フランスが誇る名匠・フランソワ・オゾン監督の最新作『The Crime Is Mine(英題)』が、邦題『私がやりました』として11月3日(金・祝)より公開されることが決定しました。

 

今年は、 ドイツの映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲をファスビンダー自ら映画化した1972年の映画『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』のリメイク『苦い涙』も公開されましたし、コンスタントに作品を発表し続けているフランスを代表する名監督になりましたよね。フランソワ・オゾンは。

 

僕がフランソワ・オゾンの名前を知ったのは、2000年に公開されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲を映画化した『焼け石に水』でしたけど、その後、『サマードレス』 (1997年)、『海をみる』 (1997年)、『クリミナル・ラヴァーズ』(1999年)などの短編を観て、凄い才能がまた現れたなぁと思ったことがついこの間のようです。

 

監督デビュー当時から、同性愛者であることを公表されていて、僕の中ではその潔さも注目せざるを得ない存在でした。

 

『まぼろし』 (2000年)も素晴らしかったし、『ぼくを葬る』 (2005年)を観た時は、主人公がつい最近もblogに書かせてもらった亡き元彼の姿に重なってしまって、いっぱい泣かせてもらったし、本当に大好きな映画監督の一人です。

 

フランソワ・オゾンの作品は『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(2018年)を最後にご無沙汰だったのですが、最近、amazon primes videoで、2020年に公開された『Summer of 85』を観たので今日はその感想を書いておきます。

 

『Summer of 85』(2020年)

監督:フランソワ・オゾン

脚本:フランソワ・オゾン

原作:エイダン・チェンバーズ『おれの墓で踊れ』

製作:エリック・アルトメイヤー、ニコラス・アルトメイヤー

出演者:フェリックス・ルフェーヴル、バンジャマン・ヴォワザン、フィリッピーヌ・ヴェルジュ、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、メルヴィル・プポー、イザベル・ナンティ

音楽:ジャン=ブノワ・ドゥンケル

撮影:イシャーム・アラウィエ

編集:ロール・ガルデット

 

原作者のエイダン・チェンバーズは、1934年イギリス北部生まれです。ロンドンで教職課程を終え、『おれの墓で踊れ』の舞台となったサウスエンド・オン・シーで英文学と演劇を教えていました。

 

1960年代にはグロスターに移り、教師を続けながら僧院の僧となります。1968年に児童書の書評専門誌の編集に携わっていた夫人と結婚、70年には夫妻で出版社を興し、児童書の書評誌の出版を始め、現在も各国の優れた児童書をイギリスに紹介しているそうです。この業績に対し1982年にはエリナー・ファージョン賞を贈られています。

 

寡作ながら質の高い作品を送り出す作家として注目を集め、『二つの旅の終わりに』(徳間書店)でカーネギー賞とプリンツ賞を、2002年には国際アンデルセン賞を受賞しました。

 

『おれの墓で踊れ』は、映画化を記念して、電子書籍化されたようですが、日本での初版発行は確か1997年頃かな…

 

『おれによりかかるな、重たいんだ』残酷な言葉を残して、あいつは事故で死んだ…。なーんてキャッチーなコピーの帯が巻かれた本だったような記憶があります。

 

オゾン監督が初めて原作を読んだのは17歳の時だったそうです。

 

読んですぐに自分で脚本を書き、映画に出来ればと思っていたそうですが、まだまだ当時は未熟だったし、原作の舞台はイギリスだし、いつかイギリスやアメリカの監督がこの原作を映画にすると思っていたので、当時書いた脚本は無くしてしまったそうなんです。観客として映画を観られたらうれしいなと思っていたそうですが、何十年経っても映画化はされませんでした。

 

オゾン監督は『Summer of 85』の前作グレース・オブ・ゴッド 告発の時』が政治的に複雑な問題も絡み、教会側からも強い圧力がかかり、フランスでの上映も危ぶまれるなどハードな体験をしたので「次作は軽やかで、太陽の光が輝くような作品を作りたいな」と思い、『おれの墓で踊れ』を読み直し、やっぱりこれは私が作るべき物語だと決心されたんです。

 

そうですね〜オゾン監督が撮ってくれて良かったですよ!このヒリヒリした、キラキラした男の子同士の愛を描ける人はオゾン監督以外いないでしょうね。

 

『Summer of 85』はこんな物語です。

 

