古くから本の街として親しまれている神田・神保町に監督、出演者、テーマなど様々な角度から作品にスポットを当て、古き良き昭和の日本映画をフィルムで上映する名画座があります。

 

本の街らしく、出版社の小学館が運営している『神保町シアター』です。

 

僕の好きな劇場の一つです。コロナが猛威を奮っていた3年近く、足が遠のいていたのですが、前から観たいと思っていた作品が上映されると知り観てきました。

 

今年生誕110年を迎えた国民的名優・森繁久彌さんの特集上映の中の一本です。

 

『生誕110年《森繁久彌》国民的名優“モリシゲ”の泣き笑い人生譚』

 

上映作品は全16作です。

 

◎腰抜け二刀流 

監督:並木鏡太郎/昭和25(1950)年 

共演:轟夕起子、花菱アチャコ、香川京子 

 

◎野良猫 

監督:木村恵吾/昭和33(1958)年 

共演:乙羽信子、田崎潤、山茶花究 

 

◎如何なる星の下に 

監督:豊田四郎/昭和37(1962)年 

共演:山本富士子、池部良、加東大介 

 

◎社長行状記 

監督:松林宗恵/昭和41(1966)年 

共演:司葉子、加東大介、フランキー堺 

 

◎神阪四郎の犯罪 

監督:久松静児/昭和31(1956)年 

共演:新珠三千代、左幸子、轟夕起子 

 

◎憂愁平野 

監督:豊田四郎/昭和38(1963)年 

共演:山本富士子、新珠三千代、仲代達矢 

 

◎裸の重役 

監督:千葉泰樹/昭和39(1964)年 

共演:団令子、星由里子、草笛光子 

 

◎天才詐欺師物語 狸の花道 

監督:山本嘉次郎/昭和39(1964)年 

共演:小林桂樹、三木のり平、司葉子 

 

◎百万ドルの明星 陽気な天國 

監督:古川緑波/昭和29(1954)年 

共演:近江俊郎、三木のり平、古川緑波 

 

◎渡り鳥いつ帰る 

監督:久松静児/昭和30(1955)年 

共演:田中絹代、高峰秀子、久慈あさみ 

 

◎台所太平記 

監督:豊田四郎/昭和38(1963)年 

共演:淡島千景、団令子、淡路恵子 

 

◎沙羅の門 

監督:久松静児/昭和39(1964)年 

共演:団令子、草笛光子、船戸順 

 

◎珍品堂主人 

監督:豊田四郎/昭和35(1960)年 

共演:淡島千景、柳永二郞、乙羽信子 

 

◎猫と鰹節 

監督:堀川弘通/昭和36(1961)年 

共演:三木のり平、伴淳三郎、団令子 

 

◎新・夫婦善哉 

監督:豊田四郎/昭和38(1963)年 

共演:淡島千景、淡路恵子、浪花千栄子 

 

◎夢一族 ザ・らいばる 

監督:久世光彦/昭和54(1979)年 

共演:郷ひろみ、岸本加世子、内田裕也 

 

この中で何が観たかったかと言いますと…豊田四郎監督の『珍品堂主人』で〜す。

 

豊田四郎監督×森繁久彌さんといえば1955年に公開された『夫婦善哉』が有名ですよね。織田作之助さんの小説『夫婦善哉』を原作に、八住利雄さんが脚色し、文芸作品の巨匠と呼ばれた、豊田四郎さんが監督した、昭和初期の大阪を舞台に、大店のドラ息子と淡島千景さん演じるしっかり者の芸者の愛情を、なにわ情緒豊かにユーモラスに描いた名作です。

 

僕はTVでしたが、中学生の頃に観て感動し、舞台となった法善寺境内の「めおとぜんざい」に父へ連れて行ってもらい、トレーの上に少し小振りのお椀のぜんざいが二つ乗っていて、「だから夫婦なんだ!」と知り、感激したことを覚えています。

 

それ以来、豊田監督と森繁さんコンビの作品を追っかけて観てきました。今回のラインナッブにある『如何なる星の下に(1962年)』、『憂愁平野(1963年)』、『台所太平記(1963年)』は観たことがあるので、未見だった『珍品堂主人』はどうしても観たかったのです。

 

観てよかったです〜面白かった〜大満足です。

 

