こんな詩を書いてみました。
『悪いのはこの俺さ』
不自然に顔を背けていた
視線を跳ね返して
手厳しいしっぺ返しだった
優しく腕を締め付けられて
ゆらゆらと揺れてる 白い炎
はらはらと溢れてく 涙が痛い
悪いのはこの俺さ わかっているよ
浮かれてたこの俺が 馬鹿だったんだ
感情を押し殺す 君が悲しい
冷ややかに問いかける 君の眼差し
最後のキスは苦い 許してくれ
唇は怒りに震えてた
額に汗が滲んで
悲しみの矢に射抜かれたんだ
息苦しさと未練の狭間
くらくらと燃え立つ 君の瞳
ひたひたと押し寄せる 孤独の連鎖
悪いのはこの俺さ わかっているよ
浮かれてたこの俺が 馬鹿だったんだ
耳の奥こびりつく 君の舌打ち
複雑に絡み合う 何気ない嘘
犯した罪は深い 許してくれ
言い訳は聞きたくはないだろ?
あれこれ噂が飛んで
取り止めのない心をいつか
持て余してた逃れたかった
きらきらと輝く 空の彼方
ひらひらと手を振って 駆けてゆきたい
悪いのはこの俺さ わかっているよ
浮かれてたこの俺が 馬鹿だったんだ
卑怯だと罵られ 自業自得さ
愛してた本当さ 過去形だけど
最低な俺だけど 許してくれ
最近よく『ジェンダー』という言葉を聞いたり、使ったりしますよね。
『ジェンダー』とは、身体的性(セックス)に対して社会的・文化的な意味合いによる性役割のことをいいます。
例えば、「男だから、めそめそしない、(男らしさ)」「女だから、おしとやかにする(女らしさ)」などの規範に従って行動するとき、その人物は性役割を演じているとされます。この場合、特定の性に本人の好むと好まざるとを問わず、一定の役割を期待されているということですね。
社会にはいまだに、”男性はこうあるべき”、”女性はこうあるべき”といったジェンダーが数多く存在しています。
僕は同性愛者ですから、そういうことにどこか敏感なんです。僕は見た目、がっしりとしたスポーツマンタイプではありません。日に焼けてもいないし、毛深くもない。大声で怒鳴ったりしないし、お酒もタバコも苦手です。大体の人から「悠さんは優しい」と言われます。別に自慢してるわけじゃありませんが典型的な男らしいとされる男とは違います。
でもこんな僕みたいな人は世間にたくさんいますよね?
だからってそんな人が皆、同性愛者ではないし、逆に見た目なんて関係なく、仕事でもやる時はやるし、卑怯なこともしないし、人の悪口なんて言わない…自分のやるべきことをちゃんと責任を持ってこなし、誠実に生きている。こんな人が僕は男らしいと思うし、見た目が典型的な男っぽい人だって、情けなかったり、ずるかったり、嘘つきだったりする人はいるもんですよ。イケメンがみんな性格がいいわけじゃないし(笑)。
特に同性愛者の世界では見た目とは違う人はいっぱいいます。髭が濃くて、がっしりしていて一見男っぽく見えても、「いゃ〜ん」っていう人はいっぱいいます(笑)。
最近、芸能界では、人気女優さんの不倫話で持ちきりですが、これも「女性なんだから、結婚してるんだから、子供がいるんだから、女優なのに、そんなことしてはいけない」という規範に押し込めようとしている気がします。
人がどう生きようが、何をしようがその人の自由だし、夫以外の人を愛したとしても、その人が自分で責任を取ればいい話でしょ?夫以外の人に堕ちてしまった理由は必ずあるはずだと思うし。
『悪いのはこの俺さ』という詩は、そんなことを考えていて浮かんだ詩です。
浮気ばかりして、女性を泣かせてばかりいる男を書きました。何かと理由をつけて、俺が悪かった許してくれと、心にもないことを言って去ってゆく卑怯な男です。
でも女性でも浮気する人はいるだろうし、男だから女だからなんていう時代じゃないですよ。今は。