昭和を代表する名脇役女優に、沢村貞子さんという方がいらっしゃいました。

 

浅草で生まれ育ち、1989年(平成元年)の女優業引退までに350本以上の映画に出演されました。また、名文家としても知られ、60歳を過ぎてからはじめた随筆も12冊が刊行されています。

 

沢村貞子さんは、1908年(明治41年)11月11日、狂言作者だった父・竹芝傳蔵(本名:加東伝九郎)、兄は歌舞伎役者の四代目・澤村国太郎、弟は映画俳優の加東大介という芸能一家の2男2女の二女として東京市浅草区でお生まれになります。

 

浅草尋常小学校を経て、1921年(大正10年)に府立第一高等女学校(現・都立白鴎高等学校)に入学。1923年(大正12年)の関東大震災で家も焼けたため、一時母親の実家の群馬県吉井町に身を寄せますが、単身東京に戻り、学費を稼ぐために家庭教師をしながら女学校に通われます。

 

1926年(大正15年)、日本女子大学師範家政学部へ入学。在学中に役者を志し、新築地劇団の研究生となり初舞台を踏まれますが、次第にプロレタリア演劇運動へ傾倒するようになり、二度の逮捕を経験されます。

 

日本女子大学中退し、釈放後は映画女優を目指し、日活現代劇部(日活太秦撮影所現代劇部)に入社。『路傍の石』で性格俳優として注目されます。

 

1956年(昭和31年)、『赤線地帯』『太陽とバラ』『現代の欲望』『妻の心』で毎日映画コンクール(第11回)助演女優賞を受賞。1977年(昭和52年)年に発表した自伝的随筆『私の浅草』で、日本エッセイスト・クラブ賞(第25回)を受賞し、初の自伝『貝のうた』と『私の浅草』は連続テレビ小説『おていちゃん』の原作となりました。

 

80歳になり立ち上がるたびに「どっこいしょ」とかけ声をするようでは女優は務まらないと、1989年(平成元年)のNHKドラマ『黄昏の赫いきらめき』を最後に女優業を引退され、その後は海を眺められる神奈川県横須賀市の自宅に隠棲し、執筆活動と得意の料理に打ち込む生活を送られました。

 

1996年(平成8年)8月16日、心不全で横須賀市の自宅にて87歳で亡くなられます。

 

翌1997年(平成9年)、日本アカデミー賞(第20回)で特別賞が没後追贈されました。

 

沢村さんの姉は民俗学者の矢島せい子さん、甥(兄・国太郎の息子)は俳優の長門裕之さん・津川雅彦さん兄弟です。夫は今村重雄さん(俳優)、藤原釜足さん(俳優)、大橋恭彦さん(映画・演劇評論家)と3回結婚をされました。

 

どうして今回、沢村貞子さんのことをblogに書こうと思ったかと言いますと、近所の古本屋さんで沢村さんが書かれた『わたしの茶の間』というエッセイを見つけて読んでみて、とても共感する部分が多く、胸がジーンとする文章に何度も出逢ったので感想を書いておきたいなと思ったからです。

 

僕は俳優・女優さんが書かれた自伝やエッセイを読むのが大好きで、高峰秀子さん『わたしの渡世日記』、岸惠子さん『巴里の空はあかね雲』、岩下志麻さん『鏡の向こう側に』、吉永小百合さん『夢一途』、乙羽信子さん『どろんこ半世紀』、池部良さん『そよ風ときにはつむじ風』、岡田茉莉子さん『女優 岡田茉莉子』などなど、ご本人の言葉で実際に書かれたものは僕は真実だと思うし、芸能という世界で、主役として走り抜けてこられた方々の人生って面白いですよ。やっぱり。また皆さん文章が達者で素敵です。大好きな作品の撮影時の裏話を知れたりするのもとても嬉しいですしね。

 

その中でも、沢村貞子さんの書かれたものを読むと、身が引き締まると言いますか、背筋が伸びるような感覚になり、読後感が爽やかなんですよね〜。こう生きて行ければなぁと思わせる素敵な文章なんですよ。

 

日本の演劇界には過去に、飯田蝶子さん、浦辺粂子さん、北林谷栄さん、清川虹子さん、千石規子さん、浪花千栄子さん、東山千栄子さん、三益愛子さん、毛利菊枝さんなど名脇役女優と呼ばれる方がたくさんいて、その中でも断トツに映画界で出演作が多かったのは沢村貞子さんじゃないでしょうか。

 

僕は往年の日本映画が大好きですので、沢村貞子さんのお姿は今までたくさん観させていただいています。

 

沢村貞子さんの出演作で、僕が強烈に印象に残っている3本を紹介しておきます。

 

◎『妖刀物語 花の吉原百人斬り(1960年)』

内田吐夢監督の古典芸能四部作のうちの第三作目にあたります。三世河竹新七(河竹黙阿弥の高弟)の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」(1888年初演)を原作に、依田義賢さんが脚本化された傑作です。

 

商売に真面目一筋だった主人公、次郎左衛門(片岡千恵蔵さん)が遊女・八ツ橋に惚れ込み、花街にうごめく金と悪徳に巧妙に絡めとられ、名誉と自尊心をことごとく踏み潰され、落ちてゆく様をダイナミックに華麗に描いた作品です。

 

