1週間前に、BS TBSで『魂の歌!ちあきなおみ 秘蔵映像と不滅の輝き』という番組を放送していました。

 

この番組は、2020年10月9日に初回放送されて、今回は再放送だったのですが、僕はまだ観ていなくて、今回の放送も偶然、番組表で1週間分の録画予約をしている時に見つけて、運よく今回視聴することができました。

 

久しぶりに映像の『ちあきなおみ』さんを観て、「やはりこの人は凄い歌手なんだなぁ」とあらためて感じました。

 

過去に何度か、このblogでは、ちあきなおみさんのことを書かせてもらっていますが、今日も繰り返しになるかもしれませんが少し書かせてもらおうと思います。

 

◎番組内容です。(番組公式ホームページより)

 

【番組概要】

伝説の歌手、ちあきなおみがマイクを置いて28年。歌を歌うのではなく、歌を演じたその歌声は今も多くの人を魅了している。折々に発売されるCDアルバムは本人不在にもかかわらず、常に売り上げチャートの上位にランクされている。これは、ちあき人気健在の証でもある。アイドル路線でデビューし、「喝采」で日本レコード大賞を受賞。やがて、歌への思いは広がり、シャンソンやファドと出会い、新たな“ちあきなおみの世界”を作り上げた。なぜ、ちあきの歌声は私たちの心に浸みるのか…。TBSに残るちあきが出演した数多くの映像には、ちあきの歌に対する熱い思いが随所に描かれている。今回、その秘蔵映像を一挙公開。“ちあきの世界”を紹介する。

 

【番組内容】

◉ドキュメント「喝采」で日本レコード大賞受賞

昭和47年、田中角栄が総理大臣になった年。デビュー3年目のちあきは「喝采」を発表。シングルチャート98位からのスタートで賞レースには間に合わないと思われた。だが、ちあきのドラマチックな歌い方が話題となりチャートは急上昇。そして、12月31日、運命の日。司会者が読み上げたのは、ちあきの名前であった。ステージに呼ばれたちあきの言葉とは…

 

◉女優・ちあきなおみ 淡谷のり子を演じ、ヒット曲を歌う

昭和60年、作曲家の服部良一の半生を描いたTBSのドラマ「昭和ラプソディ」に淡谷のり子役で出演。昭和10年代半ば、軍部から「ブルース」は敵性音楽と圧力を掛けられながらも活動を続ける淡谷を演じ、そのヒット曲を歌った。女優・ちあきの才能が垣間見られる秘蔵映像である。

 

◉旅番組で「ファド」のふるさと、ポルトガルを訪問

早くからポルトガルの民族音楽、ファドに惹かれていたちあきは、ファドのアルバムも発表。「いつかは、ファドのふるさとを訪ねたい」と思っていた。その思いが昭和61年にTBSの旅番組で実現。ポルトガルの各地を歩き地元の人々の生活に触れた。映像に「自分が歌う歌は何か」を探し求める、歌手・ちあきなおみが描かれている。

 

【楽曲】

◎喝采◎矢切の渡し◎夜間飛行◎劇場◎円舞曲◎かなしみ模様◎花吹雪◎夜へ急ぐ人◎紅い花◎雨に濡れた慕情◎四つのお願い◎悲しい酒◎別れのブルース◎雨のブルース◎夜のプラットホーム◎街角の瞳◎それぞれのテーブル◎朝日のあたる家 ◎秘恋◎霧笛

 

窪田等(ナレーター)

 

だいたいこんな内容の番組でした。窪田等さんのナレーションが暖かくていい感じでしたね。

 

ちあきさんを特集したTV番組で当時、話題になり、記憶に残っているのは、2005年11月に、NHK-BS2で放送された『歌伝説・ちあきなおみの世界』でしょうね。90分の特集番組で、すごい反響でしたから。初回放送を含めてBS2・NHK総合で2007年8月までに計6回放送されました。

 

