Amazon Prime Videoで『スーパーノヴァ』(Supernova)』(2020年)という映画を観ました。

 

◎監督/ハリー・マックイーン(英語版)

◎脚本/ハリー・マックイーン

◎製作/エミリー・モーガン、トリスタン・ゴリハー

◎製作総指揮/ヴァンサン・ガデール、メアリー・バーク、エヴァ・イエーツ

◎出演者/コリン・ファース、スタンリー・トゥッチ、ジェームズ・ドレイファス、ピッパ・ヘイウッド 他

◎音楽/キートン・ヘンソン(英語版)、セーラ・ブリッジ(音楽監修)

◎撮影/ディック・ポープ

◎編集/クリス・ワイアット

◎製作会社/ザ・ビューロー、英国映画協会、BBCフィルムズ、クイディティ・フィルムズ

◎配給/スタジオカナル

 

『スーパーノヴァ』は、20年の歳月をとも生きてきた男性同性愛者のカップル、コリン・ファース演じる不器用で無口だけど、胸の奥に熱い愛情を燃やし続けるピアニストのサムと、スタンリー・トゥッチ演じる人を惹きつける才能と魅力に溢れ、いつもブラックジョークで周囲に笑いをもたらす作家タスカーが、二人に思いがけず早く訪れた最後の時間にどう向き合ったのか?その心の葛藤と周りの人々との交流をイギリスの湖水地方の美しい風景とともに描いたドラマです。

 

《こんな物語です。》

 

1台のキャンピングカーがイギリスの田舎町を走り抜けています。ハンドルを握るサム(コリン・ファース)は助手席のタスカー(スタンリー・トゥッチ)に話しかけます。聴いているのか聞こえてないのか、ボーっとしているタスカー。するとキョロキョロと何かを探し出します眼鏡だと気付いたサムは、頭の上にあることをタスカーに教えるのです。

 

今、2人は旅の最中でした。旅の目的はピアニストであるサムの巡業先に向かうだけです。しかし、2人はこれを良い機会に道中を楽しむことにしていました。タスカーは作家ですが、ここ最近は筆をとっていません。

 

サムはナビを使おうかと提案しますが、タスカーは頑なに紙の地図に拘ります。

 

タスカーには、カーナビの声と口調がマーガレット・サッチャー(イギリスの元首相)みたいに聞こえることが不快なんです。それでナビを使いたがりません

 

サッチャーと言えばイギリスの同性愛者にとっては天敵みたいな存在なんです。同性愛者への差別的な政策を実行したことで知られていますから。

 

ダイナーで食事をしますが、タスカーは全然食べようとせず、皿にほとんどが残っています。

 

そしてまたサムの運転で走りだしますが、タスカーは地図を膝に乗せて眠ってしまいます。振動で頭が揺れても起きないほどにぐっすりです。サムは起こすことなくそのまま走り続けます。

 

今度は食料品の買い出しのため車を停車しますす。サムが店から駐車場に戻ってくるとタスカーの姿が見当たりません。電話を鳴らしても全然繋がらず、近くを探しますが姿が見えません。

 

サムは藁にも縋る思いで狭い森の道を車で走っていきます。しばらく行くとタスカーを発見します。犬とたわむれており、そばには見知らぬ車が…。誰かの車を盗んでしまったのでしょうか?。急いで駆け付けてサムはタスカーを抱きしめます。安心したと同時もう絶対離さないといように…。

 

いろいろあったこの日は、キャンピングカーに泊まります。サムは食事の準備をしています。車内のキッチンで玉ねぎを切りながら、そのせいで涙が出たようにサムは振舞います。何事もなかったようなタスカーに悟られないようにサムはひとり悲しみに沈みます。

 

サムはタスカーに寄り添い口づけをし、今日の行動について気にしないようにタスカーに言います。実はタスカーは徐々に記憶がなくなり、最終的には自分では動けなくなり、回復は望めず、やがて死に至る病にかかっていました。

 

そのため、ときおりこうやって予想外の行動に出てしまうのです。ゆっくりと病気は進行していましたが、何が起きるかは当人もわかりません。さらなる悪化を懸念するタスカーでしたが、サムからは何も言えません。

 

静かに車内で二人だけの夜を過ごします。乏しい明かりの中、不安そうな互いの顔を視界に入れつつ、時間だけが過ぎていきます。

 

翌日の運転ももちろんサムです。着いたのは雄大な自然が見渡せる場所。車を停め、2人は降りて、肩を寄せ合います。どこまでも続く水辺、山々、空。雄大な風景の中、二人は自分たちの存在の小ささに気づかされます。

