少し前に、萩尾望都さんと竹宮惠子さんの因縁や確執のことを書かせてもらいましたが、今日は、冬の終わりのある朝、一人の少年が陸橋から飛び降りる場面から始まる、萩尾望都さんの名作『トーマの心臓』のモチーフになったと言われる映画を最近やっと観ることができたので、その感想を書いておこうと思います。
1964年に製作されたモノクロームのフランス映画『寄宿舎 —悲しみの天使—』です。
1965年度ベネチア国際映画祭フランス代表作品。
原題は《"Les amitiés particulières"》直訳すると「特別な、特異な、特殊な友情」という感じですかね。
一見、よそよそしいように見えるけれど実はお互いが深い友情(感情)で結ばれているとか、反対に、一応は友情に見えるけれど、真の友情とはいえないような反感を実は潜めている(隠している)とか、一言で「友情です」とは簡単にいえないような場合を含んだ言葉です。
同性愛者の僕は、同性同士の友情を超えた感情や愛情は「特別な、特異な、特殊な」と表現されるのだなぁと原題を見て少し悲しく感じてしまいまました。昔も今もたいして変わってないな、世間からはそう思われてるんだなって。
なんかそういうものを見たり、聞いたりしても、普段は仕方ないじゃんとやり過ごせるのですが、ちょっと今、季節の変わり目で気温や気候が安定しないせいか、心身共に少し疲れがてでいるせいか、脳が疲労しているせいか、気分が落ちてしまいます。気鬱状態です。
そういう時は無理に張り切ることもないですよね。
元フランス外交官で小説家で、同性愛者であるロジェ・ペルフィットが1944年に出版した実話に基づいた自伝的小説『特別な友情』が原作です。
◎こんな物語です。
1920年代初頭のフランス。14歳のジョルジュ・ド・サール(フランシス・ラコンブラード)はサン・クロード・カトリック寄宿学校に編入することになリます。彼は侯爵家の嫡子という高貴な身分の美しい青年でした。
彼は、寄宿生活に入って間もなく親しくなったルシアン・ルヴェール(フランソワ・ルシア)とアンドレ・フェロンという2人の同級生が親密な学生の間で行われる「血の契り」を交わし、特別な愛情を抱きあっていることに気づきます。
ルシアンと大部屋のベッドが隣同士になったジョルジュはルシアンとアンドレが交わした手紙の1通を盗み読んでしまいます。それがまぎれもない恋文でした。
寄宿生どうしの親密すぎる友情は重大な罪にあたるということを、生徒たちは常日頃、神父様から厳しく諭されていました。もしそのような行為を見たときは報告するようにとも。
生真面目なジョルジュは手紙のことを寮長である神父に相談し、助言を受けて学院長(ルイ・セニエ)の目につくところへ置いてしまいます。
手紙の送り主アンドレは即刻放校処分となります。突然の別れを余儀なくされ悲しむルシアンを、複雑な思いでジョルジュは慰めます。悪いことをしたという気持ちがある一方で、自分の行為が軽率な正義感だったとはまだ気付けませんでした。
ある早朝ミサでのこと、生贄に捧げるという儀式のための子羊を胸にかかえて聖堂に入ってきた美貌の少年アレクサンドル・モティエ(ディディエ・オードパン)にジョルジュの目は瞬時に奪われます。
その少年は余りにも可憐で天使のようでした。
アレクサンドルが天使のような可憐な容貌に似合わずいたずら好きで、茶目っ気のある性格だということも知り、ジョルジュの恋心は急速に募ります。
ルシアンとアンドレの仲を密告したことも忘れたように、すっかり理性をなくしてしまうジョルジュでした。
なんとかこの美しい少年アレクサンドルに近づこうと、積極的な行動に出ます。帰省列車の下級生用車両にまぎれこみ同席したり、礼拝の列に割り込んで親しげに笑いかけたり…。ついには愛を謳った詩を引用した手紙を渡し、二人っきりになれる今は使われていない温室にアレクサンドルを呼び出してしまうジョルジュ…。
