『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』などが代表作の、現代ドイツを代表する映画監督ヴィム・ヴェンダースが、役所広司さんを主演に迎え、東京・渋谷を舞台に公共トイレ清掃員の男が送る何気ない日々を描いた『PERFECT DAYS(2023年)』が、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司さんが日本人俳優としては『誰も知らない』の柳楽優弥さん以来19年ぶり2人目となる主演男優賞を受賞されました。

 

『PERFECT DAYS』は、キリスト教徒の映画製作者、映画批評家らにより、1974年にカンヌ国際映画祭の独立部門として創設された、「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞しました。

 

また、脚本賞には是枝裕和監督の「怪物」の坂元裕二さんが選ばれ、日本作品がカンヌのコンペティション部門で主要賞を同時に受賞するのは初めてのことでした。

 

日本人が作った作品や、主演した俳優さんが、世界で評価されるのは喜ばしいことですね。

 

役所広司さんは、映画に主演されれば、何かしら賞を獲る方だし、1997年、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した今村昌平監督の『うなぎ』にも主演されていたし、周防正行監督の『Shall we ダンス?(1996年)』は日本で大ヒットし、ハリウッドでリチャード・ギア主演でリメイクされたし、第二次世界大戦前後にかけて京都で活躍した芸者の半生を描いた『SAYURI Memoirs of a Geisha(2005年)』、メキシコ・モロッコ・東京、世界3ヶ国を舞台に人類の希望と絶望を描いた、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル』にも出演されていて、世界でも有名な方ですから。

 

今回のカンヌでの受賞のニュースを見ていて、僕が『役所広司』と言う俳優の存在を刻み付けられた作品のことを思い出したので、今日はそのお話をしたいと思います。

 

1986年、東京渋谷のパルコ劇場で上演された『BENT ベント』と言う舞台です。

 

僕が初めて役所広司さんを観たのは大河ドラマ『徳川家康』でした。僕は小学生だったので、ちゃんと観ていた訳じゃなかったのですが、織田信長に扮した役所さんが初登場するシーンを偶然、観てしまったんです。父が大河ドラマは毎回、観ていたもので。

 

歴史上の人物としての織田信長は、なんとなく知ってはいましたが、俳優さんが演じる信長を観たのはその時が初めてだったので、ちょっと衝撃を受けてしまったんです。すごく野性的で、役所さんがカッコよくて男前でしばらく見惚れていた記憶があります。

 

小学生だったので、自分が同性が好きだと言う確かな自覚はまだなかったように思いますが、ちょっと役所さんに恋をしてしまったのかも知れません(笑)。

 

それから数年経って、母の弟で、僕を幼い頃から可愛がってくれていた伯父さんが、東京の友達とお芝居を観に行く約束をしていたんだけど、先方が都合が悪くなったらしく、チケットが一枚もったいないので、僕を連れて行ってやると言うことになったんです。当時は兵庫県に住んでいたので、東京見物を兼ねて。

 

主演が役所広司さんだと聞いて、芝居の内容なんか聞きもせず「行く〜」と叫んでいました。

 

『BENT ベント』とは、1978年にまず朗読形式で上演され、翌年79年に、ロンドンのナショナルシアターでイアン・マッケランの主役で上演され大センセーショナルを巻き起こし、その後、ウェストエンドに移りロングランをし、その年のオリヴィエ賞の最優秀男優賞を獲得しました。

 

1979年12月にはニューヨーク・ブロードウェイでも上演されます。主演はリチャード・ギアでトニー賞・最優秀作品賞を受賞しました。

 

その後「BENT ベント」は世界35カ国で上演されて、日本での初演は、1981年、上演タイトル「BENT〜ねじまげられて〜」劇団薔薇座 第6回公演で、パルコ劇場で1986年に役所広司さん、高橋幸治さんの出演で上演されたんです。

 

『BENT ベント』は、1930年代のベルリンを舞台に、ナチスによって迫害された同性愛者たちの悲劇を描いたマーティン・シャーマンによる戯曲です。

 

ナチスドイツの強制収容所におけるユダヤ人迫害をテーマにした、数多くの小説、映画や演劇が作られていますが、この「BENT ベント」という作品は、ナチスドイツの同性愛者の迫害という歴史に埋もれてしまった極めて特異なテーマを扱った作品で、同性愛者と言うだけで、過酷な運命に翻弄され、虫ケラのように命を奪われた一握りの人々の究極の愛を描いた物語です。

 

ナチス政権下のドイツでは、ユダヤ人が大量虐殺された事実はよく知られていますが、その過酷な時代にユダヤ人同様、悲惨な運命を生きた人間たちがいたんです。

 

ユダヤ人がダビデの星、つまり黄色い星を胸につけることを強要されていた時代に、胸にピンクの星をつけることを強要された人々がいました。それは同性愛者たちでした。

 

その時代、強制収容所で虐殺された同性愛者は250,000~300,000人にも及んだといわれています。強制収容所では、ユダヤ人より下に同性愛者は位置づけられていたのです。

 

ナチス政権の時代よりも前の、1871年にドイツで施行された刑法第175条には、「同性愛を行った者は、懲役刑に処され、公民権を剥奪する」という法律はあったみたいですけどね。

 

「BENT ベント」はこんな物語です。

 

ヒトラーの右腕であった突撃隊隊長エルンスト・レームを含む突撃隊幹部、並びに反ナチスの有識者達が法的手続きを経ることなく、反逆の罪で処刑されます。

 

エルンスト・レームが同性愛者だったことが影響したのか、突撃隊に取って代わった親衛隊によって、同性愛者の取り締まりは強化されるようになります。

 

