92歳になられ、日本映画界を牽引されてきた名匠・山田洋次監督と最後のスターと呼ばれ、昭和・平成・令和の時代で日本映画界を支え続けてこられた女優・吉永小百合さんがタッグを組んだ新作『こんにちは、母さん』が現在、公開中です。

 

その制作現場に密着したNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル仕事の流儀』「ふたりのキネマ 山田洋次×吉永小百合」が9月27日に放送されました。

 

僕はこの番組を観ながら、何度か目頭が熱くなる瞬間がありました。

 

映画作りに懸ける気力と情熱は誰にも負けてはいらっしゃらないのでしょうが、山田監督は御年92歳。お見かけすると、体重は落ちておられるようですし、歩く時も杖をついておられます。撮影中も咳が止まらなくなり、中断することもしばしば…。

 

それでも100人以上のスタッフを束ね、指揮をし、俳優ひとりひとりに、振り絞るような強い言葉で鼓舞するように細かい演技指導をし、1カット1カットを一切の妥協なく、積み重ねていく山田監督の姿に胸を打たれたからです。

 

相手が大女優・吉永小百合さんでも容赦のないダメ出し「『もう1回』…。ある時は10テイク近くもなったそうです。老いと闘いながらも一切の妥協をしない山田監督と、それに全力で応えようとする吉永小百合さんの生真面目さ、誠実さにも強く心を動かされました。

 

今日は、大好きな女優さんのお一人、吉永小百合さんについて僕が感じていることを書いておきたいと思います。

 

僕が今まで観た、吉永小百合さんの作品で印象に残っている作品です。

 

埼玉県川口市を舞台に、鋳物職人の長女ジュンとその家族を描く『キューポラのある街(1962年・日活)浦山桐郎監督 』第13回ブルーリボン賞作品賞、主演女優賞受賞

 

◎新宿の盛り場でチンピラ次郎が、2人の女子高生を助けたのがきっかけで出会い、富豪令嬢・真美との身分違いの恋におちいっていく『泥だらけの純情(1963年・日活)中平康監督』

 

◎大正の頃、伊豆天城を背景に旅芸人の踊り子に寄せる高校生のほのかな慕情を描く『伊豆の踊子(1963年・日活)西河克己監督』

 

◎大学生河野實(マコ )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ)との、3年間に及ぶ文通を書籍化した実話の映画化『愛と死をみつめて(1964年、日活)斎藤武市監督』

 

◎貧しい環境におかれながらも明るくたくましく生きる、勝気な若き日の林芙美子を演じた『うず潮(1964年、日活)斎藤武市監督』

 

◎渡哲也さんとの初共演作で、原爆症の青年に、ひたむきな愛を捧げる女性の悲劇『愛と死の記録(1966年、日活)蔵原惟繕監督』

 

◎橋田壽賀子さんのオリジナル脚本で、オーストラリア、マニラにロケしたエキゾチズムあふれるサスペンス・ラブロマン『風の慕情(1970年・松竹)中村登監督』 

 

◎五味川純平さんの同名大河小説『戦争と人間』の映画化『戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河(1971年・日活)山本薩夫監督』

 

◎小説家の父・修吉とのコミュケーション不全に悩むOLを演じた『男はつらいよ』シリーズ第9作『男はつらいよ 柴又慕情(1972年・松竹大船)山田洋次監督』

 

◎太平洋戦争真っただ中の九州・筑豊に生を受けた少年の、波乱に満ちた人生『青春の門・筑豊編(1975年・東宝)浦山桐郎監督 』

 

◎大物政治家と組み、武力クーデターによって右翼政権樹立を一気に目指す自衛隊反乱分子と、それを秘密裏に鎮圧しようとする政府の攻防を描く『皇帝のいない八月(1978年・松竹)山本薩夫監督』

 

◎昭和史の起点となった五・一五事件から二・二六事件までの風雲急を告げる時を背景に、寡黙な青年将校とその妻の生きざまと愛を描いた『動乱(1980年・東映)森谷司郎監督』

 

◎大阪船場の、古い暖簾を誇る蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子が織りなす人間模様『細雪(1983年・東宝)市川崑監督』

 

◎昭和35年から36年にかけて実際に起こった事件をモデルに、ふたりの夫を殺して死刑囚となった女性の半生を映画化『天国の駅 HEAVEN STATION(1984年・東映)出目昌伸監督』 

 

