最近、幼い頃に観て、感銘や衝撃を受けた映画を時間があれば見直しているのですが、今日はその中の一本、ウィリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーン、ジェームズ・ガーナー主演、リリアン・ヘルマンの戯曲『子供の時間』を映画化した『噂の二人』(1961年)のことを書いておこうと思います。

 

『噂の二人』(1961年)

《スタッフ》

◎監督・製作:ウィリアム・ワイラー

◎製作補:ロバート・ワイラー

◎脚本:ジョン・マイケル・ヘイズ

◎原作:リリアン・ヘルマン

◎撮影:フランツ・プラナー

◎編集:ロバート・スウィンク

◎美術:フェルナンド・カレーレ

◎セット・デコレーター:エドワード・G・ボイル

◎音楽:アレックス・ノース

◎衣装:ドロシー・ジーキンス

 

《キャスト》

◎カレン・ライト:オードリー・ヘプバーン

◎マーサ・ドビー:シャーリー・マクレーン

◎ジョー・カーディン:ジェームズ・ガーナー

◎リリー・モーター:ミリアム・ホプキンス

◎アメリア・ティルフォード:フェイ・ベインター

◎メアリー・ティルフォード:カレン・バルキン

◎ロザリー・ウェルズ:ヴェロニカ・カートライト

 

『噂の二人』の原作となった戯曲『子供の時間』を書いたのは「反骨の劇作家」とも呼ばれたアメリカの女流劇作家リリアン・ヘルマンです。

 

リリアン・ヘルマンが戯曲を執筆し始めた1930年代はアメリカ経済は急激に落ち込んでいました。1933年3月に、ルーズベルト政権が発足し、目覚しい反転を見せ、経済が回復するまでアメリカがその歴史上最大とされる大恐慌の泥沼に沈んでいた時期です。

 

そして1930年代のアメリカは『赤の時代』とも呼ばれ、多くの知識人が左傾化した時代としても知られています。

 

※左傾化とは、左翼とか左派とも言いますが、政治においては「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指します。

 

「赤の恐怖」と呼ばれる現象が第一次世界大戦とその後の数年間でアメリカ合衆国国内に起こったんです。

 

戦争への反対者や破壊分子が戦争遂行努力を妨害しようとしているという多くのアメリカ人の間にあった怒りや恐れが、アメリカ社会に脅威となると疑われた者への抑圧と逮捕という暴挙に走らせます。

 

政府が国内の共産党員およびその同調者、支持者を公職を代表とする職などから追放する『赤狩り』という旋風が吹き荒れます。

 

文学界やハリウッドもその波に飲み込まれます。

 

『血の収穫』、『マルタの鷹』などが代表作で、『噂の二人』の原作者、リリアン・ヘルマンの長年のパートナーであり、推理小説の世界にいわゆるハードボイルドスタイルを確立した代表的な人物と言われるダシール・ハメットや、『噂の二人』の監督ウィリアム・ワイラーも『赤狩り』の犠牲者です。

 

リリアン・ヘルマンとダシール・ハメットの関係は僕が愛してやまない映画の一つ、フレッド・ジネマン監督のアカデミー賞3部門受賞作『ジュリア』(1977年)に詳しく描かれています。

 

リリアン・ヘルマンは生涯で3冊の自伝本を出版しています。『未完の女』(1969年)、『ペンティメント(邦題:ジュリア)』(1973年)、そして『眠れない時代』(1976年)。

 

その中の『ペンティメント』は、リリアンが自らの人生で出会った様々な人々についての想い出を綴った短編集なんです。そこに登場したリリアンの幼馴染とされる女性ジュリアのエピソードを映画化したのが『ジュリア』(1977年)です。

 

劇中で、ジェーン・フォンダ演じるリリアンがハメットに見守られながら執筆しているのが『噂の二人』の原作戯曲『子供の時間』なんですね〜。

 

リリアン・ヘルマンは第二次世界大戦前の一時期アメリカ共産党に加入し、ソビエトのスターリン政権を強く支持していたそうです。

 

長年のパートナーであった作家ダシール・ハメットも共産党員で、労働者運動や公民権運動の熱心な活動家だったんですね。なので、おのずと赤狩りの時代になると反米的な要注意人物としてマークされ、下院非米活動委員会の公聴会へ呼び出されることとなります。

 

友人・知人の共産主義者を告発しろといわれるのです。しかし、リリアンはこれを断固として拒否します。「たとえ自分を守るためでも友人を売り渡すことは出来ない」「社会の風潮に迎合して良心を捨てることは出来ない」との声明文を読み上げたんです。

 

その結果、リリアンは、ブラックリスト入りし、しばらく映画界での仕事を出来なくなりますが一方でその高潔で勇気ある行動により、多くの人々から尊敬を集めることとなったんです。

 

