こんばんは。

今年もいよいよアカデミー賞の季節がやってきました! 来月3日(月)、午前9時から第86回アカデミー賞授賞式がWOWOWで生中継されるようです。

授賞式が近づくとWOWOWでは毎年、過去にアカデミー賞で何らかの賞を受賞した作品を特集して放送してくれます。つい先日、第21回アカデミー賞で撮影賞と衣装デザイン賞を受賞した、イングリッド・バーグマン主演の「ジャンヌ・ダーク」を放送していました。

久し振りにイングリッド・バーグマンの姿を観て、ある時期、好きでよく作品を観ていた女優さんの一人なので、今日はバーグマンのことを書いてみたいと思います。

イングリッド・バーグマンは1915年、スウェーデン出身です。2歳の時に母親、12歳の時に父親に先立たれ、叔父の家に引き取られますが、内気だったために孤独な少女時代を過ごしたそうです。17歳の時にスウェーデン映画『Landskamp』(1932年)に端役で出演し映画デビューを飾り、女学校を卒業すると俳優になる事を夢見てスウェーデンの王室演劇学校に入学し、本格的に演技を学びはじめます。1934年にはスウェーデンの映画会社スヴェンクス・フィルムに招かれて、翌35年に『ムンクブローの伯爵』に小さな役で出演します。36年の『間奏曲』では結婚している男に恋したピアニスト、アニタを熱演し、人気を集めてスウェーデン映画界でのスターとしての地位を確立するのです。37年には医者のピーター・リンドストロームと結婚。『間奏曲』がニューヨークで公開されると、プロデューサーのデビッド・O・セルズニック(風と共に去りぬのプロデューサーです。)は『間奏曲』のリメイク権を獲得し、主演のバーグマンをアメリカに呼び寄せて専属契約を結び、『間奏曲』のリメイク作『別離』(1939年)でレスリー・ハワードの相手役に抜擢し、華々しいハリウッド・デビューを飾らせます。

性格も気取ったところがなく、思慮深く、仕事に向き合う誠実な姿にプロデューサーのセルズニックが契約を決心させた理由だそうです。

しかし『別離』の撮影のためにバーグマンが1939年にロサンゼルスへ到着した時には、セルズニックはバーグマンについて「英語が話せない、背が高すぎる、名前があまりにドイツ風だし眉も太すぎる」という欠点を挙げていたと言います。当時、人気のあった女優達は皆、ハリウッド風の独特のメイクを施され、人工的な美しさでスクリーンを飾っていましたが、バーグマンはそういうハリウッドの流儀に抵抗した人なんです。名前も外見も変えず自分の意志を貫いたんですね。それが逆に今までのハリウッド女優には見られない美しさと雰囲気を醸し出し、そして独特のスウェーデン訛りの英語と確かな演技力が世界中にセンセーションを巻き起こしたんです。

その後、バーグマンには出演依頼が殺到します。バーグマン自身はあまり満足のいく仕事ではなかったようですが、バーグマンといえば必ずあがる『カサブランカ(42年)』ではハンフリー・ボガートとの許されぬ愛に悩む女性エルザを演じて好評を博し、バーグマン初のカラー作品、アーネスト・ヘミングウェイ原作の『誰がために鐘は鳴る(43年)』ではスペイン内戦混乱の時代を生きる女性マリアを好演してアカデミー賞の初ノミネートを受け、彼女の人気は不動のものとなります。バーグマンは、伸ばしていた自慢の髪を切って、原作者であるアーネスト・ヘミングウェイの自宅に押しかけて自分を売り込んだそうですよ。サスペンス・スリラー『ガス燈(44年)』では、シャルル・ボワイエ扮する夫の策略によって精神的に衰弱し、追いつめられて行く女性を熱演して初のアカデミー主演女優賞に輝きます。僕が初めてバーグマンという女優を知った作品です。アカデミー主演女優賞を受賞し、名実ともに大スターとなったバーグマンはビング・クロスビー主演の『我が道を往く(44年)』の続編『聖メリーの鐘(45年)』、アルフレッド・ヒッチコック監督の傑作スリラー『白い恐怖(45年)』や『汚名(46年)』と次々と出演しハリウッドでの名声は最高潮に達します。

