世界的な衣装デザイナーのワダエミさんが今月13日に亡くなられました。84歳でした。

 

黒澤明監督の映画『乱』(1985年)でアメリカ映画芸術科学アカデミーからアカデミー賞衣装デザイン賞を授与され、一躍世界の脚光を浴びた、日本の誇るべき衣装デザイナーのお一人です。

 

勅使河原宏監督「利休」や大島渚監督「御法度」などの日本映画だけでなく、世界各地から依頼を受け、メイベル・チャン監督「宋家の三姉妹」、張芸謀監督「HERO」「LOVERS」、ピーター・グリーナウェイ監督「プロスペローの本」「ピーター・グリーナウェイの枕草子」など国内外の映画やオペラ、舞台などを数多く手がけ、1993年にはエミー賞を受賞されましたね。

 

僕は全部観てますよ〜。作品自体が僕の感性に合わず、今ひとつかなぁと思った作品でも、ワダさんが担当した衣装だけはどの作品も鮮烈に記憶に残っています。

 

僕がワダエミさんが衣装を担当された作品で強烈に印象に残っているのは、黒澤明監督の『乱』(1985年)もそうですが、市川崑監督の『鹿鳴館』(1986年)、『竹取物語』(1987年)、勅使河原宏監督の『利休』(1989年)なので後ほど紹介させていただきます。

 

ワダエミさんは1936年(昭和11年)生まれです。2.26事件で東京全市に戒厳令が布告された年です!

 

ワダさんたち世代は、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず、誰もが平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である「フェミニズム」の影響を強く受けているそうで、10代の頃から自立した生き方を実践していたそうです。

 

ワダさんは、中学から京都の同志社女子に通われていて、大学までエスカレーター式で進学できるのに、同級生の中には何故か京大に進んだり、慶應大やお茶の水大に行ったりと独自の道を選ぶ、進歩的な女性が多かったとおっしゃっていました。

 

ワダさんは、小学3年生で終戦を迎えられ、戦争で大阪の実家が全部焼けて何にもなくされたそうです。でも同志社女子中学に入ってからは、当時の京都に入ってきていたあらゆる文化の影響をたっぷり享受され、それが後のデザイナー活動の下地になっているともおっしゃっていました。

 

現代のように、自分が動かなくても、勝手に色んな情報がほっといても手元に集まってくる時代ではありませんから、何かが欲しければ、自分の足で出向き、手に掴まなければ形にできない時代…。僕なんかはそんな時代の方が楽しそうで、張り合いがありそうで羨ましいなんて思います。

 

ワダエミさんのご主人と言えば、演出家の和田勉さんですが二人の出会いは…。

 

当時、ワダさんのご自宅の近くに、溝口健二監督の最盛期の作品で知られる脚本家、依田義賢さん(祇園の姉妹、西鶴一代女、雨月物語など)が住んでらして、依田さんはワダさんの遠い親戚だそうで、依田さんのお宅にお使いでお邪魔した時に後に夫となる和田勉さんと出会ったんだそうです。

 

その頃、NHKがテレビドラマを始めるということでNHK大阪の新進気鋭のディレクター・和田勉さんは、映画の脚本家や作家の人たちに脚本依頼をするべく、依田さんのお宅に偶然来てらしたんですね。

 

これも、運命の出会いと呼べるんじゃないですかね。

 

和田勉さんといえば、1953年にNHK入局以来、主にテレビドラマのディレクター・プロデューサーとして活躍し、手がけた作品が軒並み賞を受賞したために「芸術祭男」の異名を受けた「NHKを代表する演出家」のお一人です。

 

NHKを定年退職後は、フジテレビの『笑っていいとも!』の月曜レギュラーになるなど、タレントとして活動されていました。度々ダジャレを披露する独特な笑い方の「ガハハおじさん」と呼ばれていました。

 

百恵さんが引退した1ヶ月後、1980年11月に放送された『NHK特集 百恵』の中で、百恵さんにインタヴューしたのも和田勉さんでした。収録されたのは引退前日の10月14日だそうです。

 

和田勉さんが演出されたドラマ、好きなものがたくさんあります。

 

◎最後の自画像(1977年)◎天城越え(1978年)◎阿修羅のごとく(1979年)◎阿修羅のごとく パートII(1980年)◎価格破壊(1981年)◎けものみち(1982年)◎波の塔(1983年)◎ザ・商社(1980年)◎心中宵庚申(1984年)などなど…。