日本映画史に残る大傑作、超名作なわけじゃないんですけど、キャラクターひとりひとりを見事に描き分けた手慣れた脚本、熟練の名監督による俳優たちの個性を存分に活かした軽妙洒脱な演出と、キャラクターの性格を見事に表現した衣装、シーンごとに美しく構築されたセット美術、達者な演技人たちが織りなす丁々発止の演技合戦、日本映画が本当に豊かだった時代の豊潤な艶やかでコクのある映像美に時間を忘れ堪能しました。

 

僕たち世代は、森繁さんといえば、TVでは、白い髭を蓄えた、ちょっととぼけた、飄々としたおじいちゃん、映画では少し癖のある重厚なキャラクターを演じてらしたというイメージがあったんですけど、若い頃の森繁さんは、胡散臭さを感じさせるんだけど、どこか気弱な部分もあり、役柄のせいかも知れませんが、それを見抜かれないようにと虚勢を張って生きている男って感じがして実に魅力的なんです。

 

『珍品堂主人』

◎製作=東京映画 配給=東宝

◎カラー 東宝スコープ

《スタッフ》

◎製作:佐藤一郎

◎監督:豊田四郎

◎脚本:八住利雄

◎原作:井伏鱒二

◎撮影:玉井正夫

◎音楽:佐藤勝

◎美術:伊藤憙朔

◎録音:長岡憲治

◎照明:森康

 

《キャスト》          

◎加納夏麿:森繁久彌

◎蘭々女史:淡島千景

◎久谷:柳永二郎

◎加納の妻・お浜:乙羽信子

◎「三蔵」の女将・佐登子:淡路恵子

◎宇田川:有島一郎

◎島々徳久:山茶花究

◎村木:東野英治郎

◎於千代:千石規子

◎利根:峯京子

◎喜代:小林千登勢

◎新山さく:都家かつ江

◎佐山:高島忠夫

◎明子:市原悦子

◎阿井さくら:横山道代

◎板前・勘さん:石田茂樹

 

◉こんな物語です。

加納夏麿(森繁久彌さん)は元学校の教師で美術観賞家だったのですが、足利時代の作であると思しきとある吊灯籠に巡り会って以来、周囲も認める鑑定の名人といわれるようになりましたが、よく珍品や風変わりな品物を掘出すため「珍品堂主人」と呼ばれていました。

 

妻(乙羽信子さん)はいるのですが、最近、新橋の小料理屋「三蔵」の女将(淡路恵子さん)と男女の関係になっています。

 

そんな珍品堂に懇意の骨董屋・宇田川(有島一郎さん)から連絡があり、富豪の九谷(柳永二郎さん)に唐三彩の壺を売りたいので、いつものように鑑定人としてあって欲しいと依頼されます。

 

鑑定相手からは鑑定料、骨董品が売れた場合は宇田川からリベートをもらえるという仕組みです。珍品堂は九谷邸へ出向くのですが、そこで見知らぬ美貌の女性と出会い心惹かれるのでした。

 

珍品堂は、九谷の家へばしば出入りするうち、久谷所有の数寄屋造りの広大な邸宅が空き家になっているのを知り、これを貸り受け高級料理屋に改築し、経営することを思い立ちます。愛人の小料理屋の女将を女中頭にするつもりです。

 

九谷の快諾を受けた珍品堂は、持ち前の凝り性で食器から食料にいたるまで原産地で手に入れる熱の入れようでした。そんなある日、茶道、商業美術、その上骨董眼にも秀れている才女の蘭々女史(淡島千景さん)が九谷の紹介で相談役としてやって来ます。それが久谷邸で出会ったあの時の美貌の女性でした。

 

屋敷は蘭々女史が懇意にしている建築家の設計で改築され、珍品堂は店の名前を「途上園」とし支配人となります。蘭々女史は相談役、女中頭には彼女の強い希望で、彼女がお茶を教えている於千代(千石規子さん)が納まります。

 

新橋の小料理屋「三蔵」をやらせている佐登子(淡路恵子さん)を女中頭にという珍品堂の夢は破れましたが、料理屋「途上園」の景気は上々、大阪に支店をもつまでになります。

 

