三上祐一が2013.06.05~06.07に考えたこと | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

嫌いな奴:本田望結 剛力彩芽 ハリー杉山 桐谷美玲 ローラ リリー・フランキー 西尾由佳理 笹野高史
好きな人:スギちゃん 石橋貴明 カンニング竹山(隆範) 伊藤利尋 武井 壮 石本沙織 久代萌美 榎並大二郎 皆藤愛子 小日向文世

 出来る人間達とは、実は出来ないのに、出来るとされたものを見ることによって、人々が出来ると考えた上で、みなされるだけなのではないか?現代においては、出来る人間達とは、学術が出来る=出来るとすることによって、それらの人々を人々がそうであると見ることによってある程度決め付けられているのではないか?

 尖閣諸島は棚上げにするのがいいであろう。

 プロスポーツで僅差で優勝した場合(例えば野球で0.5ゲーム差)、一試合一試合が評価の対象となることによって、その優勝チームの多くの、勝利を決めた選手の年俸が上がる、ということは考えられるが、それは無い。

 ゲゲゲの鬼太郎の実写版の猫娘の役は桐谷美玲で決まりだな!

 「『あげるテレビ』に軽部が出るんだって、いいゾ早稲田!」
軽部「タメ口聞くんじゃねえ!」
「すいあせんでしたぁ!」

 本田圭佑がド真ん中に蹴って、皆、「ハートが強い」みたいなこと言っているが、逆にハートが弱いんじゃねーのか?

 本田の公開説教聞いて、あとは日本代表選手一人一人が本気になるかどうかが問題だ。

 「ビッグクラブに所属する仲間とプレーできて楽しい」と語った今野の発言を引き合いにし、「どこのリーグ、クラブでプレーしているかどうかは関係ない。今野選手のようにあこがれてもらっては困る」と厳しい視線を投げた。(http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2013060602000144.html からの引用)

 成長戦略の中身①一般医療薬のネット販売②先進医療の審査短縮③国家戦略特区創設④インフラの再整備 ×社員の首切り安く

 年金支給年齢を68歳に!?年代間格差
 
  口コミグルメサイト 浅草地下街「ひどすぎる」「マズい」「口直ししたい」 「まずい」「硬い」「噛み切れない」 インド・パキスタン料理カラチ「水でのばしたように薄い」「具がなくて・・・」06101パキスタンの人はここが一番おいしいと言っていた。 ごはん処あだち あだちランチ880円 「岩のように固いから揚げ」「・・・」「・・・」 4.5ぐらい24310 料理・味 雰囲気 サービス コストパフォーマンス

 エンタ☆ビュー

 横野レイコ レポーター

 イ・ビョンホン結婚 女優イ・ミンジョンと8月挙式

 “ひげの殿下”逝去から1年肌身離さず・・・娘の“折り紙” 心游社 寛仁

 カメラ“マン”は?

 内橋徹

 社会保障支出を“聖域”とせず政府「骨太の方針」素案







--------------------------------2013.06.05~--------------------------------


 052   宿命

 人間の人生は楽だと短く感じ苦しいと長く感じる。楽な人生を送るためには、ひとは自分の潜在能力を上げる方法を手に入れて、好きなことをすべきである、しかし好きなことをするだけでは食って行けないから、好きでもないことをして生きている人々がたくさんいるというのが現状である。
 生身の人間ができる経験というものは限られている、しかし、その限られた経験の中でも、出来る限り複数の多くの場の経験をすると、経験というものは限られてはいるものの、経験しなくても、ある程度のことは、予想可能になって来る。
 大きいだの小さいだの、硬いだの柔らかいだのと考えることは、人間の生まれつきの感性と経験による。肉の硬い柔らかいは、普通の肉がどれくらいかを基準に考えることであり、鉄が硬くマシュマロが柔らかいという判断は、全てのものを考慮した上で与えられる。人間は硬いか柔らかいか?人間はある程度硬く、ある程度柔らかいと言える。人間の出来る事は五感しか持たない、ということで限られている、限りがある、ということから諦念を抱く者がいれば、限られていることに気付かずに、どこまでも上を目指す者もいる、どちらが幸せか?後者であろう。人間は生きている以上は出来る事は五感でしか感じられず、人生の長さには限りがある、ということで限られている、そこでほとんど全ての人間は共感できる、と同時にそれが人間の宿命の一部でもあるが、それを超えて出来る限りのことをすべきであろう。そして人間は千差万別であり、どの人もそれぞれに違うために、できることもそれぞれに違うであろう、そこで人はそれぞれに違う出来る限りのことをするのがいいであろう。そこで言える事は、「人間はある程度共通でありそこにおいては人々は共感でき、と同時にそれぞれがそれぞれに独自性を持ち、多くの場合は違うということを楽しみうる、そこで人々は共感できると同時に人々は競争者として対立し、ある程度個性を活かし共存共栄できる」ということである。


