先月でしたか、BSプレミアムで『風に向かって歌い続けた40年 松田聖子スペシャル』という番組が完全版として再放送されていました。

 

松田聖子さんって、去年デビュー40周年を迎えたんですね。それを記念して昨年の9月に放送された特集番組を再構成したものでした。

 

2016年に、YOSHIKIさん作詞・作曲のシングル『薔薇のように咲いて 桜のように散って』という曲がヒットして、年末の紅白歌合戦でも歌唱されて、僕も久しぶりに良い曲だなぁと思ってから、あまり聖子さんには興味がなかったので、昨年がデビュー40周年だったのも偶然、BSの番組を観て気がついたくらいでした。

 

そんなにファンでもないのに、blogになんか書くんじゃないよと言われるかもしれませんが、僕が幼い頃は、松田聖子と言えば日本の歌謡界を席巻していた人ですから、好きな曲はたくさんありますし、今日は僕が思う聖子さんのことを書いておきたいと思います。

 

『松田聖子スペシャル』という番組はなかなか興味深かったですね。

 

福岡出身の名もなき一人の少女が歌手になりたいという夢を叶えて、瞬く間にトップアイドルの頂点を極め、果敢にアメリカ進出にも挑戦し、そしてセルフ・プロデュースをこなすアーティストへと歩んだ40年の軌跡を、デビュー当時からの秘蔵映像と、関係者が「今だから語る知られざる秘話」で、解き明かす特集番組でした。

 

NHKのスタジオで行われたインタビューでは聖子さんは何度も涙を流していました。歌手としての自分に関わってくれた様々な方達の言葉や聖子さんも知らなかった秘話を聞かれて、胸に迫るものがあったのでしょうね。

 

40年なんて一言で言ってしまいますけど、あの笑顔の裏には、たくさんの葛藤や苦しみや悩みだってあったはずですから。

 

10月30日から11月8日にかけて開催されていた『第34回東京国際映画祭』で、松田聖子さんが初めて監督した映画が公開されていたそうです。

 

「還暦直前の“映画監督デビュー”となるわけだが、作品のジャンルはまさかのホラーなのだ。」

 

↑これ、日本のマスコミの紹介記事です。

 

本当に下らない。「還暦直前」なんて書く必要あります?日本って人の年齢を気にしますよね〜。何歳だからって関係あんのかなって僕はいつも思います。それに「まさかのホラー」ってなんでも良いじゃないの。ジャンルなんて(笑)。どこかあの松田聖子が監督?って揶揄しているような雰囲気がします。

 

幾つになっても、新しいステージで初めてのことにチャレンジできるのは、その人には特別な秘められたパワーがあるはずだし、芸能という特殊な世界で長年活躍できるのは並々ならぬ努力と並外れた運が生まれつき備わっていなければ無理ですよ。

 

松田聖子さんはそれがある人なんだと僕は思います。

 

生き方に共感する人もたくさんいますが、批判も数多く受けてきた人ですよね聖子さんは。

 

デビュー当時は、ボスト百恵なんて呼ばれてましたが、一人の愛する男性の為に潔く芸能界を引退した百恵さんは古い生き方、自分の思うようにしたい様に生きる聖子さんの生き方は新しいなんて言われたりして、僕は百恵さんの生き方はとても素敵だと思っているし、人の人生の決断を古い、新しいと決めつけるのはおかしいと思うし、聖子さんの生き方に少し嫌悪感を覚えていた時もありました。

 

1988年に聖子さんは 「Citron」というアルバムを発表します。

 

ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン、マイケル・ジャクソン、マドンナなど、数々の有名アーティストの楽曲を手がけ、ヒットに導いたカナダ出身の音楽プロデューサー、デイヴィッド・フォスターが手掛けたアルバムです。

 

ヒット曲「Marrakech」、「抱いて…」が収録されたアルバムですが、インタビューでデイヴィッド・フォスターが「聖子さんはどうでしたか?」と質問されて「聖子?う〜ん、bad girlね〜」と含み笑いで答えていたり、神田正輝さんと結婚していながら、“青い目の愛人”の噂が広まったり、世界デビューシングル"THE RIGHT COMBINATION"でデュエットをしたニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーとも関係が取り沙汰されたりして、聖子さんの女性としての生き方に疑問を持っていた時もあったからです。