NHKには、ちあきさんが出演した『紅白歌合戦』や『ビッグショー』、様々な歌番組の映像が保存されていますし、ある事情から消されてしまったり、紛失した映像は、一般視聴者が録画したビデオテープを提供してもらったりして、編集も見事なとても見応えのある番組でした。

 

『歌伝説・ちあきなおみの世界』の中で使われていた『夜へ急ぐ人』の映像は『ビッグショー〜ちあきなおみ・おんな 夜の中でひとり〜』(1977年)での熱唱なのですが、この映像、NHKには保存されてなかったんです。視聴者が録画したビデオテープの映像を提供したもらった物で、あまり鮮明じゃないんですよね。『夜へ急ぐ人』をフルコーラス歌っている映像はこれくらいしかないと思うので、デジタルリマスターをするべき映像だと思います。

 

2007年2月にはテレビ東京『たけしの誰でもピカソ』という番組で、民放では初となる本格的な特集が組まれました。

 

テレビ東京には、毎回、季節や作曲・作詞家など1つのテーマを取り上げて、来宮良子さんの絶妙な語りにのせて、人気演歌歌手が名曲の数々を熱唱する『演歌の花道』という番組があり、ちあきさんも何度か出演されているし、意外にちあきさんの珍しい歌唱映像をテレビ東京は保管しているんです。

 

2009年11月14日にNHK-BS2は『歌伝説・ちあきなおみの世界』に未公開映像素材を追加して、『歌伝説 ちあきなおみ・ふたたび』として15分間延長の上、改めて放送しました。

 

翌週11月21日には『BSまるごと大全集 ちあきなおみ』が生放送されました。この番組は、事前に視聴者からちあきさんの歌へのメッセージ・リクエストを受け付け、それを基にした楽曲の歌唱映像を2時間にわたり一挙紹介した画期的な番組でした。

 

最近、NHK-BSは、こういった一人の歌手をフューチャーした番組を作らなくなりましたね。西城秀樹さんが亡くなった時も作るべきだったんじゃないかなぁと思いますけどね。

 

今回の、『魂の歌!ちあきなおみ 秘蔵映像と不滅の輝き』はTBSなので、他のTV局とは違うアプローチで番組を作ってくれているのだろうと期待していました。

 

なんと言ってもTBSは、伝説のバラエティ『8時だョ!全員集合』や『日本レコード大賞』の映像を保管している局ですからね。

 

『8時だョ!全員集合』は前半のザ・ドリフターズのコントが有名ですけど、後半のゲストの歌のコーナーが意外と豪華だったりするんです。視聴率の良いお化け番組でしたから当時、人気のあった歌手の方はほとんど出演されてるんじゃないかなぁ。

 

今回の番組ではちあきさんが、夜間飛行、劇場、円舞曲、かなしみ模様、花吹雪、夜へ急ぐ人を『8時だョ!全員集合』で歌われている映像が使われていました。8時だョは、フルコーラス歌われることが多くて、TBSはテープの保存状態も良く、歌をたっぷり堪能できます。

 

僕が嬉しかったのは『劇場』が聴けたことです。

 

『劇場』は『喝采』が大ヒットを続けている時期の1973年2月25日、『喝采』と同じ作詞/吉田旺、作曲/中村泰士、編曲/高田弘のトリオで発表されました。

 

サブタイトルに「前座歌手の涙と栄光」とあり、ちあきさんも10代の頃から米軍キャンプやキャバレー回りを経て、橋幸夫さんらの前座歌手をつとめていた経験があるそうなので、まさにちあきさん自身の過去を投影するかのような内容になっている曲なんです。

 

現在、残されているライブ・アルバムのうち1973年9月に渋谷公会堂でのステージの模様を収録した『ちあきなおみ ON STAGE』と、1974年10月22日、中野サンプラザのステージを収録した『ちあきなおみ リサイタル』で、クライマックスに『劇場』~『喝采』の順で歌われているのですが、圧巻の表現力なんですよ〜。

 

