4月26日三上祐一 | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 安倍は北朝鮮に対しては、まずは拉致問題はおいておいて、まずは会談を実現した方がいいだろう。先に会談を実現した方が拉致問題はもっと早く解決するであろう。国交樹立の条件は非核化.拉致問題の解決として。大体において北朝鮮との親善に向かうのを拒絶したのは日本である、一度拉致問題で拉致被害者が日本に来たのだが、その後一度北朝鮮に戻ってから、正式に日本へ行くということになっていたのに、日本のマスコミは一度北朝鮮に帰ったら、「もう日本に帰ってこれないのではないか?」と北朝鮮を疑い、信頼せずに、その正式なプロセスを無視し、北朝鮮との約束を破り、日本人拉致被害者を一度北朝鮮に戻さずにそのまま日本に帰国させた。そこで金日正氏の顔に泥を塗ることとなった。人間は信頼し合うことがまずは大事である。北朝鮮を信用せずに北朝鮮をそのようなチンケなことを行う国家であり、信頼できないとし、マスコミに日本人が先導されたから北朝鮮を信じる、ということを貫かなかったから、小泉氏の握手も無駄にした。ここにおいては大きく日本は北朝鮮との親善の道を捨てた、マスコミに煽られて日本人は国と国が向き合うときは誠心誠意相手を尊重する、ということを行わなかった、そこから日本と北朝鮮は前と同じように不仲な国同士となった。

 

 安倍は名目賃金の上昇が富の増加であるような答弁をしていた覚えがあるが、富の増大とは名目賃金の上昇ではなくて実質賃金の上昇である。日本国民よ安倍に騙されるな!

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 「潜竜なり、用うるなかれ。」これが易経で自分自身を占ったときの私の占いの結果であった。
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 人類の労働からの解放党最新公約

・作業ロボット・AIを導入し、労働者・サラリーマンを解雇した会社に多くの税金を課し、それを元に解雇された人々にベーシック・インカムを分配する立法を成立させる。
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 勇介は立憲民主党にメールを出した。
 勇介「作業ロボット・AIを設備投資として導入し、労働者・サラリーマンを解雇した会社に多くの税金を課し、それを元に解雇された人々にベーシック・インカムを分配する立法を成立させる。という公約はどうでしょうか?」

 勇介「私は密度の濃い人生を送りたかったが送れなかった。密度の濃い人生とは、大企業に勤め多くの人々とやり取りを交わす経験であった。だから私は大企業の会社員の仕事日記が出版されることを望む」
一郎「まあそれは無理だろうな」
勇介「でもそれは社会にとって有益なんだって!そして大企業のノンフィクションドラマがNHKで作られて放送されるべきである」

 

 勇介「そして『科学的大発見はどのようにしてなされたか?』という番組もNHKでやって欲しい。宇宙がなぜ一つだと分かったのか?宇宙の淵を超高性能な望遠鏡で観察したのか?原子・分子はどのようにして分かったか?高性能な顕微鏡で観察したのか?脳の機能とはどのようにして分かったのか?などをやって欲しい」

 

 勇介「生き物はその中心となるモノが、個我の決定因子となるまでは、モノであって、まるで意識がないから、その間は未来に向かってタイムスリップする可能性がある。そして人間に生まれたからといって、未来にも人間に生まれ変わるとは限らない」

 

 勇介「人間は牛・豚・鶏・魚の肉を食った分それらに生まれ変わり、その人間が現世で食った分肉が食われる」

一郎「考えられねえ!」

 

 勇介「人間の動物愛護とは牛・豚・鶏・魚を好きなだけ食っているんだから、そんなのおためごかしだ!」

 

 勇介「宇宙の原初は、無限の物質と虚無があった、無限の物質は無限であるとともに一であった。それは因果応報の法則を超えている、ということで科学的常識からは認められない」

 

 勇介「0には種類がある、まずは全くの0、そして空間は広がっているが、モノが全く存在しない0」

 

 勇介「0とは同じ位置に無限に存在する、という性質がある」

 

 勇介「無限の物質とは、同じ位置に2つ以上存在した、それによって、モノはちりちりバラバラになった」

一郎「それも科学的常識からは異端視されて認められないだろうな」

 

 勇介「無限の物質は2つに壊れた、無限の物質が2つに壊れた場合は、普通は一方が無限の性質を持っていて、もう一方の小さいほうが有限となることが考えられるが、分割された2つの物質は大きさに制限が加えられた、ということでどちらも有限の物質となった」

 

