先月のある日、仕事帰りに最寄り駅近くにある本屋さんへ立ち寄りました。
文庫本の新刊が平積みされている中で、一冊の本に目が止まりました。
青山誠 著『浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優』というタイトルです。
◎2020年秋放送開始 朝の連続ドラマ主人公のモデルで大注目‼︎ 逆境に負けず、華開いた不屈の女優一代記。と帯にあります。
現在、NHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)は作曲家・古関裕而さんと妻・金子さんをモデルにした『エール』が最終週で盛り上がっていますが、次回の朝ドラのタイトルは『おちょやん』ということは知っていたのですが、それが女優の浪花千栄子さんをモデルにしたものとはその文庫本を見るまで知らなかったので、興味を持ち購入しました。
ドラマのタイトル「おちょやん」とは、江戸時代には使われていた大阪の言葉「おちょぼさん」が訛ったものらしいです。
江戸時代後期、京都や大阪の揚屋や茶屋、料亭などで使い走り(お手伝い)をする子供以上大人未満(大体15〜16歳くらいまで)の女中さんは、「おちょぼさん」「おちょぼはん」「おちょやん」などと呼ばれていたんだそうです。
また「おちょぼ」には小さいという意味もあり、江戸時代には可愛らしい少女や、可愛いおぼこ娘を表す言葉でした。現代でも「おちょぼ口(小さくつぼめた口)」などという言葉が使われますよね。
僕は映画が好きなので、女優、俳優に限らず、監督や映画製作に関わった方々の評伝や自叙伝、エッセイなどを読むのが大好きなので、この本も興味深く読ませていただきました。
でも、昭和の演劇、映画界を個性的なキャラクターで支えてこられた名女優の人生を描いたにしては、ちょっと物足りない本だったかなぁ〜。
著者の青山誠さんは、大阪芸術大学を卒業され、『古関裕而 日本人を励まし続けた応援歌作曲の神様』『安藤百福とその妻仁子 インスタントラーメンを生んだ夫妻の物語』などの本を書かれている方で、どちらも朝ドラで取り上げられた方なので、今回の浪花千栄子さんの本も、朝ドラに便乗という言い方は失礼なのかも知れませんが、書かれた目的が違うのかも知れませんね。
浪花千栄子さんの人生を駆け足でダイジェスト的に紹介しているだけという感じで、僕としては代表作と呼ばれる作品一つ一つに浪花千栄子さんがどう向き合われたのか?とかもう少し詳しいエピソードなどが知りたいんですよね〜。
この本の中で、浪花千栄子さん自身が書かれた『水のように』という本があることを知ったのでそれも取り寄せて読んでみました。
この本も、浪花さんの人生が朝ドラで取り上げられるということで、最近、朝日新聞出版から復刊されたんです。
『水のように』は、浪花千栄子さん唯一の著作である自伝的エッセイです。
養鶏業を営む家に生まれ、極貧の中で幼少期を過ごし、9歳で女中奉公に出され、大阪道頓堀の仕出し屋での奉公時代に芝居に出会い、その後京都へ出て女給として働いていた18歳の時、知人の紹介で、村田栄子一座に入り、何かに導かれるように浪花さんは女優となります。
間もなく舞台にも立つようになりますが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移り、香住 千栄子の芸名で映画界で端役出演を続けます。徐々に大きな役も付き順調に仕事をこなしてはいましたが、給与未払いなどが重なり、古いしきたりから抜け出せない映画界に見切りをつけ舞台に復帰します。
1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外、曾我廼家十吾らが旗揚げした松竹家庭劇に加わります。同年、2代目天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍しますが、2代目天外と浪花さんが可愛がっていた弟子の新人女優・九重京子(渋谷喜久栄)との間に子供が生れたのをきっかけに離婚。