 053   価値

 軽やかな心を持つためには、仕事で責任が重い仕事をしない、ということが考えられる、しかし社会的に責任が重い仕事をしていても、その重大さに全く気付かずに軽やかな心を持つ、ということはあるであろう。そして社会的に責任が重い仕事でも、経験が浅いと重い気持ちを持たざるを得ないが、その仕事について経験が豊富になると、軽やかな心を持てるようになれる、ということは考えられる。しかしそのようになることは、惰性で仕事をしていることになってしまう場合がある、そして正等に評価されているのであれば、給料が上がらない、という事態に嵌ってしまっている場合もある。
 企業は時代が新しくなって行くにつれて、評価基準を変えて行かなければならない、前はくだらない、と思われていたことが、今は例えば、ある画期的な発明がなされているから重要だ、ということになることもあるし、今まで希少価値があると思われていたものが、多くなり、価値が下がるということもある。希少価値があるものが高値となることは多いが、前の希少価値が実質的に価値が下がったということで、安値となることもあるが、そうはならないものがある、それは例えばダイヤモンドとかである、ダイヤモンドの価値は天然か人工かでは実質的には変わらない。光輝き・固さ等では人工も天然も変わらない、しかし人々は人工ということで、価値を下げ、天然ということで価値を上げる。人工と天然ではダイヤモンドの中に混ざりものが無いか、あるかの違いがあるが、一体ダイヤモンドの中がクリアでない、ということに何の価値があるというのか?
 価値とは時代によっては、如何様にもうつろう、しかし人々の意向によってうつろわない様になっている、それは希少価値がある者達の口コミによってある程度なされている、希少価値がある者達とは現代における実質的貴族等が考えられる。現代における実質的貴族等とは、芸能人・金持ち・地位が高い者などである。実質的貴族には低俗性は見受けられるところではある、しかしそれら全てを含めてよし、とする傾向がある、それがいわゆる愛の一種なのではないか?
 実質的に価値が高いものと実質的に価値が低いものは色々あるが、それらは様々な組み合わせ(個人・組織・公・私など)でより高い価値を編み出そうとする、しかしその多くの場合、世間的に価値が高い低いと言われているものは言われている価値を保ちがちである。
 民主主義の時代においては、人々はしっかりと価値判断をすれば良い。金メッキのiPadが105万円する、ということは、私から見ればバカバカしい、しかし金メッキの105万円のiPadを良いと思う人間達がいるから困ったものだ、そこでそれが売れれば、金持ちが得するばかりだ、というのに低俗と評価されてきていたものにがんじがらめであった人間は、貴族を貴族の欠点込み々々で高く評価しがちである、ということから多くの場合は逃れられない。
 私には、金と鉄では鉄の方が価値があるように思えてならない。金とプラチナではプラチナの方が高い理由としては、金は反射するものを黄金に染め、プラチナは反射するものの色を現実世界とほとんど変えない、ということで、己が他に無影響、ということで、“客観性がある方”であるから、ということが考えられるが、それを客観性がある方、とすること自体が、非常識である。信用の無い者は薄利多売だけでは常識を克服できない場合が多い、しかし信用がある者がそれを大量に製造し薄利多売を行えば、常識を克服できる場合はある、それは人々の常識を刷新することで、新しいより良い常識を作り出すことは可能である。
 言葉で表現する事自体が常識的である、ということで、本を薄利多売する事はある程度常識的である、しかしほとんどの執筆者はその最低限守るべきことの中で自由自在に動き回れずに世の傾向と対策を考えがちである。人間は自由奔放に振舞うと、多くの場合はその結果として価値が高いものが伴われて来ない。人間はある程度世の傾向と対策を考え、ある程度自由奔放に振舞うべきである。その程度を知るのが人間には難しい。


 054   希望

 赤ちゃんは無邪気に笑う、希望とは無邪気さとは裏腹なものである、多くの場合は希望は、自分が不幸である、ということから、不幸を感じ、幸せを願い意識される。そうではない者は、そのような境遇の者を観察することによって、その概念を深く知る。だから自分の身近に不幸な人間が存在する場合は、最低限は、その不幸な者に感謝しなければならない、出来ればその人を金銭的には救ってあげるべきである。幸せばかりの者が出来る限りの高みを望む、ということはあるであろうが、それは大きな希望ではないし、深い希望でもない、人間は出来る限り最大限の不幸をも若い頃に卒業すべきである。出来る限り最大限である、不幸が苦しくて自殺してしまうならば、何もならない、自殺の理由を聞かれその原因の多くが自分自身の個性であるならば、近い将来の天国・地獄の番人は、それを“地獄行き”と裁くであろう、誰もがその個性を持つことを生前に希望したわけでもないのに。私の場合はある程度の先天的優性と劣勢があり、そこから多くの後天が決まったが、運でましな方に生まれて来て良かったと、実のところはいるかいないかわからない神に感謝している、そして多くは努力で乗り越えようとしている今の私がいる。ましかましじゃないかは、平均点より上か下かでは決まらない、まずは採点基準を自分で変えてしまえばいい、そして自分の科目を探すべきである、そして自分の得意な科目で人生の前半は満たせば良い。運でましな方に生まれて来なかった、と思える人間は、世の中の評価基準そのものを変えてしまう試みをすることもいいであろう、しかし私が言いたいことは、そのときは、出来る限り現状の常識を満たし、改善すべきことは最小限に留めて置く、というのが賢いやり方である、一方で出来る限りのことを言葉で準備し、それを世に示すということだけで超漸進的に大改革を行う、というやり方もあるが、その場合は最小限の報酬さえ得れないこともあるから、それを志向する者は事前にそれを踏まえておくべきであろう、できればそれを志向するものも最小限の報酬を得れるべきであろう。