 勇介「原子とは私が聞いた限りでは、陽子と中性子と電子によって出来上がっている、ということであった」


 人間には夢を絞り込む必要がない人間がいる。私の夢とは著述・発明・音楽・プログラミング・絵画である。そして科学上の仮説も多く著述した、その一つが『個我の決定因子』である。
 一郎「成功の秘訣は何か知ってるか?」
勇介「何だ?」
一郎「まずは常識的であること、そして敏感な日本人に受け入れられるように小さな工夫であること」
勇介「小せえなあ!俺はそんなところでは勝負はしねえゾ!俺は史上一番すげぇことやってやるって決めてるんだよ!」
一郎「悲しいかな勇介、それは上手くは行かねぇゾ!世界の権力者とは頭が固くて強欲でケチだから、少しでも自分たちの利益が少なくなることは受け入れないから」
勇介「そうかもしれないが、俺は俺の夢を変えるつもりはない!そして大金持ち・貧乏人どちらも上手く行く方法をきっと編み出すから」

 「自分の時代は絶対にやって来る」、そのために採用すべきは、日本国民一人当たりのGDPの増加ではなくて、正義である。正義の一つとしては平等がある。
 一郎「日本人って道徳観が高くて素晴らしいよな」
勇介「そうかもしれないけど、それが堅苦しくて受け入れられない人間もいるゾ!ニーチェによるとキリスト教道徳に価値はないと言っているゾ!」
一郎「だけどヨーロッパの法律はキリスト教道徳を基本としている、ということがあるゾ!」
勇介「でもなんだかんだ言って、年収1000万円ぐらいは欲しいよな」
一郎「まあそれはあるはな」
勇介「でも年収は平均的でも、煩悩から卒業していれば、金がかからないから並みの収入で十分満足できるっていうのはあるゾ!」

 そしてそのためには、それではどのようにすれば自分の時代がやって来るかを具体的に考えるのである。私の場合はその具体性は格差是正であった。
 勇介「まずは俺は貧乏人と金持ちの格差を是正する、そのためにはどうするか分かるか?」
一郎「どうするんだ」
勇介「まずは大きな発明をする、そして大きな科学的発見もする」
一郎「そのためには相当に恵まれた先天性がなければならないだろうな」
勇介「為せば成る!まあ正確に言えば、先天性も後天的努力もどっちも大切なんだけどね」

 人間には役割がある、決断する人間と決断しない人間、意見者は決断しない人間なのである、決断せずに意見を煮詰めて行き、最良の意見を求めるのである。
 勇介「俺はまずは『正義哲学党』総裁だった、次に『自由民主平等科学平和発明発案意見党』代表であった。そして最近は『人類の労働からの解放党』というのを作った、俺はそれの党首だ。でも国に申請していないし党員は俺一人だから正式な党ではないんだよね」
一郎「なんじゃそりゃ!」
勇介「人類の労働からの解放党とは国に申請していないし党員は俺一人だけだから正式な党ではないが、ブログ上でその思想・哲学・公約・政策案を発表して、野党をリモートコントロールして、俺の考えた政策が実現するように持って行く」
一郎「お前一人の考えでは足りない部分もあるかと思うゾ!」
勇介「そこで俺は『みんなで書く小説SNS』というのを作成して、大勢の人々と議論して足りない部分は充足させていこうと思っている」

 人間は若い頃の方が優れていたものと歳とって優れるものの両方がある。
 勇介「俺は大器晩成なんだ!」
一郎「へっ!ニートのくせして!」
勇介「今はニートだって、将来は必ず成功するゾ!そして俺が超漸進的改革を行っているから、社会は俺の活動をなかなか認めない、ということもあるかと思う」
一郎「大きく行動しろ!」
勇介「うん、そだね、それは最後の最後にだね」
一郎「何で最後の最後になんだ!」
勇介「できる限り被害を出さないためにだ、それは俺なりの配慮だ」

 決断する時に迷わない、とするが、複雑な商品の設計などを決めるときには、時間をかけなければならない。
 一郎「世界最高のメンターって迷わず即選択するんだってね」
勇介「まあそういうやり方もあるだろうが、それは俺が取るべき道じゃないね、できる限り言葉を連ね、多くの選択は行わない、まあ男は人生に一度は大きな選択をしなければならないことはあるだろうがな」

 最終ヴィジョンを決めて即決する人間は一つの道を行く者である。ビジョンはいくらでもある、その中でも私が第一に求めるのが平均収入である、その次には母の幸せであり、その次が日本・世界の幸せである。
一郎「優秀な人間は最終ヴィジョンを決めて即決できるみたいだね」
勇介「即決しなくても成功への道はいくらでもあるさ」
一郎「でも『成功の女神に後ろ髪なし』って言うぞ!」
勇介「まあそういう言葉もあるが、日本のことわざはダブルスタンダードだから、それ以外の道もある、ということ、例えば『急がば回れ』」