しかし「演じる」ということに真正面から向き合い、色んな役柄に挑戦したいと思っているバーグマンはハリウッド流のメロドラマやサスペンス映画のヒロインに次第に物足りなさや味気なさに感じてしまうんです。僕なんかからするとこの時期のバーグマンの主演作は皆、名作揃いで大好きなんですけどね~。

そんな時、バーグマンのもとに劇作家のマクスウェル・アンダーソンから、ブロードウェイで舞台に立つ気持ちはありませんか?と電話があり、その内容が「ジャンヌ・ダーク」と聞いたバーグマンは脚本を見ずに「ぜひ、演ります!」と即答したと言います。バーグマンは女優を目指した時からジャンヌ・ダークを演じることが夢で、ハリウッドに渡ったのもセルズニックがいつかジャンヌ・ダークをバーグマンで映画化してあげると言ったからと言われています。

しかしセルズニックはなんだかんだと理由をつけて話を先延ばしにします。商売にはならないと思っていたんでしょうね。諦めきれないバーグマンはカクテルパーティーに出るたびに監督やプロデューサーを捕まえては「ジャンヌ・ダークを映画にしませんか?」とたずねたらしいですが、芳しい結果は得られなかったようです。しかし決して希望は捨てなかったんですよ。バーグマンは。

だから劇作家のマクスウェル・アンダーソンから電話をもらった時は嬉しかっただろうと思います。やっと念願の役柄を演じることができるのですから。

最初プロードウェイではバーグマンは「単なる映画スター」でしかなく、冷ややかな目で見られていたようです。失敗すれば今までの名声と才能を棒に振ってしまうかもしれない。批評家たちの意地悪な顔が浮かびます。しかし舞台の幕が上がると、目の肥えたニューヨークの観客や批評家たちから「現代の演劇界ではおそらく匹敵するものを見いだせない演技」と絶賛されます。

バーグマンは上演後のパーティーに出席するため、イヴニングドレス姿でホテルのトイレに入り椅子に腰掛け、心ゆくまでいつまでも泣いたそうです。

バーグマンがスペンサー・トレイシーと共演した「ジキル博士とハイド」の監督、ヴィクター・フレミング(オズの魔法使い、風と共に去りぬの監督さんです)がある日、楽屋を訪れ「君は永久にジャンヌを演じ続けるべきだ…映画でもジャンヌをやらなければならない」とバーグマンが長年待ち続けた言葉を告げたそうです。バーグマンはうれしかったと語っています。

この頃、セルズニックとの7年に渡る契約が切れます。

そこで、バーグマンはヴィクター・フレミング監督、製作のウォルター・ウェンジャーをパートナーにプロダクションを設立し「ジャンヌ・ダーク」を完成させたのです。

セルズニックはバーグマンが契約を更新するものと思っていたようです。セルズニックにしてみれば「無名からスターダムへ」引き上げてやったのは俺だという自負があったからです。お金のために働いたことは一度もない、自分でいまはこれしかできないと思ったことをする喜びのためにいつも仕事をしてきた」と優先することはお金ではなく仕事だと言い切るバーグマンにしてみれば、セルズニックとの仕事はもう魅力のないものだったのでしょう。

バーグマンが「ジャンヌ・ダーク」を映画化すると聞いたセルズニックは当時の妻で女優のジェニファー・ジョーンズ(慕情のヒロインです)で「ジャンヌ・ダーク」を映画化すると新聞に発表したらしいです。意地悪といいますか、子供っぽい人だったんですね(笑)。しかしこの企画は流れます。

