Blogを始めてからこんなに長くお休みしたのは初めてで、再開できるのはいつかなぁと思っていたのですが、やっと環境も落ち着いてきたので、またそろそろ書かせてもらおうかという気持ちになりました。

 

引越しって大変ですよね〜疲れました。引越しの件も一つのBlogが書けるくらいの濃い出来事がいろいろあり、何かの折にこのBlogで書くことがあるかも知れません。

 

それと重なるように、仕事が忙しくなってしまって精神的に参ってしまうことが多々起こり、非常にしんどい月日でした。

 

コロナが蔓延しだした頃から、休みの日は部屋に閉じこもり、Blogを書き、気がつくと夕方みたいな時間を過ごすことが多かったのですが、この一月くらい、パソコンの電源もつけず、新居に必要なインテリアや家電を揃えるために街へ出ていくことが多くなり、なんとなく久しぶりに新鮮な休日を過ごしていたんです。

 

今までは、書かなきゃいけないなんて強迫観念に囚われていたのかも知れないなぁと感じてしまいましたが、でも呟きたいことがある時はこれからも呟きますのでこれからもよろしくお願いします。

 

今日は、録画したまま置いてあった、フランソワ・オゾン監督の『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』という作品を引越しの直前に観て思うところがあったので感想を書いておこうと思います。

 

grace of godとは神の恩寵(神や主君から受ける恵み、慈しみ)・天の恵(神が人に与える恵み)のことです。

 

観なきゃなぁ〜と思いつつBlu-ray Discにダビングしたままほったらかしになっていたんです〜。

 

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』はフランスで1971年から91年の間、未成年者のボーイスカウトの少年たちに、性的な虐待をしていた元神父、ベルナール・プレナに対し、大人になった被害者たちが集団で起訴を起こした『プレナ神父事件』を膨大な資料と当事者への取材で映画化した作品です。

 

2019年7月にベルナール・プレナは罪状を認め、教会から聖職を剥奪されました。

 

プレナ被告自身も少年時代に聖職者から性的虐待を受けていたことを告白し、世間を驚かせました。2020年3月に禁錮5年の判決が言い渡されましたが上訴中といいます。

 

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

第69回ベルリン国際映画祭銀熊賞 

(審査員グランプリ)受賞

 

《スタッフ》

監督・脚本/フランソワ・オゾン

製作/エリック・アルトメイヤー、ニコラス・アルトメイヤー

撮影/マニュエル・ダコッセ

音楽/エフゲニー・ガルペリン、サーシャ・ガルペリン

編集/ロール・ガルデット

美術/エマニュエル・デュプレ

衣装/パスカリーヌ・シャヴァンヌ

 

《キャスト》

メルヴィル・プポー(アレクサンドル・ゲラン)

ドゥニ・メノーシェ(フランソワ・ドゥボール)

スワン・アルロー(エマニュエル・トマサン)

エリック・カラヴァカ(ジル・ペレ)

フランソワ・マルトゥーレ(バルバラン枢機卿)

ベルナール・ヴェルレー(ベルナール・プレナ)

ジョジアーヌ・バラスコ(イレーヌ(エマニュエルの母親))

エレーヌ・ヴァンサン(オディール(フランソワの母親))

マルティーヌ・エレル(レジーヌ・メール)

 

◎こんなストーリーです。

2014年、フランスのリヨンで妻と5人の子どもたちと暮らす、40歳のアレクサンドルは、幼少期に自分を性的に虐待したプレナ神父が、今も子どもたちにミサや洗礼を行っていると知って衝撃を受け、告発を決意します。

 

最初に地域の有力者であるバルバラン枢機卿に相談しますが、処分を求める声に同意はするもののバルバランは実際には何も動こうとせず、うやむやにしてしまいます。

 

プレナに処分が下される気配がないことに不信感を募らせ、業を煮やしたアレクサンドルはプレナ神父に対する告訴状を提出。警察が調査を開始します。

 

警察は1991年に枢機卿宛に届いた、プレナ神父による息子への行いを非難する母親の手紙を発見します。当時の被害者であるフランソワに連絡すると、彼は迷い悩んだ末にすべてを話し、プレナ神父と黙認し続けた教区の両方を訴えることを決意するのです。

 

フランソワが名前も顔も公表してテレビの取材を受けると、同じ被害にあった医師ジルから連絡が入り、二人は「沈黙を破る」と名付けたホームページを立ち上げ、被害者の会を設立します。

 

二人は全国規模で記者会見を開き、被害者の証言を集め始めます。そこに長年一人で苦しんできた時効前の被害者であるエマニュエルが加わり、同じ被害にあった男たちは力を合わせ闘っていこうとしますが、それは同時に社会や家族との軋轢を生じさせるものだったのです…。

 

監督はフランス映画界の名匠・巨匠とまで呼ばれるようになったフランソワ・オゾンです。

 

フランソワ・オゾンの名を聞くようになったのは1990年代半ばくらいでしたか、すごい才能が現れたと話題になっていましたね。

 

当時から同性愛者だと公言されていて、ハンサムだし、映画界のアイドル的存在だったように思います。

 

僕が最初に観たのは『サマードレス』という15分くらいの短編でしたが、フランソワ・オゾンという監督の魅力溢れる才能の出現に喜び、驚き、感動したことを今でも覚えています。

 

次に観たのが『海を見る』という作品でした。これは本当に背筋がゾッとするような内容で、完成された作品でしたね〜。あの短い時間の中であれだけのストーリーを語れる才能にため息が出ました。

 

『ホームドラマ  (1998年)』

『クリミナル・ラヴァーズ  (1999年)』

『焼け石に水 (2000年)』

『まぼろし (2000年)』

 