 道を選択するにおいては即決すべき必要性は、超絶優秀な人間には必要ない、なぜならば遅かれ早かれ彼が成功することは大方決まっているからである。そしてどんなに遅かろうがどんな道を歩もうが彼は成功にたどり着く。しかしその勢いがゆっくりしすぎていると、多くの既成の下らぬものがなめてかかって、その実現性を信用しない、そこでその力は大きく削がれることとなることもある。
 一郎「成功するためには大勢の仲間が必要だぞ」
勇介「それは既成概念で、まずは一人で考えてそれに多くの人々が『みんなで書く小説SNS』で肉付けして行くっていう道もある、みんなで書く小説SNSでは皆で議論することも可能だから」

 会議においては細かなことを決めるにおいては優秀な人間の集まりではYesとNoの選択の連続であるが、それらを聞き、全てを包括する意見を述べることができる超絶優秀な人間がいる。彼にはライバルが存在せず、常に最終的に最善策を打ち出す。
 一郎「会議とはYesとNoの連続であるらしいゾ!」
勇介「しかしそこで決められるYes・Noはあくまで一つの意見であって、成功っていうのは様々なやり方がある、ということがある」

 会社で成功を求める人間は会社員であるだけである。超絶優秀な人間は市井にひっそりと暮らし、最高の意見を打ち出す。
 一郎「まずは大企業に就職できなければ始まらないよな」
勇介「そんなことはないよ、大企業に就職しなくても、大企業のノンフィクション小説が発表されれば、大企業の経験はできるっていうのはある」

 実は民衆が素直で聞く耳を持っていれば、ひっそりと最高の意見を打ち出すことで問題が解決されるのだが、そうでない場合はその意見者が大きな行動を起こさねばならない場合がある。
 一郎「男は速攻決断して行動すべきだ」
勇介「そうとは言えないが、男には人生においては最低限一回は大きな決断をしなければならないことはあるだろう」

 彼は最善過ぎて、世の中では働き場がなく、ニートである可能性がある。
 一郎「ニートとつっぱりは社会のゴミだろ」
勇介「お前だってニートみたいなもんじゃねーか!」
一郎「俺はお前と違って、結婚してるっていうのがある、子どももいるし」
勇介「主夫か?いいか一郎、お前と俺とで決定的に違うことは、お前は夢を捨てて大事も為してはいないが、俺は結婚を捨てて、家族も持たずに大事を為すことに決めているっていうことだ!まずお前と俺とは人間としてのスケールが違う!」
一郎「そんなこと言って、本当に成功できるのかなぁ?」
勇介「既に為っている。いいか一郎、大事っていうのは言葉で言い表されたときには既に出来上がっているんだ!後は実現化するだけ」

 勇介「俺はタイムスリップ仮説を考え出した。人間は死後、生まれ変わるまで、物質の一部となり将来のそのときまでタイムスリップする、という仮説だ!」
一郎「考えられねえ!」

 周りの人間に対する気遣いとは、多くの人間にとっては、現時点で恵まれている人間に向けがちである。それは会社員にとってもそうである、そしてそれが会社員や一般人の限界である。超絶優秀な人間は、現時点で恵まれている人だけの幸せを考えず、現時点では恵まれていない人の幸せも考える。一般人は現時点で恵まれている人間の幸せを考えるから、世の中の幸せは、偏り、いつも同じで変わらない。それは社会の発展ではない。大きな幸せを目指すものは、できる限り今現在恵まれている人間の幸せも考慮しつつ、今現在幸せが小さい人々の幸せを大きくすることを考える。そしてそのやりくちは犠牲者が少ない漸進的改革である。
 一郎「人生勝ったもん勝ちだよね!」
勇介「ない!」

 しかし漸進的改革には、欠点がある、それは多くの邪悪な人間・既成の不当な権力がそれを全く無意味なものとして扱い、社会的にもそれが全く無意味であると捉えられてしまいがち、ということである。その場合は世の中の人間は、その意見は素晴らしいと価値は分かるが、現実的には受け入れない、という現象が生じる。

 どんなときにも最終的決断が迫られている、と考えている人間は小さな利益しか実現できず、その選択には多くの犠牲が伴う。そして決断ばかりを繰り返している人間は、多くの敵を生み出し、自分の首を絞めている。

