こんにちは。

最近、1872年(明治5年)群馬県富岡に設立され、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が重要文化財に指定されている日本初の本格的な器械製糸の工場である富岡製糸場が、6月の第38回世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界遺産に正式登録される見通しであるとニュースで知りました。

そんなおり、ある映画がひっそりとDVD化され発売になりました。山本薩夫監督の『あゝ野麦峠(1979年)』です。多分、初ソフト化だと思います。公開後1度TV放映されただけで、レンタルビデオでも見かけたことはなかったし、BSでもCSでも放映された記憶がないんですよね~。

僕は高校生の頃に名画鑑賞会の山本薩夫監督特集で「華麗なる一族」との2本立てで観ていました。今思うと凄い2本立てですよね。半日、劇場にいましたけど、俳優さんたちの素晴らしい演技に圧倒された充実した時間だったことは良く憶えています。あの頃はインターネットもスカパーもない時代です。そうやって観たい作品は名画座を巡って劇場で観るしかなかったですから。でもその経験が今の僕の感性の源になっている気がしています。それ以来、もう一度観てみたいと思っていた作品でした。

『あゝ野麦峠』は、山本茂実さんが1968年に発表したノンフィクション文学で副題は「ある製糸工女哀史」です。1972年に新版が刊行されて、父の本棚にあったんです。この原作が。僕も読んでみました。明治時代後期、日本の農村の暮らしは貧しく苦しい時代です。飛騨の農家の娘たちは家族の暮らしをささえるため、野麦峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出ました。吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また劣悪な環境の元で命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった生糸の生産を支えたのです。

山本茂実さんは、懸命に生き抜いたそんな女工たちの姿を詳細な聞き取り調査のもと時代背景と共に強く浮き彫りにするように描き多くの人の共感を集めました。

『あゝ野麦峠』は持丸寛二さんという方がこの原作に惚れ込み、「新日本映画」という会社を個人で設立されて製作された作品だと聞きました。ソフト化が遅れたのも個人の会社で製作されたということが理由かも知れませんね。やっと著作権関係がクリアされたのでしょうか。どんな理由であるにせよ、この作品がDVD化されたことは本当にうれしいです。

富岡製糸場と混同されている方もいらっしゃいますが、『あゝ野麦峠』の舞台は信州岡谷にある、三國連太郎さん演じる足立藤吉という男が経営する民間の工場で、すべて手作業で行われていました。富岡製糸場は官営(国営)だったので、勤務時間は1日8時間、照明施設が無いので夜勤はなかったそうです。全寮制で食事付き、専門医もいて厚生面ではしっかりしていたそうです。地元では若い娘さんが安心して働ける人気の職場だったみたいです。

『あゝ野麦峠』1979年キネマ旬報ベストテン第9位
〈スタッフ〉
製作:持丸寛二さん、伊藤武郎さん、宮古とく子さん
企画:山岸豊吉さん 原作:山本茂実さん 脚本:服部佳さん
音楽:佐藤勝さん 撮影:小林節雄さん 美術:間野重雄さん
照明:下村一夫さん 編集:鍋島淳さん 監督:山本薩夫さん
美術制作:東宝美術 製作会社:新日本映画
配給:東宝
〈受賞歴〉
第34回毎日映画コンクール:日本映画大賞/音楽賞(佐藤勝さん)/撮影賞(小林節雄さん)/美術賞(間野重雄さん)
第33回日本映画技術賞:撮影賞(小林節雄さん)/美術賞(間野重雄さん)/録音賞(渡会伸さん)/照明賞(下村一夫さん)

〈キャスト〉
大竹しのぶさん 原田美枝子さん 友里千賀子さん 古手川祐子さん 三國連太郎さん 西村晃さん 地井武男さん 森次晃嗣さん 赤塚真人さん 北林谷栄さん 小松方正さん 野村昭子さん 平田昭彦さん 山本亘さん 三上真一郎さん 中原早苗さん