『ビッグショー〜ちあきなおみ・おんな 夜の中でひとり〜』(1977年)でも『劇場』~『喝采』の順で歌われていて、この2曲を続けて歌われているちあきさんは、ご自身の過去の思い出が蘇るのでしょうか、堰を切ったように感情が溢れ出るような歌唱で、聴いているこちらも胸が痛くなるらい打たれてしまって、凄い歌手だなぁってつくづく思います。

 

阿久悠さん作詞の『円舞曲』、『かなしみ模様』も名曲です。『喝采』や『劇場』とは違い、淡々と語りかけるように、女の心情を歌うちあきさんもとても魅力的で、一層、哀しみがジワジワと染み渡るっていうんですかね〜。僕はこの2曲も大好きです。

 

『8時だョ!全員集合』で『夜へ急ぐ人』が歌われていたのには驚きました。

 

子供が多く視聴していた番組だから観てしまった子供たちは驚いたでしょうね(笑)。

 

紅白歌合戦でちあきさんが歌い終わった途端、白組キャプテンのNHKアナウンサーが「気持ちの悪い歌ですね〜」とつい漏らしてしまったとして名高い曲です。

 

まぁ、本音だったんでしょうね。この方を責めるつもりはありませんけど、当時はそう感じた人もたくさんいたと思いますね。

 

前年の紅白では『酒場川』で、捨てられた女心を身を絞るように歌っていたちあきさんが「おいで、おいで」ですからね。「どうしちゃったの、ちあきなおみは」なんて思った人はいたはずですよね。

 

今では、狂気を孕んだ、ちあきさんの『夜へ急ぐ人』のパフォーマンスは高く評価をされていますが、あの時代、理解されたとは言い難い気がします。歌えなかったTV局もあったと聞きましたし。

 

 

1975年、27歳の時、ちあきなおみさんは13歳の時から15年間も所属した三芳プロを離れる決心をします。この頃のちあきさんは、作曲家、船村徹さんにぜひ歌って欲しいと請われて、演歌に挑戦し「さだめ川」が大ヒットしていました。続けて『酒場川』もヒット。名曲『矢切の渡し』が生まれたのもこの頃です。

 

その流れで『戦後の光と影〜ちあきなおみ 瓦礫の中から』を発表されます。戦後という時代の光と影を歌った「星の流れに」や「カスバの女」という名曲たちを、ナツメロとして 懐かしむのではなく、日本のスタンダード・ソングとしてカヴァーして新たな生命を吹き込むという意欲的なアルバムでした。

 

このアルバムも一定の評価を受け、ヒット曲を追い求めるレコード会社は、ちあきさんに売れる演歌路線を押し付けようとします。

 

ちあきさんは、それを拒否されるんですよね。ちあきさんとしては、これで演歌というジャンルとは区切りを付けたいという心境だったのではないでしょうか。

 

いろんなジャンルの歌に挑戦したいと思っていたちあきさんは、一つのジャンルに縛られることが嫌だったんですよ。

 

そして、研ナオコさんや、桜田淳子さんに楽曲を提供し、ニューミュージックの新たな旗手として注目を集めていた中島みゆきさんに、書き下ろしの楽曲を依頼して1977年4月にはシングル盤「ルージュ」 を発売されます。

 

また、新しいジャンルへの挑戦です。

 

しかし、あまり受け入れられなかったんですよね。いい曲なんですけど、それまでの「ちあきなおみ」というイメージに世間は縛られていたのかもしれません。

 

そんな時、ちあきさんはテレビの深夜番組『11PM』で友川カズキというシンガー・ソングライターが「生きてるって言ってみろ」という曲を歌っている姿に魂を激しく揺さぶられたといいます。

 

この人に曲を書いてもらいたいと、ちあきさんは思ったんですね。翌日の朝、TV局に連絡をとり、その日のうちに事務所へ友川さんを招き、ちあきさん自ら楽曲を書き下ろして欲しいと依頼したんだそうです。

 

そして生まれたのが『夜へ急ぐ人』です。

 

ちあきさんにこの曲を提供した友川カズキさんも凄い人だし、この曲をシングルレコードとして発売を決めたディレクターやレコード会社も偉いなぁと思います。

 