 

この場所は20年前、出会った頃に二人で訪れ、タスカーが愛を告白した思い出の地だったのです。久しぶりに見た風景はあの頃と変わってはいませんでした。

 

翌日、一軒の家に到着します。そこはサムの姉の家でした。姉家族は温かく迎え入れてくれます。二人の関係も、タスカーの病気のことも理解してくれていました。

 

ここでの宿泊は子供時代のサムの部屋です。二人が寝るのには狭すぎるベッドで、落っこちたりしてふざけあいながらも、限りある時間を満喫する二人でした…。

 

しかし、サムはタスカーが将来、サムに負担をかけたくないと考え、秘かにある決断を下していることを知るのです。

 

サムはタスカーを心から愛していて、彼に添い遂げたいと考えています。不治の病を抱えるタスカ―にまた小説を書いてほしいと考え、力になろうとしますが、タスカーの思わぬ決断を知ると、内側に秘めていた激しい感情がわき上がり、タスカーと正面から向き合うことになるのです…。

 

タイトルになっている『スーパーノヴァ』というのは、超新星のことです。

 

超新星は、大質量の恒星や近接連星系の白色矮星が起こす大規模な爆発(超新星爆発)によって輝く天体のことです。

 

これは、従来新星と言われていた星より何倍も明るい輝きを発する星が1885年にアンドロメダ銀河の中に現れ、新星(ラテン語でNova)を超えるという意味でSupernova(超新星)と呼ばれるようになったといいます。

 

しかし、この輝きは爆発によって発光されたもので、その後は星自体の存在がなくなるという正に最後の輝きとして現れたものだそうです。

 

バートナーのどちらかが、不治の病にかかった時、どんなに神に祈っても、医者に縋っても、何をしても無駄なんだと打ちのめされたとしても、お互いを愛し、信頼し、支え合い、思いあって生きてきたからこそ迎えられる人生の最後の輝きを『スーパーノヴァ』というタイトルに込めているのかなと思いました。

 

星の進化の最後に起こる巨大な爆発を、輝かしい人生の終末に重ねているのだと…。

 

この作品は、公開された時、話題になっていたので観たいなと思ったのですが、コロナ禍ということもあり、劇場での鑑賞は控えていましたが、やっと配信で観ることができました。

 

僕は同性愛者で、10年という時間を共に生きた大切な人を病で亡くした経験があるので、この映画のコリン・ファース演じるサムの気持ちは痛いほどわかりました。

 

「世界で一番美しい、愛が終わる」

 

「世界が感涙した。胸が張り裂けるほどの愛に喝采ー‼︎」

 

これはこの作品のポスターや公式サイトに書いてあるコピーです。

 

でもこれって、逆にこの映画の価値を下げている気がしてしょうがないんですよね〜。ちょっと大袈裟な気が…。同性同士の愛を特別なもの、美しいものなんて言う必要ないし、映画の内容にあってないし、コビーライターさん、煽りすぎですよ〜(笑)。

 

この作品の根底にあるテーマは愛の普遍性かなと思いました。サムとタスカーが経験する出来事を男性同性愛者のカップルの形で描いてありますけど、二人の性的指向は物語自体には関係ないですしね。

 

タスカーを演じたスタンリー・トゥッチはこう言っています。

 

「これは愛し合うふたりの物語であって、その彼らがたまたまゲイだったということなんだ。これを異性愛のカップルに置き換えることは容易だが、それはどちらでもいいことだ。

 

だが同時に、これがゲイのカップルだということが、ほかのあらゆる要素を加えることになり、私は観客にとってそれが本当に重要だと思う。同性愛者が別物だという考えは、誰がそう思いついたかは知らないけれど、確かに長い間続いてきた概念だ。

 

でもゲイ同士の愛が、ストレート同士の愛と違うなんて、考えられない。愛は愛。それだけだ。それ以上議論するべきことはない」

 

まぁ僕もそう思います。たくさんの人にそう思って欲しいですけどね。

 

スタンリー・トゥッチは、18年連れ添った最初の奥様を「癌」で亡くされているんですね。4年も癌と闘って逝かれたそうですけど、そういう経験って俳優にとって演じる上での身になるんでしょうね。

 

タスカーは、自分が不治の病に犯されていることは知っています。でも死を前にしても生きる楽しさを忘れない人間なんです。スタンリー・トゥッチはそんなタスカーを自然に繊細に巧妙に演じていて素敵でした。とても。

 

