風と木の詩

 

最近、とても興味深い本を2冊、続けて読ませてもらいました。

 

最初に読んだのは、2016年に出版された、竹宮惠子・著『少年の名はジルベール』で、続けて読んだのは、2021年に出版された、萩尾望都・著『一度きりの大泉の話』です。

 

『少年の名はジルベール』を読むことになったのは偶然でした。こんな本があるとも知らなかったし、読みたいと思って探した訳でもありませんでした。

 

僕は本を読むのが大好きで、子供の頃から書店で気に入った本を時間をかけて探すのが楽しくて仕方がありませんでした。

 

でも、新型コロナウイルスの流行により、人混みへ出かける事に少し抵抗を感じるようになり、ここ数年、書店へ行く回数も減っていました。

 

インターネットで検索して本でも衣類でも購入する事が増え、便利さと引き換えに一抹の寂しさを感じているこの頃です。

 

そんな時、僕は紙製の書籍が大好きなのですが、オンラインブックストアの最大手、Amazonが提供している電子書籍Kindleを利用することにしたんです。

 

最初は少し電子書籍というものには抵抗があったんです。でも会費を払えばでKindle Unlimitedといって会員は追加料金なしで読み放題の本がたくさんあるし、スマートフォンで気軽に読めるので、この頃はそれが当たり前になってきました。

 

ある日、Kindle Unlimitedのラインナップをつらつら見ていたら『少年の名はジルベール』というタイトルを見つけたんです。

 

本の作者、竹宮惠子さんと言えば、若き日の同性愛者の僕の胸を激しく揺らした『風と木の詩』の作者だし、表紙の絵はまさしく『風と木の詩』の主人公『ジルベール』だし、どんな内容かもよく分かりませんでしたが、これは読むべしとダウンロードした次第です。

 

『少年の名はジルベール』は、少女マンガで革命を起こそうと、少女マンガの黎明期を第一線の漫画家として駆け抜けた竹宮惠子さんの半生記でした。

 

◎石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。

 

◎高校時代にマンガ家デビューし、上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。

 

◎後に大泉サロンと呼ばれる東京都練馬区大泉の借家で「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。

 

◎当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を耽美的に描き、現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築いた大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話などなど…。

 

2000年に京都精華大学マンガ学科の教授に就任し、漫画家として日本初の大学の専任教員となられ、2008年、京都精華大学マンガ学部の学部長に就任(2020年、定年退職)されたこともこの本を読んで初めて知りました。

 

竹宮さんが、「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った『大泉サロン』と呼ばれた場所があったことも知りました。

 

『大泉サロン』とは、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、竹宮惠子さんと萩尾望都さんが1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名だそうです。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家さん達が集った伝説の場所と言われているのです。

 

『大泉サロン』と呼ばれた借家を紹介したのは、もともと萩尾望都さんのファンでありペンフレンドでもあった増山法恵さんという方で、竹宮さんが徳島から、萩尾さんが福岡から上京後に2人の共通の友人となるのです。

 

サロンと言っても築30年以上の古い建物だったそうですけど…。

 

2人が同居をはじめる際、『別冊少女コミック』の副編集長であった山本順也さんは、一つ屋根の下に才能ある作家同士が一緒に住むのは前代未聞、絶対うまくゆく筈がないとして反対したといいます。

 

最初は志を同じくする仲間が集まる場所として楽しくやっていたようですが、萩尾さんの独創的で映画的なカット割を使った斬新な表現、そして今までにない技法での大胆な描写、『月刊少女コミック』の柱として毎月小枚数の時でも必ず掲載させる方針の山本順也編集者の熱意、サロンを訪ねてくる萩尾さんファンの多さなどを見ているうちに、竹宮さんは山本順也さんが危惧した通り、萩尾さんを意識しすぎて、やがてスランプとなり、精神的な変調状態になるのです。

 

