(1973年)の2本です。

 

高峰秀子さんのことは、また改めていつかじっくりblogで書かせてもらいたいと思っていますが、以前、『有吉佐和子の世界』と題して『香華』と『紀ノ川』のことを書かせてもらったので、今日は高峰秀子さん繋がりで『華岡青洲の妻』について書いておこうと思います。

 

『華岡青洲の妻』は、1966年に発表された有吉佐和子さんによる小説です。

 

世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医・華岡青洲。その不朽の業績の陰には、麻酔剤「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母がいたのです。

 

語り継がれてきた美談の裏に隠された、青洲の愛を奪い合う二人の女の間で繰り広げられた荒々しく激しい葛藤と、封建社会における「家」に縛られ、逃げ場のない女たちの哀しみと憎しみを浮彫りにした女流文学賞受賞の力作です。

 

僕が初めて『華岡青洲の妻』を読んだのは中学生の頃でした。夏休みの宿題の読書感想文を書くために、父の本棚を物色し、新潮現代文学という全集の中から選んだ「有吉佐和子/華岡青洲の妻・恍惚の人」と言う本が僕と有吉佐和子文学との出会いでした。

 

最初は「恍惚の人」と言うタイトルに惹かれて、手に取ったのだと記憶しています。「恍惚の人」ってどんな人⁉︎って感じでしたね。

 

「恍惚の人」のこともいつかblogに書きたいなと思っています。

 

主人公の華岡青洲は1804年、世界で初めて全身麻酔を用いた乳がん手術を成功させたと同時に、麻酔薬の「通仙散」を開発した人物として知られています。

 

主人公の華岡青洲は、25才のころから外科医として診察・治療をおこないながら、麻酔薬の研究に取り組み始め、長年の研究のすえ「通仙散」という麻酔薬の開発に成功し、1804年に「通仙散」を使って世界初の全身麻酔による女性の乳癌手術を成功させた人物として知られています。

 

麻酔薬がなかったころは、患者は痛みを必死に我慢しながら手術を受けるしかなかったのでしょうし、日本以外では、1846年にアメリカでエーテルという薬品を使った全身麻酔による手術が成功していますが、青洲の全身麻酔による手術は、アメリカの手術よりも40年以上前に行われていたのですから、青洲の成功は前例のない素晴らしいものだと思います。

 

通仙散は「マンダラゲ」という植物を始め、チョウセンアサガオやトリカブトなど数種類の植物を調合して作られたそうです。青洲の家の庭には、チョウセンアサガオがたくさん植えられていたんですよね。

 

「マンダラゲ」は、人間の体をしびれさせる毒を持っているため、扱いは非常に難しかったそうですが、その毒を利用して、痛みの感覚をなくし、手術をおこなうことができたのです。

 

華岡家は南朝の楠氏の一族とされ、青洲の祖父、華岡尚政が初代隋賢と称し、現在の和歌山県紀の川市名出(平山の里)で医業を始めたとされています。青洲の父・直道は二代隋賢、青洲は三代隋賢と号しました。

 

青洲は、医術は父・直道から受け継ぎ、その後、古医方(江戸時代後半頃から流行りだした漢方医学の一派)を京都で吉益南涯(青洲の京都遊学時代の漢方(内科)の師)に、オランダ東インド会社の外科医として、1649年出島に到来したカスパルが伝えた西洋医学(外科)を大和見立(江戸時代中期〜後期の医師)に学んだんだそうです。

 

有吉佐和子さんは、華岡青洲自身よりもむしろ、彼をめぐる家族の女性たちに注目したんですね。華岡青洲は医学関係者の間では有名な人ですし、有吉さんの地元、和歌山でも知る人ぞ知る人ですし、ただ単に華岡青洲をテーマに小説を書いてみてもつまらない、青洲が偉業を成し遂げることができたのは、母親の於継、妻の加恵、妹の小陸と於勝の献身があってこそではないのか?

 

「通仙散」が麻酔薬として正式に用いられるまでには数百匹の動物と、数十人の人体実験が行われ、母の於継と妻の加恵も参加したといわれています。息子のため、夫のために身を捧げた母親の於継、妻の加恵は賢母、良妻としてあがめられているけれど、その裏には嫁・姑としての対立や確執、嫉妬があったかもしれない…。

 

『華岡青洲の妻』は、そこに注目した有吉さんの小説家としての力量に唸らせられる名作です。中学生だった僕が読んでも大変面白かったです。でも、読書感想文はどんなこと書いたんだろう〜我ながら気になります〜(笑)。

 

小説『華岡青洲の妻』は、昭和41〈1966〉年に発表され、大変な評判を呼びます。

 

翌年には、増村保造監督、高峰秀子さん、若尾文子さん、市川雷蔵さん主演で映画化され、以降、テレビドラマや舞台に繰り返し取り上げられています。

 

僕は映画版を観る前に、舞台版を観たんです。父が劇場中継をvideo tapeに録画していてくれていたんです。

 