1985年の夏、死に惹かれる文学青年アレックス(16歳、アレクシが本名)は友達から借りたヨットでセーリングの最中に突然の嵐に見舞われ転覆し、海に投げ出されますが、近くを通りかかったユダヤ人ダヴィド(18歳)に救助されます。

 

助けられた後、アレックスは強引にダヴィドの家に連れて行かれ、ダヴィドの母親であるゴーマン夫人の歓迎を受けます。これを機にアレックスはゴーマン夫人が経営する店で働くことになります。

 

アレックスとダヴィドの2人は急速に惹かれ合い、友情を超えやがて恋愛感情で結ばれるようになります。アレックスにとってはこれが初めての恋でした。互いに深く想い合う中アレックスはダヴィドから「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」ことを提案されるのです。困惑したものの、アレックスは承諾します。

 

その後、2人は海でアレックスの知り合いのイギリス人ケイトに出会います。3人はダヴィドの船でセーリングをしますが、目の前でケイトを口説くダヴィドを見て、アレックスの心は穏やかではありません。

 

ケイトと一夜を明かし帰ってきたダヴィドを、アレックスは責め、感情的になって店を飛び出してしまいます。

 

嫉妬に狂うアレックスとは対照的に、その愛情の重さにうんざりするダヴィド。二人の気持ちはすれ違ったまま、追い打ちをかけるようにダヴィドはバイク事故に遭い、帰らぬ人となってしまいます。悲しみと絶望に暮れ、生きる希望を失ったアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドとあの夜に交わしたあの誓いでした…。

 

主人公アレックスを演じたのは、フェリックス・ルフェーヴル。リヴァー・フェニックスを少し柔らかくしたような感じで、幼さと憂いのある魅力に一目ぼれしたオゾン監督によってオーディションで選ばれました。小柄でちょっと影のある正統派美男子です。

 

アレックスの初恋の相手ダヴィドを演じたのは、バンジャマン・ヴォワザン。はじめは、アレックス役のオーディションを受けていたものの、「アレックスの視点からするとバンジャマンこそダヴィドだ」というオゾン監督のインスピレーションから起用が決定しました。

 

俳優だけでなく、脚本家としても活動する若手注目株の俳優のひとりです。若い頃のミック・ジャガーを彷彿させる、危うい色気を漂わせた個性的な美男子です。

 

二人のバランスがとても良かったです。

 

ダヴィドは助けたアレックスに、すぐさま猛烈にアタックをしてきます。以前から存在を気にしていたのかもしれません。自分の家に強引に連れて行き、風呂に入れ、食事を与え、次に会う約束まで取り付けてしまいます。

 

アレックスはどうしてダヴィドがそこまで自分に対して積極的に尽くしてくれるのか解らず、なかなか警戒心を解くことができません。しかし結局はダヴィドの言われるがままになっていきます。

 

そうなんですよね〜僕も初めて人を好きになった時、このblogでも書かせてもらった最初の彼氏と出会った頃は、こんな感じでしたね。何も知らない18歳、高校3年生でしたし、相手は8歳も年上で大人でしたから初めはどんな人かよくわからないし、警戒もしますよ。僕はよく彼に「温室育ち」「純粋培養」なんて言われるような本当に世間知らずだったので、彼の言われるがままだったように思います。好きになってしまうと相手しか見えなくなってしまう…そんな年代でした。この恋は彼の結婚で終わってしまいましたけどね。

 

アレックスが自分の同性愛的指向をどこまで自覚していたのかははっきり映画では描かれてはいませんが、明確に恋愛を意識した男性はダヴィドが初めてだったようですね。アレックスの両親は薄々何かを感じ取っているようには描かれていましたけど。

 

それに比べてダヴィドは経験豊富な(まだ18歳なのに!)バイセクシャルで、 相手が男性でも女性でも、自分のほうから果敢にアタックし「落として」いく、まさに獲物を狙うハンターのような青年です。

 

アレックスに猛烈アタックしながらも、偶然町で助けた酔っぱらいの青年にもちょっかいを出してしまう…。アレックスが先に知り合っていた年上の女性ケイトにも、アレックスの見ている目の前でも気にせず誘いをかけてしまいます。

 

なぜダヴィドがそういうことをしてしまうのかということは、アレックスには理解できない、考えても答えの出ない謎なんですよね〜。

 

愛しても愛しても何故か満たされなくて、苦しくなるばかりで、ほんの一瞬も離れたくないと願っても時間に追い立てられて現実を突きつけられる…。人を好きになるって辛いなぁって思う時もありましたよ〜僕も。