 私は相手の気持ちを考え、それに発言する人生の機会が持てなかった。だから想像してそれらを著述するだけである。

 大企業の人間は大企業の人間と折衝し、それらの人のためになることを行う、そのようにして大企業同士は仲が良いが、それが社会の固定化と格差の拡大を生み出している。

 変化を恐れてはならない、というが、できる人間は大きな変化はできる限り起こさないようにして、世界に幸せをもたらす。

 成功とは何か?一つのことを選び出しそれに順位をつけることは無駄なことだ、それらは人それぞれあったやり方がある。

 人間は変化することはブレることであってあまり良いことではない、とすることがある。官僚の無謬性がまさしくそれである。それらは過ちがあれば素直にそれを認め、その組織は変わって行かなければならない。しかし変わる必要がない人間は取り立てて変わる必要はない、しかし人間は老齢化するにつれ成長し、衰退することもある、だから人間は日々変わりつつも同じである、という矛盾現象が生じている。

 富とは人間にとってはある程度は必要ではあるが、ある程度は必要がない。日本では成功するには普通であり常識的であるということが必須のようである、私は常識がないから日本社会では私が生きている間は成功しないかもしれない。しかし私の著述が世に残れば、それらは後々の日本人からは支持されるかもしれない。いずれにせよ革命を急進的に進めることなく漸進的に進めるには意外と時間がかかるものだ。

 有名なメンターが充足とは一時的なものであって長くは続かない、としているが、それが煩悩から脱却する、ということであって、そこにおいては大金を使わなくても幸せを達成できるようになる。大資本家には大金持つよりも煩悩を脱却する方が満足感があることを私は伝えたい。物欲から脱却できずにいつまでもそれのより金がかかる高級なことを追い求めている人間は、それまでの硬直しきった物欲的心情を少しだけ振り返り我に返れば、それらは即座にぶち壊れ必要なくなる、ということに気付いてもらいたい、そしてその方が世界の幸せのためになることにも気付いてもらいたい。

 ビジネスマンにとっては、目標とは一つ一つ具体的なことを積み上げていくことがあることが多いようであるが、世界を変える著述・発明・プログラミング・音楽・絵画・科学を行っている者にとっては、世に認められることが一つだけの目標であって、それさえ達成できればいいだけである。なぜならば彼の考えていることはあまりにも偉大で世の中を大きく変えることであって、日本・世界の人々はその大きさに耐えられる器が存在しないから…

 成功とは自分の満足が行く収入はまずは得たいものである。

 私の人生の目的は、「史上一番すっげえことやってやるゾ!」ということであった。それは私が早稲田大学に合格できたときに決めた。だからであろう、私は常人離れしていて大企業はその野望を評価することはなかった。大企業はあくまでも当たり前の人材を確保することを求めるのであろう。

 私は潜在能力を高めるためには合法であることに限るができる限りのことはやった。まずは私は毎日頭に思い浮かぶことを全て書き記した。それには多くくだらないこともあったが、中には価値あるものもあった。価値あるものをまとめたのが『上野の夜~朝まで生討論』であった。

 私にとっては潜在能力を高めることは、その多くがテレビからの度々の情報であって、名著からの情報ではなかった。私は度々のテレビの情報から、オリジナルの思想を高めて行けた。

 私が次の執筆で参考とするもの『菜根譚』

 ある有名メンターは人のためになるような種をまくことが成功の条件とするが、それは自分の並みの収入を実現することと共存して行うべきことである、しかし本当に多くの人のためになるような種をまくことは、社会の有力者は行っていない。
 「勇介相変わらずだな、そんなことやったって無理々々!そして時間の無駄!世の中なんてそんな簡単に変わるものではないから、夢みてるのかな~!」
「俺は俺がある程度不遇であったって、それを絶対に成し遂げる!」

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 私は人々に珍しく奇異ではあるが、使えることを書いているのであるが、読者数もいいねも少なくコメントもない。

 私は私としては面白い小説・著述を書いているのであるが、大手出版社には採用されることは過去になく今後もないであろう。

 それが何故なのかが私には分からない。なぜ日本国民は私の著述に全く見向きもせずにスルーするのか?

 大体いいね!を多く受けるブログは内容的には価値が低いが、共感できる、ということでそのようであると私は見ている。

 私の著述は一般的に言われたことがない有益なことを書いているが、日本人は常識論しか採用しないのか?