1984年(昭和59年)に新橋演舞場で上演された舞台で、二代目中村吉右衛門さん(青洲)、水谷良重さん(加恵)、杉村春子さん(於継)でした。この舞台は本当に面白かったし、主演3人の名演技を堪能させていただきました。

 

1990年(平成2年) 帝国劇場で上演された、萬屋錦之介さん(青洲)、十朱幸代さん(加恵)、山田五十鈴さん(於継)も中継で観ました。

 

1992年(平成4年)大阪の近鉄劇場で上演された田村高廣さん(青洲)、水谷良重さん(加恵)、山田五十鈴さん(於継)は両親に連れられて生で観ました。山田五十鈴さんを生で観れたことは今ではとても貴重だったなと思います。しかし、脚本が僕としては少し首を傾げるところがあり、山田五十鈴さん演じる於継の人物設定にも納得がいかない部分もあり、原作のファンとしては残念な舞台だったと記憶しています。

 

TVドラマでは、1992年(平成4年)にフジテレビ系列の「金曜ドラマシアター」で放送された、三浦友和さん(青洲)、小泉今日子さん(加恵)、森光子さん(於継)が印象に残っています。岸田理生さん脚本、久世光彦さん演出でした。キョンキョンの加恵は、姑に「絶対、負けまへん」というような芯の強さをうまく表現していて、なかなか見応えがありましたよ。

 

映画版を観る前に舞台、TVドラマと観てはいましたが、映画版の前には全て吹っ飛びました!

 

増村保造監督、高峰秀子さん、若尾文子さん、市川雷蔵さん、この4人に敵う人はいないです。無敵です!映画版は大傑作です(笑)。

 

監督の増村保造さんは、旧制甲府中学から旧制第一高等学校を経て東大法学部を卒業され、1947年、大映に助監督として入社し、東京大学文学部哲学科に再入学されたりして、当時の日本映画界に他にはいないタイプの方です。

 

1952年、イタリアに留学し、イタリア国立映画実験センターでフェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ばれ、帰国後、溝口健二監督や市川崑監督の助監督を勤められました。

 

1957年、ストーリー的には単純な青春映画と言えるのですが、日本的な感傷を排し、西洋的な自我の強さを持ち、積極的に行動する若者の輝きを描き出した、日本のヌーベルバーグの先駆とも言うべき『くちづけ』で監督デビューされます。

 

監督第2作『青空娘』より若尾文子さんとタッグを組み、女性のエゴイズムを凄艶な美しさに高めてみせてくれた『妻は告白する』『清作の妻』『「女の小箱」より 夫が見た』『赤い天使』『卍』『刺青』などの重要な作品群を残され、反戦を感傷的に捉えずに、力強く訴えた『兵隊やくざ』『陸軍中野学校』と、それぞれ勝新太郎さん、市川雷蔵さんの大ヒットシリーズの第1作を監督して大映絶頂期を支えた方です。

 

自己主張のエネルギーに乏しく、自己抑制を美徳と考えるのが日本映画の伝統的な欠点であると信じ、これを打倒するために、不自然であってもいいから登場人物たちを情熱的に行動させるというのが増村保造監督の信条でした。

 

遺作となった『この子の七つのお祝いに』まで貫かれたものでしたね。

 

大映倒産後は、映画プロデューサーの藤井浩明さん、脚本家の白坂依志夫さんとともに独立プロダクション「行動社」を設立し、『大地の子守歌』『曽根崎心中』など名作を監督されました。

 

1970年代以降は、大映テレビを中心に『ザ・ガードマン』、『赤い衝撃』などの「赤いシリーズ」、『スチュワーデス物語』などのテレビドラマの演出・脚本を手がけ、「大映ドラマ」の基礎を作り上げた名監督です。

 

『華岡青洲の妻』

1967年10月20日公開。製作:大映

昭和42年度文部省芸術祭参加作品。モノクロ。

 

〈スタッフ〉

◎監督:増村保造

◎製作:永田雅一

◎原作:有吉佐和子

◎脚本:新藤兼人

◎音楽:林光

 

〈キャスト〉

◎華岡青洲:市川雷蔵

◎妻・加恵:若尾文子

◎母・於継:高峰秀子

◎華岡直道:伊藤雄之助

◎小陸:渡辺美佐子

◎加恵の乳母・民:浪花千栄子

◎於勝:原知佐子

◎下村良庵:伊達三郎

◎妹背米次郎:木村玄

◎妹背左次兵衛:内藤武敏

◎左次兵衛の妻:丹阿弥谷津子

◎語り手:杉村春子

 

増村保造監督が「命がけでやりたい!」と当時の大映オーナー、永田雅一氏に直訴し、内容が暗いからと渋い顔だった永田オーナーも、増村監督の熱意に折れ、「増村があれだけ言うんだから、やらせてやれ」ということで映画化が決定した作品です。

 