 055   心の原風景

 風景は子供の心を刺激する。そして多くの人々にとってはそれが心の原風景となる、それが多くの人々がそこで幸せに暮らしたいとまず思わせる、それが故郷への思いである、住み着いた場所が多ければ多い程にその分だけ、多くの複数の故郷への思いを持つということになるが、故郷への思いが全て風景から与えられるとは単純には行かない、東京の多くの場所に生まれた者にとっての故郷は、それぞれに関わった人々である、風景の一つ一つがその人々との思い出の一場面一場面である。
 地平線や水平線はなぜ心に落ち着きや充足、安堵や深い信頼を与えてくれるのであろうか、その多くは、「世の中広い」、という思い、「確かに地球は丸い」、「そして科学・世界と繋がっている」、「だから今は幸せだ」という思いと深くリンクしているからではないだろうか?私は東京都港区青山小学校に小学3年生までいた、小学4年から小学6年までは練馬区下石神井に住んだ、青山小学校では外苑の銀杏並木がそれを与えてくれた、下石神井小学校では、近隣の畑がそれを与えてくれた。私は下石神井小学校では、母方の祖母の家に預けられていた、母方の祖母は、私が祖母の家に住むことは許してくれたが、離れた場所で一時働かざるを得なかった私の母が祖母の家に住むことは許してくれなかった、祖母の家は練馬区の杉並区との境界に近い場所にあった、私の母は杉並区に安賃貸マンションを借りた、そこで私は越境ということとなり、私は中学からは杉並区の中学に進学しなければならなかった、であるから中学では始まりは孤独であった。私が本来通う予定であった練馬区立石神井南中学校の校庭は広く茶色の土であったが、杉並区の中学校の校庭は普通の広さで灰色の砂だった、その校庭の広さ・土砂の色がどれだけに思春期の少年の心理に影響したかは知っている。そして杉並区は大きい公園も畑も無く、それがどれだけ思春期の少年の心理に影響したかも知っている。そして私は安賃貸マンションの3階に住んでいたのだが、そこのバルコニーから見える、どこまでも続く屋根の風景にどれだけ絶望したことか?当時E.T.という映画がやっていたが、そこの風景は私が大好きな風景であったが、どこまでも続く屋根の風景はそれとは違ったからである。
 私は思う、地方で生まれたならば、都会でもある程度暮らすべきであり、都会で生まれたならば、地方でもある程度暮らすべきである。そうすれば、単純に合算すれば、お互いの地域の人々が故郷を二つ持つ、ということになる。しかしそのためには都会の不動産が足りない、地方の職業が足りない、その観点からしても、格差是正は重要である。


 056   歴史

 世界歴史はある程度全てが繋がっているべきであるが、ある程度は、それぞれはそれぞれの国で編纂した歴史教科書で自由にそれぞれの歴史を語るべきである、それが国を挙げての大嘘大大会の場であることが明らかとなったならば、それらの歴史教科書編纂者は後の歴史学から馬鹿にされる。馬鹿にされるだけならまだしもである!人民・国民からは非難の嵐となる、それは最終的にはその方針を取った文部省に向かう、文部省から政府及び党批判に発展することが考えられる。そこで批判の対象となるのは、その国家そのものの本質である。浅薄な考えで掌返すような行動であったことが明らかであったならば、国家は転覆する危険を孕んでいる。
 人の歴史は日々の積み重ねである。人は今しか生きられない、将来を生きることは出来ないし過去を生きることも出来ない、そのための糧として歴史は必須科目である。
 私は怖気づいて着手せずにこの一日を終えるということは無い、それだけ緊張で満ち溢れた─感謝すべき─日常では満たされてはいない、実は怠惰のまま送ってしまうことがほとんどだ、これは私としてはかなり大胆な告白である、とにかく集中出来ない日は時間の流れが我慢できない程に遅い、そして一週間のうちに数日だけを頑張って生きることにしている。勇敢にチャレンジする機会が今は無い、なぜならば、執筆を人々に指し示すことのみによって、世の中を超漸進的に大改革することにしているからだ。ただこれだけは言える、執筆していることは日々核心に近づきつつある、と。


