こんな詩を書いてみました。

 

『偽りの愛じゃない』

 

ああ 涙あふれ 焼けるように 熱くて止まらない

裸のままいつか 眠ってた 悲しい夢を見て

ああ 悔しかった 惨めだった 耐えてくしかなくて

僕たちは傷つき 脆すぎて儚い生き物なんだ

言い訳は 言いたくないよ

誰にも弱み みせることができず

慰めなんか いらない けれども

行き場のない 怒り抱え 生きている

僕たちの愛は 偽りじゃない

わかって

 

ああ 深いキスで 目覚めたんだ 身体が震えてる

抱き寄せられたんだ 強い腕 視線が優しくて

ああ 許されない 愛なのかな 辛くて悔しいよ

僕たちはいつでも 耐えてきた 冷たい言葉の刃(やいば)

祈りさえ 打ち砕かれて

いつしか耳を 塞いできたいつも

ブライドなんか 無くしてしまった

だけど嘘は 付きたくない 叫びたい

僕たちの愛は 偽りじゃない

わかって

 

絶望は いつかは消える

信じて生きる それしかないきっと

憎しみなんか 怒りも 捨て去り

切ないほど 強く生きる 決めたんだ

僕たちの愛は 偽りじゃない

わかって

 

 

最近、『多様性』という言葉をよく聞きます。英語で『ダイバーシティ』と言いますよね。性別や年齢、国籍、障害の有無、性的指向、宗教・信条、価値観などが異なる人々の性質や特徴を尊重する考え方のことです。

 

その中の『性的指向』とは、人の恋愛・性愛がどういう対象に向かうのかを示すことです。

 

恋愛・性愛の対象が異性に向かう異性愛(ヘテロセクシュアル)、同性に向かう同性愛(ホモセクシュアル)、男女両方に向かう両性愛(バイセクシュアル)があります。

 

この頃、性の多様性は「LGBTQ」としても多くのメディアで取り上げられるようになりました。

 

男性は女性を好きになり、女性は男性を好きになるのが当たり前という考えが見直され、多様的な性のあり方が認められるようになってきたかなと感じています。

 

『LGBTQ』の説明をしておきましょうか。

 

◎レズビアン(Lesbian) 

レズビアンとは、自身を女性と認識したうえで、女性に恋愛感情や性的欲求を抱く性のあり方(セクシュアリティ)です。「LGBTQ」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称)の「L」に当たりま す。

 

◎ゲイ(Gay) 

ゲイとは、自身を男性と自認した上で、男性に恋愛感情や性的魅力を抱くセクシュアリティです。「LGBTQ」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称)の「G」に当たりま す。

 

◎バイセクシャル(Bisexual) 

「バイセクシュアル」とは、「男女どちらにも性愛感情が向くセクシュアリティのことです。日本語では「両性愛者」と表記します。「LGBTQ」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称)の「B」に当たりま す。

 

◎トランスジェンダー(Transgender) 

トランスジェンダーとは一般的に性自認と身体的性が一致していない方全般を表す言葉です。「LGBTQ」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称)の「T」に当たります。

 

◎クエスチョニング(Questioning) 

クエスチョニングとは、自身の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティを指します。「LGBTQ」(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称)の「Q」に当たります。

 

僕は『LGBTQ』の『G』ゲイ(Gay) になるんですね〜。

 

僕『LGBTQ』という言葉にはなんとなく種類別に分けられているようで少し抵抗があり、自分のことをゲイ(Gay)とはあまり言ってはいません。このblogでも自分のことは『同性愛者』だと書いています。『G』って便宜上そう呼びますと言われているような気がして…。考えすぎかな。僕は型に嵌められるのが嫌いなんですよ〜。

 

僕は幼い頃、活発な子供ではなかったし、学校のクラスメイトの輪に積極的に入って遊ぶのも苦手で、いつも本ばかり読んでいたので、少しとっつきにくい奴だと思われていました。

 

何故か女子には人気があったので、男子から焼き餅を焼かれ、「お前、女みたいだな」とか「オカマ」とか言われたこともあったなぁ〜。少女漫画とかスイーツとか女子が好きそうなものに詳しかったからだと思いますけど。

 

でもあの頃はどうしてそう言われるのかがよく理解はしていなかったと思います。

 

僕は性に目覚めるのが他の男子より遅かったみたいで、マスターベーションもクラスの男子から教えられたくらいですから。

 

少しつづ成長して、高校3年の時、男性と初体験をし、今に至るわけですけど、僕は同性愛者だった事に、今まで一度も後悔したことはありません。

 

でも悲しくて、辛いことは何度か経験はしました。

 

現代は昔より人々は寛容になっているとは思いますが、同性愛を気持ち悪いと思う人が大半だと思います。

 

これは僕たちではどうすることもできないことです。同性愛者になりたいと産まれきたわけではありませんし、世間に対し自分を偽って生きてきたし、これから死ぬまでそうなのかと思うと気分が落ち込む時もあります。

 

僕たち同性愛者のことだけではなく、世の中は偏見に満ちているものだと納得させるしかないのか…。

 

どこかの宗教団体の教祖が、同性愛は『偽りの愛』だと言ったと聞きました。『偽りの愛じゃない』という詩はそうじゃないという想いから浮かんだ詩です。

 

人間はひとりでは生きられない。家族や友人など、周囲の人々との関わりや信頼関係、支え合いを大切にしながら生きているのではないのですか?

 

そんな当たり前のことが、『LGBTQ』と呼ばれる僕たちにとって非常に難しいということをわかって欲しいのです。

 

首相秘書官が同性婚を巡る性的少数者への差別発言で更迭されましたね。政府の重要なポストにいる人間がこういう発言をうっかりとしてしまうのですから、今の政府には何の期待もできないかも知れませんけどね。