『ジュリア』(1977年)では、ジェーン・フォンダがマッカーシズムに対抗し、女性闘士と呼ばれたリリアン・ヘルマンという女性を美しく凛と演じ切っています。

 

しかし『ジュリア』が公開された直後から、リリアンの自伝に関して信憑性を疑う声が出始め、リリアンの著述に不可解な点が次々と発覚するのですが映画『ジュリア』は紛れもない名作ですから『噂の二人』同様、まだ観ていない方、おすすめします。

 

アメリカ演劇史における代表的劇作家、テネシー・ウィリアムズ、ユージン・オニール、アーサー・ミラーの作品は日本でも度々日本人キャストで上演されますが、リリアン・ヘルマンの戯曲は最近、取り上げられることがないですね〜。『噂の二人』の原作『子供の時間』にしても、ベティ・デイビス主演で映画化された『偽りの花園』の原作『子狐たち』も若手の俳優さんたちで舞台化してくれれば良いのになぁと思います。

 

1995年くらいに『リリアン・ヘルマン戯曲集』(新潮社)を購入し読みましたが、全然古びていない力強いテーマで人間が描かれているし、『子供の時間』も男性同士に変えて舞台化しても面白いと思います。

 

『噂の二人』はこんな物語です。

カレン・ライト(オードリー・ヘップバーン)とマーサ・ドビー(シャーリー・マクレーン)は学生時代からの親友であり、共同で寄宿学校を経営していました。

 

父兄からの信望も厚く、カレンの2年越しの恋人はこの地方の有力者ティルフォード夫人の甥である医者のジョー・カーディン(ジェームズ・ガーナー)でした。

 

しかしカレンが婚約に踏み切った時、なぜかマーサは苛立ちを隠せず、重い微笑を返すだけでした。

 

ティルフォード夫人の孫娘メアリーは平気で授業に遅刻し、咎められると言い訳をし、仮病を使い、平気で嘘をつく病的なほどのわがまま娘でした。

 

祖母のティルフォード夫人は、学校をずる休みしたメアリーを週明けの月曜日に、運転手付きの自家用車で学校へ連れていきます。車内で、メアリーは自分の都合の良いように脚色した話を祖母に打ち明けるのです。

 

学校へ戻りたくないメアリーは、マーサの叔母が何気なく言った言葉を祖母に耳打ちをします「カレンとマーサは怪しい、異常なの!」と。

 

それを聞いたティルフォード夫人は驚愕します。夫人は学校の入口で車を停車させ、メアリーを車内に置いて、一人で校舎に入って行きます。

 

玄関では学校を追い出されたマーサの叔母、リリー・モーターが旅の荷造りをしています。ティルフォード夫人は、リリー・モーターに「姪御さんは異常ですか?」と尋ねます。

 

「口は災いの元」の格言を知らない、誰にでも身内の内情をペラペラと軽率に喋るリリー・モーターはティルフォード夫人に愚痴を零します。

 

マーサは、今年で28歳。普通なら、夫か恋人が居ても当たり前の年齢。でも、あの子は違う。男が好意を持っても知らんふり。興味の対象は、ここの学校とカレンだけ。28歳の女が他人の子の面倒ばかり…。夜中まで働き詰めて、楽しみはカレンとの休暇だけ。カレンの結婚が決まってから、マーサは私に当たり散らすの。"女の友情"かしら。私にも女友達が居るけど、あれは異常と。

 

それを聞いたティルフォード夫人はメアリーに「もう、学校へは戻らなくて良い」というのです。その1時間後には、生徒の父兄たちが生徒を連れ戻しに次々とやってきます。

 

赤字だった経営もやっと軌道に乗り始め、初めて黒字になった矢先のことでした。何が起こったかわからないカレンとマーサは一人の生徒の父親を問い質します。

 

真相を知ったカレンとマーサはティルフォード夫人を訪問し問い詰めますが、孫娘を信じている夫人の心を翻すことはできません。

 

カレンとマーサはティルフォード夫人を名誉棄損で訴えますがが潔白を証明することができないばかりか敗訴してしまいます。

 

かえって二人は町中の噂と嘲笑の中に身をさらさなければならなくなってしまいます。噂の二人は無人の学校にひっそりと暮らしていましたが、ジョーですらかすかな疑いを持っていることを知ったカレンは婚約を解消してしまいます。

 

マーサはそれを知って心が激しく揺れるのを覚えるのです。そしてマーサはカレンに正直に告白します。「私の愛は、あなたのような純愛ではなくて、皆がウワサしていたような意味の愛かも知れないわ…そんな風にあなたを愛していたのよ。白状すると、あなたの結婚がイヤだったの。あなたを独占したくて。ずっと、あなたの愛情を求めていたのよ」。

 

「あなたに触られると、感じる時があるのよ。そんな自分が怖いの」。

 

「汚らわしい」と自分を責めマーサは泣き崩れます。

 