 057   押して駄目なら引いてみな

 求め得られなかったのであるならば、「押して駄目なら引いてみな」だ、相手を引き立てたりしてやるんだ、そして姑息な手を使ってみるんだ、思い切り卑下な自分を楽しむんだ。姑息な手を使った場合、相手はあるときはくすぐったい気持ちになり、あるときは「本気度がある」と判断されることなどによって、思わぬ成果を手に入れる場合がある。しかしそのような姑息なやり方で手に入れた成果は、その果実は自ら楽しむことなく、そっくりそれをそのまま相手に返してやれ。
 ここで新しい発明をした、風見鶏のような風車で、モーターを回転させてそれを動力とするものである、この程度のものはすでに世に存在するであろうが。ところで本当に全ての風を追い風にすることは出来るのか?どう見ても、あの帆でアゲインストで船が前進するとはとても理解し難い!それは実質的に奴隷船が無かった、と主張するためのトリックでは?とさえ思えてくる。さあ、私の前で、アゲインストで船を前進させてみよ!私は何よりも実証主義である!さあ笑う奴は笑え!まずはヨットでそれを試そうじゃないか?そこまでしなくてもいいか?しかしそのためには、ヨットが実際にアゲインストで前に進むのをこの眼でこの肌でこの耳で確認し認識しなければならない!まずは私の頭では考えられない!アンビリーバボー!
 相手を引き立ててもそれを得られなかったならば、そのときは本気で創出するんだ!Girls&Boys!本気とは何か?ちょっと考えればわかるだろうに。


 058   生活習慣病

 ある人にとっては、冷たい軽んじる言葉・火傷するような危険な言葉であったとしても、それが長期的にはその人の喜びとなることがある。ただ、その場合で、多くの場合は勇気をもってしてそれを行う者は、長期視野を保てる、もしくは長期予測能力が無ければならない。長期視野を保つのは、その行為者が保守的であるからであり、長期予測を行うのは、その行為者が革新的であるからである。理由というものも、いくらでも形状を変えて主張することができる、例えば、A論者がAを主張するのは長期的に非Aのためになり、大きなくくりでは非Aの大きな幸福になる、それならば、あなたが長期的ためを求めないのはなぜか?長期的幸せを得るために短期的楽を捨て切れずに言えば忍耐力が無いからである、とも言えるのである。とも言える。
 互いが互いの言葉を糧とする能力があるならば、両者はタッグを組むべきであろう、そして建設的議論を行うべきであろう。建設的議論とは簡単だ、私は“A”である、私は“非A”である、非Aを主張する根拠は何だ?それならば聞き返すが、Aを主張する根拠は何だ?それならば、非Aのβこの部分が悪いだからAの方がいい、いやいや何々Aのθの部分が悪いから、だから非Aの方がいい、ご指摘の非Aの悪い部分はdで改善可能である、だから、非Aの方がAよりもいい。返すようであるが、ご指摘のAの悪い部分はeで改善可能である、だから、Aの方が非Aよりもいい。・・・そこでαAをやろう。いやいっそのことBをやろう。建設的議論とは前述のような問答で、両者をなるべく生かすことである、共存共栄を図るのである、ここで悪いことが妥結・妥協である、これは建設的でも何でもない、そしてこのような議論は本来は参議院で行われるべき議論である、参議院は本来は選挙で選出されるべきではなく、説得力がある論述の内容を、能力が高い者が審査する、ということになる、それぞれの人々がそれぞれに能力が高い、と考えるのであれば、裁判員制度のようにして広く国民から審査員を選ぶことが相応しいこととなるし、第一説得力がある論述は多数の賛成を得るから、もとい選挙で選ばれることが相応しいということになる。そして一方の衆議院では、従来どおり選挙によって多数決を取るのである。
 私は極限状況では習慣は一切無視してもかまわないと思っている、しかし一切無視し続けることが習慣となってしまう場合は、それが心身にとって不当であるならば、それが生活習慣病の根本原因となる。
 生活習慣病は、生活習慣病を改善する薬を服用することである程度は直すことが出来るが、薬には耐性があり薬は効かなくなるが、その耐性は薬の効用を心の底から感謝することによって軽減し充分に薬が可能な限りある程度の効きを保持することが可能となる。
 生活習慣病には努力・一生懸命が効かないことがある、努力・一生懸命を試みても、それでいい結果が出ない、楽出来ないと、まずは努力・一生懸命をやる気さえ起きない、ということがある、そのようにして怠惰な時間を貪り食うと、退屈となる、退屈な時間は苦痛であり、時が経つのがとてつもなく長く感じるようになり、一日起きていることが不可能となり、早く眠るが浅い眠りで朝早く起きてしまう、という悪循環の繰り返しで不眠になってしまったりもするから、人々は気をつけていなければならない。とにかく感謝というものが己に利することもある、ということである。
 私の考えはまず第一に己を利すれ、第二に己が一番大切な人を利すれ、第三に己と親密な関係者を利すれ、第四には自分と疎遠な関係者をある程度利すれ、第五に己の故郷を利すれ、第六に己の国を利すれ、第七に己の国と親密な国を利すれ、第八に己の関係各国を利すれ、第九に世界を利すれ、その場合、世界には敵対者が必要である、最終的には敵対国を利すれ、そして世界の価値は本当に妥当であるかを振り返り、適宜な時期に価値関係を刷新して行け、ということである。
 とてつもなく多くの人々にとっては救世主となるはずのものなのに、あることがネックとなって、極めて少ない人々に犯罪を起こさせるから、法律で禁止されているものがある、その救世主はこのように扱え!ほんの微量からその救世主に活躍させるのである、極微量で、そのネックとなる徴候がその人に表れたならば、その人間はその救世主を自主的に諦めなければならない様にするのである、その義務を怠ったならば、懲役をくらわすのである、つまり、その救世主と自分が一緒になったならば、ネックとなる症状が出ることで相性が悪いということを、微量ずつ使って、自分の傾向を知り、知っていつつ、その救世主と共謀して重罪を犯したならば、罪が重くなるようにすればいいのである。しかし救世主がネックとなる症状を自らにもたらせても、我・客観を充分に把握し、自分を完全に充分にコントロールできるならば、許される、ということにすればいいのである。そもそもそのネックとなる症状は、極微量に救世主に活躍させたとしても、破滅的に長く続くかどうか、ということが問題である。極微量に救世主に活躍させて、脳が全く破滅的にいかれちまうならば、それは考えものだが、そういうわけでは無くて、極微量に活躍させて、その徴候が表われても、それは極一時的なもので終わることが極めてほとんど多くの場合ならば、その検査方法を活かすのが良いであろう。そしてその救世主を利用するのである、私がなぜこのように回りくどい言い方をしなければならないかと言えば、私はその救世主とは、全く付き合いが無いからである。それと重罪が犯されたならば、その当事者は救世主と共謀していないかを必ず検査するようにすればいいのである。そうすれば、救世主が現実的にどれ程人々に影響を及ぼしているかの実態も調査可能である、その実数が極めて少ないならば、その救世主に活躍させるべきである、という考え方もあるであろう、しかし世の殺人事件のほとんどが、その救世主が原因となって引き起こされているならば、それは考えものだが。