 私がいくら有意義なことを書いていても、そこの部分がすっぽりと日本人に無視されている気がしてならない。

 私は三上祐一だが、過去は三上祐一のgoogle検索によって110,000件の表示があったが、今は4610件ほどしかない、これはgoogleが意図的にその数を減らして表示していると私は見る。

 そして日本人は私に対するアンチテーゼとして安倍自民党を支持しているようにさえ見える。

 日本人は私の様な者を自慢の過ぎる奴とレッテル貼りを行って嫌うが、私が行っているのは適宜な自己主張である。

 私は『人類の労働からの解放』を謳い、それは可能であるのだが、全ての日本人はそれには一切見向きもせずに、今まで通りの嫌々ながらの仕事に従事している。

 野党が人気がないのが日本人の幸せに貢献できる柱となる政策がないからである。野党は格差是正を主張し消費税撤廃を主張すべきである、と私はするが、その私の声が野党各党に届くことはなく、私は唯々孤立して誰にも相手にされないブログという社会にわずかながらの影響しか与えないものを書いているに過ぎない。

 私の著述は、多くの人々が『分かってるよそんなこと、でも現実問題としてそれは上手く行かないんだ』と思っているから私の著述は低評価なのか?それならば私は言いたい、『分かってるよそんなこと、でも現実問題としてそれは上手く行かないんだ』と思っていることについては、コメントが与えられることによって、そしてそれに私が受け答えすることによって、具体的現実性が増すのである。

 私は『プログラミング可能な手作業連続再生装置‘自動ハンドシステム’及び‘自動体システム’』『物体をレーダーで認識しそれをつかみ取る機械』を作り出し労働者が時短を達成し、しかし今まで通りの賃金がもらえる方法とホワイトカラー自体がAIを持ち(それは大型のAIをその会社に属する会社員が共同出資することにより購入・それは企業の労働組合が購入)時短を達成し、しかも今まで通りの給料をもらえる方法を著述したのであるが、このままいけば、工場用作業ロボットもAIも設備投資として経営者側が導入し、人々の仕事は奪われてしまい、私の考えた、多くの労働者・サラリーマンが幸せになる方法は葬り去られるのは時間の問題である。それは人々が今まで通りの仕事で満足して、私の意見をまるで聞き入れずに、今まで通りのことをしているから、そのような不幸がやって来るのである。日本人はのんきに今まで通りに仕事をしている場合ではない、直ちに私の案を採用し、それを押し進めるべきなのである!

 そして人々は時短と今までの賃金を実現して、余った時間でその人が本来好きだった仕事を行うべきなのである。本来好きだと思う仕事の多くが創作であり、または社会的に意義がある仕事である、そしてそれらが行われる最大のメリットが、それらが広く行われることによって、人々の民主主義的人間理解が深まる、ということにある。だからそれらの能力が今まで低いと思われていた人のそれらにも十分に意義があるのである。

 

 人類は労働から解放されるべきである!

 

 それか経営者側が作業ロボット・AIを導入し多くの労働者・サラリーマンの首を切ったら、それらの会社からは税金を高く取り、政府はベーシック・インカムを導入する、という道もある。これは安倍自民党は絶対にやらないであろう、これを主張すべきは野党である。この政策を掲げれば野党も支持率が高まる、ということは考えられる。しかし悲しいかなこのようなブログによる著述は社会的には微々たる影響力しかなく、野党には響かないであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇介「組織においては、分業が行われる、その分業は大方が個人が本心ではやりたいと思っていない仕事であることである。組織においては、企業の効率化は生み出されるが、個人のやりたいことが実現されない、代わりに組織から報酬が与えられる。個人のやりたいことが実現され、それが企業に売られ実現される、ということは、個人と組織の新しい関係である。」
一郎「お前が考えていることが『正義と人類の労働からの解放』だろ」
勇介「まあな、旧社会の弊害の罪に罰を与える行為は、私はフルフォード・ベンジャミンさんと与国秀行さんに任せて私は新しい世の中の構築を考えて行く」

 勇介「私には、愛は無いが、愛とは、こういうものなのか、とある程度は深く想像、もしくは思うことは出来る、そこで愛に対してはある程度真剣な態度で臨める、しかし、本当に愛を持っている人には、愛についてはかなわない」
一郎「お前の発想では愛よりも誠の方が価値があるんだろ?」
勇介「ああ」
一郎「俺は愛の方が価値があると思うが、それはなぜ?」
勇介「愛とは相手の欠点から長所まで気に入ることで、相手をわがままのままに甘えさせる。それよりかは、お互いの短所・長所は指摘し、切磋琢磨し、お互いが人間的に良くなることを目指すべきだ、それらを行ってきた夫婦には年老いた頃には欧米の愛とは違った、絆・仲睦まじさというものが生まれるであろう」

