先月、NHKで『赤い靴を履いて〜作家 有吉佐和子の問いかけ〜』というドキュメンタリー番組を放送していました。

 

今、昭和を代表する作家のお一人・有吉佐和子さんの書かれた小説の復刊が相次いぎ、若い読者の心を動かしているそうで、有吉さんの故郷、和歌山では遺品の調査が進んでいるようです。

 

元編集者たちの証言や、有吉さんと親交のあった女優の草笛光子さんらのインタビューで構成された番組でした。

 

昔、我が家の父の本棚に、昭和53年に発行された『新潮現代文学全集』全80冊が並んでいました。当時の日本文学を代表する作家80人の作品を集めた全集で、その中の一冊に有吉佐和子さんの『華岡青洲の妻・恍惚の人』があり、夏休みの宿題、読書感想文を書くために読んだのが、僕の有吉文学との出会いです。

 

この2作を読んで、ハマりましたね〜有吉文学に。以降、代表作は大体読みました。

 

有吉さんの作品は、映像化されているものも多く、名作揃いのなで、映画版を通して僕の好きな有吉佐和子さんの作品のことをこれからポツポツ呟いていきたいと思います。

 

まずは『香華』を取り上げたいと思います。『婦人公論』で1961年1月号から12月号まで連載され、1962年に中央公論社から刊行されました。

 

どうして『香華』にしようと思ったかと言いますと、主演の岡田茉莉子さんが今年、生誕90年を迎えられ、それを記念して大阪の『シネ・ヌーヴォ』で7月15日から8月18日まで岡田さんの出演作20数本が上映されると知ったからです。

 

岡田茉莉子さんは僕の大好きな、尊敬している女優さんのお一人で、昨年の12月に夫の吉田喜重監督を亡くされてお寂しいだろうな、力を落とされているのではないかと思ってましたが、最近のインタビューでは元気に前を向いてらしたので、安心したところでした。

 

6月17日から7月7日まで『シネマヴェーラ渋谷』で吉田監督を追悼して『来るべき吉田喜重』が上映中で、期間中に岡田茉莉子さんのトークイベントがあるそうなので貴重なお話が聞けるかも知れません。

 

でも、90歳になられたんですね〜。いつまでもお元気でいてほしいです。

 

『香華』は、1964年5月24日に松竹の製作・配給で公開されました。

 

《スタッフ》

◎監督・製作・脚本:木下惠介

◎製作:白井昌夫

◎原作:有吉佐和子

◎撮影:楠田浩之

◎音楽:木下忠司

◎美術監督:伊藤熹朔

◎照明:豊島良三

◎録音:大野久男

◎編集:杉原よ志

 

《キャスト》

◎朋子:岡田茉莉子

◎郁代:乙羽信子(東宝)

◎つな:田中絹代

◎太郎丸:杉村春子

◎江崎:加藤剛

◎野沢:岡田英次

◎敬助:北村和夫

◎叶楼々主:柳永二郎

◎女将:市川翠扇

◎杉浦:菅原文太

◎呉服屋の番頭:桂小金治

◎神波伯爵:宇佐美淳也

◎大叔父:村上冬樹

◎大滝:新克利

◎八郎:田中晋二→三木のり平(東宝)

◎村田:内藤武敏

◎安子:岩崎加根子

◎江崎の妻:奈良岡朋子

◎江崎の息子:田村正和・松川勉

 

こんな物語です。

 

⦅吾亦紅の章⦆

明治37年、紀州の片田舎で朋子(岡田茉莉子さん)は父を亡くしました。3歳の時でした。母の郁代(乙羽信子さん)は小地主・須永つな(田中絹代さん)の一人娘でしたが、大地主・田沢の一人息子と、須永家を継ぐことを条件に結婚したのでした。

 

郁代は20歳で後家になると、その美貌を見込まれて朋子をつなの手に残すと、高坂敬助(北村和夫さん)の後妻となりました。母のつなは、そんな娘を身勝手な親不孝とののしるのです。だが、幼い朋子には、母の花嫁姿が美しくうつるのでした。朋子が母・郁代のもとにひきとられたのは、祖母つなが亡くなった後のことでした。

 