 ポジ・ネガは、そういうタイプなんだと一言であっさりとくくり捨てられる日は何時訪れるのか?ポジ・ネガはそいううタイプであると一言であっさりとくくり捨てられる日が訪れたならば、そのときは、救世主が活躍し始める時期に入ったのでは無いか?ここで言えること、ネガでも世の役に立てば評価するのである。

 冷静さを失う。リアルにお先真っ暗!お店の人に土下座してますよ。

 This is S○X in the mouthe!

 「山ちゃんがレース・クイーン抱いたときですよね。」
「番組とばしてピット・イン」

 やべっちF.C.=バイト感覚?
 ASAYANもバイト感覚?

 「お前本当に売れたいんか?・・・マツコ行けるか?」

 「お手・逆・キス」

 重度の新婚ボケ

 織田信長

 「肉類の安売りはそろそろ法律で禁止すべきである、マクドとかが・・・。」

 到達度テストの導入:SAT 私「安倍は良く設定されているものを悪くすることばかりを企んでいる、一言言っておく、時代において一番の国家が設定したものは、正しくあることを追求した結果だと、考えてみろ、ということである」

 両親がいじめ調査依頼

 「骨太方針」アベノミクスの行方は?

 「固定型3年」0.6%下げ 三井住友銀行

 安倍首相 訓練検討指示

 パリス「なぜ涙はしょっぱいの?」

 UT

 明治安田生命

 南北会談再開へ

 2013.06.06:中国仏へ報復措置で日仏タッグへ 私「英中同盟?まず考えられない。理由、チャールズ皇太子が中国を毛嫌いしているからだ!」中国包囲網広がる

 落書き中学教師を逮捕

 エステ岡田真由美逮捕450万円150万円でいい

 経団連代表 福島第一を視察

 星陵最強伝説

 私「日本は命がけの戦いで強くありたければ、スポーツは諦めろ」
阿部慎之介「そう簡単には行かねえんでぇ!」
仁志「そうだあ!」

 木村沙織「キャプテン今まで絶対やったこと無いですし」
私「そうだなあ、俺もキャプテンっていう柄じゃねえしなあ・・・大体日本では、長谷部辺りの無難な奴がキャプテンになるんだよ・・・」
木村沙織「たいしてスポーツやったこと無いくせして!」
私「・・・です!」

 宝塚記念

 私「自分に対しては、害が出ない程度に懐疑的であるべきであろう、そして適度な量を信じろ!懐疑し改めるべきところは、己より進んで改めよ!客観が100%正しい?誰が自分本位でなく、他者に正直に、その者にとって最大に素晴らしいことを与えるか?他者についてはある程度はその意見は参考にすべきである、しかし、最終的には全てを決めるのは己自身である、決断は価値評価を妥当に行う、ということにおいても行われている、行動が決断であり、言葉を用いて考えを整理整頓することが、行動では無いと誰が決めた?言葉を用いることは行動の一つである、そしてそれを人々に示すことも行動である。対義語・反対語はある程度しか意味を為さない」

