今年は、『極彩色の鬼才』と呼ばれる五社英雄監督の没後30年です。

 

祥月命日の8月30日に向けて『没後30年 五社英雄 情念の軌跡』と題した大プロジェクトが始動するようです。

 

それに伴い、未だパッケージ化されていなかった『人斬り』『牙狼之介』『五匹の紳士』『出所祝い』など9作品が遂にDVDもしくはBlu-rayイ化されることになりました。

 

これにより、五社監督が遺した映画化作品24本がパッケージ化されることとなります。

 

ポニーキャニオンからは、『御用金』『人斬り』『女殺油地獄』3作品のDVD及びBlu-rayディスクが、東映ビデオからは『牙狼之介』『牙狼之介 地獄斬り』2作のDVDが8月30日(火)にリリースされます。

 

さらには、松竹からは『獣の剣』『五匹の紳士』『十手舞』の3作、東宝からは『出所祝い』のDVDが2022年内に発売される予定だそうです。

 

個人的には、監督の遺作である『女殺油地獄』のBlu-ray化が大変嬉しいです。長い間、ソフト化されていませんでしたからね。

 

またCS・BSでは五社英雄監督の特集プログラムが続々放送されます。東映チャンネル・日本映画専門チャンネルは8月に7作品、9月に5作品が放送されます。

 

加えて、WOWOWでは『没後30年 五社英雄の時代劇』と題し、9月に6作品の放送が予定されています。

 

そして、4月にリニューアルされた池袋・新文芸坐でも、8月27日(土)から10日間、全10作品の特集上映が行われます。

 

亡くなられてもう30年も経つんですね〜。

 

五社監督は、大学卒業後、映画会社への就職を望みますが叶わず、民放ラジオ局のニッポン放送に職を得ますが(1954年)どうしても映像業界での仕事を強く希望し続け、ラジオ局系列のテレビ局であるフジテレビの開局にあたり出向となり(1959年)、その後正式社員となります。

 

刑事ドラマ、ギャングドラマなどの演出を担当後、自身が企画したテレビ時代劇【三匹の侍】(1963~1969年〔フジテレビ〕系列)が当時最高視聴率42%を記録し、五社英雄さんの名は業界内で高まります。

 

テレビでの好評を受け、【三匹の侍】は1964年、松竹で映画化されることになります。監督には五社さんが起用され、念願の初映画監督作となりました。

 

今では珍しくはありませんが、当時、テレビ局のディレクターが映画を撮ることは珍しく、テレビを「紙芝居」と見下げていた映画業界人から反感を持たれ、様々な嫌がらせを受けたそうですが、五社さんは映画を撮れる喜びと「やるぞみておれ」という心意気で迫力のある豪快な娯楽時代劇を完成させます。

 

『三匹の侍』以降、五社さんは映画を多数監督していくことになります(【獣の剣】、【丹下左膳 飛燕居合斬り】、【牙狼之介】、【牙狼之介 地獄斬り】)などなど。テレビの出現により、衰退の一途を辿っていた映画界にとって五社さんの演出力は魅力だったようですね。

 

その後、五社さんは、1969年(昭和44年)にフジテレビが映画製作に乗り出すこととなり、多額の製作費を使った映画の監督を任されることとなります。

 

フジテレビ製作第1作目『御用金』、第2作目『人斬り』のアクション時代劇は大成功を納めます。2作とも興行成績ベスト10にランクインし、五社さんは映画界のヒットメーカーに位置づけられるようになります。

 

映画『御用金』、『人斬り』の大ヒットにより、1969年(昭和44年)11月にフジテレビの編成局映画部長に昇進した五社さんは、思い通りのテレビドラマ作品を企画できる立場になります。

 

しかし、社内事情で報道部へ異動となり、ドキュメンタリーなどを製作したりする傍ら、東宝で映画『出所祝い』、東映で『暴力街』などを監督しますがあまりヒットせず、映画会社からのオファーがなくなってしまいます。

 

指定暴力団・六代目山口組の傘下組織である右翼系暴力団と関係があることがフジテレビ経営陣の逆鱗に触れ、五社さんは現場から外され、調査役として総務局の経営資料室に左遷となるのです。

 

反社会的な世界をテーマに映画づくりをしていると、そういう世界に引っ張られてしまうのでしょうかね〜。五社さんは背中に刺青を掘られていたそうですしね。

 

好きな映画を撮れなくなってしまった五社さんは、会社にほとんど出社せず、俳優座に入り浸っていたそうですが、そんな五社さんに俳優座映画放送の社長・佐藤正之さんが助け舟を出し、松竹配給の『雲霧仁左衛門』の監督を依頼します。

 