敬助と郁代の間には安子という子供が生まれましたが、敬助の親と性が合わない郁代は、貧しい生活にも苛立ち、口喧嘩が絶えません。そのため小学生の朋子は静岡の遊廓・叶楼に半玉として売られてしまいます。

 

そんな環境でも悧発で負けず嫌いな朋子は、芸事にめきめき腕をあげるのでした。

 

朋子が13歳になったある日、敬助に捨てらた郁代が、九重花魁として叶楼に現れます。朋子は“お母さん”と呼ぶことも口止めされ、美しくて、衣裳道楽で、男と快楽にふける母をみつめて暮らすことになります。

 

17歳になった朋子は、赤坂で神波伯爵に水揚げされ、養女先の津川家の肩入れもあって小牡丹という名で一本立ちとなります。朋子が、士官学校の生徒・江崎武文(加藤剛さん)を知ったのは、丁度この頃のことでした。

 

一本気で真面目な朋子と江崎の恋は、許されぬ環境の中で激しく燃え上がります。江崎の「芸者をやめて欲しい」という言葉に朋子は自分を賭けることにし、神波伯爵(宇佐美淳也)の世話で“花津川”という芸者の置屋を始め独立するのです。

 

⦅三椏の章⦆

関東大震災を経て、年号も昭和と変わった頃、朋子は25歳で、築地に旅館“波奈家(はなのや)”を開業していました。朋子の夢は、江崎と結婚することだけでした。母の郁代は、そんな朋子の真意も知らず、昔の家の下男・八らんとの年がいもない恋に身をやつしていました。

 

そんな時、神波伯爵の訃報が知らされるのです。悲しみに沈む朋子に追い討ちをかけるように、突然訪れた江崎は結婚は出来ないと告げて去って行くのです。郁代が女郎であったことが原因でした。朋子の全ての希望はくずれ去ります。この頃44歳になった郁代は、年下の八らんと結婚したいと朋子に告げます。多くの男性遍歴をして、今また結婚するという母に引き換え、この母のために女の幸せをつかめぬ自分に、朋子はひしひしと狐独を感じるのでした。

 

終戦を迎えた昭和20年、廃虚の中で、八らんと別れて帰って来た郁代にとまどいながらも、必死に生きようとする朋子は“花の家”を再建します。それから3年、新聞の片隅に、東京裁判で江崎が絞首刑になるとの記事を見つけた朋子は、一目会いたいと、巣鴨通いを始めるのです。村田事務官の好意で金網越しに会えた江崎は、三椏の咲く2月、13階段に消えていきます。

 

病気で入院中の朋子を訪ねる途中、郁代が交通事故で死んだのは朋子の52歳の時でした。波乱に富んだ人生に、死に顔もみせず終止符をうった母を朋子は何か懐しさをもって思い出すのです。

 

母の死後、子供の常治をつれて花の家に妹の安子が帰って来ます。朋子は幼い常治の成長に唯一の楽しみを求めるのでした。昭和39年、63歳の朋子は、常治を連れて郁代のかつての願いであった田沢の墓に骨を納めに帰ります。しかしそこで待っていたのは親戚の冷たい目でした。怒りにふるえながらも朋子は、郁代と自分の墓をみつけることを考えながら、和歌の浦の波の音を聞くのでした…。

 

監督をされたのは、日本映画隆盛期に数々の名作を生み出し、黒澤明監督と共に人気と評価を二分した木下恵介さんです。

 

木下恵介監督といえば、『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾年月』が余りにも大ヒットし有名なために、悲しみや哀愁、切なさに溢れた胸が締め付けられるような深い感動作を描き続けた作家といったイメージがありますが、木下恵介監督作品は、現代劇から時代劇、悲劇もあれば喜劇もあって多種多様なんです。

 

木下恵介監督作品には様々な人間が登場しますが、共通するのは、自分の力ではどうしようもない、 ある哀しみや苦しみを背負った人間が描かれていることです。それは古い規則や因習かも知れない、震災のような自然災害かも知れない、戦争という非常事態かもしれない、理解したいのに離れて行く親子や夫婦の絆かも知れない…様々な理由があるにせよ、それでも自分に与えられた命を全うするために、誠実に生きようともがく普通の人々の美しさを高らかに謳いあげていると木下恵介監督の作品を見ると僕はいつも思います。