 勇介「浮気・不倫するなら結婚するな!まずは離婚すれば子供が迷惑がかかる、子供が一番可哀想だ」
一郎「みんな軽く結婚するよな」

 勇介「世の中は、ある程度の資本主義と、ある程度の修正共産主義と、ある程度の国家主義と、ある程度の民主主義が適当な分混じり合っているのがちょうどいい」
一郎「そのためには?」
勇介「工場労働者が私の‘自動体システム’を100万円で買いそれで労働を行って、今まで通りの賃金を得、会社員は人工知能(AI)を100万円で会社員が共同出資で買い(それらは労働組合が進める)それを作業で使って、今まで通りの賃金を得る。そしてそのうちに40億円以上の収入の人間に90%の累進課税をかける、そして当面で考えられる経済政策は普通の仕事をしている人間には500万円、ましな仕事をしている人間には1000万円支払うことであろう。ましな仕事とは、1執筆家(文筆家・マンガ家)・2発明家・3プログラマー・4メディア産業関係者・5大学教授研究者(理工・文系)・6映画製作者・7音楽家・8画家・9芸能人・10各種デザイナー・11写真家・12政治家・13経営者(最先端事業企業家)・14スポーツ選手・15マスコミ関係者・16店舗経営者・17裁判官・弁護士・検事・18建設家19官僚等である。工場労働者・建設作業者、中小企業者には600万円支払う。普通の仕事とは、大企業のホワイトカラーである、しかしホワイトカラーのサービス残業は一切なくす。そしてネット議会で直接民主主義で国の仕事を行う」

 勇介「ある程度甘えられるのであれば、不本意ではあるが甘えさせてもらい、特大の恩返しをする、というやり方はある」
一郎「しかしそれはあまりいいことじゃねえな」
勇介「かもしれないな、自分の実力は子供の頃にある程度試しておくべきであろう」

 勇介「愛を持つ者は、ある大切なことを失う、それは無邪気さである」
一郎「無邪気さってそんなに大切か?」
勇介「まず無邪気さとは大人となったら素朴さとなる、そして素朴な疑問は解き明かされるべきである、いやそうとは言えないな、純朴でない無邪気さもあるし、思い馳せた純朴さというものもある」

 勇介「マルクスは唯物史観を持っているが、確実に言える事は、心はある、ということではないか?」
一郎「まあそれは言えるよな、人間の心・精神はモノによって作られた尊ぶべき高度なものである、とは言えるであろう」

 勇介「無邪気さ、とは、多くの国々の人々が持ち備えている特質だ、極東文明日本分派の正義の哲学を主張する私は、それを大切なものと主張する、無邪気さは正直さと率直に関係する、しかし元々無邪気さを兼ね備えていなかった人々、という人々がいたであろうことも考えられる、そしてその特質を持つ人々が多くの有益な物を生み出して来たことも事実である。愛を主張する者が、無邪気さを持ち合わせている場合は、それは愛ではない、ということは、可能性の一つとしては考えられる」
一郎「愛とは相手のことを考え抜いて相手のためとなることだから、そこに無邪気さは混じり合わない」

 勇介「愛を持つ大人は、子供からすれば、魅力的では無い。無邪気さを持ち合わせた大人は、子供からすれば、魅力的である。しかし無邪気さを多く持ち合わせた者は、家族を養う収入を得なければならない。そして無邪気さはうまく利用すれば、何かを生み出す原動力、となり得る」
一郎「その無邪気さの一つとして考えられることはCMとかだろうな、もちろんそれ以上に周到で緻密な企画・計画が必要であろうが」

 勇介「子どもは無邪気さから来る疑問としては工場労働者・建設現場労働者が搾取されていることを感じることがない、大人からそれを聞かずして搾取に気づく子供はよっぽどセンスが研ぎ澄まされた子供であろう。子供たちは勉強せずに大人になって工場労働者となるとき、そういうものだと素直に諦めて工場労働者になるが、そこで諦めないでもらいたい、そして私の発明した‘自動体システム’によって救われてもらいたい」
一郎「‘自動体システム’を作り上げるには世界の叡智が集結しなければならない」

 勇介「しかし悲しいかな、多くの日本人は、大企業に勤めるのと引き換えに、無邪気さを捨て去る、そして常識人になる」
一郎「まあまれに無邪気なトークが営業力となる奴はいるがまあこれは本当にごくわずかである」

 勇介「山里の‘フォースコリー’などいらない。そんなことをするぐらいならば、飢餓で苦しむ子供達に寄付すべきだ」
一郎「そんなの日本人の自由だろ!」
勇介「ダイエットで一番世界的に価値があること、それは多く食べず小食ですませること、そしてコンビニ・スーパーでの廃棄処分をなくすこと」