そして2年間後、竹宮さんは萩尾さんに「距離を置きたい」と『大泉サロン』は解散することになるのです。

 

竹宮さんはそれを天才・萩尾望都への自分の一方的な嫉妬として語ってらっしゃるんです。

 

『少年の名はジルベール』は竹宮惠子さんにとって創作者としての模索と苦悩、旧態依然とした業界の慣習を打ち破りたいと理想と情熱に燃えていた戦いとも呼べる日々が書かれていて、大変面白く読ませていただきました。

 

トーマの心臓

 

するとネットで、『少年の名はジルベール』の内容に意義あり!と萩尾望都さんが書かれた本があると知り、『一度きりの大泉の話』をAmazonで取り寄せて読んでみました。

 

僕はこの2冊を読むまで、竹宮さんと萩尾さんの間に何があったのか全然知らず、ただお二人の作品を長年、楽しませていただいていただけの人間だったので、色々考えさせられました。

 

『大泉サロン』が解散した後、お二人が現在まで長年、断絶状態であることを知り驚きましたし、その理由が才能あるもの同士の、お互いが人生の全てを捧げた『マンガ』への愛と、決して譲ることの出来ない『誇り』のぶつかり合いだったんじゃない?なんて感じてしまいした。

 

少女マンガの世界には「花の24年組」と呼ばれた作家たちが存在するんだそうです。昭和24年前後に生まれた作家たちは、萩尾望都さんと竹宮惠子さんが同居生活していた『大泉サロン』に集結し、さながら「少女マンガ版トキワ荘」のように切磋琢磨し、その作風はのちに「新感覚派」とも呼ばれ、次々と新機軸の作品を世に送り出し「少女マンガ革命」を成し遂げた…というのがこれまで語られてきたマンガ史の定説で、マンガファンの間ではそれが伝説のような語られてきたんだそうです。

 

萩尾さんは、その件に関しても今まで何も語られてはこなかったそうですし、竹宮さんとの断絶理由もご自身の口からはおっしゃってはいなかったんです。

 

萩尾さんが長い長い沈黙を破ったのは、竹宮さんの『少年の名はジルベール』が出版された後、マスコミや出版社から『大泉サロン』のことをドラマ化したいとかドキュメンタリー番組にしたいという依頼がひっきりなしにあったからだそうです。

 

NHKあたりがドラマ化しそうですもんね。朝ドラの企画に上がればすぐ通りそうですし。

 

「なぜいつまでも竹宮さんと和解しないのか」と問われることが、萩尾さんは苦痛だったそうです。長年、心の奥底に封印してきた、思い出したくもない苦い出来事を、何も知らない他人がズケズケと聞きたがることに萩尾さんは耐えられなくなったんでしょう。

 

オファーやらインタビュー申し込みやらが断っても断ってもいつまでも続いたそうで、疲れ果てた萩尾さんは「皆さん、これ読んでください、これ読めば私が竹宮さんにまつわることに口を閉ざす理由もわかるでしょう」と知ってもらうために書いたのが『一度きりの大泉の話』なんです。

 

僕がこの2冊を読んで感じたのは、竹宮さんは『自負心(自分の才能や仕事について自信を持ち、誇りに思う心)』が強い人。萩尾さんは『自尊心(他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるか)』が強い人だなということです。

 

僕もどちらかと言うと『自尊心』が強い方だと思うので、萩尾さんの気持ちがとてもよくわかるのですが、竹宮さん、萩尾さん、どちらが良いとか悪いとか、間違ってるとか、正しいとかじゃないと思うんです。

 

全くタイプが違う二人だけれども、『マンガ』に対する愛は負けてはいない。ただ目指していた方向や見つめていた景色が違っていただけではないのでしょうか。

 

竹宮さんは、マンガで革命を起こす…。と決意し国立大学を中退してまでマンガ界に入ってこられた方で、強い意思をお持ちでした。

 

