三上祐一が2016.09.21~09.23に考えたこと | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 まずは新しい小説の作り方としては、一人の哲学者が主張することに、大勢の人々が率直に感じたことを主張するという手法がある。批判であればなおさらエキサイティングな議論が展開する、そして結局はその一人の哲学者に言い負かされるであろう。

 

 ある程度Aでありある程度Bである、という反対の概念を相並び立て実現する、ということが数学には欠如していた、そして欧米の文章は、常に単一主張による現実世界にそぐわない欠落構造文章であった。それについては歴史上のどの名作を読んでも共通していて、そのような文章表現をプラトン・アリストテレスからカント・ヘーゲル・ニーチェ・マルクスもやったことが無かった。しかしそれでも過去の名作は名作であるが。東洋でも単一主張による現実世界にそぐわない欠落構造文章であった。

 

 どうやらこの新しい数学を発見したのは私こと東アジア人こと三上祐一であるようだ、

 

だからこれが新しい時代の文体となり、新しい数学公式となる。このある程度のAとある程度の反Aが存在すると主張し二つの相反することを並び立てることは現実問題を考えるにおいてはとても便利な機能である。

 

 英国は移民を受け入れれば、金持ちがボロ儲けするのではなかったか?そこで言える単純な解決法としては、英国の金持ちが、同国人を多少金が高くとも、雇う、ということを徹底すればいいだけの話ではないか?

 

 2chもmixiも大勢で書く小説というのはどうか?2chはスレッドは売っているか。

 

 相反する概念をある程度Aでありある程反Aである。

 

 それは総選挙においては多数派と少数派のそれぞれが自分達が好きな政治の実現を可能にする。そこにおいては1つの政策を選択する、と言う事が無く2つの反対党の政治が実現することとなる。そこにおいては全てのひとの望む政策が行われる。