 

『香華』もその想いに貫かれた作品だと思います。人はどんな運命を与えられても、もがいても、足掻いても、その命を生きるしかないんですよね。自分の命は一つしかないのですから。

 

岡田茉莉子さんは、『香華』の撮影に入る前に、吉田喜重さんと婚約されます。

 

最初、当時の松竹の会長・大谷竹次郎さんが岡田さん主演で『香華』の映画化を希望し、吉田喜重さんに監督を指名してきたんです。吉田さんと岡田さんは藤原審爾さん原作の『秋津温泉』の映画化で成功されていたので、大谷会長は二人のコンビでまた文芸作品を撮らせようと思ったのかも知りません。

 

でも吉田喜重さんは辞退されるんですね〜。吉田喜重さんは基本的にオリジナルしか撮りたくないという人で、原作のあるものはやりたくないという主義の人だったんです。

 

『秋津温泉』は岡田茉莉子さん主演100本記念作品として制作され、岡田さん自身が映画化を提案し、プロデューサーも兼ねていて、吉田喜重さんにどうしても撮ってほしいと懇願された作品で吉田さんとしては例外中の例外だったんですね。

 

『香華』の前にも吉田さんは岡田さん主演の『残菊物語』の監督依頼も断っていて『香華』で二度目。

 

新人監督が会社の会長に楯を突く事態になったことを心配した岡田さんが、なるべく早く二人の婚約を発表し、それを依頼を断った理由にすれば誰も傷つかないと考え、二人は無事に結婚することになったのです。

 

吉田監督は木下恵介監督の助監督をされていたので、お二人は婚約の報告を木下監督の自宅に報告に行きます。

 

木下監督は吉田監督の才能をいち早く認めてくれた方で岡田さんのこともとても大事にしてくれていたそうで、仲人は木下監督にしてもらいたいとお二人は思っていらしたんです。岡田茉莉子さんの代表作の一本『今年の恋』も木下恵介監督ですもんね。

 

その場で吉田さんが『香華』の監督は辞退したいと思っていると木下監督に話すと木下監督が「僕が撮ってあげます。茉莉子さんの独身、最後の映画だから」とおっしゃてくれたんだそうです。

 

『香華』は長編小説ですし、松竹のトップ女優だった岡田茉莉子さんの独身最後の映画です。大作にならざるを得ないわけです。前後編の二部作で、合わせて3時間半という超大作。名監督、木下恵介さんの作品ですから、一流のスタッフ、俳優を使うわけです。お金が当然かかります。

 

しかし、1960年に日本映画は最高製作本数となる547本を製作しピークを迎えていましたが、そのほとんどは大手6社によるプログラムピクチャーでした。この年以降、映画産業に翳りが見え隠れするようになり、観客動員数は1958年の11億人強を最高に急激に下降し、『香華』の制作が始まった1963年には半分以下の5億人強となっていたのです。

 

この背景には1953年より登場したテレビの急速な普及がありました。テレビは1959年の皇太子ご成婚をきっかけに一般に広く浸透し、『香華』が公開された1964年の東京オリンピックの開催でその勢いは加速したんです。

 

『香華』が作られた時期は、映画界の危機と言われた時期と重なるんです。松竹京都太秦撮影所が閉鎖され、監督や俳優の専属契約の解除が行われ始めていたのです。

 

『香華』がモノクロ作品なのは、予算を縮小するためだったと言われています。でも木下監督はこの作品はカラーではなくモノクロの方が合うと考えてらしたようですが。

 

そんな時代ですから、会社としてはお金のかかる映画を作りたがり、あまり儲からない監督は煙たがられるんですね。今まで会社に莫大な利益を与えてきたとしても、いうことを聞かないし、使いづらいし…。

 

安い予算で、短期間で、作品を量産できる監督が重宝がられた時代なんですね。そんな作品でも名作は生まれますけどね。

 

そんな時代の雰囲気は木下監督は百も承知だったと思います。けれどご自身もこれだけの大作を作れるのは多分これが最後という思いを『香華』という作品にぶつけてられたんだなと観ていて感じます。会社になんと言われようと、自分の思うように後悔のないように作り上げるという気迫と気概を感じる作品です。

 

