1970年9月にイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の合作で『ひまわり』という映画が日本で公開されました。

 

監督はネオレアリズモ(イタリアンリアリズム)の一翼を担ったヴィットリオ・デ・シーカ。主演はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンです。

 

ロケ地となった「ひまわり畑」はソビエト連邦時代のウクライナのポルタヴァ州のチェルニチー・ヤール村と言われています。

 

「ひまわり」はウクライナの国花なんですね。

 

『ひまわり』は、2020年に50周年HDレストア版として上映されたのですが、今年、ロケ地であるウクライナがロシアによる軍事侵攻により多大な損害を受けているということで、第2次世界大戦でも激戦地となった同国の過去が現在と重なり、日本各地で再上映の輪が広がり、現在、劇場上映、自主上映が全国に急拡大しているのです。

 

このレストア版は、制作国でもネガが紛失していてプリントしか残っていないのですが、2011年と2015年、さらに2020年の3度に渡り、日本で修復が行われたものなのです。

 

『ひまわり』は、戦争に引き裂かれたイタリア人夫婦の悲劇を描いた名作なので、戦禍に苦しむ人々のことを考えるきっかけにと上映を呼びかけた配給会社は、料金収入の一部をウクライナの人道支援のために寄付するそうです。

 

僕の大好きな作品の一つですし、DVDも持っていますし、何度か観ていましたが、この機会に久しぶりに観てみたので今日はその感想を書いておきたいと思います。

 

映画を観るだけで、何かしらの支援ができるのです。本当に名画中の名画ですから、まだ観たことがない方には是非この機会に観て欲しいと思います。

 

『ひまわり』はこんな物語です。

第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿がありました。

 

戦時中、洋裁で生計を立てる陽気なナポリ娘ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアフリカ戦線行きを控えた兵士アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は海岸で出会い、すぐに恋に落ちてしまいます。

 

12日間の結婚休暇を目当てに結婚式を挙げた2人は、幸せな新婚の日々を過ごしますが、休暇の12日間は瞬く間に過ぎてしまいます。

 

戦場へ行きたくないアントニオは除隊を目論み、精神疾患を装いますがあえなく詐病が露見し、懲罰のためソ連戦線へと送られることになります。

 

見送るジョバンナに「毛皮がお土産だ」と笑顔を見せるアントニオら大勢の兵士を乗せた汽車はミラノ中央駅を出発するのでした。

 

終戦後、ジョバンナは年老いたアントニオの母親を励ましながら、アントニオの帰りを何年も待ち続け、ようやく同じ部隊にいたという男を見つけます。

 

男の話によると、アントニオは敗走中、極寒の雪原で倒れたというのです。ジョバンナは愛するアントニオを探しに、スターリン亡き後のソ連へ行くことを決意します。

 

当時のソ連は社会主義国家であり、ジョバンナが降り立ったモスクワは別世界でした。かつてイタリア軍が戦闘していたという南部ウクライナの街でアントニオの写真を見せて回るジョバンナでしたが一向に消息が掴めません。

 

ジョバンナの前に、地平線の彼方まで続くひまわり畑が広がります。多くの兵士たちがこのひまわりの下に眠っているというのです。無数の墓標が並ぶ丘まで案内した役人の男性はジョバンナに「諦めたほうが良いのでは」と言いますが彼女はきっぱりと「夫はここにいない」と言い拒絶するのでした。

 

やがてとある駅の雑踏の中で、戦後も祖国へは戻らずにロシア人として生活しているイタリア人男性と出会います。しかし彼は多くを語らず、また、アントニオのことも知らないと言うのです。ジョバンナはもしやアントニオもと、微かな不安を抱きます。

 

言葉も通じない異国で、なおも諦めずにアントニオを探し続けるジョバンナは、ある村で写真を見せた3人の中高年の女性たちから、身振りを交えてついて来るように言われ、一軒の慎ましい家に案内されます。そこには、若妻風のロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と幼い女の子カチューシャが暮らしていました。

 

マーシャはジョバンナを家に招き入れます。室内の枕が2つ置かれた夫婦のベッドを見たジョバンナは事情を察するのです。

 

マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始めます。雪原で凍死しかけていたアントニオをマーシャが救ったのですが、その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたといいます。

 

やがて汽笛が聴こえ、マーシャはジョバンナを駅に連れて行きます。汽車から次々と降り立つ労働者たちの中に、アントニオの姿がありました。駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとしますが、マーシャは彼をとどめてジョバンナの方に指をさします。

 

驚くアントニオ、やつれ果てたジョバンナ。かつての夫と妻は距離をおいたまま、身じろぎもせず互いを見つめ合うのでした。

 

ジョバンナの表情が悲しみで歪み、アントニオが何か言おうと一歩踏み出した途端、ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗ります。そして、座席に倒れ込むように座ると、見知らぬロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げて号泣するのでした。

 

ジョバンナが去った後、アントニオとマーシャ夫婦は新築の高層アパートに引っ越しますが、新しい生活のスタートであるはずのその日の晩、アントニオは物思いに沈んでほとんど口を利きません。そんなアントニオを見てマーシャは「もう私を愛してないの?」と涙を浮かべるのでした。