珍品堂は客の料理の手配から器の選択まで一切を取り仕切っていたのですが、その内だんだん、蘭々女史の態度に変化が生じはじめてくるのです。

 

女史から「白鳳仏」を持っていると持ちかけて来られた珍品堂は、その仏像に一目惚れし、今まで、どんなことがあっても手放そうとはせず、大切にしていた自慢の吊燈籠を売って、その金で「白鳳仏」を蘭々女史から買ってしまうのです。

 

後にその仏像が真っ赤な偽物であることがわかり、おしとやかな淑女だとばかり思い込んでいた女史が、実は金に汚い俗物であることを知るのです。その上、いつの間にか「途上園」の顧問に収った女史は支配人である珍品堂をこき使うようになるのです。

 

さらに蘭々女史は、女中の利根(峯京子さん)と怪し気な関係になり、その利根が島々(山茶花究さん)なる常連客と付き合いはじめると、今度は、出入りの呉服屋のアルバイト学生・佐山(高島忠夫さん)と恋人関係であった喜代(小林千登勢さん)に手を出すようになります。

 

女史に可愛がってもらうようになった喜代の態度も大きくなり、支配人たる珍品堂の存在さえバカにするようになって行くのです。

 

蘭々女史の横暴は「途上園」従業員一同の反発を呼び、会計係の佐々(林寛さん)が些細なミスで解雇を言い渡されたことがきっかけとなり、珍品堂を巻き込んだストライキに発展してしまうのです。

 

不思議にもストライキは一日で終ってしまいます。すべては女史をあやつる九谷の差し金だったのです。珍品堂はいつの間にか首謀者にまつりあげられて責任を押し付けられてしまいます。

 

珍品堂の下で働いていた料亭の従業員も、実はみんな九谷の計略のために動いていたしたたか者ばかりで、目利きなはずの珍品堂は悉く一杯食わされ、九谷に利用されていたのです。

 

珍品堂は、白鳳仏を九谷に送り返し、偽物を掴ませたことを毒づきますが、妻のお浜(乙羽信子さん)と行った博物館で、白鳳仏のために手放したあの気に入っていた吊燈籠が国宝扱いになっているのを見て、自分の目利きは正しかったと確信し、急遽、珍品堂は白鳳仏を九谷のところから取り返し、十年、二十年かかろうが、自分の目利きで仏像を本物にしてみせると九谷の屋敷を立ち去るのでした…。

 

原作は、井伏鱒二さんの小説『珍品堂主人』です。

 

井伏さんは、40歳のときに『ジョン万次郎漂流記』で第6回直木賞を受賞。その後、『本日休診』その他で第1回読売文学賞、『漂民宇三郎』その他で日本芸術院賞を受賞し、1966年(昭和41年)には文化勲章を受章、同年、『黒い雨』により野間文芸賞受賞……。

 

井伏鱒二さんは、日本の近代文学を代表する文豪のお一人ですね。これだけの文学賞を受賞されていると、小難しい作家なのか?と思われるかも知れませんが、市井に生きる普通の人々を優しい目で見つめ、稀に見るユニークでユーモア溢れる文体で人間の尊厳まで表現した作家なんです。代表作『山椒魚』を読むとわかりますよね。

 

映画化された作品もたくさんあるんですよ。

 

『珍品堂主人』の他に、終戦後すぐ、荒廃した街の中で飄々としたたかに生きる人々の暮らしを描いた『本日休診』渋谷実監督(1952年)、ヒロイン岡田茉莉子さんの気風の良さが楽しい『集金旅行』中村登監督(1957年)、森繁久彌さん主演の駅前シリーズ第1作目『喜劇 駅前旅館』(1958年)、大阪の風変わりなアパートに住むバイタリティにあふれた個性豊かな住人たちの悲喜劇を描いた『貸間あり』川島雄三監督(1959年)、広島市への原子爆弾(原爆)投下によって人生を変えられた人々の悲劇的な運命を描いた『黒い雨』今村昌平監督(1989年)などなど名作揃いです。

 

『珍品堂主人』はモデルとなった出来事があるんです。

 

原作の主人公のモデルは、骨董品鑑定士で、魯山人とともに「星岡茶寮」を経営していた秦秀雄(のちに目黒の驪山荘、千駄ヶ谷の料理旅館・梅茶屋などを経営)という人で、映画での珍品堂(森繁久彌さん)と蘭々女史(淡島千景さん)との争いは、秦秀雄と魯山人との、星岡茶寮をめぐる争いを基にしているんです。