「ジャンヌ・ダーク」の映画化は難航したようですね。脚本を舞台の脚本を書いたマクスウェル・アンダーソンに依頼したのですが、バーグマンが思うジャンヌとはかけ離れたキャラクターとして描かれていて、満足のいくものではなかったようです。バーグマンはハリウッド製の人工的なセットの中で繰り広げられる絵巻物のようなテクニカラー作品ではなく、実際にジャンヌが生きた土地で撮影し、裁判記録に残っている実際のジャンヌが残した言葉からジャンヌという一人の少女の真の実像を伝えたいと思っていたそうですが、当時は難しいことだったのでしょう。

あとバーグマンにとって思いもかけないことが起こります。監督のヴィクター・フレミングがバーグマンを愛してしまうのです。監督は妻子のある身、バーグマンも夫と子供がありました。年齢差は30歳。監督の片想いなんですけど、苦しんだんでしょう。食事をとるのも忘れ、お酒の力をかりる時間がふえていきます。

舞台で成功しているとはいえ、少女が祖国を救う話、それもアメリカではなくフランスが舞台、ラブ・ストーリーもない物語にお客が入るはずはない、映画としては成功しないだろうととハリウッドでは信じられていたそうです。バーグマンのために作品を成功させようと懸命だったフレミング監督。そんな重圧がフレミング監督に襲いかかったのでしょうか。「ジャンヌ・ダーク」の完成プレミアの数週間後にフレミング監督は突然、心臓発作で亡くなられてしまいます。

ニューヨークで行われたプレミア試写会で完成した作品を観たバーグマンとフレミング監督は自分たちの野心は失敗だったと悟ります。批評家たちは好意的だったようですが、興行的には失敗してしまいます。

長年、夢見ていた『ジャンヌ・ダーク』が失敗に終わり、ハリウッドの人工的な性質にますます嫌気がさしたバーグマン。そんな時、ハリウッドの小さな映画館で夫と観た、ロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市」がバーグマンの運命を大きく変えるのでした…。この続きはまたいずれ書かせてもらいますね。

『ジャンヌ・ダーク』は大手の映画会社が製作した作品ではないからか、正規のDVDではなくパブリックドメインという形の、よく本屋さんなどで500円で販売しているDVDしかありませんでした。僕が持っているものはコスミック出版というところが販売しているものです。ノーカット版ですが、画質がやはり今ひとつですね。なので今回のWOWOWでの放送はうれしかったです。DVDより綺麗でした。

あの頃のハリウッド製の映画らしく、どんなシーンでもジャンヌの顔は綺麗だし、髪型が乱れることもありません(笑)。遠くに見える風景やお城の塔などは絵幕だったりするのですが、なめらかな質感のテクニカラーの撮影は美しいし、この作品がどうして生まれたのか、バーグマンがどんな想いでこの作品に取り組んだのかを知っているのと知らないとでは、全然観た後の受け止め方が違うと思います。

この作品をつまらないという人がいますが、上から目線で、自分が何も感じなかったものはすべて駄作と断じることは僕はあまり好きではありません(笑)。

最後に僕の好きなバーグマンの出演作をあげておきます。
秋のソナタ (1978)
オリエント急行殺人事件 (1974)
サボテンの花 (1969)
黄色いロールス・ロイス (1964)
さよならをもう一度 (1961)
六番目の幸福 (1958)
恋多き女 (1956)
追想 (1956)
イタリア旅行 (1953)
ヨーロッパ一九五一年 (1952)
ストロンボリ/神の土地 (1949)
凱旋門 (1948)
ジャンヌ・ダーク (1948)
汚名 (1946)
白い恐怖 (1945)
聖(セント)メリーの鐘 (1945)
ガス燈 (1944)
誰が為に鐘は鳴る (1943)
カサブランカ (1942)

いつかバーグマンが二度目のアカデミー主演女優賞を受賞した「追想 (1956)」という作品について書きますね。

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