 

ミラノに帰ったジョバンナは、壁に飾ってあったアントニオの写真を外し、泣きながら踏みつけ、そして男たちと遊び回る荒れた生活を始めるのです。

 

そんな中で訪ねてきたアントニオの母親は、ジョバンナの不実を咎めますが、ジョバンナはソ連で見たアントニオの様子を母親にぶちまけます。死んでいたほうがましだったと…。

 

月日が経ち、マーシャの許しを得たアントニオは、約束していた毛皮をモスクワで買い求め、ミラノへ向かいます。嵐で停電したアパートの暗闇の中、再会した2人でしたが、感情がすれ違い、一つになることはありません。

 

アントニオは毛皮を渡し、もう一度二人でやり直そうと訴えますが、その時、隣の部屋から赤ん坊の泣き声が…。

 

赤ん坊を見て名前を訊くアントニオに、ジョバンナは赤ん坊の名はアントニオだと伝えます。ジョバンナもまた別の人生を歩んでいることを知ったアントニオは、ソ連に帰ることを決心するのでした。

 

翌日のミラノ中央駅。モスクワ行きの汽車に乗るアントニオをジョバンナが見送りに来ます。二度と会うことはない二人。動き始めた汽車の窓辺に立ったままジョバンナを見詰めるアントニオ。遠ざかり消えてゆく彼の姿に、ジョバンナは抑えきれず涙を流し、ホームにひとり立ち尽くします。

 

彼を乗せた汽車が去っていったこのホームは、以前戦場へ行く若きアントニオを見送った同じホームでした…。

 

『ひまわり』(1970年)

《スタッフ》

◎監督:ヴィットリオ・デ・シーカ

◎製作総指揮 :ジョセフ・E・レヴィーン

◎製作:アーサー・コーン、カルロ・ポンティ

◎脚本 :チェーザレ・ザヴァッティーニ、アントニオ・グエラ、ゲオルギ・ムディバニ

◎音楽:ヘンリー・マンシーニ

◎撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ

 

《キャスト》

◎アントニオ・ガルビアーティ:マルチェロ・マストロヤンニ

◎ジョバンナ :ソフィア・ローレン

◎マーシャ:リュドミラ・サベーリエワ

◎アントニオの母: アンナ・カレーナ

 

監督のヴィットリオ・デ・シーカは、イタリア出身の映画監督であり、俳優でもある方です。

 

カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭の最高賞に輝き、アカデミー外国語映画賞も2度受賞し、俳優としてもアカデミー助演男優賞にノミネートされている凄い方なんです。

 

1940年に映画監督とし、脚本家チェザーレ・ザヴァッティーニとコンビを組んだ『靴み がき』(1946年)や『自転車泥棒』(1948年)などで戦後の貧困や矛盾を描き“イタリアのネオリアリズム(新しい写実主義)の巨匠”と言われていますよね。

 

僕の好きなデ・シーカ監督作品です。

『終着駅 』(1953年)

『ふたりの女』(1960年)

『昨日・今日・明日』 (1963年)

『ああ結婚 』(1964年)

『恋人たちの場所』(1968年)

『ひまわり』(1970年)

『悲しみの青春 』 (1971年)

 

『終着駅 』(1953年)は、ハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック(風と共に去りぬの製作者)がイタリア「ネオレアリズモ」の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督を招いて作りあげた恋愛映画の名作です。

 

夫と子供をアメリカに残しローマにやってきた一人の女性(ジェニファー・ジョーンズ)が、そこで恋に落ちたイタリア青年(モンゴメリー・クリフト)の懇願を振り切って去って行くまでを、“終着駅”に集う様々な人の人生を点描しながら描いています。哀切なラストシーンが深い余韻を呼ぶのです。本当に良い映画なんですよ〜。大好きです。

 

『悲しみの青春 』は、過去にこのblogで詳しく書かせて貰いましたがこれも名作です〜。ジョルジョ・バッサーニの小説『フィンツィ・コンティーニ家の庭』に基づき、イタリア北部の地方都市フェッラーラを舞台に、ファシズムとナチズムに迫害されるユダヤ人たちの苦難と、幼なじみのユダヤ人男女が互いに愛し合いながらも引き裂かれる悲劇を格調高く描いた名編です。

 

そして『ひまわり』…この3本だけでもヴィットリオ・デ・シーカ監督の演出家としての力量の確かさ、凄さがわかってもらえると思います。

 

音楽はヘンリー・マンシーニです。オープニングとエンディングで地平線まで広がるひまわり畑の映像のバックに流れるテーマ曲は、映画音楽の名曲として愛され続けていますね。曲を聴くだけで、目頭が熱くなる映画音楽の不滅の名曲です。

 