 

でも、真実は他人にはわからないことですけどね。

 

プライベートは決して公開せず、素顔を決して晒さず、芸能人に徹した聖子さんの生き様は今になればお見それしましたというしか無いです。

 

美空ひばりさんのように、どんなに批判されようが最後までひたすらに我が道を貫いた人こそカッコいいと呼ばれるのですから、聖子さんもその道を極めて欲しいですね。

 

あっそうだ、聖子さんと言えば『ディナーショーの女王』ですよね。昨年は新型コロナウイルスの影響により縮小されたそうですが、食事・ドリンク付で50,500円だそうですよ〜。

 

そのディナーショーで聖子さんががいくつかの楽曲でリップシンク(口パク)をしていたようだとの記事が「女性自身」2021年1月5日・12日合併号(小学館)に掲載されました。

 

リップシンクの噂は僕も随分前から知ってますし、気づいていました。ここ最近の紅白歌合戦もほとんどそうでしょう?

 

その事に反発するファンもいれば、今に始まったことじゃないし、動く聖子ちゃんを見れればいいのというファンもいるし…。

 

僕は…その行為が当たり前だというのはちょっと違う気がしますね。

 

するべきじゃ無いとは言わないけれど、自分のコンサートやディナーショー以外ではやって欲しくないかなぁ。

 

「アイドルグループはほとんど口パクなのに」「普通のコンサートでも某アイドルグループとか当たり前でしょ?」と言われる方もいますけど、そのアイドル達は、激しいダンスをしながら歌わなければいけないわけですし、まだわからなくも無いけど…。

 

まっ余計なお世話かもしれませんけどね。僕達にはわからない、色んな事情があるんでしょう(笑)。

 

今度、カラオケ行けたら、『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』を久しぶりに歌おうかなぁ〜これ歌うと大好評なんです(笑)。

 

聖子さん関連で最後に一つエピソードを書いておきます。

 

このblogでたまに登場する、僕が以前付き合っていた、もう亡くなってしまったヘアメイクアーティストだった彼から聞いた話です。

 

聖子さんが神田正輝さんと結婚して、しばらく休業して復帰する時に、ヘアメイクをお願いしたいと彼のもとへ聖子さんから話が来たそうです。

 

その頃、彼は、1987年1月から1994年6月まで、毎週日曜日、日本テレビ系列局ほかで放送されていたトーク番組『オシャレ30・30』(おしゃれサーティーズ・サーティー)の司会をフリーアナウンサーの古舘伊知郎さんとされていたジャズシンガーの阿川泰子さんのヘアメイクを担当していたのです。

 

『ウィキペディア(Wikipedia)』の『オシャレ30・30』のヘアメイクの欄に、猪(横)畠明良となっていますが彼の名前は横畠明(明良)が正しいです。姓名判断で名前を明、明良と使い分けていたのです。どちらも「あきら」と読みます。

 

その縁で阿川泰子さんのコンサートやディナーショーのヘアメイクは彼がほとんど手掛けていて、仲も良かったのです。彼が入院中は何度もお見舞いに来てくださいましたし、亡くなった時もずっと遺体の側に寄り添っていたただきました。

 

その番組の阿川さんは、美しさの絶頂期で、大人の女性の魅力に溢れていました。その手助けを彼が影でしていたのです。

 

その阿川さんを見ていた聖子さんが「私も阿川さんのような大人の女性になりたい」と訪ねてきたんだそうです。

 

でも彼は、阿川さんとの長年の信頼関係を優先し、丁寧に説明しお断りしたそうです。

 

僕はその話を聞いた時、「えっ〜、なんで?やればよかったのに」なんて言ってしまいましたが、今思えば、もしあの時、彼が聖子さんとお仕事をしていたら、今の聖子さんのイメージは違っていただろうなという気がします。彼の判断は正しかったんだと思います。

 

聖子さんのことを書きながら、最後に元彼の話で締めくくるとはどういうこと!なんて言わないでください。

 

たまには偲んであげたいんです。