 勇介「IOCの覆面調査。招致合戦をして、効果があるならば、オリンピック組織そのものに、問題がある、と言えるであろう」
一郎「オリンピックなんて金持ちの集まりで俺は大嫌いだね」
勇介「俺も、でもバッハ会長はいい人そうだな」

 勇介「国民が一つになればいい、というのは、安易ではないか?それは結局は全体主義である可能性がある。それは過去の過ちを再び繰り返すことに他ならない」
一郎「本来は様々な考えがあって、建設的議論を行って行くことによって案がまとまって行く」

 

 勇介「テレビで流されているコメントは、単純欠落構造主義文章であって、YES・NOをはっきりさせるが、有益な受け答えとはそうではない、しかしそのようなコメントは人気がないから単純欠落構造主義文章が使用され続けている」

 

 勇介「オリンピック会場は既存の施設で行うべきでしょ」
一郎「何のしっぺ返しくらうかわからないゾ!」

 勇介「東京電力は値上げをしたが、東京電力の社員は、どのようなことをしているのかが想像できない」
一郎「他の会社の商品買ったり、美味しい商売ばっかりだと思うよ」
勇介「東電は福島第一原発の問題はちゃんと解決してもらいたい。炉心融解の問題は解決しているのか?」
一郎「だな」

 勇介「石原元東京都知事の復古主義は危険だ。その復古主義は安倍という政治家にも見受けられる」
一郎「安倍は明治・大正・昭和こそが素晴らしい時代と思っているみたいだけど、どうなん?」
勇介「安倍は『日本は世界に軍隊で血を流す貢献をすべきだ』だって、お前がやれよ!」

 勇介「『アンドロイドは抹殺する』スティーブ・ジョブズの言葉の節々は、過激だなあ」
一郎「なんでアップルはマイクロソフトに敗れたんだ」
勇介「ウインドウズは安かったからじゃないか?」
勇介はマッキントッシュを買おうと思ったことがなかった。まずはそんな余裕があったためしがなかった。

 勇介「北朝鮮の様子を見るに、体制というのは恐ろしいと思う、しかし日本と北朝鮮を比較して、単純に日本の方が絶対的に素晴らしいかどうかという無益なことは考えないが、日本は戦後ある程度良くなりある程度悪くなっている、ということは確実に言える、それはかなりの分量の幸せが達成され、ある程度の量の不幸が生じた、というところであろう、北朝鮮には、純朴さの様な良い部分があることが考えられるが、これについては実際に確かめたわけではないので今のところ私は何とも言えないのが現状である、純朴さはあるが、人民がある程度の貧乏を強いられているのであれば、その状況は改善されるべきではあろう。北朝鮮のテレビ放送は、‘北朝鮮人民ほど幸せな人々は居ない’、の様な事を言っていたが、本当にそうか?と思った。北朝鮮のテレビ放送は、北朝鮮人民の様子を出来る限り把握しなければならない。しかし金正恩(氏)は金正日(氏)よりも、表情や素振りからして、温厚で開放的な素質を持っているように見受けられる。日本と北朝鮮は体制がまるで違うが、そこでは金正恩(氏)がリーダーシップを取って、実質的に、北朝鮮の国の状況が良い方向に導かれてもらいたい。北朝鮮で問題として考えられることが、エリート役人・軍首脳部と一般人の間、平壌と地方の一般人の間に出来る限り是正されるべき格差があることが考えられる。北朝鮮では、エリートの生活を描いたドラマが放映されている、ということであるが、北朝鮮人民は、それを羨望の眼差しで見ているのだろう。韓国は日本の会社の真似をして、富を実現した、北朝鮮では、韓国の産業を真似して、安い物価で、製品を作り出すのはどうだろうか?産業は、物価の安い国に移って行く。物価の高くなった国は意義のある製品・サービスを創出しなければならない」
一郎「なんでお前は北朝鮮の肩を持つんだ?」
勇介「同じアジア人としてな、でも金正恩は独裁者で粛清を大勢やったから、その点ではやはり危ない国には変わりないな」

 

 勇介「日本人は有能でなければ高い賃金を貰えない、そして日本の職業の全てが嫌々ながらの仕事である、北朝鮮は嫌々ながらの仕事だけで貧乏である、だから一概に絶対に日本の方が素晴らしいとは言えない、というのがまずある。そして日本では本当に有能な者に適宜な賃金が支払われない」