ストーリーです。
明治三十六年二月、飛騨から野麦峠を越えて信州諏訪へ向かう百名以上もの少女達の集団がありました。毎年、飛騨の寒村の少女達はわずかな契約金で製糸工場(キカヤ)へ赴くのです。河合村のみね(大竹しのぶさん)、はな(友里千賀子さん)、きく(古手川祐子さん)、とき(浅野亜子さん)も新工として山安足立組で働くことになっていました。途中、ゆき(原田美枝子さん)という父無し子の無口な少女も一行に加わります。明治日本の富国強兵のための外貨獲得はこのような工女たちの手に委ねられていたのです。三年後、みねとゆきの二人が取り出す糸は細く一定で光沢があり、海外への輸出用になり、社長の藤吉(三國連太郎さん)から一目おかれるほどの優等工女になります。しかし、毎日の検査で外国向けにならない、一定基準に合格しない糸を出したものは、みんなの前で検番から罵倒され、当人の給金から罰金が差引かれました。ときとはなはそんな劣等組でした。大日本蚕糸会の総裁伏見宮殿下一行が足立組を訪れた日、劣等工女のときは追いつめられ自殺してしまいます。やがて正月がやってくると、各工女達は、一年間の給金を懐に家に帰るのですが、ゆきには帰る家がありませんでした。ひとりぼっちの正月の寂しさと、みねをライバル視していたことから、ゆきは社長の息子、春夫(森次晃嗣さん)に身をまかせてしまうのでした。ある日、金庫の金が紛失し、帳付けの新吉(山本亘さん)は藤吉に嫌疑をかけられてしまいます。新吉を慕うきくは見番頭(三上真一郎さん)に相談しますが、小屋に連れ込まれて手籠めにされてしまいます。自暴自棄になった彼女は小屋に火をつけ、新吉とともに天竜川に身を沈めてしまうのです。旧盆で工場が休みになると、工女達は束の間の解放感に浸り、いくつかのロマンスが生まれます。はなは検番代理にまで昇格した工女達の唯一の理解者、音松(赤塚真人さん)とこの夜結ばれます。ゆきは春夫の子を宿してしまいますが、春夫には許婚がおり、彼女は妾になるのを嫌い、春夫から去って、一人子供を育てようと野麦峠を彷徨っているうち流産してしまうのです。1941年アメリカに不況が訪れ、生糸の輸出はとまってしまい倒産から逃れるには国内向けの生糸を多く生産しなければならず、労働条件は日ましに悪化してゆきます。そんな中、みねは結核で倒れてしまうのです。病気の工女は使いものにならず、藤吉はみねを物置小屋に隔離してしまいます。知らせを受けた兄の辰次郎(地井武男さん)は夜を徹してキカヤに駆けつけ、物置小屋に放り出されて衰弱しきったみねを背負って、辰次郎は故郷に向かうのです。秋、野麦峠は燃えるような美しい紅葉でおおわれていました。みねの目の前には涙でかすむ故郷が広がっています。「兄さ、飛騨が見える」そうつぶやき、みねは永遠の眠りにつくのでした。

監督は骨太な社会派作品にもかかわらず、娯楽に徹し、興行的にも常に成功した作品を数多く世に出された巨匠、山本薩夫さんです。僕が初めて観た山本監督の作品は「戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970年)」です。これを観たのも偶然なんです。中学生の頃、夏休みに自宅でごろごろしていたら、突然、TVからなんだか勇壮な音楽が流れてきたのです。後に佐藤勝さん作曲のメインテーマだと知ったのですが、TV画面に釘付けになるようなインパクトがありましたね~。なんの予備知識もなく映画を観終わり、強い衝撃を受けたのを憶えています。戦争と人間は三部作で3日連続で同じ時間に「第二部 愛と悲しみの山河(1971年)」、「完結篇(1973年)」と放映があったのです。この作品で監督、山本薩夫さんの名は僕の胸に深く刻まれたのでした。

その後、白い巨塔(1966年、大映)、荷車の歌(1959年、全国農村映画協会、全国の農協のカンパで制作)、傷だらけの山河(1964年、大映)、氷点(1966年、大映)、牡丹燈籠(1968年、大映)、天狗党(1969年、大映)、華麗なる一族(1974年、芸苑社)、金環蝕(1975年、大映)、不毛地帯(1976年、芸苑社)、皇帝のいない八月(1978年、松竹)、あゝ野麦峠(1979年、新日本映画)、あゝ野麦峠 新緑篇(1982年、東宝)などを見続けて、圧倒され感動し大好きな監督のお一人になりました。

『あゝ野麦峠』の続編、『あゝ野麦峠・新緑篇』が遺作になられました。森村誠一さんの「悪魔の飽食」が次回作として予定されていたと聞くと観たかったなあと思いますね。

メインテーマを作曲されたのは佐藤勝さんです。初期の黒澤明監督作品を数多く手掛けられた早坂文雄さんに弟子入りし、早坂さんの死去により未完となった黒澤明監督作品『生きものの記録』の音楽を遺稿をもとに完成させ、それ以来黒澤作品の常連作曲家となられました。1961年、黒澤明監督『用心棒』で米国アカデミー賞作曲賞にノミネートされた日本を代表する作曲家のお一人です。いいですもんね~『用心棒』の音楽は。

僕が印象に残っている佐藤勝さん作曲の映画をあげてみますね。
用心棒(1961年)、椿三十郎(1962年)、天国と地獄(1963年)、霧の旗(1977年)、戦争と人間三部作(1970年~1973年)、忍ぶ糸(1973年)、日本沈没(1973年)、華麗なる一族(1974年)、妻と女の間(1976年)、不毛地帯(1976年)、春琴抄(1976年)、幸福の黄色いハンカチ(1977年)、炎の舞(1978年)、あゝ野麦峠(1979年)、遙かなる山の呼び声(1980年)、陽暉楼(1983年)、極道の妻たち(1986年)などなど。