好奇心旺盛なアレクサンドルが、美貌の上級生から気持ちを打ち明けられて嬉しくないわけがありません。ジョルジュから受け取った手紙を胸に喜びいさんで温室へ行き、"Je vous aime."(あなたが好きです)と書いた返事をジョルジュに渡すのでした。
ルシアンとアンドレも行った「特別な友情」で結ばれた者で密かに行われる、互いの腕にナイフで傷をつけ、血を舐め合う「血の契り」をジョルジュとアレクサンドルもついに交わし、二人の心は結ばれます。
それまでは秘密の手紙のやり取りだけだった二人が、これを機により仲が深まってゆきます。
ジョルジュとアレクサンドルが「血の契り」を行ったことが次第に漏れ、ジョルジュを監視していたトレンヌ神父(ミシェル・ブーケ)に2人の仲を知られてしまい、トレンヌ神父はジョルジュを放校させようとしますが、逆にジョルジュはトレンヌ神父の少年愛癖を学院長に暴露して、トレンヌ神父を学校から去らせてしまうのです。
2人の仲を知る者がいなくなったとジョルジュは喜び、気が緩んだのか、アレクサンドルと納屋で密会中、自分で火をつけたタバコをアレクサンドルにくわえさせます。この行為の意味をアレクサンドルも察し、自然な流れで互いの体に触れ合おうとした瞬間…ローゾン神父が納屋に乗り込んできたのです。言い逃れのできない場面をローゾン神父に見られてしまい、二人の逢瀬は禁じられてしまいました。
ローゾン神父は年長のジョルジュに、アレクサンドルがジョルジュに送った手紙をアレクサンドルにつき返すように命じます。将来は伯爵家を継がなくてはいけないジョルジュ。その責任の重みとアレクサンドルへの嘘のない想いに引き裂かれそうになりながら後でアレクサンドルに本当の気持を伝えればいいとローゾン神父にアレクサンドルからの手紙を託し、終業式後、親もとへ帰って行くのでした。
事情をしらないアレクサンドルは、ローゾン神父から、自分がジョルジュに書いた手紙を渡され、胸が潰れそうになりながら、帰郷中の列車の窓からちぎって捨ててしまいます。
最後にアレクサンドルは悲しみと絶望のあまり、列車の扉を開け、自ら命を絶つのでした…。
映画のラストシーンでジョルジュがアレクサンドルに、心の中でこう語りかけます。
『君に教えておこう。僕らの”友情”を人は”愛”と呼ぶのだよ』
この作品は、萩尾望都さんが『トーマの心臓』を描く時に影響を受けたと言われていますが、萩尾さんはこうおっしゃっているんです。
いつだったか、ディディエ・オードパン主演の『悲しみの天使』という、男子寮を舞台にした友愛(?)映画を見たのですが(中略)、見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し、“恋愛の結果一方が自殺し、一方が「悪かった」と後悔して、そしておしまい、なんて、どうもその後が気になってしまう”といらだち、“じゃあ、誰かが自殺したその時点から始まる話をつくってみよう”というのでつくった話が実は『トーマの心臓』です。」と。
僕も今回、初めて鑑賞して、萩尾さんの「見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し」という箇所にちょっと共感してしまいました。
何故、アレクサンドルは死ななければいけなかったの?と疑問と苛立ちに包まれたのは確かです。
原作を読んでいないのでわからないですが、文章で読んだ方が共感で来たかもしれないですね。それと観た年齢も大きいかもですね。
僕も多感な10代の美しき(笑)少年時代に観れば感動したかもしれないかななんて思いました。もうすれ切ったおじさんですから私〜(笑)。