 

そして、和田勉さんの熱烈なアプローチによりワダエミさんは大学在学中にご結婚されるのです。

 

ご主人の和田勉さんが、『青い火』という舞台の演出をすることになり、予算もなかったために美大出身の身近にいたエミさんに「衣装をやらないか」と声をかけたのが、ワダエミさんの衣装デザイナーとしての始まりだそうです。

 

運命という目に見えない流れに、いつの間にか「ひょい」と乗せられていたような感じでしょうか。「衣装デザイナーになる」とか、そういうことは全然考えもしていなかったそうですから。

 

その舞台の衣装が各方面で評判をよび、評価され、現在に繋がったのですね。

 

そこから、カウンターカルチャーが日本で花開いた頃に、武智鉄二さん、寺山修司さん、三島由紀夫さん、美輪明宏さん、吉本隆明さん、羽仁進さん、勅使河原宏さんなどに出会い、大きく才能が開花されたのです。

 

黒澤明監督の『乱』の衣装を担当することになったのは、黒澤監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)のプロデューサー、松江陽一さんがワダさんの知り合いで、発表会でのパーティーで紹介されたことがきっかけだそうです。

 

やはり、出会いって大事なんですよね〜。才能がなければ何にもなりませんけど、あっても運や出会いが大きく作用するということですよ。

 

『乱』は、僕は劇場で一度観ていますが、名のある絵師が極彩色で描いた絵巻物のように美しい、好きな作品の一つです。

 

シェークスピア作の「リア王」を元にした物語ですが、ワダエミさんは、天皇と呼ばれた黒澤監督に対して顔色を伺っているとか、阿るとか一切なし。妥協なしのご自身の思う『乱』の世界を表現されています。

 

色や形、材質感で、物語の起伏や登場人物の心理の深い襞にまで食い込んで、徹底的に監督の意図することを掴み取ろう、そして私しか表現できない世界を作ろうとされた気迫を感じる作品です。

 

原田美枝子さん演じる『楓の方』の打掛が素晴らしいんです!

 

ワダさんは、エキストラを含めたすべての登場人物の衣装をお一人で作られたそうですよ〜。前任未踏ですよ。ほんとに。

 

『乱』のある出演者から「こんな重い衣装では動けない」と苦情が出た時、黒澤監督はこう言ったそうです。「衣装は変えない。君を変える」と。

 

アカデミー賞の授賞式では、オードリー・ヘプバーンからオスカー像を受け取られました。僕はこの授賞式を観たことがありますが、ワダさん、とても嬉しそうでしたね。

 

いけばな草月流の家系に生まれ、三代目家元となるとともに映画、陶芸、舞台美術、オペラなど様々な分野で活躍した勅使河原宏さんが監督した『利休』は、野上彌生子さんの『秀吉と利休』を原作にした豪華絢爛な桃山絵巻です。

 

ワダエミさんは、秀吉と利休の決定的な違い、黄金と侘びの対比と二つの力の衝突を見事に衣装で表現されています。

 

下品スレスレの奇抜な豪勢に対し、徹底して目立たない高尚で品格ある佇まい…この対比の妙を味あい尽くせる名画です。

 

何故、利休は切腹させられたのか…。いろいろな説がありますが、心理の綾を木目細やかに描写した原作者の野上彌生子さんの解釈が僕にも納得できます。

 

映像作家としての勅使河原監督の演出へのこだわりは徹底していて、自らの独特の美意識と精神性に貫かれていて見飽きません。大好きな映画の一つです。

 

市川崑監督の『鹿鳴館』(1986年)、『竹取物語』(1987年)のワダさんの衣装も素晴らしかったですね〜。

 

『鹿鳴館』(1986年)は、三島由紀夫さん原作の同名戯曲の映画化で、明治19年、天長節の鹿鳴館での舞踏会をクライマックスに、そこに集う男と女の愛と謀略を描いています。

 

この作品はある事情から、公開されてからソフト化もされず、劇場での再上映も叶わない不幸な作品なのですが、「東京国立近代美術館フィルムセンター」には保管されているはずなので、いつか陽の目を見ることを祈りたいですね。僕も過去に一度だけしか観れてないんです。

 

けれど、元、新橋の芸者だったヒロイン朝子を演じた輝くような美しさの浅丘ルリ子さんの姿はキッチリと目に焼き付いています。

 

ワダさんがデザインされた朝子が着たロイヤルブルーのドレスは美しかったなぁ〜。オープニングの着物姿も。

 

今まで、色んな女優さんが影山朝子を演じていますが、僕の中ではこの作品の浅丘ルリ子さんが断トツNo. 1です!