『雲霧仁左衛門』は、池波正太郎さんの長編小説を、仲代達矢さんら豪華キャストを迎えて映画化した娯楽時代劇大作です。

 

非情な武家組織に追われて盗賊と化した男と、火付盗賊改方の死闘を描きます。仲代達矢さん他、岩下志麻さん、倍賞美津子さん、市川染五郎(現・松本白鴎)さん、丹波哲郎さん、松坂慶子さん、松本幸四郎(初代・松本白鴎)さんら華やかな顔ぶれでヒットします。

 

次作『闇の狩人』も仲代達矢さん、原田芳雄さん、いしだあゆみさん、岸惠子さん、丹波哲郎さんと豪華キャストを起用し、エロスと暴力と血しぶきを際立たせた演出と、激しい大殺陣で大エンターテイメントに五社さんは仕上げます。

 

五社さんは、原作の枠組を残しながらも、根本を改変し、凄まじい極彩色に塗り変えてしまうので、映画はヒットしましたが、原作者の池波正太郎さんの怒りをかってしまうのです。

 

繰り返される派手なアクション、血みどろの暴力描写、濃厚な濡れ場の数々…。

 

まぁ、これがないと五社英雄作品とは言えないんですけどね〜(笑)。

 

原作者の池波正太郎さんはこう言っています。

「『闇の狩人』なんかは、確かに金もかかっているし、客もそれなりに入ったらしいけれども、これは観るに値しない大作ですね。大作にもこういう駄作もある」

 

「今度の『闇の狩人』と去年の『雲霧仁左衛門』、どちらも松竹作品で五社英雄が撮ったんだけれども、この二本だけは非常に不愉快な思いをしました。

 

一言で言えば監督がダメだから。血に狂った劇画のような、エロと血しぶきのバイオレンスをいまでも新しいと思い込んでいるのだからどうしようもない」

 

五社監督はこう言っています。

「どきどきわくわくで、あれよあれよの大連続。そんな映画を撮りあげたい。小粋で凄く てパンチがあってバッタのようにはねていて、極彩色の毒がある。そんな映画を作りたい」と。

 

どちらの気持ちも良く分かります〜(笑)。

 

映画評論家たちからの風当たりは強くても、プロデューサーから信頼され、観客を沸かせ、監督として一定の支持を得た頃、五社さんの妻が2億円の借金を残して家出し、娘・巴さんが交通事故に遭い危篤状態となり、五社さん自身も拳銃所持の銃刀法違反容疑で逮捕されたりとプライべートでは問題が続き、フジテレビを依願退職されます。

 

映画界ではもう仕事はできないと諦めかけていたときに、東映社長の岡田茂さんと、俳優座の佐藤正之さんが五社さんに救いの手を差し伸べます。

 

東映京都撮影所の日下部五朗さんが仲代達矢さんを主役で企画していた『鬼龍院花子の生涯』の監督オファーでした。

 

情けをかけてくれた二人の為に、失敗は許されないと五社さんは情熱を込め、全身全霊で作品を完成させます。

 

五社さん渾身の活動再開第1作『鬼龍院花子の生涯』は、1982年(昭和57年)6月に公開されて大ヒットとなりました。夏目雅子さん演じる松恵の発する「なめたらいかんぜよ!」という台詞は映画史に残る名台詞ですよね。

 

僕が初めて五社英雄監督作品に触れたのも『鬼龍院花子の生涯』でした。高校生の頃かなぁ。

 

僕はその頃、原作者の宮尾登美子さんの小説『一弦の琴』、『陽暉楼』などを読んでいて、宮尾文学の大ファンだったので、『鬼龍院花子の生涯』は原作は未読でしたが、その頃は誰が監督かも興味はなく、ただどんな風に宮尾作品が映像化されたのかに興味があり観たという感じでした。

 

大正末期から昭和にかけ、土佐の高知に徒花のように咲いて散った侠客・鬼龍院政五郎と彼を取り巻く女たちの凄まじくも絢爛たる愛憎劇に始終圧倒されっぱなしでした。

 

初めて観た五社英雄監督の世界は、ダイナミックで強烈なエロチシズムと外連味に溢れ、鮮烈で濃厚な映像美の中で登場人物の生き様が生々しく描かれていて、僕はそれまで子供だったし、任侠映画というものを観た事がなかったので、何もかもが驚きに満ちていて新鮮だったんです。

 

『鬼龍院花子の生涯』を観て、監督五社英雄という名前は僕の心に深く刻まれることとなりました。

 

次に観たのは『陽暉楼』でした。僕は原作を読んでとても感動していたので、あの原作が映像化されるとこんな風になるんだと驚いたことを鮮明に覚えています。

 

原作のテーマや物語の芯や根っこはしっかりと掴んであり、シーンごとの描き方が濃厚で華麗で、ヒロインたちの色香が匂いたつようで、男女の愛憎や親子の葛藤がこれもでもかと描写されていて、愛してはいけない人を愛したが為に、華やかな人生舞台から哀れな末路をたどる、土佐随一の芸妓の哀しく痛ましい若き生涯が、五社流に描き尽くされていて感動しました。

 

『女は競ってこそ華、負けて堕ちれば泥』

 

これは映画『陽暉楼』のキャッチコピーです。なんて素敵なんでしょう!