ヘンリー・マンシーニと言えば、オードリー・ヘプバーン主演作『ティファニーで朝食を』の『ムーン・リバー』はスタンダードになっていますし、『シャレード』のテーマも良いですよね〜。TVドラマ『刑事コロンボ』のテーマもそうだし、『ピンク・パンサー』のテーマも名曲です。『酒とバラの日々』 (1962年)も印象的ですけど『スペースバンパイア 』(1985年)のオープニングテーマも大仰で大好きです。

 

『ひまわり』の主演はイタリアを代表する名優・マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンです。

 

二人は、『ひまわり』の前にも『昨日・今日・明日』 (1963年)と『ああ結婚 』(1964年)で共演していますし、どちらもデ・シーカ監督ですから息もぴったりですし、ソフィア・ローレンは『ふたりの女』(1960年)でもデ・シーカ監督と組んでいます。

 

僕が初めてソフィア・ローレンという女優を知ったのも『ふたりの女』(1960年)という作品でした。中学生の頃、TVのお昼の映画劇場で放送されていたのです。父が映画好きでいつも観ていたので、僕も何気なく横で観ていたんです。

 

『ふたりの女』はアルベルト・モラヴィアによる同名小説を原作とした映画で、第34回(1962年)のアカデミー賞でソフィア・ローレンが最優秀主演女優賞を受賞した名作です。

 

第二次大戦中のイタリア。夫を亡くした母と娘が空襲を避けるために故郷の田舎へ疎開を決心します。戦争が終り、二人はローマへの帰途につきます。途中、母娘は戦火で廃墟と化した教会を見つけ、しばしの休息をとろうと眠りにつきます。ざわめきとともに北アフリカ植民地兵の一団が入ってきて彼らは喚声をあげて母娘に襲いかかるのです…。

 

この母娘が兵士たちに強姦されるシーンがリアルで痛ましくて悲しくて、僕はこういうシーンを多分生まれて初めて見たんですよ。とてもショックでした。父は僕に「子供だから見ちゃダメだ」なんて一言も言わなかったですし、意見も聞いてはきませんでしたけど、「これが戦争なんだよ。人間を狂わせ、感情をなくさせるものなんだよ」と無言で教えてくれたのかもなんて後年、思ったりもしました。

 

またソフィア・ローレンが本当に素晴らしいんですよ〜。『ふたりの女』も『ひまわり』同様、戦争というものは人の尊厳を踏みにじり、幸せを一瞬で奪うものなんだと教えてくれました。

 

マルチェロ・マストロヤンニも名優ですよね〜。初めて観たのはフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)でした。二枚目なのに、三枚目的な雰囲気を漂わせた人間味溢れる演技が素敵な俳優ですね。大好きです。

 

そんな名優二人と名監督が作った作品ですから『ひまわり』は。名作に決まってるでしょ(笑)。

 

映画『ひまわり』は、戦争によって愛が引き裂かれ、幸せが奪われた男女の魂の流離が描かれています。抗えない時代の大きな流れに飲み込まれ、翻弄されて、大切なものを犠牲にしなければいけなかった無念さ、哀しさ、苦しさ…。どうして戦争なんて馬鹿げたことを、性懲りもなく何度何度も人間は起こしてしまうのか。考えるだけで虚しさで胸がいっぱいになります。

 

ソフィア・ローレンが演じた主人公ジョバンナの壮絶といっても良いひたむきな女ごころの激しさが強く胸を打ちますよね。

 

やっと探し求めた彼が、他の女性と幸せに暮らしていたという事実を突きつけられた時、ジョバンナは耐えきれずに去っていくんです。「絶対、夫は生きている」という信念が逆に彼女を追い詰め、奈落の底に落とすことになるんですよね。あの時のジョバンナになりきったソフィア・ローレン嗚咽は観ているこちらの心も激しく震わせます。

 

一貫してこの映画で描かれているのは、戦争は悲劇しかもたらさない。人々の人生を狂わせるという現実です。

 

思い描いていた人生や夢、平穏な暮らしや理想が一瞬で崩れ去る様が、細部にわたって巧みにメロドラマとして描かれているところに、この作品が名作になり得た理由があるように思います。

 

ロシアの大地に咲き誇るひまわりの群生の下にはドイツ軍の命令で穴を掘らされ、ロシア戦線で命を失ったイタリア兵とロシア兵、無数のロシアの農民も老人、女、子供…おびただしい遺骸が埋まっているとされています。

 

そのような目で艶やかに咲き誇るひまわりの群生を見ることは悲しいですね。

 

映画『ひまわり』は声だかに反戦を訴えてはいません。人の運命の変遷を通じて戦争の不条理さを説いているように思います。戦争には、理不尽に愛を引き裂き、夢や希望も脆く崩されるし、罪のない人を不幸な境遇にを追いやってしまう冷酷さを感じてしまいます。

 

そしてこのような運命の奔流に飲み込まれたとしても人は強くたくましく生きていくしかないんだと『ひまわり』は教えてくれます。この作品だけは、時を重ねて何度見直しても印象が変わらない数少ない作品です。

 

『ひまわり』の花言葉は「あなただけを見つめる」です。この映画を観るとこの言葉の意味がよくわかりますね。