明雄のように、難しい問題を高校までの言葉を使って理解しようとし、判断しようとする事は正しいのだろうか?ある時、数学教師の処に質問に行った。
「ユークリッド幾何学では、3次元までですが、6次元でも8次元でも構わないんじゃないんですか?」と言いながらノートに、見た事も無いような図を描いて教師に見せると、
「高校の勉強をしっかりやって、その上で解析をもっと勉強すれば解る事だ。」
数学教師の答えは物理教師の答えとは違っていた。物理教師にも別の事を質問した事があったのだが、その時は高校課程の中に解を求めるのではなく、
「ポインティング・べクトルという考えがあって大学院の学生がヒーヒー言いながら勉強しているぞ。」
と教えてくれた。この2種類の教育の仕方は、重視するのが基礎学習か発展学習かの違いによる。そしてそれは2者択一ではなく、論語に出てくる「思う」事と「学ぶ」事の違いの様なものなのだ。強いて関連付ければ「基礎」が「学ぶ」、「発展」が「思う」にあたるのだろう。