 

次に観たのが、“高知3部作”の最終作、宮尾登美子さんの自伝的小説を映画化した『櫂』です。

 

大正初期から昭和十年代までの高知を舞台に、女衒(女性を遊女屋などに売ることを業とする)の一家とそれに関わるさまざまな人間を描きながら、ヒロイン喜和の女として妻としての愛と悲しみ、忍従の30年を描いた作品です。

 

僕は原作を読んでいますが、原作の良さを五社監督は上手く映像化していましたね。

 

この映画が名作になり得たのは、ヒロイン喜和を演じた十朱幸代さんの名演技に尽きると思います!

 

宮尾登美子さんが作家として注目されたのは、1962年『連』で婦人公論女流新人賞を受賞してからです。

 

受賞後、宮尾さんは20年連れ添った夫と離婚。そして再婚、その後、借金が元で逃げるようにして一家で上京。六畳一間のアパートに落ち着き、子育てをしながら生活のためにフリーでライターの仕事をされますがうまく行かず、ある出版社の編集部に就職。これが作家としての自分を見直す契機になられるのです。

 

華々しく新人賞を受賞された宮尾さんですが、作家としてはその後10年間、泣かず飛ばずの時代を過ごされます。出版社に原稿を渡すと丁重に送り返されてきたそうです。宮尾さんにもこんな時代があったんですね。

 

その間、それまで劣等感を感じていた生家のことを書く決心をし、九年余を費し、依頼されたわけでもなく、発表する場があった訳ではないのにコツコツと命を削るように書かれたのが『櫂』なんです。

 

1972年に自費で出版すると評判をよび、1973年同作で太宰治賞を受賞され、作家としての地位を固められます。

 

大正から昭和初期の高知の花街を舞台に、15歳で渡世人あがりの剛直義侠の男に嫁いだ喜和という薄幸の女性のひたむきな生涯が緻密な筆致で描かれていて、胸が熱くなる傑作小説です。

 

ヒロインの喜和は、宮尾さんの育ての母にあたる人です。夫が他の女性との間に作った子供(宮尾さん)を慈しんで育ててくれた人なんです。

 

でもただ夫の言うなりに流されて生きた女性ではないんです。心に熱い情念を秘めた、自分の心に嘘がつけない、真っ正直で生きる事が不器用な女性です。

 

そんな喜和を十朱幸代さんは丁寧に心を込めて演じてらして良いんですよ〜。抗えない人生だとしても決して泣き言は言わない…。宮尾文学のヒロインの原点です。素敵です。

 

五社監督の作品は、極彩色だ、外連だと見た目の派手やかさばかりが注目されますが、『櫂』のようにじっくりと一人の女性の半生を描くことも上手い監督だなぁと思います。

 

原作にあるエピソードをちょっと盛って、色をつけて演出してしまうところはありますが、それはそれ、五社監督の個性ですからね。僕は良いと思いますよ。任侠物を得意とする東映カラーとでも言いますか(笑)。

 

僕が好きな五社英雄監督の作品です。

◎雲霧仁左衛門(松竹/俳優座/1978年)

◎闇の狩人(松竹/俳優座/1979年)

◎鬼龍院花子の生涯(東映/俳優座/1982年)

◎陽暉楼(東映/俳優座/1983年)

◎櫂(東映/1985年)

◎極道の妻たち(東映/1986年1)

◎吉原炎上(東映/1987年)

◎陽炎(バンダイ/松竹/1991年)

◎女殺油地獄(フジテレビ/京都映画/1992年) 

 

『陽暉楼』『櫂』『吉原炎上』『女殺油地獄』の4本は海外でも絶対受けると思いますね〜。どこかの映画祭で特集上映でもすれば良いのにと思います。

 

五社英雄監督が亡くなって30年、監督が残された作品は決して古びたりしないと思いますが、もう少し長生きしていただきたかったですね。

 

人間の賢さ愚かさ、醜さしたたかさ、情念の迸りをもっともと描いて欲しかったです。

 

今の日本映画がつまらないのはそれが足らないからじゃない?