やがて孫娘メアリーの嘘がばれ、真実を知ったティルフォード夫人が謝罪に来ます。新聞には謝罪文を載せて、賠償金も全額お支払いします。どうかお許し下さいと言う夫人の言葉を冷たく拒否し、カレンは久しぶりに表へ出ます。

 

久しぶりに空の青さをしみじみとした思いで仰ぎ物思いに耽るカレンでしたが、ふとマーサのことが気になり部屋へ急ぎます。

 

庭から2階のマーサの部屋の窓を見上げたカレンの表情が険しくなります。急いで2階に駆け上がるとマーサの部屋の鍵が閉まっています。カレンは近くにあった燭台でドアを叩き破ります。

 

そこでカレンが見たのは、暗く閉ざされた部屋の中で首を括り自らの生命を絶ったマーサの姿でした…。

 

カレンはただ1人でマーサの葬儀を済ませ、ジョーやティルフォード夫人たちが遠くで見ているのを知りながら、決してそちらを見ることもなく、晴れやかな表情で町を去って行くのでした…。

 

僕は中学生の頃から、芸能好きな両親の誘導というか洗脳⁈で映画鑑賞や観劇が好きな子供だったので、観たいと思った映画は自分から進んで観ていました。当時はほとんど古い映画はTVの洋画劇場かレンタルビデオでの鑑賞でしたが、『噂の二人』もそんな時期に観た作品の一つです。

 

観る前はそんな深いテーマが描かれているなんて知らず、ただオードリー・ヘップバーン主演だということで観始めたんだと思います。

 

観終わった後、子供こごろに心を揺さぶられ、胸を掻き毟られるような気持ちになりました。

 

僕は同性愛者ですけど、初めてこの作品を観た時はまだ自覚はしてなかったかなぁ。好きになるのは学校の男性先生だったり、クラスメートの男子だったり、クラブの男性先輩だったりしましたけど、それが何なのかということに僕はまだ気付いていなかったんです。

 

この作品を観て、同性を好きになることは「汚いこと」なのかと衝撃を受けたのは確かです。この時代の同性愛者の人たちはこんな苦しい、辛い思いで生きていたのかということを知ったからです。

 

堅実に学園経営をしていたヒロインたちの周囲から、邪悪な心を持った子供が吐いた嘘により潮が引くように人々が去っていく様子は現代でもあることだし、失意のどん底で自分のせいでこうなってしまったの?という思いに追いつめられていくマーサの苦しみが僕の胸を抉りました。

 

マーサを演じるシャーリー・マクレーンの表情がマーサの心情を実に的確に表現していて見事です。瞬間的なんですけど、視線のやるせなさ、悲しげな微笑み、全てに心を揺さぶられます。

 

カレンの幸せを心から願っているはずなのに、抑えがたいカレンに対する激情に苛まれ、マーサが選んだ人生の決着が悲しすぎます。

 

同性を愛したというだけで、罪深いと呼ばれ、気持ちと悪といと蔑まれ、自己嫌悪に押しつぶされたマーサをただ弱かったなんて僕は言えないです。

 

マーサに対して、ヘップバーンが演じたカレンは自分にも他人にも厳しく、正論と正義を貫こうとする真っ正直な人です。

 

街の有力者のわがまま娘メアリーに対しても、容赦無く厳しく接します。その厳しさがメアリーの心を歪ませ、カレンとマーサを追い詰めたのだとしてもカレンは妥協せず、自分の信念を貫くのです。

 

カレンはリリアン・ヘルマンの想いが込められたキャラクターだと思いますね〜。『赤狩り』に対して断じて屈しなかったリリアンの人間としての強さを感じます。

 

ラスト、まっすぐ前を向いて微笑を口元に浮かべながら、颯爽と気高く胸を張って町を去ってゆくカレンの姿は神々しく見えます。ヘップバーンにぴったりの役柄ですね。

 

監督のウィリアム・ワイラーは、ハリウッド黄金期に活躍し、アカデミー監督賞を3回受賞した、アメリカ合衆国を代表する映画監督の一人です。

 

共産主義者ではないですが、映画製作における表現の自由を求めてハリウッドでの『赤狩り』政策に最後まで抵抗した人です。

 

ワイラー監督は、映画の製作に政治の圧力が掛かるハリウッドを離れて、グレゴリー・ペックと一緒にローマで映画を撮ることになります。それが、『ローマ休日』なんですね〜。『ローマの休日』の脚本家は赤狩りで追放されたダルトン・トランボですし。

 

ワイラー監督に見出されたんですよね。オードリー・ヘップバーンは。『噂の二人』の後は『おしゃれ泥棒』でもタッグを組んでますよね。

 

悪意に満ちた風評で全てを失うことは現代でもよくあります。追い詰められて自ら命を絶つ人も後を立ちません。人を陥れるような嘘や噂は醜いものです。この作品は現代にも通ずる深いテーマを内包した名作です。