 

星岡茶寮の始まりは、明治維新による江戸から東京への変化の中で、周辺の住民構成が大きく変わり、氏子が減少した日枝神社は社域を維持することが出来なくなり、境内の一部を東京府に寄付したことなんです。

 

東京府は1881年(明治14年)ここに麹町公園を設置して、東京市民の憩いの場として提供することとしたんですね。

 

ところが、この地を訪れた京都から東京に移ってきた公家や、徳川家の末裔、大名華族らが非常に風光明媚な場所であるとして、この地に茶寮を開いて要人達の社交の場とすることを岩倉具視らに提議し、設立されたのが「星岡茶寮」です。

 

上級階級の社交場として賑わっていましたが、大正になると、経営不振に陥り、関東大震災後に当時、美食家として知られていた北大路魯山人と便利堂の中村竹四郎に貸し出され、改築を経て新たな会員制高級料亭『星岡茶寮』として生まれ変わります。

 

北大路魯山人という人は、篆刻家、画家、 陶芸家、書道家、漆芸家、料理家・美食家などの様々な顔を持っていた芸術家です。陶芸が有名ですよね。気難しい人物で、傲岸不遜、狷介、虚栄などの悪評が常につきまとい、毒舌でも有名だったそうです。でも類い稀な美と食の才能があった人だったと言われています。

 

便利堂とは、明治20年(1887年)創業の美術印刷会社です。古美術の複製品制作、美術書の図版印刷や美術館・博物館の蔵品図録、絵はがき制作で特に知られ、19世紀にフランスで生まれたカラーコロタイプ印刷工房を日本で唯一有していて、四代目が中村竹四郎です。

 

魯山人と中村は知り合った当初から意気投合し、古美術店の大雅堂を共同経営することになるんです。大雅堂では、古美術品の陶器に高級食材を使った料理を常連客に出すようになり、1921年(大正10年)、会員制食堂「美食倶楽部」を発足させます。魯山人自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していたんですね。

 

その後、二人は1925年(大正14年)に永田町の「星岡茶寮」を中村とともに借り受け、中村が社長、魯山人が顧問となり「星岡茶寮」は会員制高級料亭となったのです。

 

料亭経営の傍ら、魯山人は本格的な作陶活動を開始し、その縁で美術評論家であり骨董収集鑑定家の秦秀雄と知り合います。二人は初対面で話が弾み、その日のうちに星岡茶寮へ招待された秦は、1年後に請われて職員となり、やがて支配人に引き立てられるのです。

 

何事も独断で話を進め、横暴な性格だった魯山人が大した理由もなく気に入らないからと星岡茶寮の会計係をクビにしたことを発端に、その横暴さや放漫な経済観念に不満を抱いていた従業員たちがストライキを起こしたんです。支配人の秦はその中心に立ち、恩義ある魯山人を解雇しなければならなくなり、経営者・中村竹四郎からの内容証明郵便で解雇通知を言い渡され、魯山人は星岡茶寮を追放されたのでした。

 

芸術家と経営者の永遠に交わる事のない、理解し会えない対立ですよね。

 

この出来事を、井伏鱒二さんは井伏流にアレンジし、ユーモアたっぷりな生臭い人間ドラマとして小説にしているんです。

 

そんな原作を豊田四郎監督は、豊田監督らしく、ねちっこく、粘っこく、こってりと映像化しています。

 

骨董の真贋や値打ちを見極める目には鋭い能力があり、骨董界ではそれなりの名声があるのに、苦労知らずでお金には無頓着、料亭経営に手を出してみたものの、実業界における現実的な利害関係には疎く、美人に弱くて騙されやすくおだてに乗りやすい性格で、骨董という快楽にとりつかれた、どこか純粋培養されたような男、珍品堂を演じた森繁久彌さん。 

 

同性愛者で、男に対する心の揺らぎというものが一つもなく、実業家の九谷から「蘭々女史を決して女性だと思ってはいけないよ。」と言わしめ、権力と金を手に入れるためなら、童女にもなるし女も使い、相手を油断させるこつも心得ていて利益のないことには見向きもしない強欲な女性を演じた淡島千景さん。

 

この二人の演技は本当に見応えがありますね〜。淡島さんの着物姿は本当に美しいです!