次の曲、河島英五さんが作った『あまぐも』を最後に、それまで所属していた日本コロムビアとの契約を解除されるんですけど、何があったんだろうなぁ。ちあきさんが望む方向性の違いとかがあっんでしょうかね。ちあきさんの結婚に反対だったとも聞きましたけどね。

 

1978年にちあきさんは、俳優の郷鍈治さんと結婚。

 

その後、郷さんは俳優を引退し、ちあきさんの個人事務所「セガワ事務所」を設立。郷さんが社長兼マネージャー・プロデューサーとなられます。

 

ちあきさんは「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」としばらくの「充電期間」に入られ、TV出演の機会は減ってしまいますが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われていました。

 

本格的に復帰を果たされたのは1988年でしたね。シャンソンやジャズ、ポルトガルのファド、日本のスタンダード、そして自分のオリジナル曲と、心から歌いたい歌をストイックに追求されて、唯一無二のシンガーとなって戻ってこられたという印象ですよね。

 

僕が知っているちあきなおみさんは、復帰されて以降なんですよね。世代的に。

 

だから、今回の番組『魂の歌!ちあきなおみ 秘蔵映像と不滅の輝き』での日本コロムビア在籍時代のちあきなおみさんの姿は僕にとっては新鮮で、特に『8時だョ!全員集合』の映像は貴重だなぁと思いました。

 

TBSさんはもっと珍しい映像、隠してるんじゃないかっていう気がしますけど、もっと蔵出しをお願いしたいです。

 

それともう一つ、珍しい映像がありましたね。どこかのホールで『私をもう一度』という曲を歌うちあきさんです。この曲は『無駄な抵抗やめましょう』のB面なんです。それまで騒がしかった会場が、ちあきさんが歌い出すと徐々に静まり返るのわかるんですよ。ちあきさんの歌に聴き入っているという感じなんです。真っ赤なドレスも素敵でした。

 

ちあきなおみさんの人気が再燃したのは、2000年に発売された6枚組CD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』がきっかけのような気がするのですが、新宿二丁目界隈のバーではそれ以前から、ちあきさんの歌う姿を録画したビデオを流しているお店があったんですよ。

 

そのお店のママさんが押しているスターの方って必ずいて、このお店はひばりさん、このお店ははるみさん、ここは百恵ちゃんとかあったんです。

 

それで、ちあきさんの大ファンのママがやっているお店に一度、僕は昔付き合っていた彼氏に連れて行かれたことがあります。

 

その彼もちあきファンで、ママと親しいらしく、ビデオをダビングしてもらってましたもん。

 

だからTVで放送される前から、『ビッグショー』や『朝日のあたる家(朝日楼)』を歌うちあきさんは彼の家で観たことがあったんです。

 

ある会社のパーティー会場のステージで、ゲストとして呼ばれて歌うちあきさんのビデオも二丁目界隈では流れてましたね。

 

もう20年以上前のことかなぁ。

 

でもあの時代、本当に歌いたい歌だけを歌いたいという想いを貫くのは並大抵のことではなかったと思います。ちあきさんは大きな事務所に所属していたわけではありませんからね。

 

伏魔殿(悪魔がひそむ殿堂の意)のような芸能界で、生意気だって烙印を押されたら、いくら才能があったって潰されるような世界です。

 

そんな場所で、必死に闘うちあきさんを側で支えたのが夫である郷さんなんでしょうね。自らの半生を郷さんはちあきさんに捧げたのですからね。

 

ご主人が亡くなった後、ちあきさんはこうおっしゃったそうです。

 

「私は郷さんのために歌っていたんです。だから、もう歌うこともないし、幸せを感じることもない」

 

マイクを置いて表舞台から姿を消し、沈黙を守り続け、夫の墓前に手を合わせているちあきさんのことを思うと、僕は美しい人生だなと思います。

 

歌を歌わないのは、ちあきさんが決めたことだから、僕たちはファンは静かに見守るしかないんですよね。

 

これからも、時たまでいいですから、こういった番組を作り続けて欲しいです。