『香華』を撮り終わった後、木下恵介監督は松竹を退社され、TVの世界へ移ってしまわれます。

 

『香華』は、本当に文学作品の映画化のお手本のような名作だと思います。原作に忠実ですし、原作者・有吉佐和子さんがこの作品に込めた想いや作品を貫く芯を木下監督はしっかりと掴んでおられます。母と娘2代60年に及ぶ物語を木下恵介監督はズームや遠近法を多用して、気をてらわず正攻法で演出されています。花柳界を描いた映画は数多くありますが、『香華』は双璧です。

 

我儘で身勝手な母親に翻弄され、愛した人とも母の為に引き裂かれ、それでも母親を憎みきれない複雑な感情を抱きながら、強い意思を持って芸者から旅館の女将へ上り詰めるヒロイン朋子を演じ切った岡田茉莉子さんの美しさと素晴らしさに何度観ても胸を震わされています。

 

地主の妻から遊郭一の花魁、果てはお茶挽き女郎までを経験して、虚栄心が強く、奔放で移り気、淫蕩で男好きで自分の行動を全く恥ず、お金のために幼い娘を半玉として静岡の廓に売ってしまう母・郁代を演じた乙羽信子さん。どんな作品を観てもいつも上手いなぁ〜と唸ってしまいます。

 

舞台版では、母・郁代役は山田五十鈴さんが当たり役としていましたが、僕は舞台版も中継でしたが観てはいますが、僕は乙羽信子さんの郁代の方が好きですね。沼のような底が知れない女の怖さを感じさせるのは乙羽信子さんの方だと僕は思います。

 

美術監督の伊藤熹朔さんのセット美術がまた素晴らしいんです。戦前の東京赤坂の色街や、主人公二人が売られる遊廓街のオープンセットが豪華で見事です。

 

タイトルの『香華(こうげ)』とは、仏前に供えるお香と花のことです。こうばなとも言います。

 

有吉佐和子さんがこのタイトルに込めた想いってなんなんだろうなぁと考えることがあります。

 

僕が原作を最初に読んだのは随分前のことですが、女としてのたしなみや慎みを持たず、自分の思うがままに男性遍歴を重ね、一度は女郎にまで身を落としながら、まるで屈託がない奔放な生き方をする母の郁代。

 

そんな母親に悩まされ、憎みさえしながらも、彼女を許し、心の支えとして絶えずかばい続け、芸一本の芸者から出発し、旅館や割烹の女将として成功する娘の朋子。

 

古風な花柳界に生きた母娘の絆と愛憎と女体の哀しさを、明治末から第二次大戦後までの四十年の歳月のうちに描いた物語で作者の有吉さんは何を伝えたかったのか…。

 

読み始めると物語に引き込まれ、あぁ面白かった〜で終わってしまうのですが、僕は読み終わった時に有吉さんの『怒り』を感じたことを覚えています。

 

郁代のような女性は昔は、色情狂、色狂いなどと罵倒され、真っ当な恋愛とか結婚なんてできない一族の厄介者ですよ。行き着く先は遊廓しかなかったのかも知れないけれど…。

 

遊廓は昔は花街とか苦界なんて呼ばれて、一度身を沈めれば生きては帰れないなんて言われた場所です。郁代みたいにあっけらかんと奔放にそんな世界でも生き抜く女性もいれば、病に倒れ、ポロ雑巾のように死んでゆく女性もたくさんいたでしょう。

 

朋子のように、お金のために親に売られる子供なんてたくさんいた時代。それも男たちの慰めものになるためにですよ。

 

そんな世界を作り、許していた当時の日本政府や、そこに生きる女性たちへの世の中の差別や偏見に対して有吉さんは怒っているのではと僕は原作を読んだ時に感じました。

 

人間を売り買いしていたんですからね。

 

そんな時代や境遇でも、自堕落でわがまま勝手で、男のために自分を装うことだけに一生懸命な郁代という女性の何がいけないの?思うがままに生きることが何が悪いのか?と有吉佐和子さんは言っているように感じたんです。

 

でもそれを声高に叫んだりせず、密かに感じさせるところが有吉文学の魅力なのかなと思います。

 

映画版『香華』名作ですから、原作を読んだ若い方にぜひ一度は観てもらいたいと思います。