そんなことが行われていたとは露知らず、マックス(役所広司さん)はベルリンのアパートで、ダンサーである恋人のルディと暮らしながら、人を騙したり麻薬の売買に手を出したりして日々の小銭を稼ぎながら、享楽的な生活を楽しんでいました。

 

ある晩、いつものようにルディが働くママ・グレタのゲイクラブで泥酔していたマックスは男達と乱痴気騒ぎを起こした後、若くハンサムな男・ウルフを家に連れ帰り一夜を共にしますが

最悪なことに、ウルフは突撃隊幹部のボーイフレンドだったのでした。

 

その男と一晩遊んだだけのマックスとルディは当然関係者とみなされ、ゲシュタポに追われるハメになるのです。

 

マックスは、ルディと共に逃亡生活を始めますが、二人はとうとう捕まってしまいます。強制収容所に向かう列車の中で、恋人のルディはナチスになぶり殺されるのです。そしてマックスはそのとどめを刺すようナチスに強要され、瀕死の恋人を狂ったように殴り続けるのでした。自分が生き延びる為にはそうするしかなかったのです。

 

収容所でユダヤ人は胸に黄色の星、政治犯には赤の三角、犯罪者には緑の三角、そしてゲイにはピンクの三角をつけることになっていて、ピンクの三角は黄色の星よりも下で、一番酷い扱いを受けていました。

 

マックスはそこで、列車の中で生き延びる方法を教えてくれた男・ホルスト(高橋幸治さん)と再会します。ホルストはピンクの三角を付けていました。

 

収容所の強制労働で彼ら二人に課せられた労働は、岩を右から左へ、そして左から右へ移すということのみ。来る日も来る日も、精神を崩壊させるような、身体を痛めつけるだけの作業に明け暮れることになります。

 

周囲には高圧電流の流れる有刺鉄線が張り巡らされ、足元には死んだ仲間たちが放り込まれる巨大な穴が口を開けているのです。

 

ひとときも監視の目を逃れることはできず、休憩を許されるのは2時間に1回、気をつけの姿勢で立ったまま3分間だけ。1日12時間、真夏の炎天下でも、真冬の極寒でも来る日も来る日も同じことの繰り返しなのです。

 

話してはいけない。近づいてもいけない。彼らには人間らしい行動をとることをなにひとつ許されなかったのです。自ら死ぬことさえも。

 

そんな作業場に呼ばれたことにホルストは怒りを覚えますが、次第に二人は看守にバレないよう他愛もない言葉を交わすようになるのでした。

 

短い休憩時間には 空を見上げながら看守に見つからないように小さな声で。次第に少しずつお互いを知っていくうちに、いつしか好意を寄せ合うようになるのでした。

 

永遠に終わることがないこの収容所で、二人は触れることなく、見つめあうことなくセックスをするのです。感じあい、慰めあい、そして達した時、彼らは自分が生きていることを実感するのでした。

 

「いつかここから出られたらベルリンに戻ろう。二人で」

 

そう夢見て、永遠に終わることのない作業を繰り返しながらも生きる喜びを掴み始めた二人でしたが…。

 

しかし月日が経つうちにホルストの心身は限界を迎えていました。気遣うマックスに応える気力すら失っていきます。

 

そんな二人の仲に気付いた看守はある日、マックスの目の前でホルストを射殺してしまうのです。今まで幾度となく愛する人を裏切ってきたマックスはこの瞬間すら、生きるために心を無にしようとします。しかし、看守が去るとマックスは放心状態のまま、目の前に横たわった男を抱き上げ、愛を囁き、そして死体を放ると、収容所を囲む高圧電流の流れる柵に吸い寄せられるようにまっすぐと向かっていくのでした…。

 

ナチスドイツの支配によって絶望と暗闇だけに覆われていた強制収容所という過酷で救いのない状況下においても、人間の愛と尊厳を失わずに生きた男たちの物語です。

 

ストーリーを書いていて、舞台を観たのはもう何十年も前のことなのに、思い出して胸が痛くなってきました。

 

よくもまぁ、伯父さんも中学生の僕に、こんな芝居を観せたもんだと思いますが(笑)でもそう思いながらも今では深く感謝をしています。

 

生身の俳優さんが目の前で演じる舞台なんてまだ観なれていない年頃だったし、こんなテーマの舞台だし、驚きと感動で押し潰されそうでした。役所さん、高橋さん、二人の演技に圧倒されました。

 

そしてラストの衝撃は、いまだに忘れてはいません。演劇っていいな、凄いなって思わされて、演劇というものに目覚めさせてくれた僕にとって思いて深い作品なんです。

 

僕は同性愛者ですから、もしあの時代に、あの場所で生まれていたら、僕も強制収容所に連行されていたかも知れないと思うと、本当に深く深く考えさせられます。

 

マックスがホルストの死体を抱いたまま、気を付けの姿勢で言うセリフです。

 

「俺がそばにいる…。もう冷たい、悲しい思いなんてさせない。俺が抱きしめているんだから。」

 

こんなセリフだったと思いますが、遠い記憶なので間違いだったら御免なさいですが、このセリフで涙が止まりませんでした。

 

『愛がなければ、人は生きてはいけない』子供の僕に教えてくれた舞台です。

 

同性愛者だからといって恥ずかしがることではないと思います。もちろん葛藤はありますよ。だけど信念を持って生きて行くしかない。そう思わせてくれた素晴らしい舞台でした。

 

役所広司さんは、この頃から素敵な俳優さんでした。そして今まで第一線で活躍されてこられました。今回のカンヌでの受賞は本当に素敵なことですよ。次はアメリカのアカデミー主演男優賞ですね。夢じゃない。いつかきっとその日がきます。

 

カンヌ国際映画祭主演男優賞、

本当におめでとうございました。