 

僕は同性愛者としてもう長年生きてきましたから、大抵のことは経験したし、男同士の愛や恋について何が起こっても動じない心は今はできてますけれど、僕もアレックスのような時代もありましたし、初めて好きになった人から結婚すると聞かされた時は「どうして僕の愛を簡単に捨てれるの?」と思ったし、アレックスの気持ちはとてもよく分かります。今では彼が結婚をしなければいけなかった理由も理解はしていますけど。

 

ダヴィドの家庭は父親が亡くなっていて、母子家庭です。学校に通わず母親が経営する船具店で働いているダヴィドは、人生を謳歌しているように見えますが、どこか生き急いでいるような刹那的な雰囲気を漂わせていて、母親との関係にダヴィドが何か破滅的な生き方を選んでしまう謎が隠されているようです。

 

何か危険な匂いを纏っている人って、魅力的ですからね〜(笑)。妖しい匂いに魅かれちゃうよね〜。

 

僕は、ダヴィドは、自分は誰のものでもない、何者にも心を縛られたくない、常に自由でいたいと思っている人間なんだと思います。特定の人だけに特別な愛情を注ぎ続けることが苦痛なんじゃないかなと感じます。だから、アレックスの真っ直ぐな汚れのない愛が「重い」と感じてしまったのではないでしょうか。他に上手い表現ができなかったんじゃないかなぁ。

 

ダヴィドはアレックスに「重さが耐えられない」「君には飽きた」などと傷つけるような言葉を投げつけながら一筋の涙を流すんです。

 

アレックスと出会って、ダヴィドは気付いたんだと思います。「たった一人にとことん愛される事」がどんなに素敵なことかって事に。

 

それでも、アレックスによって自分が変わってしまうことへの恐れがあったのではないでしょうか。

 

ダヴィドが何故、死に急ぐように事故死してしまったのか、理由は映画では語られないし、観た人がそれぞれ感じるしかないのですが、僕は母親の異様な歪んだ愛、アレックスの正直すぎる真っ直ぐな愛を恐れ、逃れたかったのではと思います。

 

ダヴィドは、不良で遊び人に見えるけど、出会った人全てに分け隔てなく優しいし、人には言えない哀しみを心に秘めているみたいだし、それを悟られぬために強がっているように感じますね。

 

オゾン監督は、同性愛を特別なものとしてではなく、普遍的な恋愛の物語の一つの要素として描いているところがさすがだなぁと思います。

 

また、恋愛だけではなく、自由奔放でどこか生き急ぐようなダヴィドと恋に落ち、自分でもコントロールしきれない感情に支配され、制御できない感情に引き摺り回され、その混乱から再生していくアレックスという少年の成長物語としても描いているところも上手いなぁと思います。

 

10代の頃って、自分でもよく分からない、感情の動揺や焦燥、情熱に突き動かされることってありますよね。その痛みと切なさが画面から伝わってくる…そんな素敵な作品でした。

 

世代や時代、また性別に囚われない非常に普遍的な世界共通のラブストーリーの名作の一つだと思います。人を愛することの美しさと危うさを瑞々しく描きながら、愛は時には残酷で儚いものということも教えてくれます。

 

『Summer of 85』は、スーパー16ミリを用いて撮影されました。フィルムカメラ特有の質感は美しい海辺の街の色彩を際立たせて、懐かしさも感じさせます。デジタルでは出さない味わい深さです。

 

1985年当時の時代の空気感も見事に表現されています。あの時代はそうだったなぁと思い出させる衣装が良かったです。パンツはみんなジーンズだったし、Tシャツの袖は折っていたし、首にはバンダナを巻いていた〜。こうしたディテールはリアリズムというより、時代を想起させる象徴的なスタイリングが意識されていまるようですね。

 

舞台はフランスですが、同年代のフランシス・コッポラ監督の映画『アウトサイダー』が参考にされているようです。僕も観ながら『アウトサイダー』を思い出していました。

 

音楽も重要な要素の一つです。特にオゾン監督自身がこの時代よく聴いていたと言う、ザ・キュアーの「In Between Days」。ディスコでのダンスシーンで流れる、ロッド・スチュワートの「Sailing」いいね〜。

 

名監督は音楽の使い方も一流です。

恋は人を成長させ、愛は人を大人にする…。

 

『Summer of 85』は、狂おしいほどに鮮やかに、切なく胸をしめつける株玉のラブストーリーです。