2代目天外と結婚して20年近く、浪花さんは劇団の為、夫の為、女優を続けながら全てを捧げて生きてその結果が弟子と夫の浮気…。そして1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団されます。
浪花さんは失意のどん底から一時失踪されますが、NHK大阪放送局のプロデューサー・富久進次郎さんと、花菱アチャコさんたっての希望でNHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコさんの母親役で女優復帰し、人気を博します。
これまでは大阪弁と言えば、漫才の影響であまり綺麗とは言えない大阪弁が定着していたのですが、浪花千栄子さんの喋る柔らかい大阪弁が「これこそ本当の大阪弁だ」と評判となったんだそうです。
今でも、吉本興業所属の芸人さんが喋る言葉が、一般には大阪弁と一括りにされてしまいますが、大阪でも土地や場所、階級によって微妙に違うんですよね〜。
僕は兵庫県出身で、また大阪とは違うし、浪花さんの言葉も独特の言葉なんですよ。
僕たち庶民が使う言葉とは違うし、谷崎潤一郎の『細雪』の四姉妹や山崎豊子さんの小説の世界で使われる「船場言葉」とも違うし、映画『悪名』で勝新太郎さんが演じる朝吉が使う河内弁とも違うんです。
浪花千栄子さんが使われているのは「島之内言葉」と言われています。
浪花さんは、道頓堀界隈にあった仕出料理屋で幼い頃、働いてらしたので、その土地の商人が使っていた言葉と近くの劇場に出演していた芸人や役者が使っていた言葉と、出身地の大阪富田林地方の言葉(イントネーション)が溶け込んだ言葉だと言われる方もいるようです。
浪花千栄子さんは、自分のお話になる言葉を「島之内言葉」とは言わず「浪花弁」と称していたみたいです。
同時に映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞して以来、溝口監督や木下恵介監督らに重用されるのです。
この時期の代表作に、森繁久弥さんと共演した『夫婦善哉』、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』、内田吐夢監督の『宮本武蔵』、小津安二郎監督の『彼岸花』などがあります。
京都嵐山の天龍寺内に旅館「竹生(ちくぶ)」を開き、養女とともに経営もされていました。
この自宅を建てる時の土地探しの話もとても興味深いものがありました。
開業直前には、溝口健二監督に頼まれて『近松物語』(1954年)で共演する香川京子さんを旅館に預かり、着物の着こなしや立ち振る舞いを指導されたようです。
テレビドラマでもNHK大河ドラマ『太閤記』では緒形拳さん演じる秀吉の母、『細うで繁盛記』では新珠三千代さん演じるヒロインの祖母役などに出演されました。
『細うで繁盛記』などの花登筐さん作のドラマは、CSなどでも放送してくれません。VTRが残っていないのでしょうか?観たいです〜。
1973年12月22日、消化管出血のため死去。66歳で亡くなられ、没後、勲四等瑞宝章受章されました。
『水のように』というタイトルに託した浪花千栄子さんの人生観が静かに胸に迫る本でした。
波乱万丈という言葉がピッタリな半生を回想し、自らの言葉で紡がれた読み応えのある自叙伝です。
僕は読んでいて、浪花千栄子さんが子供時代に受けた様々な辛酸や体験から生まれたのだろうと思われる人生観や、口先ではない人の心の奥底にある真実を見抜く眼を持つことが大事だとする考え方にとても共感する部分があり、人生に起こる苦しみや哀しみや悔しさや喜びも、全てどんなことでもやはり糧なんだってあらためて思えました。
人生、死ぬまで楽しけりゃそれに越したことはないけど、そんな事ありはしないですからね(笑)。生まれてから苦労なんかしたことないなんて人がもしいても僕は羨ましくもないですね〜。薄っぺらくて。悲しいことをたくさん経験した人ほど、いつも笑顔だって言いますよね。
僕が浪花千栄子という女優さんの存在を知ったのは、勝新太郎さん主演の『悪名』(1961年)という映画を見た時です。