増村監督は前年の「刺青」に続いて京都撮影所に乗り込み、市川雷蔵さん・若尾文子さんの2大専属スターに、フリーながら東宝を主戦場としてきた大女優・高峰秀子さんに出演OKを取り、さらに語りには後に舞台でこの「華岡青洲の妻」を自身の当たり役とした杉村春子さんを配するなど、力の入ったキャスティングが成功の鍵ですね。

 

高峰さんのキャスティングは、原作者、有吉さんの希望だったと言われていますね。この作品の成功は、高峰さんが於継を演じたからこそと僕は思います。

 

原作もそうですが、映画のなかのセリフで、しきりと「美しいお母さん」という言葉が繰り返されます。加恵は於継があまりに美しい女性であったために彼女に憧れて、会ったこともない青洲の妻になったという設定なんです。この於継という母親が、誰が見ても惚れ惚れと仰ぎ見るような美しい女性であることが作品の重要な要なのです。

 

そして封建的な時代においては、女性は、美貌と、才気と、気位の高さと、実家の家柄が高ければ高いほど嫁ぎ先でも堂々と君臨することができましたし、プラス於継は「青洲」という村人たちから尊敬される優秀な医者である息子を産んだ「母親」という立場ですから、近郷近在にその名をとどろかせることができたのです。

 

そんな複雑な女性を演じられるのは、高峰秀子さんしかいないでしょうね。見事な演技です。ため息が出ます。

 

於継が長年、自分が大切に守り築いてきた城にやって来た、自分の実家より家柄も良い、若くて美しい加恵に嫉妬しないわけがないですよ。於継が加恵を嫁に貰い受けたのは、青洲の幸せを願うと言うよりも、華岡家の家名を少しでも上げるため、後継を作るためだったのではないでしょうか。

 

加恵を演じた若尾文子さんはこの時期の大映のトップだったスター女優です。女性としても女優としても脂が乗っている頃ですね〜演技力も充実していて、増村保造監督と組んだ一連の作品での若尾さんは、恥も外聞もなく欲望を追い求める女性たちを艶やかに演じていて、何度も観たくなりますし、『華岡青洲の妻』でも、名女優・高峰秀子さんを前に決して怯まず、「ヒロインは私」と言うように果敢にぶつかっている感じが素晴らしいです。

 

二人の演技対決には火花が見えます〜(笑)。女優芝居を観る楽しさを堪能させてくれる名作です。

 

􏱝􏰎􏰉􏰊􏰋􏰁􏰷􏰚􏵌􏶰􏶾􏶍􏰪􏹗􏲀􏰎􏷊􏱍􏱑􏱒􏰁􏰸􏴃􏱈􏰎撮影中のインタヴューで、雷蔵さんは「役が難しいね。(若尾文子と高峰秀子の)間の天秤みたいなものやから」と語っておられたようです。

 

そうですね〜華岡青洲という人物は演じ方によっては麻酔薬を作るために、一心不乱に研究を重ね、真面目なだけで周りが見えない鈍感な男ともとれるし、自分の野心を達成するため、嫁姑間の対立を利用した狡猾な男ともとれるし、あるいは嫁姑の対立を知りながら、その間を右往左往する優柔不断な総領息子ともとれるし…難しい役柄とは言えますね。

 

市川雷蔵さんの凄いところは、観る人によって、そのどれにでも見えるところなんじゃないでしょうか。

 

市川雷蔵さんは、どこから見ても誠実で、人々のために献身的に努力し、医は仁術という立場をなんの迷いもなく疑うことなく信じて生きている男として華岡青洲という人物を演じてらっしゃるように感じます。

 

青洲は母と妻の争いを知ってて利用したんでしょうか…。だとしたら相当に利己的な、目的のためには手段を選ばない男ですけど、そうせざるを得なかったんだろうなぁと僕は思います。大切なものを手放さなければいけないことがありますからね〜何かを成し遂げる為には。

 

青洲の麻酔薬の開発の情熱や努力には頭が下がりますが、於継と加恵の献身なくしては麻酔薬の誕生はありえなかったわけです。これは事実ですから。

 

現代の新薬開発のプロセスでも、被験者の方の協力が欠かせません。安全性には最大限配慮されるのが通常ですけど、青洲が研究に没頭した江戸時代の治験は、命を落とす危険が伴っていたことも事実です。

 

そうした歴史の積み重ねがあって現代の医薬があり、僕たちは助けられているということを理解しなければなりません。

 

僕は原作を読んで、青洲が残した功績に比べれば、母と妻が捧げた犠牲や、争いや、二人の存在さえも取るに足りないものとして歴史の片隅に追いやられていることへの静かな怒りを作者・有吉佐和子さんは感じてらっしゃるのではないか?と感じました。

 

淡々とした筆致の中に、男たちの犠牲となった女性たちへの労りと慈しみも感じます。

 

偉大な業績の陰には、それを成し遂げたと言われる人物だけではない、そばで支えた女性がいるということを忘れてはいけません。

 

『高峰秀子生誕100年プロジェクト』関連で、多分、必ず『華岡青洲の妻』はどこかで上映されるはずです。興味を持たれた方は劇場で一度は観ていただきたいと思います。感動しますよ〜。