◎生活力の乏しい中年男が、一度別れた妻と芸者との間で揺れ動くさまを親子の情愛を絡めて描いた『おはん(1984年・東宝)市川崑監督』

 

母親の胎内にいたとき、広島で被爆した胎内被爆者・夢千代を取り巻く人々の生き様を山陰の冬景色を背景に物悲しく描く『夢千代日記(1985年・東映)浦山桐郎監督』

 

◎女優・田中絹代さんの半生を映画化した吉永小百合さん99本記念映画。『映画女優(1987年・東宝)市川崑監督』

 

◎昔話『鶴の恩返し』を幻想的で抒情的に映像化した吉永小百合さん100本記念映画『つる–-鶴–(1988年・東宝)市川崑監督 』

 

◎歌人・与謝野晶子を中心に、愛に芸術に命を燃やした男女の群像劇『華の乱(1988年・東映)深作欣二監督』

 

◎泉鏡花の短編小説を元にした、坂東玉三郎さんの初監督作品『外科室(1992年・松竹)坂東玉三郎監督』

 

◎明治末期の深川洲崎遊郭を舞台に、親兄弟そして我が子のために自らを犠牲として働く花魁の物語『夢の女(1993年・松竹)坂東玉三郎監督』

 

◎社説の執筆をきっかけに降りかかる圧力に立ち向かい、逞しく生きる女性の姿を描く『女ざかり(1994年・松竹)大林宣彦監督』

 

岩下志麻さんと吉永小百合さん、2大女優の初共演が話題になった『霧の子午線(1996年・東映)出目昌伸監督』

 

◎古都・鎌倉、紅葉の京都、晩秋の飛鳥路を舞台につつましく揺るぎない大人の愛の物語を描く『時雨の記(1998年・東映)澤井信一郎監督』

 

長崎の遊里・丸山で三味線と唄に秀でた名芸者・愛八と、長崎の古い唄を探して歩く学者・古賀との“至上の愛”を描いた『長崎ぶらぶら節(2000年・東映)深町幸男監督』

 

かつての教え子が起こした事件をきっかけに、20年ぶりに北海道の離島を訪れた元小学校教師の女性と成長した子供たちの悲しくも美しい人間ドラマ『北のカナリアたち(2012年・東映)阪本順治監督』

 

◎大戦後の長崎を舞台に、母と、死んだはずの息子の数奇な交流を描く『母と暮せば(2015年・松竹)山田洋次監督』

 

TVでは、『ミツコ 二つの世紀末(全5回、1987年5月-6月、NHK)』が心に残っています。構成・演出/吉田直哉さん、音楽/冨田勲さん

 

現代の視点から“国際人”と“世界の中の日本”のもつ問題を考えるドキュメンタリーシリーズで、ヨーロッパの伯爵家に嫁いだ女性・青山光子の数奇な生涯を吉永小百合さんが15年前に演じたドラマの映像と新たに撮影した映像とを交錯させながら構成し、ミツコの波瀾にとんだ生涯と、激動の世界史のなかでその子どもたちが辿った数奇な運命を、吉永小百合さんがリポートするドキュメンタリーです。この番組はもう一度観てみたいですね。NHKオンデマンドで配信してくれないかな。

 

1993年、集英社文庫から出版された『夢一途』と言うエッセイも良かったです。これは出演映画100本を記念(1988年)して、吉永さんが自らペンをとり、高倉健さんや石原裕次郎さんなど共演スターとのエピソード、映画製作の裏話を綴った本です。

 

僕が初めて吉永小百合さんと言う女優さんを意識したのは、小学生の頃、TVで観た『男はつらいよ 柴又慕情(1972年・松竹大船)山田洋次監督』でした。山田洋次監督と初めて組んだ作品で、小説家の娘で、裕福ではないのですが、育ちが良くて上品で清楚なお嬢様と言う吉永さんのイメージ通りのキャラクターを爽やかに演じてらっしゃいました。

 

この時の印象が強かったので、吉永さんは子供の頃からアイドルでしたし、才色兼備で、一気にスターに登りつめられたのかと思っていましたが、『夢一途』を読むと、実際は、不本意にも、普通の家庭生活や学校生活を犠牲にして、むしろ、一家の稼ぎ頭のような生活を余儀なくされていたこともわかりましたし、映画の出演本数もかなり多く、休みも年に数えるほどしかなかったとか。

 