佐藤さんは歌謡曲も作曲されています。
若者たち(ブロード・サイド・フォー、1966年)
恋文(由紀さおりさん、1973年)
一本の鉛筆(美空ひばりさん、1974年)
夢のあとさき、十五の頃(紅梅集)(山口百恵さん、1978年。両楽曲ともアルバム『曼珠沙華』に収録されています。)みんな名曲なんですよ~。
「あゝ野麦峠」のメインテーマも一度聞いたら忘れない素晴らしい名曲です。


原作は、残り少なくなっていた元製糸工女のお婆さんたちの聞き書きによって、彼女たちの当時の生活と労働を記録することと、あわせて岡谷地方の製糸業の盛衰を記録したものですが、映画は、苛酷な労働条件に耐えた健気な少女たちの人生を豊富なエピソードからエネルギッシュな群像劇として自由に想像を広げて一つのストーリーをつくっています。大竹しのぶさんが演じた政井みねさんは実在した人物のようです。大竹さんは1975年、浦山桐郎監督「青春の門」でデビューされて4年目、前年の野村芳太郎監督の「事件」で各映画賞の女優賞を受賞された時期です。大竹さん演じる「みね」をライバル視する「ゆき」を演じた原田美枝子さんは、1976年、長谷川和彦監督の「青春の殺人者」と増村保造監督の「大地の子守歌」の2作で主演女優として堂々の貫禄で、その年の女優演技賞を総なめにし強烈な印象を知らしめた頃ですね。

その二人の共演ですから見応えがあります。このお二人は今では大女優と誰もが呼びますが、この頃はまだデビューして4・5年なんですよ。それなのにこの演技者としての完成度の高さは驚きです。

映画は周辺農村部から半ば身売り同然の形で集められた100人あまりの少女たちが雪の野麦峠を徒歩で越えるシーンから始まります。名カメラマン、小林節雄さんの撮影が素晴らしいんです! そのシーンに重なるように、鹿鳴館と思われる場所でシルクで作られた華やかなドレスを着て踊る人たちの姿が描かれます。このドレスの生地を織った糸を紡いだのはこの少女たちだったのかも知れないと思わせる見事なオープニングです。そこに佐藤勝さん作曲のメインテーマが流れるのです~。

「工女哀史」と聞くと悲惨な運命に翻弄された辛い人生だったのではないかと思われますが、彼女たちは必ずしも自分たちをみじめだなどとと思わず、よく稼いで親孝行することを誇りにしていたんです。朝の5時から夜の10時まで休みもほとんどない過酷な労働だったようですが、ご飯もちゃんと食べれるし、親や兄妹たちの力になれているんだという喜びだけが生きる糧だったのでしょうね。そんな健気な少女たちの姿に何度も涙が流れてしまいます。

圧巻はラストの大竹しのぶさん演じるみねが結核にかかり、工場から去るシーンです。「ミネビョウキスグヒキトレ」という工場からの電報を受取ったみねの兄、辰次郎(地井武男さん)が工場に駆けつけ、物置小屋に寝かされたみねと再会するシーンです。美人で明るく、友達思いで百円工女ともてはやされた妹みねの面影はすでになくなっていました。

「兄さ、何も言ってくれるな」

とみねは言って合掌するんです。初めてこの作品を観た時はこのシーンから涙が溢れて仕方がなかったです。辰次郎は準備して来た背板に板を打ちつけ座ぶとんを敷き、その上に妹を後ろ向きに坐らせ、背負ってひっそりと工場の裏門をあとにします。辰次郎は悲しさ、くやしさに声をあげて泣き叫びたい気持をじっとこらえて、ただ下を向いて歩きます。しかし、みねは後ろ向きに背負われたままの姿で、工場に向って合掌するのです。僕はみねの心根の美しさに涙が止まりませんでした。

せっかくやっとDVD化されたのですから、たくさんの方に観ていただきたい作品ですね。日本にはこんな時代があったんだ、こんな人生を送らなければいけなかった少女たちがいたんだと知るだけでも無駄ではないと思います。このDVDはカラー映像がとてもクリアで美しかったです。デジタルにはないフイルム独特の艶がありました。

東宝さん、長い間待ちましたがDVD化してくれてありがとうございます。

市川崑監督「鹿鳴館・愛ふたたび」、小林正樹監督「燃える秋」、蔵原惟繕監督「春の鐘」もぜひDVD化してください。すべて東宝さんが配給した作品ですよね。よろしくお願いします。

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