竹宮さんの言う「革命」とは、女性作家の待遇改善(原稿料の賃上げなど)と、少女マンガの質的向上でした。それと当時の少女マンガ業界の常識では到底、許容されるものではなかった、少年同士の恋愛物語を掲載させることです。

 

竹宮さんは、それを成し遂げられたのですから、立派ですよね。

 

萩尾さんは、竹宮さんとは全く違う性格の方で、ただ好きなマンガを自分の好きなように描いていられればそれで幸せという人なんです。

 

周りで何が起こっていても、興味がなければそれに合わせることもしない。おべんちゃらもお世辞も苦手。だけど良いものは良いと素直に口にできる人なんじゃないでしょうか。

 

大泉サロンを訪れる若き少女漫画家たちを集め、あれこれ議論し、少女漫画革命を起こそうと躍起になっていた竹宮さんの近くでひたすらマイペースにマンガを描いていた萩尾さん。誰も真似できない画力とストーリーを紡ぎ出す萩尾さんのセンスに次第に自信をなくし、心の安定を失ってゆく竹宮さん…。

 

そんな二人の間が修復不可能になったある出来事が起こります。

 

萩尾さんがギムナジウム(中等教育機関)を舞台にした作品を先に発表したことで、竹宮さんに問い質されます。作品の舞台が同じである『風と木の詩』のアイデアスケッチを「あなたに何度も見せたわよね?」と。

 

「真似したんでしょ?」と言われたように萩尾さんは受け止めたのです。

 

萩尾さんは私の作品への冒涜と創作への非難だと大きなショックを受けらけます。体に変調が起こるくらいに。

 

それから、萩尾さんは竹宮さんの全てをシャットダウンされるようになったのです。

 

僕はどちらが悪いわけではないと思います。クリエイター同士の間ではよくあることだと思うし、お二人が70年代に自身の作風で表現の可能性を広げた、少女マンガの変革者であるのは、変わりようのない事実であるのですから。

 

僕の話で恐縮ですが、以前、広告業界にいた者からすれば、何かを作り上げる過程ではよくあることです。

 

僕は萩尾さんタイプなので、誰かをライバル視したり、嫉妬したり、競うとか争うとかよく分からない人間んです。人生を勝ち負けで測る人は理解できませんし。

 

ただクライアントの要求に応えられるデザインをしたいと思っていただけでしたが、自負心が強い人からすれば、何か言いたくなるんでしょうね(笑)。

 

クライアントの宣伝部に意地悪な人がいて、嫌味はよく言われましたよ〜。粗探しされたり、ディレクターに陰口されたり、失敗してもニコニコしているのが気に入らなかったんでしょ(笑)。

 

僕がデザインしたもので、売り上げがUPすれば、掌を返すような人もいますし。それが普通の世界です。

 

プレゼンで僕が落ちたりすると「ざあまあみろ」と面と向かっていう人もいたり…。

 

こちらが言い返せないと知っているから言えるんだろう、つまらない奴めと、そんな時は心で呟き落ち着かせていましたが、生きていれば傷つくことはしょっちゅうです。

 

僕も2度と会いたくないと思っている人間は3人くらいいますよ〜(笑)。思い出すのも語るのもいやな人。自分を守るためにはそれしかないじゃないですか。

 

マンガファンからすると、萩尾望都さん、竹宮惠子さんを、はるか雲の上の神のような存在なんて崇め奉る人がいますが、お二人だって悩んだり、苦しんだり、傷ついたりする我々と同じ人間なんですからね。

 

表現を生業とする人間同士にとって、物事がうまくかみ合わなくなることなんて避けられないことだし、表現者は孤独でなければいけないのかなぁなんて、竹宮さん、萩尾さんの本を読んで感じてしまいました。

 

そして、傷を負うことを恐れてはいけないんだなということも学びました。

 

興味のある方は2冊同時にお読みください。お二人のファンなら、読むべき本だと思います。