 「残念ながら寛仁親王のスキーは一級レベルでは無い」

 「国家において、天下国家のためということを求める人間が一番危ない。愛国?もっての他の危険思想だ。実質的には中国が戦前の日本と同じことをやっている、宗教と結びつけた愛国と資本主義と共産主義の妥協社会と結びつけた愛国という違いはあるが、そこで言っておく、賢い愛国は宗教と結び付けたものが最強である、ということを」

 「未練がある?現実的姿は、ある程度未練がありある程度未練が無い、ということだ。そう言葉をもってして単純欠落構造文章を作る無かれ」

───────────────
 史上最高に高飛車な女

 
───────────────
 男「結婚してください!」
女「あんたが私に見合うだけの価値があるかを述べよ」
男「ずっと俺がお前の傍にいるから!」
女「適切な価値表現となっていない!」
男「必ず幸せにするから!」
女「その根拠を述べよ」
男「私の価値は、ある程度見込みがあり、ある程度見込みが無い、というところだ」
女「確実に成功をGETした後に私にプロポーズしな!」
男「確実性第一尊重主義か?その発言自体が己自体の価値を低めている。俺が言いたいことは、冒険が己らをかなり成長させる、ということだ、リスクに身を投じる、その勇気がおぬしには足りぬ」
男「私はまずは、血流において意義がある、それは血流において大いに冒険している、ということにあり、その証は、言葉である程度は語れるが今は語らぬ」
女「自信が無いから語れないんじゃないの?」
男「遅ればせながら、Intoroduce myself!私は普段はまるで考えぬ者だ」
女「だめじゃん」
男「まずは眼球の動きにおいて価値を見出せる、ということを伝えておく、その眼球の動きはそなたを決して飽きさせることが無い」
女「何?新種のホストか?」
男「俺がホストか・・・、ははは笑う、俺は絶対にホスト風情には成り下らん!ということをまずは伝えておく、お前は大したことが無いなあ」
女「何故?」
男「相手の表情において相手の心を見抜く、という能力がまずは欠如している」





「結局は女は男のゴリ押しを受けいれてりゃーいいんだよ!そしてもう一つ伝えておく、年頃の男子は、ある程度はファッションで騙せても、見極めるべく年月を経た男の目は騙せない、ということだ!結局はファッションはフェチの一つのアイテムに過ぎねえんだ!なんだその流行遅れのフェチは?フェチという低い手段を使えば、男の愛を手に入れることは出来ない」
「愛が無い男が言う言葉か?!」

 「恵比寿一丁目かぁ~懐かしいなぁ」
「にやつくな!」
「俺がニヤケか?笑う!お前は俺の妥当な批判者として、相応しい」

 「犬派猫派で物事を解決したいならば、派閥同士で闘い論じよ、まずは猫のどこがいいんだ?女よ」





「結局は二大ペットがいるならば、それ二つに価値を見出せ!」



 「いいからとりあえずテレビ見ようぜ!」
「まだお前の彼女になったわけじゃねーゾ!」
「まあ固いこと言うなって、じゃあ、アベノミクスをどう思う?」
「私はあげあげでいいと思う」
「笑う、官僚の作った原稿まる読みでか?」

 「レッド・ブルの効果は継続しない、ということか?」

 「日本の頑張る人の主役はスーツ組では無い」

 「戦う相手を単純欠落構造文章で求めるな」
 「事象を単純に勝ち負けで扱うな!現実的には、ある程度勝っていて、ある程度負けている」
「言葉を用いるものは、物事を分け隔てするということ自体が、言葉自体の欠点である、ということを悟れ」
「俺は己の感情に振り回される女等に価値を見出さない」

 私「そうだったのかぁ!ピンポンパンっていう奴は~!」
「1990年以降に生まれた子供達には現代の歴史の営みを学ばせることは、意義があるが、悲しいが中国はそれが出来ない、何故か?天安門事件他多数の政府による圧制の歴史をひけらかすこととなってしまうから、言えば中国は秦の時代から悪政続きだ、法家主義の秦を褒め称える?考えられねえ!」

 本間翔吾さん

 「コンチャンテンチャン?!フジにそこまでの権利があるのか?無理があるだろ!」

 「突然キャラ変更」
「ミュージカルをやってみたい」
「日本の芸能界は厳しいゾ!」

 「ギターを始めた」

 「ミサンガ」

 「東京女子箱Vivi」

 「フジはスタッフキャスティング能力も高い、ということが解った」

 「就勝宣言、ああ、時代遅れの響きよ!“負けるが勝ち”という言葉を知っておけ!負けるが勝ちとは、長期的幸せを望むならば、ということだ、それはほとんどが結果論ではあるが」
 「負けた者は犠牲を伴う、負けた者はその犠牲をより生かすべきだ、という点において、靖国神社は肯定可能ではある」

 「ヨーロッパの子供達はそのように甘やかせて育てられてはいないのが現状だ!」

 「言い切りは、言葉による強調・消極的表現であるに過ぎない」

 「横浜音響研究所」
「アイドリングもそこそこにしとけ、アイドルはいじればいいっていうもんじゃない!」
「屁こき?価値無し!」

 「尾島知佳・横山ルリカはいいとしても、菊池亜美は間違っている!ほとんどの場合、顔でオナラは判断出来ない」
「中国共産党が行っていた無益な方法を番組に用いる無かれ」