 

それは、ワダエミさんデザインの衣装によるところも大きいのかもしれません。

 

『竹取物語』(1987年)は1970年に亡くなった特撮監督の円谷英二さんが、生前に映像化を切望していた題材で、円谷さんとともに長年、映画製作に携わってきた東宝映画社長・田中友幸さんにとっても念願の企画でり、企画立案から完成までには10年の歳月が費やされ、総製作費20億円の東宝創立55周年記念超大作として完成した作品です。

 

この作品は僕が初めて劇場で観た、市川崑監督作品でした。母に連れられて観に行きました。タイトルが出た瞬間から引き込まれ、ラストの蓮の花の形をした宇宙船の登場に感動し、母にもう一回観てもいい?と聞いて、呆れられた思い出の作品なんです。

 

なんと言っても見どころは、沢口靖子さん演じる加耶が着る「十二単」の数々でしょうね〜。装束としての基本はキッチリ抑えつつ、大胆な柄と色で現実ではない、遠い昔の伝承をファンタジーとして昇華したワダさんのデザインは壮麗で子供心に深く刻まれました。

 

『鹿鳴館』と『竹取物語』はワダさんはデザインだけで製作は『細雪』から市川崑監督の作品の衣装協力をしていた着物の『三松』が担当しています。ワダさんは全てご自身でされたかったみたいで、そこが少し不満だったと何かに書かれていましたが、今観ても、古びない、風格があるデザインに観るたびにうっとりしています。

 

僕は美術や衣装、撮影を疎かにしている作品は受け付けません!(笑)。映画はTVではないのですから、映画でしか描けない、表現できない豪華で煌びやかな夢を見せて欲しいんです。

 

こういう素晴らしいプロフェッショナルたちが作り上げた作品こそ、4Kで画像修復するべきだと思います。

 

現在、市川崑監督の『犬神家の一族』が4Kで画像修復され劇場で上映中です。とても美しく蘇ったと評判を呼んでいますからね。市川監督も天国で絶対、喜んでらっしゃいますよ。きっと。

 

ワダエミさんはこうおっしゃっています。

 

「特別意識はしていないのだが、私のデザインは自分が日本人であること、ことに京都で生まれ育ったことがすべてのもとになっている。なにげなく見ていた古い絵画、彫刻、建築、神社の鳥居の形、糺礼の杜の緑、そういうものが衣装デザインの基本なのだ。」

 

衣装デザインの勉強をされている若い方たち、日本にはこんなに素晴らしい仕事を残した先人がいるのです。古い作品だからと敬遠せず、観てそれを超える物を作れる人になってください。

 

ヒントはどこにでもあるのです。

 

寺山修司さんの名作『毛皮のマリー』での美輪明宏さんのための衣装も圧巻でした。なんと乳房を見せるようにしてしまったのです!美輪さんの舞台は何作か観させてもらいましたが、『毛皮のマリー』が一番好きかなぁ〜。初めて観たときは美輪さんの乳房にドギマギしましたけどね。

 

衣装デザイナーだからって、皆が作品の時代背景や原作者の意図を理解しているわけではないと思います。とんでもない、自分勝手な解釈でデザインしたものを身に纏わせるデザイナーや監督もいます。

 

ワダエミさんはそんなデザイナーとは違い、作品が描かれた時代や風俗を徹底的に調べ尽くし、自分の中に取り込んで、新しい視点をプラスして斬新な世界を魅せてくれた数少ない表現者だったと思います。

 

依頼を受けると脚本を読み込んだうえで、登場人物に合った生地選びや染色などにもこだわり、「技術を絶やしたくない。未来に残したい」「国や資本がどこであろうと、消えていきそうなものを伝えていきたい」と精力的に世界で仕事を続けてこられました。

 

ワダさんがデザインした衣装を集めて収蔵、展示した美術館作ってもらいたいくらいです。

 

素晴らしい作品をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。