 勇介「谷垣総裁は、国益が~、のようなことを唱えていたが、確実に言えることは、国家主義が存在するならば、それとは別の主義も存在する。そして国益が何をも差置いて最も大切であるかどうかも、時代・地域・人間によって変わってくる」
一郎「まあお前はマルクス暴力革命を否定する平成の新左翼だからな」
勇介「俺は出来る限りの中道革新を考えている」

 勇介「日本では、教育機関は、都会と地方では格差は存在しない」
一郎「本当かよ?!」
勇介「多分そうだろう」

 一郎「日教組をどう思う」
勇介「消えてもらいたいな」

 勇介「‘目的を達成するためには、手段を選ばない’、という考え方は、最低限賢くは無い。‘全てにおいて一つ上を行く’、という考え方は、全体的には劣っている、という場合が考えられる、このイルミナティーは最低限言葉単純表現欠落症候群から、抜け出さねばならない。そしてその発想は、一つ欠落したものが考え出す思想である可能性がある、しかし一つ欠落している者は、普通の人々と、違う、ということから、高度な考え方を持ち合わせている、ということは考えられる」
一郎「大体イルミナティーというのは存在するのか?陰謀論は本当か?」
勇介「これについては深く調べなければならないだろうな、まあフルフォード・ベンジャミン氏と与国秀行氏の語っているところからするとどうやら本当らしいがな」

 勇介「私は言葉を使って、書いているが、言葉は、最高のアイテムである、と思ってはいない」
一郎「じゃあ一体何が最高のアイテムなんだ?」
勇介「私には脳内において、言葉を読むときに言葉をある何かに翻訳して理解している感覚がある、それは一体何かはわからないが」

 勇介「フィリピンで巨大地震が発生した。他国のこととはいえ、フィリピンの現地は大丈夫なのかが心配だ。M7.6。その映像が見たいが、日本は、自国の津波の高さを予想するだけで、他国のことなど、どうでもいいみたいだ」
一郎「日本のニュースはもっとワールド・ワイドにニュースを流してもらいたいよな。エンターテイメントとスポーツコーナーはなくてもいいから」

 勇介「世界各国の社説が読みたいね、世界各国の社説を読んで、それについて一々意見言ってみたい」
一郎「お前は本来はぼけ担当だけどツッコミもできるからな」

 勇介「そして各国の人々の昔から現代までの日記を読んで世界・人間とは一体どのようなものかを詳しく知りたい」
一郎「歴史上の多くの記録は廃棄されたからな」

 

 勇介「愛は日本人の気質に元々合っていない、これは言葉を、言葉を考えない脳で扱っている者が直感的に感じることができる感覚である、まあ日本人でも、愛で満足な奴らはそれはそれでいいけどな」
一郎「愛を受け入れないお前というのは世の中からは偏屈男に見られるだろうな」
勇介「ガッテン承知の介」

 勇介「私は非常識人であるが、有用なことは言っている。日本で行われて来た努力は決して無駄には出来ないであろう、しかし、有益なこと全てを無視し、価値が下がった日本社会の温存―価値が下がった日本の日常の温存―のみを、選択する者がいるならば、そいつはもはや許されない」
一郎「それはポピュリズムだな」

 勇介「子供の無邪気な可愛さなど無意味である、この国家はいつから、自分の分身である、つきつめれば親の欲求の体現である、子供を無用に可愛がるだけの寂しい国家になったのだ?子供を自分寄りに可愛がることは、子供に不幸を与えていることに過ぎない。とりあえずは、サラリーマンが、子供が自分のように育つことを目標とさせる日本人は無益だ。価値の低い子供は価値の低い子供でしかありえない、そいつらが、尊ぶべき世代を超えて、くだらぬ日本社会の維持、価値が低いことを選択するならば、そいつらは徹底的にその根性が捻じ曲がった心は改められなければならない。しかし良い子の無邪気は可愛らしい。そして大人になっても無邪気な心を忘れないことには意義がある」
一郎「子供はある程度厳しく育てて、褒めるべきところは褒めるべきだろうな」
勇介「私は父親に遊んでもらった記憶がまずはない」

 勇介「私は米国においては、民主党と共和党のどちらを選ぶかと言えば、民主党である。‘共存共栄’を目指す、としたクリントンの演説は良かった。ロムニーは表情において、価値が見出せない。そしてブッシュは無意味にフセインに死を与えたことは無益であり、イラク戦争も大量破壊兵器は見つからず、無益であった、同じ政治の踏襲が予想される共和党には光が無い」
一郎「でもトランプはFRBを国営化しようとしているところはいいよな」