 

主演二人の周りを固める役者陣も多彩で個性的な人ばかりです。

 

「途上園」の女中を演じた都家かつ江さんや小林千登勢さんたちはとても生き生きと演じているし、家政婦になるずっと前の、若き日の市原悦子さんの顔も見えます。

 

珍品堂の妻・お浜役の乙羽信子さん。いつみても上手いですね〜。出演シーンは少なくてもすごい存在感です。たまにしか家に帰って来ない森繁さんを、他に女がいることも知っていながら、決して責めることもなく、「しょうがない人ね」とどんなにだらしない男でも、私はあなたの妻ですからといつも優しく向かえ入れる腹の据わった女性をしんねりと演じています。

 

蘭々女史の腹心の部下役の千石規子さん。いいですね〜。大好きです。蘭々女史の命令には忠実で、腹黒くて意地悪ででもどこか滑稽で、このキャラクターにビッタリでした。

 

実業家の九谷役の柳永二郎さん。珍品堂がお金に対して疎く、経営の才能もないことを知りながら、利用するだけ利用して、使えなくなったら簡単に切り捨てる、実業家としての非常さと、金をチラつかせて女性を自分の物にする嫌らしい男を楽しげに演じています。

 

珍品堂の愛人で、後に久谷に鞍替えする小料理屋の女将役の淡路恵子さん。珍品堂の友人の骨董屋・宇田川役の有島一郎さん。途上園の顧客で、おねぇっぽい島々徳久役の山茶花究さん。みなさん本当に良いですね〜。

 

隅々に、芝居の上手い個性的な役者さんが散りばめられていて、昔の映画界の役者の層の厚さを感じます〜。

 

骨董の世界は真贋見分けにくい世界ですよね。鑑定士が本物と言えば本物なんだと思うしかないし、でもそれが本当なのかなんて誰にもわからないですよね。

 

珍品堂は何度か手痛い失敗を繰り返し、人が下した「真贋評価」なんかに惑わされるのではなく、「自分が惚れ込んだものをとことん信じれば良いんだ」という真実に気づくんですよね。

 

『珍品堂主人』ではそれを男女関係や人間関係ににダブらせて描いているんです。

 

人を本物か偽物かと判断するのは難しいとは思いますけど、いつの時代にも人間の世界には騙す側と騙される側がいて、それは永遠に無くならないでしょうね。

 

映画にしても、小説でも絵画でも、その道の専門家や評論家と呼ばれる人がいて、絶対的な評価を下すわけですよ。

 

でもそ同じものを自分が見た時に、専門家や評論家が褒めたからって、それが正しいわけじゃないし、自分が違うなと思えば自分を信じれば良いんです。逆に自分がつまらないものを他人が褒めたからっておかしいわけじゃない。

 

自分と違う価値観を持った人を、それはおかしいと他人が言うのは変だと僕は思っています。

 

なんか話が映画から離れているような…(笑)。

 

同性愛者かバイセクシャルのようなキャラクターが二人も出てきたことも興味深い作品でした。観て良かったです。

 

原作の舞台となった「星岡茶寮」は、1945年(昭和20年)には空襲によって焼失し、戦後の混乱から中村竹四郎の手から離れた茶寮は転々とした後、東急グループの五島慶太の所有地となり、1956年(昭和31年)に中国料理店「星ヶ岡茶寮」が開業します。

 

中国料理店「星ヶ岡茶寮」の地にはその後、1963年(昭和38年)に日本初の外資系ホテル、東京ヒルトンホテルが開業します。1984年にはキャピトル東急ホテルへと変わり、2006年(平成18年)に老朽化のため閉館し取り壊されます。2010年にザ・キャピトルホテル 東急として開業。「星ヶ岡」の名は同ホテル内で営業している中国料理レストランに引き継がれています。

 

僕、一度、ザ・キャピトルホテル東急の客室へ入ったことがありますが、日枝神社のすぐ横で、近くに国会議事堂があって、昔はこの地に『星岡茶寮』があったんだ…『珍品堂主人』の舞台なんだと感慨深かったことを思い出します。