多分、中学生の頃だと思います。
『悪名』は、田中徳三監督、今東光氏の同名小説を原作にした勝新太郎さん主演の人気シリーズ第1作目です。
勝新太郎さんの「座頭市」以前の最初のヒット作で、後に全16作が大映京都撮影所で作られました。
浪花千栄子さんは、因島の造船所あたりを仕切る女親分役です。麻生館という宿も経営していて、2000人もの子分がおり、シルクハットの親分と朝吉の揉め事を仲裁する、物語のラストを締めくくる重要なキャラクターを演じてらっしゃいました。
勝さん演じる朝吉とシルクハットの親分に手打ちをさせ、大阪へ帰るように告げたのに、島へ戻ってきた朝吉に激怒し、大勢の子分たちの手前、朝吉をこのまま帰すわけにもいかず、朝吉を海岸へ連れ出して、血反吐を吐くまでステッキで殴りつけるのです。
このシーンの迫力ったら‼︎(笑)
朝吉は借りを返すつもりでイトにじっと殴られ、一件にケリをつけるのです。イトは、バカ正直に戻ってきた朝吉に腹を立てていましたが、最後まで弱音を吐かなかった朝吉の根性にイトも感心し、自分の負けを認めるのです…。
この映画を観て、「このおばさん誰⁈」と僕の頭の中は一杯になってしまったのです。
僕が日本映画を好きになった頃にはもう亡くなられていましたしね。
独特の関西弁を喋ってられるし、怖さの中にビシッと背筋の伸びた清らかさもお持ちで、両親に松竹新喜劇にいた女優さんだよと教わり、とても興味を持つようになりました。
それから、関西が舞台の映画を観ると、どこかに顔を出してらして、「いつもいい味でしてはるわ〜」と思い観ていました。
あと、印象に残っているのは、吉村公三郎監督、新藤兼人脚本による『夜の素顔』(1958年)です。
アメリカ映画『イヴの総て』を下敷きにしたと思われるような展開で、京マチ子さん演じる朱実という女性が、日本舞踊界で頂点を極めようと、女として利用できるものは全て利用し、のし上がるまでを描いた傑作です。
浪花千栄子さんの役は、朱美の過去を知る謎の女です。
地方公演から帰った朱実を、絹江(浪花千栄子さん)が訪ねてきます。目的はお金です。
裏口の上がり框に腰を下ろした絹江は、ふてぶてしくタバコをふかし、朱実が姿を現すまでテコでも動かない様子です。
その様子に、とうとう朱実が姿を現します。
朱美:あんたとは縁を切ったはずや
絹江:おまはんの育ての親はわてやで
朱美:人の生き血を吸うた親が今ごろになって人間らしいツラ晒すな!
絹江:われを釜ヶ崎の貧民窟から救い上げたったのは誰やと思うてんねん!このわてやで!
朱美:十二の時からお客をとらして、さんざん人のカラダで儲けたのは誰や!
この言葉の応酬は、大阪弁やからこそ出せる迫力でんねん。
また、京マチ子さんと浪花千栄子さんの息ピッタリの演技のぶつけ合いのなんと見応えのあることか‼︎
実生活ではお二人はとても仲の良い関係だったそうですが。
感情を剥きだしに罵り合うとはまさにこれ!
浪花さんは京さんに突き飛ばされ、床にたたきつけられ足蹴にされるんです〜。
最後には外へ引きずり出され、怒りに任せ玄関のガラス戸を粉々に割る千栄子〜(笑)。
この作品はこのシーンが観れるだけで充分です(笑)。
あと一つ僕のお勧めは…
三隅研二監督、山崎豊子原作、『女系家族(1963年)』です。
大阪船場の老舗問屋の養子婿が死んだことで巻き起こる娘たちの遺産相続争いを描いた作品です。
キャストが長女・京マチ子さん、次女・鳳八千代さん、三女・高田美和さんに愛人の若尾文子さん、番頭の中村鴈冶郎さん、長女の愛人の田宮二郎さんというこれ以上望むべくもない豪華な俳優陣で、素晴らしい演技バトルがこの映画の見所です。
浪花千栄子さんは、この作品では、取りすました品の良い商家の奥様の役ですが、腹の中にはどす黒い色と欲を隠し持ち、三女に取り入って遺産の分前を頂こうと画策する、小狡い叔母さんを小気味よく演じてらっしゃいます。作品をキリッと引き締めてはりますぅ〜。
演技を観て楽しむとはまさにこれなんですよ!
杉咲花さんが、どんな演技で昭和の映画・演劇界を彩った名女優の人生を魅せてくれるのか、楽しみに待ちます!