結婚は28歳の時で、ご両親の大反対にあったことも知りました。しかも、映画の役作りに行き詰まり、行き場を失った時もあり、年齢に相応しい役柄との出会いの難しさ、映画会社や監督の考え方との意識のずれなど、たくさんの壁に阻まれても、乗り越え、諦めず、演じると言う事に真摯に向き合ってこられた方なんだなぁと知りました。

 

役柄に向き合う、生真面目さや一途さが、時には空回りしている時もあるかもしれません。ファンが望んでいるのは、日活時代の明るく元気で、頑張り屋で清純な少女だった私…そのイメージを壊してはいけない…とそんな呪縛に囚われていた時期もあったかもしれない。

 

でもそれが吉永小百合さんなんですよね〜。僕はその生真面目さを愛する一人です。

 

吉永小百合さんには吉永さんにしか演じられない役があるし、吉永さんだからこそ演じることができた役があるし、日本を代表する女優のお一人である事には変わりはないと思います。

 

『外科室』を監督された坂東玉三郎さんが吉永さんに対してこうおっしゃっています。

 

大変な撮影でしたが、吉永さんの振る舞いは素晴らしかったです。たとえばカメラのセッティングを変更するために2時間待ちということもザラにありました。

 

スタッフが気をきかせて、「一度、扮装をとりますか?」と伺います。それでも吉永さんは「余計な時間をとらせちゃいけない」と扮装をしたままずっと本を読んで待っていてくださるのです。長年、映画界で活躍していらっしゃるにもかかわらず、つねに撮影班への配慮や気配りを忘れない方でした。

 

また映画の見所の一つが、植物園での伯爵夫人とツツジの”共演”でしたが、ツツジの見頃は1週間程度しかありません。しかも休園日や、閉園後から日が落ちるまでのわずかな時間しか撮影できず、緊張感のある現場でした。ただ吉永さんは完璧に準備していらっしゃって、いっさいNGを出しませんでした。撮影に向かう姿勢は、映画界のなかでも稀に見る真摯さだと思います。

 

そして、吉永さんは今も時代を代表するスターであり続けています。それはスターになるための天性の資質があったということに加えて、私生活を律しておられるということがあると思います。

 

小学6年生でのデビューから今日まで、誰もが共通して”吉永小百合”のあのたたずまいを思い浮かべることができる、これは大変なことです。言葉で言うのは簡単ですが、誰もができることではない。

 

吉永さんから後の世代の俳優さんでも、自分を律する、自分の見せ方を律することができる方は少なくなっているのではないでしょうか。

 

吉永さんはスターとしての実績も、私生活の振る舞いも、ともに積み上げてこられた。「才能」と「努め」、この2つを兼ね備えた方であるからこそ、スクリーンで輝き続けるのだと思っています。

 

素敵な言葉ですよね〜。玉三郎さんは、人の本質を見極められる人なんだと思います。

 

一生懸命、何かを成し遂げようと努力している人に対して、陰口を叩いたり、揶揄したり、指をさして笑ったりからかったりする人がいます。真面目腐ってる。面白くない。つまらない…。

 

吉永小百合さんに対しても、そんな声を投げる人はたくさんいますよね〜。わかっちゃいないなぁと僕は思います。

 

吉永小百合さんはこうおっしゃっています。

 

「自分に正直に生きたい、無理をして、自分の思いと違うところで、仕事を引き受けたり、人と人との関係を作ろうとしてもうまくいかない。」

 

「今日を生きるということ、今日を精一杯生きればそれが明日につながる。一日一日自分のできることを、精一杯やっていくことが明日につながる。その日を精一杯生きようと思っています。」

 

当たり前のことなんだけど、吉永さんに言われると心に染みる気がしますね。実際にそう生きてこられた方の言葉だからですよ。吉永さんはほんわかした人に見えますけど、芯の通ったカッコいい人なんだと感じます。

 

吉永小百合さんは78歳だそうです。まだまだじゃないですか。これからは若い監督とも組まれて、新しい魅力ある役柄に挑戦されて、映画女優としての人生を全うしていただきたいと思います。

 

最近『母と暮らせば』を観直しました。本当にいい映画です。何度も涙が出そうになります。『夢千代日記』もですけど、こういう作品こそもっと海外の方に見ていただけるよう日本の映画関係者に努力をしてもらいたいです。

 

ド派手な戦闘シーンを描かずとも、戦争というものがどれほど人の人生を狂わせるのか、見に染みるはずです。それと吉永小百合さんの美しさに海外の方も驚くはずですよ。