私の最新の小説は『上野の夜~朝まで生討論』
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です。思想が書かれています。
私の著述がなぜ支持されないのか、どなたか教えてくれませんか?私が見る限り、人々が興味を持つこととは、より共感が持てることであるように見えるが、その内容はありきたりでくだらない。私は私のような思想を目にしたことがないから、私が著述することは、歴史上誰も書き表したことがなく、それを読めば独自で価値が高いと思えることなのだが、人々に全く興味を持たれない。
日本人が興味があることが人並みの生活を送ることであるようだが、私は多くの日本人と価値観が違う。私は価値が高い思想を著述することが最大の幸せである。そしてそれを多くの人々に高く評価してもらいたい。しかし人々が私を高く評価する、ということは全くない。
私の著述は常人には理解出来ない極北のこと、とどこかのブログで書かれていたが、それがどれなのかどなたか教えてくれませんか?
私は普通ではない異論を著述するが、それは価値があると私には思えるのだが、日本人はそれを低くしか評価してくれない。
そしてこの私の悩みというのは崇高な事象であると思えるのであるが、日本人は崇高な事象というものに全く興味を示してくれない。
テレビで放映されていることも、私には全くくだらなく感じられ私はまるで興味がない。そして私が著述しているようなことを人々が話しているのも一切目にしたことがない。
世界の全ての人々が普通の常識的な考え方しかしない。私にとってはそれらはまるで飽き飽きすることなのだが、人々はそれで十分に満足しているみたいだ。
まずはレベルの高い思想を扱った情報、というものがこの世の中には全く存在しない。どうやらありきたりと違う思想を著述しているのは世界中で私だけしかいないようなのだが、人々は私の著述を評価することがなく、常にスルーする。それだけではない、私のような世の中の当たり前の考え方とは違う考え方を人々は侮蔑し、気違いのようにさえ扱う。しかし人々のそのような態度は間違っていると私は思う。まず言えることは人々と違う考え方が気違いである、というのはその明確な理由が存在しない。そこでこれは民主主義に対して反抗することであるのだが、異論でも価値が高い、ということはあり得ると私は主張する。
民主主義の世の中では人々と同じ考え方、というものが高い価値を持つと常に人々は考え、世の中にはその考え方しか存在しない。
人々は世の常の中で暮らし、それしか評価しない。しかし私の著述は遠い未来には高く評価されると私は予想する。
そして世の中では労力を使う仕事しか存在しないが、私の著述にも報酬が与えられる道が開けることを私は望む。
世の中の仕事というものは、ほとんどが人々が嫌いな仕事しか存在しない。世の中の人々はそれをしなければ生きていけない。そのような状況は改善され、人々は好きなことを仕事にすることができるようになることを私は望む。
とにかく、私は世の中に存在する、全ての執筆物・情報に全く興味がない。
私は、私が考え出す考えにしか興味がない、そしてその考えというものは人々にとってはまるで退屈であって、評価されない。
全ての人々は現状しか受け入れず、その上での現実的生活しか評価しないが、それはレベルが高いというわけではない、それを私は主張し、それは民主主義に反抗することであり、人々が現実的ではないということから否定することである。
私は学生時代は友人たちには高く評価されていた、そしていつでもNo.1の評価を受けていた。しかし現実の社会では、そのような評価が行われる場が全く存在しない。世の中にはそのような評価が行われる場が作り出されるべきである。
私のブログはいいね!の評価を受けることはある。いいね!の理由と、私のブログに対する率直な感想を私は聞きたい、コメントお願いします。