八ツ橋を演じた水谷良重さんの代表作の一つと評価されています。沢村さんは、次郎左衛門から口八丁手八丁でお金を搾り取るだけ絞りとる、八ツ橋を抱える引手茶屋「兵庫屋」の女将を演じていて、強烈な凄みのある演技で圧倒させてくれます。

 

◎『結婚相談(1965年)』

円地文子さん原作で、婚期を逃した女性(当時はオールドミスと呼んだんですよ!)の「婚活」、という現代的テーマを、中平康監督&和製オードリー・ヘップバーンと呼ばれた芦川いづみさんのコンビで映画化した作品です。

 

同僚・幹子の結婚式に出席した鶴川島子(芦川いづみさん)は、母や姉弟の面倒を観ているうちにふといつのまにか婚期を逸して三十歳となったわが身を顧りみた、心の片隅に焦りを感じます。

 

新聞広告でみつけた戸野辺力(沢村貞子さん)結婚相談所を訪ねるのですが実はそこは女所長が配下の男をサクラにした売春斡旋組織という裏の顔を持っていたのでした…。

 

この結婚相談所の面倒見の良いおばさん女社長を演じた沢村貞子さんの演技が素晴らしいんです! 結婚を急ぐヒロインの焦りをうまく利用し、蜘蛛が糸を吐くように嘘と脅しで縛り上げ、絡めとり、底知れぬ奈落へ落としてしまうドス黒い演技を魅せてくれます。唸っちゃいます。

 

◎『氾濫(1959年)』

原作者・伊藤整さん自身が映画化不可能と述べた長編小説を、増村保造監督が現代社会の人間の心に宿る空虚を緻密な構成かつ見事な群像劇として鋭く描き出した作品です。

 

画期的な接着剤を開発した科学技師の真田佐平(佐分利信さん)は学術大賞を受賞。一躍、平技師から会社の重役の座に就きます。会社の株を贈られ、立派な家も買い、一気に生活が豊かになった佐平の妻、娘たちは浮かれたように派手な毎日を過ごすようになるのです…。

 

沢村さんは佐平の妻・文子を演じているのですが、慎ましい暮らしから、連日マダムの会へ出席したり、果ては娘のピアノの先生と不倫関係に。これは愛などではなく、ただお金欲しさに近づいた男に利用されただけなんですけど、そんな男にもいつか厭きられて、眼尻のしわ、頬のたるみ、荒れた手の甲など老醜を指摘されるんです。沢村さんはセリフはないんです。無言のまま表情だけで女としての虚栄とプライドがガラガラと崩れ去る瞬間を表現されるんですよ〜。見事です。

 

僕が初めて沢村さんのエッセイをよんだのは随分前のことです。2006年頃かなぁ、ある人から勧められて読んだんですけど『寄り添って老後』という沢村さん最晩年に書かれたものでした。

 

81歳で女優業の店じまいを決めた沢村さんが、人生の残りの時間を大切に、自分自身に恥ずかしいことのないように、明るく楽しく暮らしたい…と40年余り住んだ東京の家から海の見える住まいに引越した最晩年の日々と「老い」を冷静に見つめ、気取らず構えずユーモア溢れる筆致で綴った名エッセイでした。

 

読んだ頃はまだ僕なんか老後のことなんてちっとも意識してはいませんでしたが、とてもいい本を読んだなぁという印象は深く残っています。

 

3番目の夫、大橋恭彦さんは、京都の新聞記者でした。沢村さんが大橋さんと恋に落ちたのは30代の末。どちらも別居中とはいえ、先方にはお子さんもいました。それでも大橋さんは家族も仕事も捨てて、沢村さんの許へ…。

 

それに応えて、沢村さんは終生、大橋さんを立て、尽くされました。大橋さんの妻子への仕送りや彼が始めた映画誌への支援のため、自分の仕事を増やして多忙を極めても、家の中はいつも小ぎれいに気持ちよく保ち、夕食は心をこめて手作りをされた沢村さん…。

 

そんな沢村さんの生き方を「古い女」とか「所詮不倫」でしょとか、言いたい奴は言えばいい。人それぞれの生き方を古いだの新しいだの、人間性を明るいだの暗いだの、決めつける奴は僕は大嫌いです(笑)。

 

今回読んだ『わたしの茶の間』は2017年に新装版として復刻されたもので、ふだんの暮らしを楽しむ人生の達人と呼ばれた沢村さんが書き残した子ども時代の回想、夫への愛情と感謝、老いへの心構え、そして女優に関する十二章などなど。日本人が心に秘めた「美」と「徳」を呼び覚ますような珠玉の名エッセイ集でした。

 

深く共感することがたくさんあり、学びがいくつもありました。読んでいて心が豊かに、穏やかに、清々しくなれる至福の時でした。

 

戦前には治安維持法下で、所属劇団が思想弾圧を受け、自身も逮捕され、転向を強要されても拒否し、2年近く獄中生活を送るなど波乱の生涯を送ったことで知られる沢村さん…。

 

女として、妻として、人として、最後まで自らを貫き通し、人生を全うした沢村さん…。

 

まわりの人に優しく、でも嫌なことは嫌といい、心ゆたかに生きる…そうありたいと久しぶりに沢村貞子さんのエッセイを読んで僕も改めて思いました。