あまり脚本がこなれていないと言いますか、登場人物の心理描写が繊細に描かれてはいないので、もどかしいところはあるんですけどね。最近、リマスターされ再発売されたDVDでの鑑賞だったので、古い作品ですけど映像は綺麗でしたね。
ジョルジュはアレクサンドルの部屋にそっと、真実を書いた手紙を残して去るのですが、人を疑うことを知らず、悪知恵を働かすことも出来ないアレクサンドルは、ジョルジュとの友情は終わったとローゾン神父に聞かされても、最後まで首を横に振り続け、ジョルジュの方は反省し友情を断ち切ったという言葉も信じようとしないんです。
だけど、ジョルジュから返されたという自分の手紙を見て、初めて動揺するんですね〜。
ローゾン神父はアレクサンドルにも手紙を出すように言いますが、アレクサンドルは「僕はいやだ。人は自分のしたいようにすればいい」と言います。
神父もアレクサンドルの反応から、完全に2人の友情は終わったと判断し、あえて強制はしませんでした。ローゾン神父も二人のために良かれと思ってやったことなんでしょうけどね。
部屋にはジョルジュからの手紙があったというのにアレクサンドルは自分の部屋には戻らず、そのまま帰省の列車に乗ってしまいます。
そしてアレクサンドルは自らの意思で、死という選択を選び、その想いに決着をつけるのです。
ジョルジュがアレクサンドルの部屋に残した手紙を読んでいればこんな悲劇はおきなかったのにと思います。どこか、シェイクスピアが書いた悲劇のようにも感じます。
アレクサンドルが死を選んだことが、純粋に人を信じ、愛し、自分を偽らなかったからと言いたいのは良くわかるのですが、何故、そんなに美しい心をもった人間は死ななければいけないんですか!という怒りが湧くわけですよ〜。
同性を愛することがいけないという暗黙の世の中の常識とされているものに殺されたんでしょ。アレクサンドルは!と言いたいです。
そんなの悲しすぎますよ。
監督のジャン・ドラノワはフランス映画における「良質の伝統」を最も体現する職人監督として、カンヌ国際映画祭のグランプリに輝いた『田園交響楽』(1946年)や『愛情の瞬間』(1952年)、「トリスタンとイゾルデ」の伝説を現代によみがえらせた『悲恋』(1943年)など数々の映画を大ヒットさせ、しかしそれゆえにヌーヴェル・ヴァーグ世代の若手から罵倒にも等しい批判を受けた人です。
当時まだ22歳だったフランソワ・トリュフォーは、フランス映画を代表する著名なシナリオ作家たちを名指しで攻撃したんですね。シナリオ作家の書いた脚本が作品の良し悪しを左右し、肝心の映画監督の存在が形骸化し、シナリオ作家主体のフランス映画は単なる文学の延長線上に過ぎず、映画でしか成し得ない表現を放棄していることを嘆いたんです。
一見したところ難解そうな主題や言葉を用いることで通俗的なメロドラマを高尚な芸術作品のように装った心理的リアリズム映画の「偽善性」をも見抜いていて、そういった作品の監督として、やり玉に挙がったのが、クロード・オータン・ララであり、ルネ・クレマンであり、イヴ・アレグレであり、ジャン・ドラノワだったんです。
僕はフランソワ・トリュフォー監督は好きですし、彼の言いたいこともわかりますけど、ちっと言い過ぎじゃない?極論だよと思うところもありますね。
僕は「良質の伝統」すなわち「職人的な映画人の手による完璧な映画」と呼ばれる、スタジオセットを駆使することで生まれる洗練された映像美に溢れた1930年代のフランス映画も大好きですから。
ジャン・ドラノワ監督の作品は、演出はオーソドックスで、映像は洗練はされてはいないけど、構図には奥行きや変化もあって、手堅い職人だという気がします。
カイエ・デュ・シネマ派=ヌーヴェル・ヴァーグ作家たちに古臭いと非難されたジャン・ドラノワ監督の作品も今観れば、フランス映画らしいリリシズムに溢れていてなかなかいいものですよ。
長年、観てみたいと思っていた作品をまた一つ観れて良かったです。