サムを演じたコリン・ファースは過去にも何作か同性愛者の役を演じていて、僕はほとんど観ていると思いますが、どの作品も知的で嫌らしさが無くて、役に対する共感に溢れていて本当に良い俳優だと思います。

 

サムは愛するタスカーのために大きな犠牲を強いられていますが、それを静かに受け入れて、タスカーを常に心配し、慈しんでいる姿が美しいと思いました。

 

僕の彼だった人は、このblogに度々登場しているヘアーメイクアーティストだった人で、もうなくなって10年以上経ってしまいましたが、彼がある時から認知症的な症状を見せ始めたことに気付いた僕が、ある人の紹介で新宿にある病院の有名な脳神経科の先生を紹介してもらい、彼は自分が病気だとは思っていないらしくて、嫌がったのですが、僕がなんとか説得して病院へ連れて行き診察をしてもらったのです。

 

そして即入院。半年後に天に召されてしまいました。

 

その半年の間、彼の実のお姉さんに僕が彼にとってどういう存在かを説明し認めてもらい(これもなかなか大変でしたが)特別に病室や集中治療室にも入れていただけるようになりました。

 

お見舞いに行く度に泣いて泣いて涙が止まらなくて、最初の頃は会話もでき、手を握ると握り返してくれたのですが、徐々に会話もできなくなり、彼は寝ていることが多くなり、手も握りかえしてくれなくなりました。

 

彼が亡くなった日も病室に入れていただいて、彼が息を引き取った瞬間、自分でも驚くくらい涙が噴き出してしまって、人生であんなに悲しいことはなかったです。目の前が一瞬、真っ白になったことを覚えています。

 

僕は彼の身体ににどんな障害が残っても、ずっと側で力になってあげたかったのに…。

 

どんなに祈っても奇跡なんか起こらない…。神は願いを聞いてくれない…思い知らされました。どんなに愛していても、ずっと側に居たいと思っても、「人は必ずいつかこの世からいなくなる」という運命をただ受け入れるしかないんです。

 

彼と過ごした時間は、僕にとってかけがえのないものでしたし、死の間際まで寄り添えたことは今では幸せだったと思っています。

 

でももう遠い過去の出来事ですからいつまでも思い出に縛られている訳じゃありませんよ。いつでも彼氏募集中です(笑)。

 

『スーパーノヴァ』を観ていて、そんな遠い日々の記憶が蘇りました。

ちょっと泣いちゃいました。

 

2度、アカデミー撮影賞にノミネートされたディック・ポープが撮ったイギリスの美しい湖水地方の風景が鮮やかで美しかったです。

 

だけど映画としてはちょっと淡々としすぎて物足りなさも感じました。同性愛者をテーマにした作品は、今までは特殊な舞台設定で描かれることが多かったと思いますが、そんな世界に生きている人ばかりじゃない。同性しか愛せないだけで、どこにでもいる普通の人間なんだよと作者が言いたいのは分かります。けれどそれだけでは映画として何を伝えたいのかが少し曖昧な気がしました。

 

サムとタスカーは、深い信頼と愛を積み重ねて、長い時間を共に生きてきたんですよね。ピアニストと作家という誰でもがなれる職業じゃない二人でも、イギリスという国で同性愛者が平坦な道を歩んでこられたとは思えないし、もう少しサムとタスカーのこれまでの人生をセリフだけではなく、映画なんだから映像で細かく表現してくれたらもっと厚みのある深い作品になったんじゃないかななんて感じました。

 

これが今の映画の作り方なのか…。もう少し味付けが濃くても良かったかな(笑)。ちょっと甘い。綺麗にまとまり過ぎですね。

 

サムが演奏会でエドワード・エルガー作曲の「愛の挨拶」を弾いているシーンがラストなのですが、タスカーがどうなったのかは観る側の想像に任されています。

 

死んでしまったのか、客席で演奏を聴いているのか…。

 

タスカーが夜空を見ながらサムの姪っ子にこう語りかけるシーンがあります。「星はその一生を終えるとき、花火みたいに大爆発するんだって。まぶしい光を放ち粉々に吹き飛ぶんだ」

 

タスカーは自分の死を意識しながらも、冷静に運命と向き合い、自分の人生の終末を星の一生に例えているのです。

 

これが映画のタイトル『スーパーノヴァ』(超新星)に重ねてあるのですから、僕はタスカーの命が尽きるシーン(愛の終焉)はきっちり描くべきだと思いました。

 

色々、あれこれ言っちゃいましたが、観て損はない作品だと思います。

 

僕の命が尽きる時、誰が僕の手を握り返してくれるんだろう。