どの作品も、心に強い印象を与えてくれた作品たちです。

 

オゾンが撮る映像は、挑発的というか、心の奥で抑えている欲情を刺激してくるというか…そんな感じがしますね。

 

フランソワ・オゾンの名を一躍有名にしたのは、2002年の『8人の女たち』でしょうね。カトリーヌ・ドヌーヴをはじめとする出演した8人の女優達に対して2002年のベルリン国際映画祭銀熊賞が贈られた大ヒット作です。

 

日本でも、大地真央さん主演で舞台化されましたよね。生中継を観た記憶があります〜。

 

2005年に公開された『ぼくを葬る』が僕は大好きで、忘れられない作品の一つです。

 

『ぼくを葬る』の主演、メルヴィル・プポーが『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』にも出演していて、久しぶりに会えてうれしかったです。

 

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は、フランスで実際に起きた聖職者による児童への性的虐待事件を、膨大な資料を読み解き、当事者へ取材を重ね、目線はあくまでも被害者たちに焦点を当て、寄り添い、繊細にその心情を誠実に描いた作品です。

 

地域住民から尊敬され信頼される神父が、その裏で信者の幼い少年たちを己の性的欲求を満たすため、日毎凌辱し、なおかつ地元教会はその事実を把握しながらも揉み消していたという深い闇の扉を開けた事件です。

 

ローマ・カトリック教会は、人工授精、避妊、同性愛などを制限するべきだと言っているのにもかかわらず、自分たちの不始末には目を瞑るなんて以ての外です!

 

僕が通った幼稚園は、敷地内に教会があり、神父様やシスターがいたカトリック系の幼稚園で、当時、母の実家が青果店を営んでいて、実家のお店以外に、近くのスーパーにも出店していたものですから、母も手伝いに駆り出されていたので、僕を幼稚園に迎えに来るのがいつも遅く、僕は他の子供たちが誰もいなくなった幼稚園で一人、母の迎えを待っている子供だったんです。そんな僕を不憫に思ったんでしょうね。シスターや神父様がいつも僕を気にかけてくれてくれました。

 

僕の記憶の中のシスターや神父様は、とても優しく暖かい人たちなのですが、聖職者による幼い少年たちに対する性的虐待がいつまでも無くならない事実には憤りと悲しさをいつも感じています。

 

いま、日本の芸能界では、映画監督や俳優が、女優たちに「映画に出してあげる」と甘く囁き、見返りにSEXを要求し、拒むと「殺すぞ」と脅し、性的虐待を繰り返していたという事件が話題になっています。

 

この話を聞いた時、いまだにこんなことがまかり通っていたんだという驚きと、嫌悪感、失望感…、複雑な感情に揺さぶられました。強い力を持つものが、その力を濫用して、逆らえない者を肉体的に蹂躙していいわけがない!

 

日本には、異議や不服はあっても、そのままあきらめてしまう『泣き寝入り』という都合の良い言葉があります。今まではそうやって、悔しさや、憎しみや絶望を抑え混んで生きて来なければいけなかった人がたくさんいたんだと思います。

 

だけど、声を上げなければ、立ち上がらなければ何も変わらないし、人は耳を傾けてはくれません。この芸能界で起こったことも、被害にあった女性たちが勇気を出して語ったからこそ陽の目をみたのですから。

 

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』のモデルになった被害者の方々も、成長して家庭を持ち、自分の子供世代が同じ被害に遭わないようにと立ち上がったことが、最初は小さな声だったとしても、がやがて大きなうねりとなり変化をもたらしたのです。

 

一人男性の勇気ある告白から、闇に葬られようとしていた事件が暴かれてゆく様をフランソワ・オゾン監督は劇映画だからといって、人の興味・関心を集めることだけを目的としたようなあざとい描写は一切せず、淡々と事実だけを静かに語ってくれています。そこが良いんですよね。

 

こういう作品を観ると、信仰ってなんなんだろう?聖職者ってなんやねんって思ってしまいます。

 

何かが起こるとそれは「神の思し召し」、「神の御心」、「神の仕業」とか『神』という言葉を持ち出して、神に仕えているはずの教会関係者が神の存在を自分達に都合良く使っているように感じる時がありますし、その中の一部の人間が神に仕える者という立場を悪用して、自分より弱い者を平気で傷つけているという現実を知ると胸が痛くなります。

 

そもそも『神』ってなんなのかなぁ〜。誰も会ったことないわけでしょ?

 

僕も困ったことが起こったら、心の中で「神様お願い」なんて呟くこともありますけどね。

 

教会という連綿と続く古い体質の組織を変えるのは大変なこだとは思います。習慣、保守主義、秘密主義によって身動きが取れなくなっていて、皆が自分の身を守ろうとし、誰も意味のある行動を起こすことができないでいるのでしょう。だからといって、このような問題を隠蔽し続けて良いはずがない。

 

こう言った作品が作られるれることは意義があると思いますし、映画という媒体を使って問題提起をすることはとても大事なことだと思います。

 

観た人が何かを感じ、考え、それをテーマに議論をすることは物事を前に進めることだと思います。教会という神聖であるべき場所で、小児異性愛や性的虐待が行われているという現実と矛盾をたくさんの人は知るべきだと思います。

 

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は、男女関係なく、人生を破壊する性的虐待という暴力の恐ろしさと、そこから再生していく人間の力強さ、そしてそれを支える家族の愛…。危険や犠牲をいとわない恐れを越えた勇気と守るべきもののために戦い続ける強さや、傷つきながらも前を向く人間のたくましさ、人間という存在の光と闇が同時に描かれた秀作です。

 

「それでも神を信じますか?」難しい問題ですよね〜。