 「日本政府は尖閣問題はとりあえずは棚上げしておけ!、近い将来の子孫にその問題は任せるべきである、重い責任感を与えられれば、多くの人間はやりがいを見出す、そして、それが何代か続いて、そんなちっぽけな領土など、どうでもいい、ということになる、大体において乗り越えるべき国家間の敵対は超えろ!」

 AD植松

 「石川英明先生:『』」オネエ系は所詮はオネエ系だなあ・・・尾木ママとか?子供の中で誰が尾木ママの言うことを本気で聞くか?!日本では教育がなおざりだ。言っておくが、『おざなり』では無い、『なおざり』だ!その間違いを行ったのは、あの尊ぶべき“大塚範一”さんである!
 「大塚さんかあ・・・懐かしいなぁ!『大塚さんを野放しにし過ぎ?!』言うねえ、大塚さんのおかげで価値が高い女に化けていた女が!」

 「共闘、いいねえ、その響き!」

 「ここまで来ると疑わざるを得ないことがある、女自体が褒められることが好きな種別ではないか?」
ネイマール
「私の母は母親に可愛がられて育ってはいない、だから平気でスパルタ教育を実施したり出来た、ということがある!」
「アテネ・スパルタから二千年の時が過ぎた・・・、現代においては無益な争いを避けるためには、互いが互いにとって有益であった、ということは見出すことは可能だ、だがそれをやらない、それが領土を広げるには有益なやり方であるというのに・・・」

 「現代においては日本・中国は、ある程度協力し合うべきであり、ある程度敵対すべきではないか、ある程度とは時代において妥当な量で、ということだ!」

 「中国共産党の矛盾、日本を否定し愛国を叫びながらも、日本を受け入れ、日本に儲けさせている、しかも富裕層にだ!それが共産党らしからぬ中国共産党の現状だ!人民よ!その矛盾は非効率的であり、排除すべきであるならば、覚醒すべきときに覚醒せよ!そして鬨の声を上げよ!」

 「篠田麻里子は価値あることは言っている」
「板野友美も価値があることを言っている」
「小嶋陽菜、面白くない」
「高橋みなみ―努力は全て報われる。高橋みなみよ、現実世界では、努力はある程度は報われ、ある程度は報われない、というのが現状だ!高橋みなみが言っていることは、高橋みなみの希望も含まれているのか?それはカワイイとは評価はされるわなぁ。しかし言えることは、先天性に後天性の多くが縛られている、ということだ、高橋みなみ自体だって相当恵まれた部類に入ってる癖してよぅ!意識すべきことが一つ足りねえんじゃねーんか!お前は全てが努力で出来ているのか?それは無い、まずはお前自体がモノによって構成されている、ということを知れ。高橋みなみはツッコミキャラとしては価値はあるが、そして言っておく事は俺が努力を怠ったことは無い、ということだ!そして俺だって、先天性はそう大したもんじゃねえ、ということだ!そして俺の先天性によって、もう俺は子供を生める体じゃねえ、というところだ!」

 「センター試験を抜かすと、学生は、本番に強いタイプか、そうでないかが測れない、本番とは多くは運によって左右されるが、運はそのような性質に生まれたかそうでないか、ということも含まれるが」

 「橋下氏、オスプレイ受け入れ、いいんじゃないか?」
八尾市長「否定するものでは無い」
「大体オスプレイの配備が尖閣問題が絡んでいるならば、米国は出来る限りのことは、やってくれている、ということは言える」

 「多分真ん中にぶち込む、ということは、近い将来において、日本も同じ様に報復されるであろう、そしてそれはケースによっては最終兵器として活用される」

 「デジタル派の多くは分子の中の中性子・陽子・電子が刻むに限界である、と看做している、ただ中性子・陽子・電子の中を覗き込んだ人間は一人も居ない、アナログはその可能性は肯定しておくのが正しい、それが人間の能力の時代性に適した行動である」

 グロリアさん:600億円税引き後274億円

 「幽かな彼女・35歳の高校生、それぞれにとって相手に不足は無いであろう」

 「国際関係において、国家間対立は、ある者達にとっては都合が良い」

 「日本サッカー界は選手を褒め上げることが前提であり、それがほとんど常となっている、その点野球界はどうか?それ以前にスポーツ界はまずは不正が蔓延っている可能性が高い、それは実力があるのに評価されずに、高校では槍投げ選手となることによって、それが巡り巡って、西部の2軍選手までにしかなれなかった、日月の言葉をある程度参考にしている、そして父のスポーツについてのコメントも参考にしている、しかしそれは時代の中間点でしか生きられない、人間の宿命とも言える、この場合は、私は進化論をある程度受け入れている、しかし可能性として言えることは、人間は、進化している面があれば退化している面もある、ということである」

 八芳園:一万坪

 「東京の風景は、変わり続けている、そこにおいては、多くの東京人にとっては特別な場所であったところが変わってしまって、もはや特別な場所では無くなっている、それはある面東京人の背負うべき宿命である、しかし変わっていない場所は発見されるかもしれない、それは多くが貧乏人の住処である」

 クリス・ハート

 「不適な笑みを浮かべるJリーガーは内心本田を小馬鹿にしている節があるのでは無いか?そしてここいらでいいだろ、と思っている」

 「まあオスプレイが少しは危険なものでも自分の家に落ちてくることはほとんど無いだろう」

 「東京では六日間雨が降っていない、それは気象庁への当てこすりだ、まあ気象庁の入梅宣言が正確には妥当では無かった、ということであろう、それぐらいの誤差はまあ許してやれや」

 「大学改革:今までの東京大学に入るには2日も本番があったんだなあ」

 「日本サッカー会では海外組みが劣勢なんだなあ・・・」

 松本潤『あまり無意味に褒めるなよ・・・』

 「特別な場所ならば、良く訪れているのでは?」

 「過去は必要な分参考にし将来に生かせ」

 「甘やかされて育った犬猫はそれだけの価値しか無い、そこで彼らのもっと高い幸せを本気で考えていない、それは犬猫を自分に似たものに育て可愛がるという人間の身勝手な欲求が招いている、そして自分に噛み付く犬猫には容赦なく叱る」

 「私は機会があれば本田圭佑選手とは意義深い会話ができる、と思っている、そして機会があれば香川選手とも意義深い会話が出来ると思っている、そしてそこで行われることは、似た者同士の慰めあいでは無い」

 「人間に生まれたならば、逃げてしまうことは多い、私は私の進むべきかなえるべきことをかなえるために、逃げざるを得なかったことはある。そして介護について、本当に全力か全力でないかは、わからない、そして未熟な者の全力は、老齢者に不幸を与える結果となる」

 「多くの懐かしいことは私の糧となっている、それは私的にきっちり言えば、ある程度、ということである」

 「ザッケローニ監督はなすべきことはなしたであろう、しかし希望を言えばもっと頑張って欲しい、サッカー観戦をほとんどしない私らしくない発言ではあるが」

 「いつものザッケローニの不機嫌そうな表情は、おおよそ見当が付いている」

  「骨太がいいか悪いかはわからない、あしたのジョーは骨細だった」

 「一回断られたら、その相手を尊重する気持ちが少しでもあるならば、その行為は尊重すべきである。その気持ちが無いならば、その相手に自分は分相応では無かった、ということである、そして自らの行為の結果がどうなるかは少しは考えろ、と言いたい、断った相手が素晴らしい、と思っている人に被害を与えれば、自分はその人には嫌われるであろうことを、しかしこの意見は事件の概観を見て創造できる限りのことを言ったまでである、事件の真相は、聞き取りを行わなければわからない、例えば相手が尊重すべき相手をささやかに裏切る行為を見て、事件の決行を決めたならば、まあ情状酌量の余地はささやかにはあるだろう」

 「大体天気予報士は私には無い才能を持っている、まず、私としては退屈な状況を、良く文章として、記憶して説明できるよなあ、と感心する、元々私は文章を読む能力が低い」

 「大体私は15、6歳の頃は、何も面白いことがしゃべれなかった、そこで私が話せることは女性の話ぐらいであった、そしてそれは公にすべきでは無い内容だった、そこで私はその頃は面白いことが言える人に微笑むぐらいのことしか出来なかった」

 「中学2年のときに、小田和正さんの歌ピアノで弾いて歌ったりした」

 「過去に輝かしい記憶とかあんだろ!」

 「手が器用」
「うわやらしい!」

  「安室の歌を聞いて、宇多田が懐かしくなったよ、人間活動どうなった?ある程度までやりゃそれで充分だろ!」

 「本当に説得力が無い理由で、センター試験の歴史を覆せるのか?よくよく考えれば、東大では複数回(2回)試験を受けていて、一回の試験が東大合格を決めているわけでは無い!」

 「私は、自分の住んでいる所の近くに、オスプレイが配備されるならば、それを受け入れる。まずは自分の住んでいるところに飛行機が墜落する可能性はほとんど無いと考える、地域の賛否ばかりを取り扱うが、日本全体で、賛成・反対を問ってみたらどうなんだ?」

  「大体、ツイッターでは俺はまるで人気が無いんだ」

 「LINEとかいうのも、様子見ている限り、俺がやっていることとあまり関係無さそうで、興味が無い」

 「Life?まずは見えてないな、大体、自分の人生を満たすことに力あまり置いてないし、ある程度満たせりゃそれで充分だ、俺は卒業してるから、安上がりなんだ」

  『JOY』「くだらないことをやろう」?その歌詞自体が興味が無い。

 「大体コムロ以来、あまり、いい歌はねえなあ、というのが俺の感じるところだから、他はやっぱ、宇多田とか倉木麻衣ぐらいかなあ・・・コムロはもうねた完全に出し切っちやったのか?もっと思い出せばあるかもしれねえが・・・、韓流は結構いい歌あるけどな」